平家物語 第10話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
流れる水のごとく時は流れ、逆巻く波のごとく定めは乱れる。
覆し得ぬ時勢が平家を滅びへ押し流す中で、一人、また一人、その生を全うしていく命。
その全てを見届け、語り継がんとするびわの瞳に、もはや恐れはなかった。
かくして、壇ノ浦。
終わりが始まる。
そんな感じの静かで悲しき…そして美しい決戦前夜である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
サイエンスSALUの俊英、山代風我の流麗なセンスが留まる所を知らず、水をモチーフに群像をまとめきった、見事なエピソードだった。
川、滝、海、盃、涙。
水は様々に形を変え、留まることなく流れていく。
水理の民として名を挙げた平家が、軒並み水に呼ばれるように散っていく有様…そこに命を押し流していく頼朝の覚悟と、盃に揺れる若武者の恋。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
あらゆるシーンに水があって、留まることを知らない。
変化する流体はつまり、否応なく流れていく時間であり、人間の運命なのだろう。
それは命を繋ぎもすれば、喉を塞いで殺しもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
水に濡れる花もまた多数描かれ、四季とともに咲いて散る定め、甲斐なく流れていく時を画面に宿していく。
俺はこのアニメが、あんま花言葉意識せず、命としての花を大事に演出してくれてるのが好きだ。とっくにの伝統だしな、あれ…。
お話はピントを一箇所に留めず、終局に向けて流され足掻く群像を様々に描いていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
この物語の奔流もまた、一つの”水”と言えるだろうか。
その中で年経ず、無名匿名の”平家”として行く末を見つめるびわの姿が、定点観測地点として、美しく寂しい。
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/RvGzu6cN0n
福原の栄華も灰となり、牡丹の如く絢爛に咲いた重衡も、囚われの人と成り果てた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
三種の神器をめぐる綱引きの中で、見捨てるしか無いその花を、画面が見事に切り取る。
天下の謀略家として命を弄ぶ法王と、後鳥羽上皇と貝殻(水の玩具!)で遊ぶ慈しみが、同時に切り取られる。
皇のおわす所が都であるのならば、平家が平家でいるためには天皇の正当性を護持する三種の神器は、手渡すわけにはいかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
我が子の命が摘み取られる状況に、女傑・平時子の髪も揺れるが、この一門に生まれてしまった以上、婚礼も生き死にも”平家”という、大きな船の上から出れない。
時の流れから開放されずっと童形であるびわは、その大きな船に立ち寄り、家族としてそれぞれの顔を見つめつつ、運命を共にしない特権を有する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
彼女が自身のルーツを探ったのが、重盛邸を追い出され”平家”では無くなった後なのが、なんとも道理である。
そしてびわは、沈みゆく船に自分の意志で戻る。
沈む陽の色、戦の血の色、平家の旗印の色。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
赤く染まった世界で維盛は涙を流し、己の弱さを嘆く。
”武士”として最期まで、家を守り守り立てる腹を固められる男になった弟と、羽をもがれた蝶のように蹲る兄。
どちらが良いとも悪いとも、もはや言えまい。
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/G07HUaqGFl
世の無常に疲れ果て、”武士”たる残酷に飽き果てて折れる維盛の赤と、牡丹の苦い露を盃に揺らし、それを飲み干すことで源氏の棟梁たらんとする頼朝の青が、面白い対比である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
悪名も因果も、その身に全て引き受けて咲き、散らんとする万花の王。
重衡の”武士”は、頼朝を盃に惑わす。
しかし情けを受けたゆえに今、平家を倒し源氏をもり立てようとしている自分を鑑みれば、手折る以外の選択肢はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
政子の囁きに背中を押されたようにも見えるが、ここは頼朝が(平家が誰も為し得なかった、苛烈なる清盛の後継として)”武士”になった場面と思う。
迫る時流を知りつつ、それでも人として武士として足掻く資盛は、徳子に書状を乞う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
母の瞳はその懸命を見ておらず、見据えるのは無邪気に遊ぶ我が子の笑顔。
その一点が、徳子が生き延びるただ一つの手がかりである。
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/Zfu4vrgi8Y
二人が対等に意思を疎通しているように見える横の構図から、その視線が資盛を通り過ぎていると示す縦の構図へ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
お互いの生き様が滲む画面構成が大変に流麗であるが、維盛出家の場面もまた良い。
戦の土を掴み、汚れた腕。
旅の泥に汚れた、疲れ果てた足。
世の哀しみを見すぎた、己の眼。
現世に自分を止める身体が、もはや全て疎ましいものに為ってしまった限界を、雨滴る僧院が薄暗く照らす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
