平家物語を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
都を落ちて流れた大宰府も、平家安住の地ではなかった。
剥落の日々に疲れ果てた清経は、水に呼ばれるようにその命を断つ。
敦盛も武士として勇壮に、一の谷の露と消えた。
遠く丹波で母と再開したびわは、青い瞳でその末期を見据える。
語り手としての決意を、その目に込めながら…
そんな感じの戦争のはらわた、若人たちから死んでいく平家物語第9話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
木下良平の端正な筆で、”滅び”なるものがどんな手触りか、そこで死んでいく者たちの顔を覗き込むようなエピソードがしっかりと仕上がった。
風雅で、無常で、美しいがそれに酔いたくは、けしてならない。
その輪郭しか多くの人が知らない”平家物語”の実相を、どうにか伝えようと苦心してきたこのアニメらしいお話であったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
そこでは、さっきまで朗らかに笑い、沢山の未来があったはずの人たちが死ぬのだ。
虚しいし悲しいが、止まってはくれない。
戦争の車輪は、そういう地響きを立てる。
武士の武士たる勇ましさを、砕かれたからこそ清経は水に身を投げ、貫いたからこそ敦盛は首を取られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
どちらが良いとか、悪いの話ではなく、そもそも生きるべき人たちが死んでんだから大悪でしかなく、しかし否定し難く悲劇はある。
びわは平家と離れ進んだ旅路で、母を許しそれを見つめる。
青い瞳の異能は時空を越えて、”まるで見てきたように”平家の終わりについて語ることを、びわに許す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
これまで苦しみの源泉であった見えてしまうこと、見えても何も出来ないことは、見届けることが出来る作家の特権となって、びわに生きる道を示す。
語られるものも、語るものも。
滅びるものも、生き残るものも、皆それぞれの生き様を貫いて、必死に生きていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
正義の不在に心が砕けた清経、誓いに準じて首を取られた敦盛、琵琶法師としての生き方を選び取ったびわ。
三人の若人、それぞれの道が儚く交わり、哀しくも清廉に光る話数である。
出だしの情景からして大変に風情があり、別格の味わいを伝える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
びわは都で行き合った白拍子の導きに助けられ、旅路の終わりを丹波に定める。
キャッキャと水辺ではしゃぐ少女三人の姿に、もはや遠くなった厳島の日々を思い出しつつ。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/GDG9SJ0rX4
水に濡れた衣装を頭から垂らされた、不思議で面白いびわ一人称の画角。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
そこからは艶めかしい…というには眩しく爽やかな両足が見え、若人のバイタリティとエロスが健やかに輝いている。
白拍子の明るさは、地理的に大きく離れた戦場とは遠い…わけでもない。
少なくともびわはこの眩しい夏の空の向こう側に、平家が落ち延びている事を知っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
その青い異能の瞳で、ともに過ごした思い出の先にあるものを見ている。見えてしまって、いる。
生きる力、生きていればこその命の輝きが、敗残の道行きにはあまりに遠くに思えても。
確かにあの厳島の戯れはそこにあって、消えてはなくならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
あるいは、なくしてはいけない。
そんな答えを今回、びわ自身が掴むのだが、母との再開、遠い戦火を前に気もそぞろなこの段階では、自分の道と引き受けるには遠い。
この遠さを、びわ(と視聴者)が詰めていくエピソードと言える。
どんなに歴史が激動しても確かにそこに在る、小さな幸福。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
木曽殿の暴虐はそれを蹴飛ばすように暴れ倒し、全く懲りない後白河院も後鳥羽天皇を擁立して、荒波を乗りこなそうと足掻く。
運命に翻弄される子供たちは、つくづく無邪気である。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/yXExR7EzXo
安徳天皇を待ち構える運命を示唆するように、ゆらりと揺れる灯火。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
