プロセカイベスト”迷い子の手を引く、そのさきは”を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
模試が迫る中、母の繰糸に息苦しさを感じるましろ。
迷いの先で、足は知らず友の待つ遊園地へと向いていた。
甦る記憶と、返らない問いに目を瞑り、今は手のひらのぬくもりを、ただ…というお話。
重ッッッッ!!! ってなった。
他ユニットが社会的サクセスを順当に掴み、ユニット外の誰かと触れ合う中でその心身を成長させていく中で、ニーゴはねっとりずっしり、自分自身含めた狭い範囲に潜りながら、その物語を進めている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
そうさせるためのニーゴであろうし、深く入ることは広く開かれる事に直結してもいる。
まふゆと母の関係性はニーゴ始まって以来の重力源で、今回初めての反抗によってその導火線に、火が付いた感じがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
貴方のためなのよ?
善意と思いやりでコーティングした毒薬は、差し出す側が飴だと思いこんでいる分、危険性が高くタチが悪い。
ましろは、一度それに窒息して死にかけた。
ましろ母の内言が描かれたことで、彼女がサディスティックに娘を玩弄しているわけではなく、己の邪悪さとエゴに無自覚なまま娘を”案じて”いることが見えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
自分は優しく良い母で、ならばその産物たる娘も、善い道を進んでくれるに違いない。
あるいは、そうならなければいけない。
”誰か”という免罪符をまぶたに貼っつけて、こういうエゴを見ないまま家庭内権力者になってしまうと、まふゆのような子は量産されるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
それは朝比奈家では”普通”のことで、作中でもまふゆは何度も強調する。
キーボードを捨てる。
自分が引いたレールから外れることを許さない。
それが異常でヤバくて、心を轢き殺されると相当に痛いんだと、当人以上にしっかり言葉にしてくれる仲間と出会えたことが、ましろにとって救いであるのか、そうではないのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
今後母からの干渉/感傷が強くなるだろう物語は、そこを厳しく試してくるだろう。
自分を善良で実りの多い存在だと思いこむことは、生きていくことに必須の麻酔だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
まふゆの母はその薬効を信じて疑わないが、未だ切れないへその緒を通じて毒薬は娘に流れ込んでいて、彼女の心は一度死んだ。
…死にかけたものが蘇っているから、彼女は昔を思い出し、セカイには迷子のレンがたどり着く
ニーゴの世界は、社会や個人の繋がった一個人の心象、そこに沢山ある心理的モジュール統合体としてのセカイの在り方を、一番良く教えてくれると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
出会いによって撹拌され、変化した心は新たなヴァーチャルシンガーを現出、あるいは発見させる。
それはそこにいたが、この時まで見つけられなかった
幼かったミクやリンが、苦しそうな迷子に思わず手を差し伸べてしまう優しさを育むまで、迷子の少年はセカイに立ち表れなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
逆にいえば、迷子のままの幼い自分をまふゆが見つけ、仲間に見つけてほしかった/見つけることが出来るタイミングだからこそ、レンはセカイに現れたのだと思う。
まふゆのセカイは誰もいないセカイであったが、気づけば色んな人がいる場所になった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
母の言いなりに音楽を捨てるか、不定形の衝動のまま友達のもとに向かうか迷う時、大人がけして立ち入ることが出来ない聖域は、まふゆに逃げ場所をくれる。
それは、ニーゴの在り方によく似ている。
ニーゴメンツがましろの辛さに向き合う時、それぞれの人格と個人史を反映して、立派にケアしているのが誇らしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
絵名は自分の大切を傷つけられた経験から代理で怒り、瑞希は外側の世界へと道をつなげて、焦ることのない安らかさを、大変心を配って作ってくれる。
それは自分自身の怒りや痛み、秘密や後ろめたさに自覚的だから、他人が抱える”それ”への善き対処を、考えて行える証拠だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
まふゆの母が善意の死角に抱えているエゴと、ニーゴの子どもたちは、傷つきながら向き合ってきた。
それは過去形ではなく、現在進行系の闘争だ。
ここにぼんやり虚無人間も参入し、キツい人生を一緒に戦う戦友として、なーんも分かんねぇ赤ちゃんなりに手を差し伸べ、ぬくもりを差し出してきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
今回まふゆが感じる暖かさは、彼女自身が投げかけてきたものの反射、あるいは残響なのだ。
それがよく響く器として、ニーゴは頑張って己を整えている。
