イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

”劇場版 からかい上手の高木さん”感想

”劇場版 からかい上手の高木さん”を見たので、感想を書きます。

ネタバレにならない範囲で言いますと、TVシリーズ三期の総決算として、俺たちが好きな”高木さん”の大盤振る舞いとして、しっかりクオリティアップした大満足の仕上がりで、大変に良かったです。
西片と高木さん、彼らのクラスメートの一年間を楽しく見守ってきた方には、是非に見てほしい作品となってます。
劇伴がかなり面白い仕事をしているのと、勝負シーンの迫力が強いので、劇場で見るのはオススメです!

 

 

 

 

つーわけで、高木さんの映画を見に行きました。
僕は三期の感想を書いてる時、ずーっと『これは映画でアニメ版高木さんを終わらせるために、丁寧に積み上げられた物語だ!』と感じ取り明言もしてきた立場であり『ここまで来て終わらない永遠の中に、少年たちを旅立たせるような作品だったらどうしよう……』とブルブルしながら劇場に向かったわけですが……。
アニメ版スタッフは、やはり覚悟を持って己を終わらせるべく”劇場”を選んだのでした。
西片くんは思春期の迷いと照れくささを振り切って、二度と涙を似たくないと思っている女の子の人生全部を背負って、こっから先の幸福を約束する言葉を、その目を見ながら告げてくれました。
それを言葉にしてしまえば、永遠の戯れが終わってしまう魔法だからこそ、ずっと言わなかった思いは永遠の思春期を終わらせて、エンドロールの後には父となり母となった二人が切り取られる。
それは”(元)高木さん”として、既に示されていた未来ではあるのだけど、同時に原作においてはけして言葉にならない(からこそ、連載が続いている)銀の弾丸で。
覚悟を込めて舞台を整え、しっかりとしたクオリティでアニメを仕上げて、己を撃ち抜く一撃をしっかり言わせてあげたこと、少年の夏が終わる瞬間をしっかり描いたことは、俺はとても勇気のあることだと思う。
そういう事を期待して、第三期に高い評価を与えてきた視聴者としては、しっかりと完膚なきまでに”終わらせた”事を、まず評価したい。

 

”終わること”への目配せは、主人公カップルよりもその周辺が柔らかく目配せしていて、特に三人娘はTVシリーズで担ってきた『一服の清涼剤』という立場から大きくはみ出し、迫り来る離別にブルブル震えつつ、一回しかこない中学3年生の夏を必死に楽しもうとする、大変エモーショナルな立場を貰っていました。
結局それは肩すかしされ、三人の関係は”振り出しに戻る”わけだが、彼女たちが『終わってしまうこと』に丁寧に向き合ってくれたおかげで、アニメーションとして一つの終わりにたどり着く自覚が、第三期からずっとみなぎってきた作品がたどり着いた必竟において、僕らが感じる思いが上手く、映画の中に流れ込んでいたように思う。
三人娘(にかぎらず、このキャラクターの子供たち全員)はいつでも可愛く健気であるけども、いつもどおりの子供っぽい明るさを全開にしつつ、何かが変わり終わってしまうことに一番怯えて、必死で走っているミナちゃんは、特に可愛かった。
旅人を乗せて故郷に訪れるフェリーに、どうしても『おーい!』と言えない友達に、無言でエールを贈るように大きな声で手を振る二人も、瑞々しい青春に真っ直ぐ向き合っていて、少し泣いてしまった。

冒頭から超絶クオリティでイチャコラする主役たちに目が行くが、ここまで作品世界を支えてくれたクラスメートの出番が横幅広めで、特に高尾と木村、ヘタレの浜口を交えた”男の子の世界”が色濃く描かれていたのは、彼らがとても好きな自分としては嬉しかった。
タイトルにもあるように、この話は西片と高木さんの関係性を中心軸に回る甘酸っぱい青春ラブコメである。
けれども同時に、西片がゆっくりと大人になって、ちょっとずつ高木さんがとても大切な自分の心に向き合えるよう、人間としての力を育んでいくジュブナイルでもある。
そこにおバカ極まる悪友がいてくれることで、色んなことが何気なく救われて、大事なものが目立たず育まれていく様子を見守るのが、僕はとても好きだった。
最初はオフザケ混じりだった写真撮影に、高尾と木村はしっかりハマって、恋はせずともその夏は楽しそうだった。
大人の階段を一足先に上ったダチが、大切な人と美しい景色を見れるように、『俺たちはもっと高みだ!』と強がって、場所を譲る。
そんな小粋な優しさをちゃんと切り取ってくれたのも、名脇役にしっかり報いる、良い描画であったと思う。
あと、真野ちゃんと中井くんは相変わらずイチャコラしてて幸せそうだった、大変に良かった。

 