その陰りは平家全体に及び、鎧姿に武張った資盛の詰問は、恩知らずの反乱を抑え込むには程遠い。
怪物清盛の威光も、もはや過去の話。
義を曲げ仁に目をつぶり、長いものに巻かれなければ、生き延びることなど出来ない。
そこら辺の泥臭さを飲めてしまうから、兄弟に比べて資盛はタフな”武士”に見える…のかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
思い返せば第一話、牛車をひっくり返し髻を切って捨てた『平家悪行の始め』の中心人物だった彼は、”平家”なるものの実態、武士の本懐の薄汚れが、よく分かる立場に在るのだろう。
どこまでも続く絶望を形にしたような、深い深い井戸を覗き込む清経は、鎧を着ていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
清さ、正しさ、人が人たるよすが。
そんなモノが儚い絵空事でしか無いことを、兄とのやり取りは教える。
あまりに真っ直ぐ過ぎるその瞳から、逃げるように反らした視線。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/tM1MS56zBF
びわと異なり、時の流れ、運命の荒波から逃れる特権を有していない資盛は、清らかな子供では居続けられない過酷な現実に投げ飛ばされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
そこから立ち直り、現実を噛み砕いて適応する時間は、剥落の平家には残されていない。
それでも、綺麗なものを信じたかったのだと思う。
二度目の福原到来に、笛の音が寂しすぎると芸術を拒んだ清経は、それでも清らかなものがどこかに在るのだと信じたかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
兄に投げ捨てられた土の感触が、その希望を砕く最後の一擲となったかは、このお話は定かには描かない。
寝転んで見上げた竹林も、また井戸の底。
降りしきる雨は泥濘に沈んだ現状を否応なく伝え、それに沈み込むものも、逞しくわらじを変えるものもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
我が子を背負う母として、逞しく先に進む徳子と、清経の光なき絶望…それに手を差し伸べようとして果たせない敦盛の対比がエグい。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/qhiP1TT3z8
前回の都落ち、天子らしく輿に担がれ都落ちした姿を描いていたことが、今回籠に詰められて逃げ延びる安徳天皇…彼を御旗と担ぐ平家の現状を、良く際立たせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
逃げて、逃げて、逃げてなお十重二十重に敵が取り囲む。
清経が瞳から光を無くすのも、納得の状況ではある。
徳子は子のいる所が都と定め、降りしきる雨が突き刺さるなら、その身を傘にする覚悟を決めている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
敦盛は清経と同世代、幼く誓った”武士”としての在り方を杖に立つ。
清経には、もはや何もない。
縋りたかった正義も仁愛も、投げ捨てその身を血に染めたからこそ、平家の栄華もあった。
自分たちを追い立てる無法の存在と、自分たちがそう変わらない事実を叩きつけられ、もう一度立ち上がるための杖がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
眩き夢が失われた後の空虚を、埋めるものがない。
あんだけ清経大好きな、熱盛との誓いが支えたり得ないのが、なんとも切ない。
勇壮とはつまり、生きたいと願うものの首を取る事
共感の欠片もなく、京で好き勝手暴れ倒す義仲一党こそが、ある意味一番”武士”なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
…笛の天才を支える豊かな感性故に、これまで清盛と重盛だけが直面してた”武士”の血腥い本懐に圧倒されて立ち直れないのは、いかさま悲壮が過ぎるな。
びわならずとも、視えることは辛いことだ。
そのびわは丹波の海から、柳浦の悲劇を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
福原ではその音が寂しすぎると遠ざけた笛に唇を寄せたのは、末期の叫びの代わりなのか。
水の民たる平家は、自由に飛ぶ鳥にはなれない。
びわの青い瞳は同じ屋根の下、共に笑い歌った青年が露と消える有様を見届けさせる
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/wmdrDeJMOW
夜と昼、丹波と豊前。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
場所も時も別ながら、びわと清経は同じく水際に身を預け、高い場所を見つめながら繋がっている。