まふゆは性格優秀人格温厚の超優等生として己を形作っているが、内面には幼い虚無がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
自分が何を感じていて、何がしたいか。
成長していくほどにくっきり見えていくはずのものは、””お母さんの良い子”である限り不定形のままだ。
苦しさも楽しさもよく分からないまま、愛憎に窒息死する。
そんな運命に体ごと突っ込んで、朝比奈まふゆの魂を引っ張り上げてしまった宵崎奏も、まー大変な重荷を背負い込んだものだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
しかしこの甘い痛みを背負わなければ、救世主症候群に囚われた彼女も生きてはいけないわけで、ここの共犯性は別格の強さと重さがある。
今回も不定形の霧を引き裂くように、迷子に手を伸ばし欲しいものを与えるのは奏の仕事で、『やっぱ太ぇな…』とつくづく思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
出会ってしまった歌、生まれてしまった叫び、知ってしまったぬくもり。
どれだけ禁じてもそれが捨てられないから、まふゆは遊園地に行った。
その衝動が正しいのか否か、母は世間の目からジャッジする立場でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
通信制、定時制。
”普通”のエリートコースからは外れた場所にある、ニーゴたちの学習形態。
これをメインキャラクターに盛り込んだことに、プロセカくんの勇気と決意があるなぁと、出会った当時思ったもんだが。
彼女たちを”悪い子”と断じて、善意の壁で遠ざけるだろう母の視線は、”普通”からはみ出してしまった子どもたちを見つめる、世間一般の目でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
そういう意味で、ここから発火して再生していく物語は、まふゆ個人の闘争であると同時にニーゴと、ニーゴが体現するものの闘いなのだと思う。
その起点として、不死鳥の名前を冠するフェニックス・ワンダーランドが選ばれたのも、また面白いなぁと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
ニーゴ視点で描かれると、ワンダショの頑張りが生み出した経済的成功が別角度から可視化されて、複数ユニットであることの世界観的強みが良く出てるなぁ、と感じた。
今回はニーゴのイベストなので、えむちゃんの出番は少なく、モノローグもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
しかしこんだけ追い込まれても笑顔の怪物を演じれてしまうまふゆを前に、一回青ざめてそれでも息を吸い込み、”キャスト”の顔を作ったえむちゃんの内心では、かなり複雑な冒険があったように思う。
えむちゃんはニーゴ以外で、まふゆの仮面の奥にあるものを直感している唯一の存在だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
そこには感情表現が素直な(時に素直過ぎる)少女には理解不能なネジレがあり、そうせざるを得ない複雑な痛みには、あまり目がいかない。
しかし理解不能な軋みでも、そこに痛みがあるなら手は差し伸べたい。
なぜなら不死鳥の国は笑顔が生まれる場所であるべきで、彼女はそこに生まれた子供だからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
鳳の名を継ぐものとして、えむちゃんは笑顔を諦めたくないし、関わる人全てに諦めて欲しくもない。
それが博愛でありエゴでもあるのは、ワンダショの物語で幾度か描かれている。
今回彼女がまふゆに、笑顔を投げかける(Cast)存在として為りたい自分であり続けた行為には、身内であるワンダショには見せないプロとしての矜持と、一人間としての優しさがあったように感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
その内側が知りたいので、えむサイドでの描画を見たくもある。
さておき、ミクとレンと一緒に迷子になったましろは、子供時代を思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
母の願望に応える形で、泣いてる子供を殺して大人びた少女が、その記憶を再生していくということは、魂の生き直しが今正に行われている証拠だ。
封じ忘れ去った過去にこそ、今を切り開く鍵がある。
ここ一年ほど多発する過去への旅路に描かれ、ニーゴの中でも”カーネーション・リコレクション”、”灯のミラージュ”、あるいは”空白のキャンバスに描く私は”などで、切り取られてきたモチーフである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
思い出すことは、その時殺してしまったものを蘇らせ、新たに始めること。
ならば見つけてほしくて泣いてる自分と、見つけてなお”いい子”であることを愛の対価として求める母の冷たさを、まふゆが思い出したことには、例え今はそこに名前がつかないとしても、大きな意味があろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
同時に、大きな傷みが。
愛だと思っているものの奥には、冷淡と憎悪がある。
そんな複雑さを受け止める成熟がないから、まふゆは友情と母への愛、あるべき自分となりたい自分の間で迷いに迷い、辛くて目を閉じてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
