虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
YG国際との合同ライブが決まり、準備に勤しむ同好会。
しかしその心をかき乱すのは、存在感を日々強める超新星、ショウ・ランジュ。
エマ達は彼女のパフォーマンスを見届けようと、その背中を追いかけ始めるのだが…?
そんな感じの二期本格スタート、精妙な前奏で新たなハーモニーの予感を作る第二話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
可愛さたっぷりの生活描写の中に、同好会がどんな理念と圧力の元機能してて、馴染まないように思えるランジュはどんな素顔でそれを見つめているか…その思いにメンバーがどう答えるかを、丁寧に積む回だった。
夕暮れにそれぞれのモヤモヤを溶かしていく児童公園のシーンがとにかく圧巻であったが、その前景となる追跡シーンのポップな面白さ、『強いショウ・ランジェ』をプロデュースしている時間には見えない素顔の少女の書き方も、非常に印象的。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ゴリッゴリの萌え力で可愛く押し込むように見えて…
その実凄く精妙に、丁寧に描画を積み上げて作品全体の硬度を確保しているのは、めちゃくちゃアニガサキらしいな、と感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
光の表現、レイアウト、タイミング、暗喩とハーモニー…。
演出の基本的な所をしっかり仕上げて、印象を精妙にコントロールする意識の高さが、随所で漏れる。
今回のエピソードは最終的に、個が個であるが故のハーモニーに帰結する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
解答を先取りするように、侑ちゃんが『和音のテスト』で悩み、遅れて来て早く出るミアが、一見不協和音に聞こえる所とか、恐ろしい精度のモチーフ共有である
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/DleEFQI9TW
さすが音楽選考、テストはかなり専門的に和製理論を扱い、シンプルでストレートな和音から少し外れた非和声音を扱っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
それは違う音だからこそ重なり合いと奥行きが生まれ、豊かな色合いで音楽を生み出す可能性である。
侑ちゃんはまさに今、苦労しながらそれを学び取っている最中だ。
この視線は学問の領域で収まらず、人間関係と彼女たちの音楽に広く敷衍していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
スクールアイドルに興味はなく、ランジュとの関係もドライな利害だとうそぶくミアとの縁は、まだダイレクトには繋がらず鉛筆一本、はんぺん一匹を介する。
しかし確かに、互いに異質な存在として隣り合ってはいる。
『自分自身を認めさせる』と願いを口にしたミアが、テイラーの一族だと侑ちゃんが知らない所から物語が始まるのは、大変面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
侑ちゃんはミアが(おそらく)重荷に感じる家名(モブがまず最初に気にした部分)を、視界に入れていない。
自分の先を行く音楽の先達として、一人の少女として。
今まで通りとても率直な目線で、ミア自身を見ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ミアは懐かないはんぺんを気にかけるが、その孤高でチャーミングなあり方はミア自身に反射して、同好会の面々は『興味ないし』という素振りの彼女から、なかなか目が離せない。
するりと逃げる14歳の子猫と、どんな和音が生まれるか。
その解決は先の話として、前駆をしっかり埋め込んで予兆を作る周到さが、今回も元気だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ここら辺は中川会長と栞子ちゃん、そして歩夢の描画にも感じる。
ランジュメインの主軸を太く仕上げつつ、丁寧な周辺処理は欠かさない
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/uu4F975t57
ラブライブの”幼なじみ”といえば巨大感情の金看板、ネットリ重たい繋がりがほつれもつれて大変なことに…であるけど、栞子からランジュへの思いはシャープでライトに現状感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ここに幼なじみ業界の核弾頭、上原歩夢がどう食い込んでいくか。
会長としての描写が多いせつ菜と合わせ、楽しみだ。
ランジュを中心に
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
栞子←サラッとした幼馴染→ランジュ→ビジネスパートナー→ミア
という感じで繋がっているように思える、新キャラ三人。
何かと濃くてアツい”L”の基本から遠いキャラに見えるが、その奥には姫たる熱量があるのでないのか…という視点を、ランジュを追いつつ描く回でもある。
現在地の素描と鮮烈な顔見世を第1話で終えて、力む所なく新キャラ同士どういう距離感で、話の主題との間合い、熱量がどんな塩梅か、簡勁に伝わる描写を怠けない所が、アニガサキらしい計画性だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ここら辺の全体構造への視線が、個を個として尊びつつ共同体を描く筆を、しっかり下支えしてる。
さて本題であるランジュと四人の物語…に入る前に、新OP”olorful Dreams! Colorful Smiles!”お披露目である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
『前回は物語の舞台を水に沈めたので、今回は初手主役だッ!』とばかり、衝撃の侑ちゃん IN THE WATERから開始。
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/6xDdRaQkuD
雪の妖精さんのような衣装でのパフォーマンスも可愛らしいが、未だ見えぬ新キャラの輝きが心地よく予言されてて、『はよう本編でもみたいのう…』という気分になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ミアちゃんバーガー大好き14才なん…? ふーん…えじゅうよんさいマジで!!!?