そこに差し伸べられたのは、同じく生の苦しみを知る滝口入道…重盛の部下であり、女官・横笛との恋に苦しみ仏の道に入った、斎藤時頼である。
人皆、それぞれの苦しみを持つ。
立場を超え相通じる思いは第二話、祇王と仏御前の出家にも似ているが、清経と敦盛でも解るように、この話で男男で百合っぽい空気出すと、もう死がヒタヒタ迫ってくるから…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
維盛の出家は庵にひっそりと生きるためではなく、補陀落渡海…入水自殺を残念なく終わらせるための儀式である。
剃髪のための短刀には、平家の紋所たる揚羽が刻まれ、風に揺られて定かならぬ命を反射する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
水の見守る場所で、かつて共に笑った兄弟に追いつき、運命を知りつつ平穏な未来を…と、切り出すびわの悲愴。
末期が見えてはいても、すがらずにはいられない。
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/uUSOHq1QOC
その思いはもう一人の”兄弟”たる資盛の終戦工作に通じているし、もはや引き返せぬ固い決意は、震えながらも妻子に合わず、自裁を果した維盛に似ていよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
どれだけ悲惨であっても、その運命が変わらずとも、見届ける。
穏やかな川となり、命を呑む海となり、激しい滝となる水の、流れるさまを。
そういう覚悟を”平家”を一旦出て母を求め、母を許す旅路の中で固めたからこそ、びわはもうその青い瞳で未来を見つめることを躊躇わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
維盛をここまで押し流した時の流れは、彼の背丈を伸ばし髭をはやして”おっとう”にした。
膝を曲げ視線を合わせる仕草が、去るものと残るものの違いをよく伝える。
しかしどの岸に流れていくにしても、どんな辛さを身に受けるにしても、皆同じ人として時代に流され、必死に咲いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
その事それ自体に意味があるのだと、激しい滝に思いを封じて補陀落渡海を見届けるびわの姿は語る。
それは、このアニメ自体の姿勢でもある。
正に、主人公。
時は留まらずに流れ、季節ごとに盛りの花は変わっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
どの栄華も咲いては散り、水面に花びらを浮かべていく。
兄が”武士”の業を、牡丹の雫に満たして飲み干した盃に、義経の華やかな恋が踊る。
…ここの法王様、ちとセクシー過ぎない?
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/JwRI8LuX9y
この二人の恋が”平家物語”の終わった後、如何に転がっていくかは”吾妻鏡”、あるいは能楽”船弁慶”などに詳しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
盛者に思える源氏の若君も、情けを切り捨て一門の栄華を守護する鬼と化した兄と敵対し、恋の結晶も、鎌倉由比ヶ浜に引きちぎられることとなる。
真白の美しさに始まりを告げた恋も、流れ流れて”平家物語”に負けぬ無常に揉まれ、切ない終りを迎えることを、僕らは知っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
”平家物語”の範疇で終わるものも、始まるものも、1000年の時を経れば全て、終わった物語である。
しかしそこには、時を越えて確かに宿る息吹があり、美しさがある。
こうして流れていくもの全てを見据えて、生き死にも終わりも始まりも、語り尽くす山雲海月の情…というのが、このお話かなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
胡蝶のようにひらりひらりと、源氏の若君の前で踊る恋。
その姿が、終わりゆく平家の”武士”に繋がっていく。
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/1KACRmxFQ4
人の魂は蝶に転じて春に逢いに来るというし、維盛が最期に握った短刀に宿っていたのも、また蝶であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
蝶に転じた一瞬の夢から醒めて、果たして人の身の長き現が、真実と言えるかどうか。
荘周胡蝶の故事を引かずとも、揺蕩う流れの中に儚く踊る姿は、様々な思いを反射して美しい。
思えば10話、あっという間に盛りから終わりまで駆け抜けた平家滅亡RTAであったが、ぎっしりと美麗と意味を詰め込んで、食べごたえは十分以上である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
はらはらとはためく布の向こうに、幻のようにあの時のままの”妹”を見つめて、一人浮き世に生き延びた”兄”は、何を思うのだろうか。
月を見るのに湖の水鏡を以て為し、直接目を上げることは嫌うのが貴人の作法とも聞くが、愛に生きたものとして”平家物語”に刻まれる資盛が、最期の証として水面に刻むのが恋文なのは、なんとも面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
それは儚くゆらぎつつも、確かにそこに写っている。
死出の旅に進む維盛にそうしたように、びわは自分がたどり着いた境涯を”兄”に伝え、生き延びて語り継ぐ優しい覚悟を、その掌で教える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
この静かな約束、切なき別れが、もはや万策尽き果てた哀れな”武士”の心を、如何ほど癒やしたか。
