であいもん を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
秋の長雨、ハロウィーン。
秋色を増す風は佳乃子に、思い出に浸る時間を連れてくる。
糸の切れた凧のように掴みどころなく、ふわふわ遊ぶあの人は、一体何を思うやら。
栗の着包み追いかけて、珍道中のその先で、言えなかった想いが一つ、はらりと舞った。
そんな感じの秋の回想編であり、面倒くさいカップルの現在進行系でもある、であいもん第8話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
ダダダッと勢いで京都まで流れてきた物語を、思い返しながら整えて、コミカルな出だしに確かにあった湿った情感を掘り下げていく回。
秋という季節と、湿ったメメントは取り合わせがええわな。
回想の主体、もぞもぞとした悩みの中心はあくまで佳乃子であり、思われる和はあくまで曖昧模糊と正体が掴めない、ふわふわのボンクラとして描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
この筆致は物語開始時からの基本線であり、和の一人称を極力使わない事で、人生の厄介事が強く衝突しない、クッション性が担保されているとも言える
何を考えているのか判然としない、本気かネタか見えにくい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
そんな曖昧さが器のデカさともなり、人生のよしなしごとに揺れる人を受け止める、超然とした主役が成立もしている。
和は己を語らず、しかし何かを確かに考えていると推察できるようには、行動で己を示してもいる。
この半煮えな感じにしっとり煮込まれ、頑なさをほぐされて救われたのが一果であるから、彼女はそういう不定形の和をまるごと許容している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
元々クソボンクラのろくでなしと思って付き合い始めたから、起こること全部プラス加点で、出会うものの裏を探らず、素直に受け止められる関係…とも言える。
佳乃子は元恋人として、探っただけの手応えが欲しくなり、不定形の和に確かな手応えを求めてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
ダイレクトに探っても手触りはなく、自分自身の中にいる和の残り香を探り、元バンド仲間の証言を拾い集めて、周囲を埋めることで和の輪郭を描画していく形になる。
この一方通行…のようでいて、奇妙な呼応のある手探りが今回、一話ゆっくりと転がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
冬の気配に紅葉も深まり、秋風が少し肌を刺す頃合いと、自分の気持ちも相手の心も、なかなか形を見せない関係性が、良く呼応している。
やっぱ美術が京の四季を頑張って、アニメに落とし込んでいるのが強い。
曖昧なのは和の輪郭だけでなく、確かなはずの自分の心も立場も同じである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
なぜ、京都に流れてきたのか。
言えなかった言葉は、真実何を求めているのか。
そこにたどり着いてしまえば、一つの物語が終わる”正解”の輪郭をなぞりつつ、佳乃子は秋に迷う。
二人のもどかしい関係を保留にする意味合いも込めて、解ける誤解は『和菓子も好きだからね!』だけであり、本当に言いたかったこと、言うべきだったことは喉の奥に留まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
ここが、佳乃子の現在地。
思って、探って、迷って、一話使ってそういうあやふやさを描くのに、秋はいい季節だ。
追想は恋心だけでなく、既に敗れたバンドの夢にも伸びていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
吹っ切れたようでいて捨てられはしない、栗の被り物。
四方手をつくして探す姿勢からは、和にとって思い出が結構大事だということが推測できる。
だが、確言はない。
彼が不確かで曖昧であることが、作品一つの柱だから…か?
彼が何を思っているかは、一種異様な寛容と理解力を持ったバンド仲間によって、外部から推察される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
それをダイレクトに、和が明言することはない。
彼なりに何かを考え、強く願っている事は、風来坊が主観として語ることもなく、周囲に理解され…あるいは理解したいと願われればこそ伝わる。
作品の主人公でありながら、(今回、追想の主体として佳乃子が為していたような)一人称的内言がなく、内的事実があくまで観測によって成立する、曖昧な雲。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
和というキャラクターは、実は相当捻れた立ち方をしてるのだなぁと、今回も思う。
主役でありながら、作中最大のミステリでもある。
それは他者の思い測れなさを話しの真ん中に据え、分からないからこそ分かろうとする人間関係の不思議を、作品の主成分として盛り込むことにも繋がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
同時に和はかなり無条件に求められ、探られる存在として、ある意味不公平に特権化される。
なんであの風来坊に、皆惹かれ救われるのか。
そこに明瞭なロジックも確定した断言もなく、そうしてしまえば渾沌七竅、作品を包む魅力的な柔らかさが、頑なに固定されてしまう感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
その上で僕は、和は和なりにスジが立ち、誰かを思うと感じたい。(何しろ主役だからね)
その願いを、佳乃子の焦れる想いと、はんなりした回想が包んでいく。
1クールのアニメとして話をまとめる上で、おそらく一果の父との対峙が、クライマックスにあるのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
彼は一果を捨て和に音楽を教えた存在として、苛立ちつつ希い、視界の端で思わず探す対象だ。
今回、佳乃子が和に対して抱えていた感情、主体性を、和は雪平巴には抱けるのではないか。
あるいは抱かざるを得ないからこそ、何を考えているか明瞭に為らざるをえない巴の出現は、チラつかされつつ遠ざけられているのかな、とも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
あのクソ親父が具体として顔をだすと、確実に何かが変わり何かが終わるからな…。
それまでは、和が追われる側、曖昧な輪郭をなぞられる側である。
のらくらと京都の秋を浮遊しつつ、一果は転んでまで、栗の被り物を探してくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
あの賢く難しく、寂しくて頑なな子がそういう事をするのだから、不確かな和の輪郭、その奥にある思いは、きっと良いものなのだろう。
そういう推測が素直に成り立つ作品なのは、僕は良いことだと思う。
猫耳付けてハロウィーン楽しむ一果が、可愛らしく喜ばしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
何も考えず誰かのために走って転んで、そう出来る自分にまた笑って。
そういう日々が彼女にあって欲しいし、今回その眩さがあったのは、間違いなく正体定かならぬふらふら男が、いてくれたおかげでもある。
和を曖昧な存在として、だからこそ追うべきであり、色んな問題を吸収できる柔らかな人格として描く筆。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
それを他人の興味や好意、理解を一方的に吸い上げるアンフェアな関係でなく、分からないなりに確かに何かを差し出し、変えている存在として輪郭を明示する筆致。
これが両立できていることが、作品独自の魅力、形なく心地よい雰囲気を大きく助けているのだなと、自分の中で合点がいくエピソードであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
…なんでこんなに主体と人称に拘った、近代小説解題的な読み方をしているかは自分でも分からんけど、そうさせる引力が和とこのお話に在るんだろうなぁ…。
こうしてあやふやなまま奥を読みたくなる気持ちは、即ち佳乃子が今回彷徨った心迷宮のスケッチと重なる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
作中の展開とそれを読む僕の視線が、不思議に共鳴した感じもあり、なかなかに楽しかった。
それは思い過ごしの勘違いでしか無いが、解ったと思えるその実感あってこそ、人は誰かと向き合える。
不確かながら確かに響き合ったと、何かを掴んで明日を過ごす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
その媒として、思い出の一品として、栗まんじゅうという和菓子を使ったエピソードとしても、良い仕上がりでした。
和菓子というモノそれ自体ではなく、人と人を繋ぐメディアとしての多彩な側面を大事に書いてるのは、このお話の良い所ね。
栗も笑み をかしかるらむと 思ふにも
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月25日
いでやゆかしや 秋の山里(建礼門院、家集180)
そんな季節を終えて、次はノエルの頃。
雪のちらつく冬の京都で、どんな物語が転がっていくか。
来週も楽しみですね。