はよう本編でももぐもぐミアちゃん見たいのう…
ひとしきり血圧上げた所で、前回意味深に顔を見せたYG国際との合同ライブの準備が、ガシガシ進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
クソオタの”血”を所構わず沸騰させて、しずくにヤヤヒキされてる侑ちゃん、面白い。
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/4oFvsY4WaO
面倒見の良い最年長として、共同体意識が同好会でも特に強いエマちゃんは、ランジュの孤高に思うところが多い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
その重たさが視線にも現れ、常に朗らかな彼女の表情が曇るさま…それを徹底的に”姉”である彼方ちゃんが見落とさない様子が、丁寧に刻み込まれていく。
何もかもその包容力に包み込もうとするエマちゃんの優しき圧力は、共同体に必ずつきまとう母なる暗黒の影として、エピソードに良い陰影を与えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
”みんな”でいようとする思いは、過剰になればベタベタと束縛する鎖になりかねない。
その危うさと隣接するエマ・ヴェルデが、どう鎖を絆に変えるか。
遠目にランジュを見つめ、一人思い悩む姿が積み重なるからこそ、隣に寄り添ってくれる誰かとの対話、実際のランジュとの対話が答えを連れてくるカタルシスも強まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
個として真摯に思い悩む深さと、隣り合って助けを借りることで生まれる変化の同居。
一見ポップで柔らかな日々の描写の只中に、こういう静かな重さを耐えれる圧力で忍ばせる手際は、二期になっても健在である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
場面場面で極端な色を付けるのでなく、精妙なグラデーションで作品全体を包み込んでいるのは、食べやすさと深さを共存させる、見事なレトリックだろう。
エマちゃんは遠ざかっていくランジュの背中を、実際に追いかけることを選ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
曇り顔と同じくレアな決意の表情が、勇壮で良い。
”L”伝統のグラサン不審者ルックで武装しつつ、四人はランジュを知っていく
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/S4kaCV0w7j
『…やっぱ”童”じゃんッ!!!!!!』ってキレざるを得ない、駄菓子もぐもぐ同好会大好き少女のプライベートを確認できて、大変良かったけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
前回大人びて”強い”ランジュのステージを印象付けておいて、このプライベートの落差とので魅せる技法…ズルいなぁつくづく。
ランジュはとにかく嫌な子にならないよう気を配って描写が積まれていて、同好会へのリスペクト、細かいことにこだわらない鷹揚さ、好意を真っ直ぐに受け取る素直さが鮮烈である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
同好会の理念に異を唱える立ち位置なので、扱い間違えると火薬が爆発しそうなもんだが、丁寧に取り扱うね…。
厭味ったらしい私怨とか、スケールの小さい情念で同好会(の1クールを見届け、彼女たちが好きになってる僕らの思い入れ)に抗してくるわけではなく、あくまで譲れない信念に支えられながら、対話の門戸を閉じることなく、堂々可愛らしく”自分”であろうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
その描き方が、チャーミングで良い。
『多様性を認める共同体は、その共同体を否定しなかねない主張を持った”個”も、その成因として認めなければいけないのか』つうのは、古くて新しい大事な問いかけだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
自分たちを否定してくるように思えるランジュに、どういうアプローチで相互理解を持ちかけ、相手を分かり自分を伝えるか。
これを話の真ん中から遠ざけて処理すると、『”個”であればこそ共に進める』という虹ヶ咲イズム全体が、大きく揺らぐと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
中須がいい感じに、俗っぽい反感をムキムキオモテに出してガス抜きしつつ、相容れないように思える存在が確かに持つ信念と可愛さ、自分たちに通じる属性を見据える。
自己否定は刷新の契機であり、対流を塞いだ共同体は腐るのが自然の理念なら、同好会がより高く飛翔し新しい景色を見たいのなら、ランジュの言い分に耳を傾け、その領分に積極的に踏み込むのは大事だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