その共鳴が幾度目か、びわを深く傷つけもするが、届かなかった敦盛の手と異なり、びわには自分を受け止めてくれる白拍子が隣に間に合う。
生きて見届け語り継ぐものと、運命の波に飲み込まれて死にゆくもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
その境目は、伸ばされる誰かの手で引かれるのかもな、などと思う。
伸ばした手ごと水底に沈む例も今後書かれるだろうし、助けようと伸ばした手が残酷に空を切り、水底の都と過酷な現世に泣き別れの運命が、この先待つんだけどさ…。
そしてびわは、遂に母の手を掴む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
迷って開けた庵の奥に広がるのは、恨めしくも懐かしき暗黒。
なぜ、私を捨てた。
血を吐くような娘の言葉を受けて、様々なものが溢れる。
ここの涙→釜→芋の感情沸騰リレーは、素晴らしい演出。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/e1WfW0LmoN
砕けて溢れるものを受け止めきれず、清経は若くして水をくぐったわけだが、親子は一度分かたれるように見えて、再び繋がっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
許す。
徳子が波乱の果てに己に定めた強さを、びわもまた遠く丹波の地で、己に定める。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/39JpDmuua3
母がうずくまって動けない業の闇に、振り返り直してそこを見つめる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
黒い闇には捨てられた恨み、理不尽への怒り、母が積み重ねた年月がうず高く積もっていて、びわの両の目はそんな”今”を見据える。
そうすることで、びわは自分が拓いた光を、迷える母に分け与えることが出来る。
あのまま母の嘆きに背を向け、闇に凝る憎しみと愛おしさを見つめず、去っていくこともびわには出来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
しかしそれを直視し、許すと決めたことで、びわは母から祈りを受け取り、死者の思いと残酷な未来を見つめてしまえる自分の異能を、呪いから祝福へと転化していく。
平曲という芸術に人の生きざま、己の使命を塗り込め語り上げる、びわが見据えた新たな道。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
同じく芸才に恵まれつつ、豊か過ぎる感受性故に虚しさに食われ水に落ちた清経の末期とは真逆…に見えて、やはりこれも繋がっているのだと思う。
びわがここで闇に向き直り、己の目の使い所を定めれたのは…
重盛の屋敷で共に暮らした、ちょっと悪戯で感性の鋭い兄弟の笛の音が、微かに残響したから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
あの穏やかな”家”が好きだった視聴者としては、そうも思いたくなる。
少なくとも、平家の成り行きを見届け語ろうとする決意の幾ばくかに、日常を共に過ごした体温が燃えているのは、間違いではなかろう。
もはや平家の子供たちが、華やかに音を合わせることはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
しかしびわが最後の”平家”として生き延び、絶望に食われることなく物語を語り継いだ結果、このアニメが今目の前にも在る。
仮想と現実を行き来する構造の中で、清経が奏でられなかった笛を、びわが継いでいく。
さて知盛オジキの武勇も逞しく、摂津に一時勢いを取り戻した平家一門。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
追いすがる源氏も一枚岩ではなく、都に覇を唱えた木曽殿も、栗津で討ち果たされる。
その一箭を射た、源氏方軍事の天才。
源義経の冷たき美貌には、敦盛の若武者ぶりとはまた違う”匂い”がある。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/cmbRFP5aoP
鎌倉源氏の舵取りに悩み、政子に首根っこ抑えられてる頼朝の描写を挟んだり、”源氏VS平家”のシンプルな敵対構図に作品を落とし込まない工夫は、今回も元気である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
敵も味方も皆家族があり、滑稽な笑いがあり、極めて残酷に殺して死んでいく。
その全てを含んではじめて、”物語”なのだろう。
史書に名高き一の谷の合戦は、夜の深さと篝火の赤が鮮烈な、大迫力の決戦として描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
ここに至るまで平家が結構気合い入れて盛り返していたのもまた史実であり、”武士”の本懐に戻ったかな…と思ったところで、ナチュラルボーン武士だった義経に上回られる形か。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/aBgaq8ycZi
