プロセカイベスト”セカイの桜、つながる想い”を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
現実に桜の花舞い散る四月、セカイの住人たちは子供たちを思う。
そして重なる一瞬のキセキ…という感じのお話。
0.5周年がユニットを超えた関係性の種まき、1周年がその芽吹き…という感じで進んできたプロセカアニバイベ。
今回は普段なかなかフォーカスできない、セカイサイドに大きく舵を切ったエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
メインやってる間は、その裏側でバチャシンが何を考えていたか、主観で描くエピソードがいくつか挿話されてたけども、イベストになると(少なくともメインでは)扱いにくくなってた領域に、切り込む感じ。
子供らが訪れないと描写されない、人間のいないセカイの日常も垣間見えて、お得な感じがあるイベストだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
体温低めに塗り絵したりあやとりしたり、それなりに楽しくやってはいるが、やっぱりニーゴが何かを持ってきてくれるのを静かに待ってる無人組が、特に可愛かった。
それぞれのセカイでバチャシンたちは、ただただ無心に子供らの幸福を祈り、日々を楽しく過ごしつつも辛いことが無いよう、楽しいことが多いよう、心を配ってくれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
その奉仕存在としての無垢さが、”ツール”でもあるボカロの在り方と不思議な共鳴をしてて、なんだかジンワリ来た。
セカイを苦しみも迷いも多い青春のアジールとして、そこの住人をより善い答えを生み出すための質問者として描き続ける筆は、サービスが始まって以来ブレていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
セカイは誰にも邪魔されず静かに自分と向き合い、あるいは自分では解らない答えへの導きを、手渡して貰える場所だ。
バチャシン達は子供らが抱えた問題に解答を与えず、一個人ではどうしても固定されてしまう見方が多角的になるよう、様々な問いを投げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
そうして新たな気づきを得て、角度を変えて問題に挑める助けを、セカイの住人はずっとやってきた。
その内面が色濃く見えて、なんともありがたい。
同時に彼らも彼らなりに難しいことがあり、ただ奉仕するだけでなく何かを望む主体でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
思い切ってセカイに足場を置くことで、そういう主観も程よく見えて、とてもいい塩梅だったと思う。
同時にこの特別なタイミングで、エイプリルフールとも連動させた”夢”として、バチャシンメインを描くのは…
やはり物語の主体は現実を走る子供らであって、世界の住人は主従でいえば”従”と位置づけているのかな、と感じたりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
それが悪いとか下だとかつう事は欠片もなく、毎回毎回、輝く思いを子供らに届けてくれる電子の妖精たちには、感謝しかないけどね。
マジでありがたい。
エイプリルフール企画でミクミクミクミクミクが襲いかかってきた時に、『あ、俺はこれが見たかったんだな…』て納得した部分もあって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
現実ではユニットの垣根を超えた交流も増えてきたが、バチャシンが横で繋がる描写って一切なくて、今回のアニバとエイプリルフールは、そんな夢を形にしてくれた。
逆に言うとこういう特別なイベントじゃないと、セカイの垣根を超えるつもりはない…という意思表明でもあるかなー、って感じ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
イベストの方でも、セカイを超えた相互認識はあくまで淡い重ね合わせであり、ダイレクトに顔を突き合わせる感じじゃなかったもんね。
エイプリルフールで現実に溢れ出たミクたちが、一瞬の夢で終わらないと、物語の順列組み合わせがオーバーフローして、お話が制御できない所まで行く…つう読みもあるかな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
プロセカはむちゃくちゃ制御して物語資産を運用してると感じるけど、こういう部分の垣根立ては厳密で精妙だ。
同時にときおり顔を出す、どの世界にも属していないプレーンな”ミク”は今回、重なり合うセカイの中心にあるように描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
KEI先生が神様と直結してこの世に生み出された、永遠の少女。
世界全体に広がったポップアイコンは、様々な物語、様々な歌、様々なメディアでその輝きを放ってきた。
そういう初音ミクという世界樹の枝の一つに”プロセカ”があって、バチャシンたちの立ち現れ方、思いの形もまた、ミクという豊かな幹から伸びる個別の枝…っていう書き方なのかなー、とも思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
それは一瞬の夢で、でも確かに繋がっている。
どれだけ桜が見たくても、セカイにその花は咲かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
それでも現実とセカイが想いでつながる限り、子供たちは花を集めて、彼らを見守る優しい妖精たちに、見せてあげることが出来る。
そういう繋がり方を、このタイミングで再度描く話でもあった。
ニーゴに顕著だけど、いつかセカイを忘れ世界に漕ぎ出していく子供らを、ずっと思い待ち続けてくれる永遠の少女達として、時にバチャシンは描かれているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
それは青春の処方箋、才能の揺籃としてのボカロを、視界に入れた描写なのかもしれない。
けして劣化することなく純粋に、一つの想いを抱え続けるのは、流転する生の只中にある人にはとても難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
ソフトウェアでありツールであるVOCALOID…その輝きを受けて生まれたバチャシンが、そういう機械の無垢をどっかに宿し続けていることも、良く解った…気がする。
この見え方は、つまんねー人生なりに永遠がないことを幾度か思い知らされて、それでも永遠があって欲しいと何処かで願うオッサンに、自分がなってしまったからこそ…かもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
ノスタルジーと憧憬の入り混じった、柔らかな永遠を見守り祈る気持ち。
今目の前にあるものが、明日あるかは解らない。
そんな当たり前を思い知りつつも、どっかにずっと続くものがあって欲しいなってヌルい感情があるから、セカイとともに歩むこのお話に、ずっと惹かれているのかもな、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
まぁキモイが、だいたい本当の事なのでしょうがない…。
現代の妖精譚としての味付けが、やっぱ好きなんだな。
セカイの壁を超えた祝祭は、あくまで期限付きの特別なイベントであり、それが過ぎ去ればまた青春の機序が、物語に戻ってくるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
そこに何があるかを改めて見据える意味でも、とても良いイベントであり、エイプリルフールだと思う。
YUME YUME JUMPが特に好きだなー…。
とにもかくにも、セカイの住人たちは本当にピュアで優しく、ありがたい存在だと確認できて嬉しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月31日
今後も彼らに見守られながら、波乱に満ちた青春を子供たちは駆け抜けていく。
その歩みが、豊かな花を咲かせることを。
その花が、もう一つのセカイに届きますように。
いいイベストでした。