そしてランジュも、対話を拒絶せず変化に対して開かれた人格を、しっかり示す。
出会いの奇跡と、そこから”個”が芽を出し花ひらく様、豊かな個性が虹色の花束となって輝くFISまでを描いた一期から、更に踏み込んで作品を描く上で、ランジュという(一見)異物はとても大切な存在で、それを丁寧に扱ってる印象を受ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ランジュの言ってることももっともで、でも…。
そんな、止揚を前提とした矛盾をスムーズに視聴者に届けるべく、同好会でもっとも共同体志向が強いエマちゃんを舳先に持ってくるのは、大変上手い話運びだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ここでエマちゃんも、自分の主義主張とエゴを相手に叩きつけるのではなく、聞く姿勢を堅持するのが良いわな。
ランジュは自分を追ってきた四人に私宅の門戸を開き、お茶を出して歓待する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
しかしその立ち位置は同好会からは少し遠く、”打ち解けた”と形容するには場の雰囲気はやや冷たい。
ここが、同好会とショウ・ランジュの現在地だ。
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/CHP4jOsd2V
彼女をこの異国の地まで連れてきた、抑えられない衝動と願い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
同好会という枷にハマることで自由を奪われ、自分を殺される恐怖がランジュを遠ざけているわけだが、ココにもっとも近いポジションを璃奈ちゃんが占位しているのが、大変面白いレイアウトである。
ランジュを追う時は一番最初に歩み出たエマちゃんは、ここではもっとも遠い場所に配置されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
エマちゃんが背負う(そして、ランジュの孤立主義と同じくらい譲れない魂の吠え声でもある)共同体主義は、現状そうして遠ざけられる位置にあるわけだ。
その中間に、璃奈ちゃんがいる。
璃奈はコミュニケーションに難しさを抱え、誰よりも強く繋がりたいと思いつつ、願いを果たせなかった少女だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
その思いは同好会という共同体に向かい入れられ、璃奈ちゃんボードという感情表現義肢を皆で作り、スクールアイドルという表現の場を共有することで、瑞々しく叶った。
通常の共同体に馴染めない、孤立した”個”であった璃奈ちゃんは、共同体にその個性を潰されることなく受容されたことで、より自分らしくなれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
この体験が、ランジュがしっかり言葉にして告げる共同体認識に異を唱えさせる。
優れた”共”は、”個”を殺す形であってはならない。
それはつながる想いのままならなさに自分を殺されかけ、愛さんを筆頭に”誰か”に手を取ってもらったからこそ今がある、璃奈ちゃんの譲れぬ思いなのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
それは”みんな”をまず前提に共同体を考えるエマちゃんより、ランジュの拒絶に近い位置だ。
共存への架け橋となるポジションである。
同時にランジュと対等に、椅子から立ち上がって水平に見据える特権は、もっとも遠いエマにこそある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
表情豊かなプライベートを盗み見、自分たちのグッズを抱きしめる姿を見つめた少女は、ランジュが自分たちに突き出してくる主張に、微かなほころびを感じる。
それは『みんなは”みんな”でいたほうが良い』という共同体主義から少し外れた、辛かったり重荷を抱えてる誰かを見過ごせない個人的な優しさに、深くつながった視力である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
エマちゃんは、ランジュちゃんがなんか苦しそうだから、ずっと気にかけて心配していたのだ。
ここで客観的な正しさだけでなく。主観的な優しさも含めて、ランジュへのエマの接近(と、その現段階での失敗)を描いていくのが、凄く繊細な筆だな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
”L”のステージは個人の思いを炉心に動くわけで、どんだけ理があろうと、情念抜きでは動き出さない。
逆に言うと客観的説得力を置き去りにしたエモーションだけで動きがちでもあるのだが、アニガサキ全体を包む冷静な俯瞰は、ここのバランスを精妙に取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
相手の話を遮らず、しっかり耳を傾けた上で、当人すら気づいていない何かを聞き取る。