それは思うものであって、語るものではないのかもしれない。
全ては流れ行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
それでもたしかにその瞳で見据え、心で受け取ったものは消えない。
一足先に妻となり母となった徳子の思いに、丹波の再会で並んだびわが見つめるのは、幼君の透き通るような無垢か。
その先にある、水底の都か。
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/d5LR37v73h
最後の平穏が優しく解けて、時は気づけば紅葉の秋。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
世界は赤く…血と炎と、平家の色に染まり直して、運命は再び動き出す。
六花が儚く水に溶けるように、浴びせかけられる火矢が、平家に終わりを連れてくる。
屋島の決戦、かくのごとく終われり。
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/cGfqlANDzv
『あ、いい雰囲気だしなんかイケるかも…』という希望を、微塵に打ち砕く終わりの始まりが、水の諸相の一つたる”雪”の溶けるさまで始まるのが、なんか良いな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
今回のエピソードを水の物語として読むのは、あくまで僕個人の思い込みなのだが、まぁまぁ悪くない補助線…じゃないかなぁ。
白と赤のモチーフ含め、全てが流転して定まらず、時と運命が常時うねり続けているのが、作品に通底する優しき無常と視線を同じくしていて、終わりの始まりとして相応しいな、と感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
雪、花、炎。
春、恋に頬を染めていた御曹司は今、手綱を口ばさみ血刀を下げ、平家討滅の修羅となりて戦場を駆ける
涼しきかんばせに冷酷を宿す、この作品の義経の書き方は、大変に好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
そこに一筋、恋の紅を宿した今回は、彼もまた”義経記”の主役として、儚くも美しい流れに身を任せる存在だということを思い出させてくれる。
大原御幸に物語が終わり、それでもなお流れていく歴史という大河。
そこまで視線が延びて伸びて…さらに先にある2022年の僕たちまで入ってる感じが、雄大で優しくていい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
時に流され水に溶け、必死に咲いて散った命。
屋島に死んだ武士と、平家根絶の妄執に食われた頼朝を、共に散華で描く物語も、残り一話。
かくして、壇ノ浦である
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/lYLkQSOjPG
滅びゆく”今”を見届けんとする童形のびわと、涙に濡れる弦を弾き、嫋々と語り切る未来のびわも、流れの中にあって確かに繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
法師語りのクライマックス、聴衆皆袖を絞る勇壮と悲愴のダンスを、朗々と歌い上げるその音色、強き音声。
そこが、びわの決意の行き着く場所だ。
史実から切り離され、無力な観測者として平家の屋根に守られてきた子供が、最後に見届ける一族の果て。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
流れる水を止めることは出来ずとも、その渦中で血に濡れ涙に沈み、必死に藻掻いた者たちの歌。
人の残酷も愚かさも、全てを許し見据える物語。
それも、後一話で幕である。
彼方にけぶる大船団、ひらめく赤旗白旗。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
運命を載せた船は静かに揺れ、決戦の刻を待っている。
”武士”達のかんばせは凛々しく引き締まり、これを最後の戦と腹を決める。
無論、人生という物語はここからも、更に続く。
水は流れていく。
(画像は”平家物語”第10話から引用) pic.twitter.com/fbbFc2GI2z
しかし様々な思いと命を飲み込んできた物語という大河は、確かにこの渦巻く浦に流れ込んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
決戦の行方を僕らは、年表や教科書で知っていて、そこにどんな血が流れ、思いが沈んだかを良く識らない。
だからこそ、今までと同じようにこの作品が、それを見据えて教えてくれるだろう。
優柔不断に思えた頼朝が、敵ながら天晴な武士たる重衡を切り、法王の思惑を越えて残酷冷徹な”武士”として完成していくのが、大変に興味深かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
一代で名を興した清盛の英才と暴虐を、継ぐものが無かったからこそ壇ノ浦に流れた平家の外にこそ、彼の情けで生き延びた”武士”が生まれた…とも取れる。
清盛が取り憑かれた”面白さ”すら切り捨て、まだ三種の神器が帰る…武士ではなく皇家が権力の真ん中に座る時代が続くと考える法王を、更に超えて時代を変える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
情を切り捨てた牡丹の露は、そんな男の産湯であったのかもしれない。
それもまた、”平家物語”の先にあるお話だ。
そこに瞳を据え、”平家物語”の後世を生きる僕らに物語を繋ぐためには、流れの行き着く先を描かなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
次回最終話、大変に楽しみです。
…戦乱の時流を背中に受けたのは、作者の望むことではないのだろうけど、今流れることに意味のあるアニメに為ったと思う。