自分を想ってのことと、正しいことなのだと思い込もうとした母の言動が、軒並み母自身のためのエゴだと直視するには、あまりにつらすぎる。
そして美しい虚飾たる娘への愛も、愛されているという実感も、必ずしもただの偽りではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
確かにそれがそこにあってしまうことが、より問題を複雑にしている。
…ここら辺の構造、わかりにくすぎる父の愛を当然素直には食えない、絵名と真逆なんだな。
絵名父の不器用を、彰人が別の角度から解体して見せてくれたように、自意識のレンズ以外手に入れられない狭い人間の宿命は、他者と触れ合う中で拡大され、相対化され、多層化されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
自分から見えているものが、世界の全てではないと知った時、迷子はちょっと大人になろう。
そうなれる支度を、ニーゴの仲間たちは丁寧に整えて時を待ってくれていて、本当に優しい連中だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
彼ら自身、辛さを越えていく答えはそれぞれの経験からもっているのだが、まふゆに無条件に適応はしない。
自分と他人が違う存在で、愛はエゴと癒着してると、自覚しているからだ。
真実相手を思いやるには、べっとり張り付いて糧も毒も運ぶへその緒を切り、身内にも確かにある他者性と、愛と名付けられたものに宿る身勝手なエゴを認めた上で、適切な場所を掴まなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
そんな事実が見えていない”いい子”の怖さを、朝比奈家は可視化してくれる。
それはとてもありふれた悲劇であり、ともすれば美談でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
ニーゴに出会うことがなければ、まふゆは虚無に食われて”いい子”のまま死んでいた。
『なんであの子が』
善意の死角になった暗がりに目を向けず、自分の罪科に気づくこともなく、そう嘆かれていただろう。
しかし幸運にして不幸にして、まふゆはニーゴと出会い、セカイを手に入れ、音楽を知ってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
お母さんの望む人形ではいられない、自分の身勝手な熱を、もう無視できない。
その身じろぎを、望まぬ他者としての娘を受け入れるには、親側にも成熟が必要だ。
朝比奈家を縛る鎖を、残酷に断ち割って縁を切る形で収まるルートもあるが、醜く加害的な己を見据えた上で、それでもたしかにそこに在る愛を蜘蛛の糸として、新たな場所へともに進んでいって欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
その歩みは二人の人間、二つのセカイが壊れて生まれ直す、一つの戦争になる。
その始まりが寂しい冷たさだけでなく、見つけてもらえる安らぎと、確かにそこに在る温もりで終わったのは、僕にとって救いである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
まふゆがお母さんのことを本当に好きなことは、この複雑さの元凶であるし、痛みの厳選であるし、基本手放すべきではない尊さでもあると思う。
害毒と断罪するのも簡単な、親失格の不格好な親たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
年経れば必ずしも、誰かを育むのに必要な強さや賢さや優しさが手に入るわけではなく、その未熟さを含めてなお、誰かを育み愛することは、一つの事実としてそこに在る。
そういう”親”への目線が、僕は結構好きだ。
無論謙さんみたいに人間力高く、娘との最適距離を常時保って、ぶっといへその緒からドギュンドギュン生きる糧を届けてくれる理想の”親”も、作品世界には存在しているのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
そういう多彩な在り方を描けるのも、色んなユニットがあり、色んなセカイがあり、色んな家がある強みだ。
悪しきことも善きことの揺籃となり、あるいは善きことの裏に悪しき事がある様子も、この作品はよく描いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
”青空に願うユアハピネス!”で、雫が杏に差し出せた過去の経験ゆえの導きと、それを見つめる時の複雑な視線。
あの日々があって、今がある。
そんな距離感を、今のまふゆは掴めていない。
そこに違いと差があることを、多層的かつ肯定的に描けているのは、やっぱ良いことだなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
人により、世界と自分を彩る色は様々で、成熟には多彩な顔がある。
しかしその違いは断絶ではなく、違うからこそお互いを認め、助けれる希望につながっている。
そういうヴィジョンを強くもって進んでいく物語が、まふゆと彼女が愛する者たちを、より善い場所へ連れて行って欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月10日
そう願う、静かなる青春闘争の序曲であった。
まー今後生々しい方向に荒れるんだろうが、それこそニーゴって感じもあるしな。
往くぞ甘き地獄、かかってこい! って感じよ。