それに寄り添う、和音を自分たちの中に探す。
ランジュとの対話は実りなく終わったように見えて、同好会がどんな風に、自分たちを否定しかねない存在に向き合うのか、その時各メンバーはどういう位置を占めるかを、しっかり教えてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
それはそれぞれにグラデーションと得手不得手があり、組み合わさって機能する試みだ。
ランジュが頑なに守ろうとする孤高は、”共”でありたいと願う柔らかな自分の気持ちを、弱さと遠ざけてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
それを殺さず耳を傾けてほしいと、同好会でもとびきりホスピタリティに長けたエマちゃんは、心の何処かで願っている。
しかしそれは、まだ形にならない。
自分ひとりでは見えない。
ならば皆で考えれば良い…というわけで、夕景の公園である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
鉄の冷たい質感を柔らかな色合いで包み込み、個別の色合いが良いハーモニーを生む情景が、バッキバキに冴える。
やっぱ都市論吸うと、”虹”食ってる気持ちになるな…。
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/pJC7qSkcYd
ここで四人はまず、お互いの顔が見えないねじれの位置を取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
それは他者を鏡に自分の心を探る対話のポジションを、ゆっくり探っていく距離感でもある。
中須はあんま頭が良くないので、残り三人が何となく共有している難しい問題には、あんまり気づいていない。
公園の遊具は子供らしさを象徴し、色んな難しさに囚われつつも純粋な真理に向かって進みだしていく、同好会の正しさも背負う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
他人の目がなくなった途端、大好きな同好会グッズに愛しい視線を向けるランジュを、公園に離れた皆は見ていない。
しかし、それはしっかり捕らえられている。
中須がもっとも鮮烈に体現する、自分を偽らずまっすぐに進む幼い輝き。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ランジュは『こうでならければならないショウ・ランジュ』に囚われ、過剰に大人びた態度で武装することで、それを見落としているのではないか。
そんな疑念が、夕焼けにゆっくり結晶化していく。
(この『べき』の頑なさは、もしかすっと新キャラ三人全員に共通なんじゃないかな…と思ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
バカデカランジュハウスは圧倒的な金持ち力で笑いを作るだけでなく、それだけの財と家格がずっしり、少女の両肩に乗っかってると示すための描画でもあろうし)
(ミアちゃんがソロとしての自分を見て欲しい気持ちで、日本に渡ってきたことも匂わされてるし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
栞子ちゃんは生徒会という”公”と常に関連付けて描かれているので、ここが彼女を縛る…そして強く固定する、譲れぬ『べき』になんのかな。
ここは先を見ないと分かんない、面白い所)
『”共”に取り込まれれば、”個”を殺される』というランジュの怯えが杞憂であることは、公園の四人の書き方を視ていても良く分かる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
それぞれ見据える場所、視力と論点は異なっている。
『ランジュちゃんとの向き合い方は、結構難しいな』と見据える賢さを、中須は共有していない。
しかし思い悩みよりまず突っ走るエモーショナルの強さ、直感力の良さこそが中須かすみの個性であり、彼女を同好会のリーダーたらしめる資質でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ランジュは何かを隠していて、何かに縛られてる。
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/huLN61RMIJ
『なんとなく』で感じ取った真実を言葉にすることで、画面に光が生まれていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
そういう事を成し遂げるのが、中須かすみの資質であり、これを受け取ってくれる仲間がいないと、ちっぽけな私情を見つめ直し、解体・再構築して受け取り直す事が難しい子でもあると、豊かに語られていく。
中須が『なんだあのアマッ!』ってキレ続けてるのは、ランジュへの反発をガス抜きし、正しい答えだけでなく間違ってる感情もしっかり描くことで、お話の定着率を上げる大事なお仕事だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