鵯越の逆落とし、木曽殿とはまた別の意味でルール無用な義経の奇策により、背後を取られた平家は総崩れとなり、幾度目か落ちていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
遠くに聞こえた笛の音は、水に飲まれた清経からのレクイエムか。
約束を思い出し、敦盛は雄々しく殿を務め、敗陣へと取って返す。
眦の紅も眩しき敦盛の立ち姿が、武者絵の如く瑞々しいが、オッサンはこんなん見たくなかったよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
清経とずっと、男男きらら空間でキャッキャしてて欲しかったよホント。
でもその穏やかな時間も、”武士”として絞った敵の血、溜まった恨みの上に成り立ってたわけでな…。
なんとも答えが出ない物語に、無理に作品から答えを出そうとしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
ただ人々がどう生きたかを描き、それを読んだ僕らが自分なり、答えを出す(あるいは、新たな疑問を紡いでいく)
そういうドライで優しい語り口を選んだのは、やっぱ正解だなぁ、などと思う。
かくして思い出の笛を掴んだ敦盛は、逃げ延びる船に馬を繋がず、”武士”として戦いに挑む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
裂帛の気合がこもった若武者のアップと、異形の瞳でその末期を見届けるびわの視線が、朝焼けに絡んでいく。
生きるも死ぬも、約束の果て。
敦盛、清経好き過ぎる…。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/5pTnUO5W1K
名誉と首を取り合う命の瀬戸際で、血管を暴れまくるアドレナリンに興奮していた熊谷直実が、兜を外してみればあまりに幼い顔立ちを見つめて”人”になってしまうのが、なんとも生々しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
目の前にあるのが、家族も夢もある同じ人間だと認めてしまえば、もう切れない。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/WB92FWNJfu
それに気づきつつも、自分たちをこの浜辺に押し流した奔馬のいななきは止まることなく、首を落とす以外に道など無い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
正義も正しさもない禽獣なのだと、清経が絶望した”武士”の本懐と、また違った修羅の顔を、熱盛はそれでも美しく、戦化粧で覆いきる。
そらー、熊谷直実も出家するわな…。
波間に飛んだ二羽の鴎は、戦に散った若人の魂を背負い、自由に羽ばたいていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
鳥に生まれ変わらなければ、共に歌い遊ぶことももはや許されぬ修羅界から、今若き武士が飛び立っていった。
悲惨であり、残酷であり、誇りが篭り美々しくもある。
やはりその全部が、”物語”なのだろう。
武士の本懐を見事に遂げて散った敦盛と、それに押しつぶされて死んだ清経を一話にまとめた事で、どちらもけして嘘ではない実感が、見ている側に届いたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
あの二人のどっちが正しかったとか、強かったとか弱かったとか、これだけ描かれてしたくはないよ、僕ァ…。
びわはもう、様々に咲いて散る命を嘆かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
語り部として、異能の瞳の持ち主だからこそ見届けられる全てを曲にして、己そのものである”びわ”に奏でる。
浅葱の瞳は、もはや呪いではない。
それでも、まだまだ人が死ぬ。
戦いも物語も、終わりではない。
(画像は”平家物語”第9話から引用) pic.twitter.com/tE2HvD0i46
そんな感じの、平家物語第9話でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
史実に刻まれた二人の若人の、揺るがし得ない散り際を嘘なく描ききり、仮想の語り部であるびわが母なる暗黒と向き合い、道を見定める物語と重ねる。
群像それぞれの道が響き合い重なる…あるいはすれ違う面白さと悲しさが、色濃いエピソードでした。
水運を味方に付けて栄華を手に入れた平家が、陸上に家無く船に追われ、水に食われて潰えていく様は、なんとも因果ですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月11日
一の谷の合戦かくの如く終わり、屋島を越えて壇ノ浦。
物語の終わりも見えてきましたが、さてびわと僕らは何を見届けるか。
次回も楽しみです。