そういうレトリックだけだなく、中須はとにもかくにもそういう子なのだ、という話でもある。
思い込みが激しく浅はかな短所を、エネルギッシュで直感力に優れた長所に変えれるのは、思いを受け取り、自分が何に縛られているか教えてくれる…違う場所に腰を下ろしつつ隣り合ってくれる仲間がいるからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
離れてなお近いこの”場”こそが、共同体の強さである。
同時に我らがリーダーが言葉にした直感は、なんとなく感じ取りつつ定まらなかった歩みを、一つにまとめても行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
奪うわけでも、踏みにじられるわけでもなく、お互いに与え、豊かに育てていける関係性。
同好会の仲間は、皆それに救われてきた。
なら、ランジュに届けない理由がない。
ではその手段は…となった時、スクールアイドル大好きなランジュが既に答えを差し出している事が、大変いい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
話の展開はスムーズだし、”ステージ”という作品のど真ん中に話がまとまるし、反発し物別れに終わったようでいて、実は対話が成立していたことも良く解る。
『スクールアイドルなら”歌”で来い』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
その言葉をランジュから引き出したのは、他でもない同好会が世界に向けて解き放った感動だ。
かすみが仲間に連れてきた光は、ランジュに思い悩むことで生まれた眩さであり、遅れて届いた”己”という星の光でもあるのだろう。
眩い夕日の中で、バラバラだったブランコの揺れは一つにシンクロし、四人に心が重なった答えへとたどり着く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
この和音に到達するためには、バラバラである現状と、それでも繋がりたいと思える心に、どっしり向き合う必要があった。
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/DhbxDfT9In
繊細に心が揺れるので、少女たちが体を預けるブランコも揺れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
その振幅は次第に整ってきて、横並び心地よいシンクロを、自然に生み出していく。
正しさに強要され、”個”を暴力的に飲み込む恐ろしさを越えて、『そうするべき、そうしたい』と対話を経て、強く思えたからこそ。
こういう形で、一期では踏み込まなかったもう一つの領域”ユニット”へと話を勧めていくのは、メチャクチャに上手いな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
巨大コンテンツの中の既定路線、文脈を踏まえた必然なんだと思う。
それが作中流れる物語のうねり、キャラクターの自然な感情に一切逆らわないスムーズさは、やはり凄まじい
4つの声が重なるからこそ、単音では生み出し得ない豊かさが生まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
”合唱”を前面に出した練習風景も、エマちゃんの透明感あるキャラクターとバッチリ重なり、大変に良い。
あ、”エマかり”も忘れませんよもちろん。
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/4vhowRXLPS
優しい挑戦状に不敵に微笑み、ライバルが優しいだけでなく、自分と同等の”強さ”を持ってると確認できて、ランジュも嬉しそうだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
挑発的なニューカマーが、どんだけ自分たちのこと好きか把握した上で、相手に通じるメッセージを積極的に出していく四人は、賢いし優しいな、と思う。
そんな眩さを一人見つめる、夕日の侑ちゃんを抜け目なくスケッチして、物語は次回に続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
やっぱこの強調、二期の爆心地は侑ちゃんっぽいなぁ…。
ステージ抜きのタメ回…などとはけして言えない、力強いメッセージとドラマに満ちた、優れたエピソードでした。
やっぱ巧さが一人浮きせずに、がっちり表現の足元を支えドラマを駆動させてるのが、このアニメの強さだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
彼方ちゃんが曇るエマちゃんをちゃんと見つめてるカットが入ればこそ、公園で『ずっと気になってた』と切り出す思いの丈が、しみじみこっちにも伝わるわけで。
『ここはやってて欲しい…』みたいな部分を、徹底的に取りこぼさない周到さを、力みなくこなすレベルの高さが、多彩で豊かな感情の絡み合い、そこから生まれる大きな力を見事に生み出していて、メチャクチャアニガサキっぽいエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
巧さで圧倒しきらず、どっか肩の力が抜ける可愛さを残す
そんな精妙極まる力加減も感じ取れ、大変良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ランジュ可愛かったな~。
第1話でツンツン小生意気な魅力をステージとあわせて表現した所で、プライベートの柔らかな表情、拒絶の奥に燃える敬愛、硬さの奥に宿る脆さと弱さでドカン殴りつければ、オタクは”コロッ!”よ…。
『ギャップ萌え~~~~~~~』と、イニシエオタク仕草が思わず飛び出すところであるが、そういう今となっては古い記号論からちょっとはみ出した、刺さる表現でランジュの複雑な表情を切り取ってきたのも、流石だなぁ、と思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
この複雑さを見落とさない、エマちゃん達の株もアガるし。
僕はこのアニメを最新鋭の共同体論として見てる部分があるんだけど、そういう意味合いでも大変に面白かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
対話と融和を維持していくコストの高さ、難しさが際立つ情勢だからこそ、”個”を殺さず豊かに育む”共”…その先にある”公”を、ポップな輝きと共に描いてくれるのはありがたい。
虹ヶ咲が”ユニット”をどう扱うか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
ソロの連続として走りぬ抜けた一期のステージングを、二期がどう発展させるか。
四人があの夕焼けの中たどり着いた答えは、頑ななランジュにどう刺さるのか。
色んなワクワクが強く高まり、次回が待ちきれません。
来週何が見れるか、とっても楽しみですね。
追記 こういう具象と抽象が高度に入り混じった美しい情景を、非常に高い純度で表出しうるのが”動く絵”たるアニメの一番優れた表現適正かなぁ、と思ったりする。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
自分たちだけの答えにたどり着き、滑り台を降りてエマちゃんを抱擁する/される璃奈ちゃんの愛おしさは、三千世界に響き渡るわけだが。
隔たれてなお、自在に移動し近づける心の自由さがあって、この美しき風景は成り立つ。
(画像は"虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期"第2話から引用) pic.twitter.com/NNdp1Ti5Hd
物理的運動と心の動き、抽象的価値を重ねて示すのは、映像表現の基本であり根本でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
璃奈ちゃんの超絶かわいい”しゅー”は、ランジュが未だその実相を見つめない…璃奈ちゃん自身が譲れず強く抗議した、彼女たちが生み出した共同体の形を巧く示してもいる。
滑り台を降りて隣に行きたいと思えば行けるし、まだ距離があると思えば自分に素直に、遠い場所にいることも出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
離れつつも繋がる道が閉ざされていなくて、可能性と自由が担保されている場所。
この公園は、作品が見据える価値を強く形にしてて、美しい場所だと思う。
そこに遊具のあどけなさ、多彩な色合いが印象的なのが、青春をステージにぶつける”スクールアイドル”の季節性が強く宿ってて、面白い表現である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
滑り台もブランコも、高校生には少し小さくて、でも彼女たちはそこに居ることを選ぶ。
そこをこそ、自分たちの思いが行き交う現場に選ぶ。
それは未だ鮮明ならざる”何か”に縛られて、過度に大人びようとしているランジュとの対比でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月9日
とすれば、ランジュがプライドを持って体現しようとしているその強さ、セクシーな成熟も、この景色と混ざりあって何かを生むのだろう。
僕はその日が、本当に楽しみだ。
追記 楽曲を通じてみる、Toxicな女達の一つの系譜。
虹ヶ咲追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
ランジュのソロ曲”Eutopia”のサビで、彼女は『もっとaddictedに、intoxicatedと』歌う。
両方とも『熱中した』を意味する言葉であり、互換を解けばaddictとtoxic…有毒で中毒性の危うさを伴った言葉だ。
immersiveとかsweep offは選ばれない。https://t.co/XrNRdrA7EH
そこには性的成熟という、溺れれば危ういのに泊まることができない毒を、アイドルとしての武器に転用する彼女の戦術が透けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
例えばブリトニー・スピアーズの”Toxic”にも似た、セクシーな毒を自在に操れる強さを前面に打ち出す闘い方。https://t.co/l8NvCJy3hF
男性から求められ濫用される客体ではなく、それを求めさせ操る主体として、しなやかな肢体を使いこなす強いエゴ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
有用で危険な存在として、自分をプロデュースしたい気持ちが、有毒な言語選択で己を表現するランジュの中にはあるのだと思う。
ただその毒は、ランジュ自身も蝕んでる感じもする。
ラブライブ世界に”男”はいないので、彼女のセックスアピール(を乗りこなす、強い存在としての”女”の主張)は、かなり捻れた経緯を持って作品と、それを外側から見守る我ら男性…あるいは女性に届く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
それでも一つのトレンドとして、あるいは表現として、有毒なセックスを乗りこなす強さはある。
それはLiella! なら”ノンフィクション”で投げかけられた流し目であり、本来王子様を持つ受け身の客体たるプリンセスの衣装で、強い有毒性を演じるネジレが、また面白くもあるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
あの曲はずっと世界のハズレにいたすみれが、ど真ん中に座った強さの表現でもある。https://t.co/fTcLeyo3QR
自分で世界を掴み取る強さが、誰かを狂わせる毒であるのならば、それを覆い隠すのではなく曝け出して、自在にコントロールしたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
そんな自己実現の祈りが”Eutopia”に宿っているとしたら、そのタイトルが『何処にもない場所』なのは、美しくて少しだけ哀しい。
あのパフォーマンスに結像している、エロくて強くてヤバくてカッコいいランジュは、彼女がファンに受け取って欲しい(毒と拒もうが押し付けたい)理想であり、だからこそ何処にもない成熟なのと、第2話の頑是ない表情を見ていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
外野からすると、『急いで大人にならんでも…』と言いたくもなる
しかしおみくじに喜び一人飯なのに大声で『いたきますッ!』を言う素顔ではなく、あえてあの姿を偶像として打ち立てたかったランジュの焦りは、多分切実で本当のことなんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
それが何処から生まれてくるかは、そこに寄り添おうと思えたエマちゃん達の視線を通じ、今後描かれるのだろう。
あんなに愛しい目で見ていた同好会から、頑なにランジュを遠ざける鎧を外しても、世界をaddictedに、intoxicatedにするランジュの美しい毒は、失って欲しくないなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
それは力強く綺麗なものだし、それを欲しがったランジュの気持ちは、けして嘘ではないと思うから。
しかしここら辺の危険な中毒性を、生国スイスのナチュラルなイメージで綺麗に取っ払って、浄化と癒しのアイドルとして自分を打ち出してるエマちゃんが、ランジュに対峙する形になってるの、本当に面白いな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
芝生とお花と三つ折りソックスだもんなぁ…。https://t.co/30N3qu67HL
Toxicとしての自己像を女達が選ぶ(有効なっ戦略として選ばされる)のは、”毒婦”なる言葉を無邪気に投げつける男たちへのカウンターつう意味合いが、結構あんのかな、と感じもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月11日
オメーが勝手にうまそうと舌なめずりして”食っ”て、中って溺れて死んだとしても、食われる客体は自分を毒だと思わない
ただそうあるだけで花と褒めそやされ、毒となじられるのであれば、自己決定権を持つ主体としてToxicでありたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月12日
そういうプロテストが”女”の特権として遇されてる状況は、文化として社会として過渡であり未成熟でもあんだろうなー、とか感じる。
毒も薬もなく、人であるのがベスト…なんだろうがね。
あーでもtoxic masculinityて言葉もあるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月12日
特定の傾斜をもった性として振る舞おうとすることの有毒性は、時に自己像防衛の武器となり、時に(己を含む)誰かを害する凶器にもなる。
毒と薬は同根で、どう溺れてどう使うか、その処方が大事…って話なんだろうなぁ。