話を主役に戻すと、三期から繋がる物語でありつつ、一期から描いてきたものを総決算するような、幅広い味わいが強くあった。
三期の高木さんは無敵のからかいモンスターではなく、当たり前の少女として不安に震え、それでも西片を信じて愛を待つ等身大の姿が、色濃く描かれていたように思う。
今回の劇場版はその前段階に戻って、小悪魔めいた笑顔を浮かべつつ、西片を可愛く挑発し、翻弄し、共に笑って一緒に走る、懐かしくも麗しい”高木さん”を描くのに、結構な時間と力を使っていたように思う。
魚の骨、息止め勝負、あるいはグーチョキパー。
頑是ない”からかい”の中で、高木さんは西片をグイグイ追い込み、彼の自意識を翻弄して自分に集めて、スッと身をかわす。
これに思わず前のめりになって、一服の絵画のように綺麗な女の子に幾度も見惚れる西片の姿と、パンッパンに張り詰めた内面が良く描かれていた。
梶くんのテンパリモノローグは脂が乗り切っており、思春期特有の浅はかさと可愛げ、暴走する自意識を見事に体現したこの話芸が聞けなくなると思うと、大変に寂しい。
天下一品やでホンマ……。

開幕三分のからかい勝負が正に劇場版クオリティで、あそこで翻弄されている西片と翻弄する高木さんがとても印象的なのだが、後半になるに従って、西片は口数少なく、静かに重たく行動するようになる。
ここの緩急をつけるために、序盤はあえて過剰な言動を空回りさせて勢いを付けて、高木さんと彼女が大好きな自分に振り回されいる西片が、この夏どう育っていくかを描きに行った感じもある。
『見守りたい初恋』というのは的を得たキャッチコピーで、あんなに戯けていた西片が虫追い祭りとハナとのふれあいを通じて、一人の男、一人の人間として逞しくなっていく姿には、問答無用で目を引きつけられる。
それは映画で突然起きた変化ではなく、一期、二期、三期と語り口をちょっとずつ変えつつ、『いつもの”高木さん”』を重ねてきたTVシリーズの歩みの中、確かに彼らが掴み取ってきた変化でもある。
あの夏祭り、あの文化祭、あのクリスマス。
TVで見届けてきた一個一個の出来事と、そこで生まれた確かな変化があってこそ、決定的に何かを終わらせるこの夏を見届け、見守りたくもなる。
そういう意味でも、TVシリーズ総決算、まさに”劇場版”な手応えが、74分のけして長いとはいえない上映時間の中、みっしりと詰まっている。

 

お話は二部構成で、夏休みが始まる前の虫追い祭り編と、始まった後のハナとの触れ合いに分かれている。
画面全体に漂う夏感、美しい小豆島の産土が子供たちの歩みを見事に支えていて、人生の盛りだからこそ何かが確かに終わっていく寂しさと、作中描かれた季節の色合いが、しっかりとシンクロしていた。
TVシリーズでも美術が良い作品であったが、特に高所から小豆島の風土を眺めるカットが驚異的な仕上がりを見せていて、小さな山と谷が連続し、普遍的な青春物語が踊る舞台として、しっかりとした説得力があった。
古き善き日本へのノスタルジーTVシリーズから作品に漂う、かなり重要なエッセンスだと思っているが、中山千枚田の美しすぎる情景、そこに浮かび上がる虫追いの松明、子供たちに継承されていくカブソの伝承と、舞台になってくれた風土への最後の敬意を宿して、土の匂いが心地よかった。
僕はその、ローカルでハンディな香りがとても好きだったから、この最終作でしっかり見届けられたのは、大変に嬉しい。

あまりにムーディな虫追い祭りの前から、西片の眼は徹底的に高木さんを追い続けている。
どうして、こんなに綺麗な女の子が僕の側にいるのだろう。
そういう驚異に西片はずっと出会い続けていて、特に二年の秋あたりから、そういう奇跡に自覚的になっていたと思う。
プールの中で、水の妖精のように微笑む高木さんに魅入られている西片を見てると『オメーもうダメだヨ! 一生ズブズブだヨ!!』と、内心ツッコむしかなかった。
このように、この男の子がどんだけ目の前の女の子が好きなのか、分かりやすく何度も畳み掛ける演出が多かったのが、決断の重さを裏打ちしていたと思う。

加えて虫追い祭りでは、ぐずる子供に膝を曲げ、優しく語りかけて祭りを楽しんでもらおうとする西片の優しさを、高木さんがずっと見つめている姿が描かれた。
その優しさを、高木さんは正しく『かっこいい』と評する。
西片はあんだけ高木さんに負けまいと背伸びをし、自分を飾って生きているのに、高木さんに見られていると気づかない瞬間にこそ、生来の美質をのびのび発揮している。
そんな魂の地金を知っているからこそ、この女の子は目の前の男の子がとても好きなのだと、手抜かりなく描く場面がしっかりあったのは、とても良かった。
もー映画の半分辺りから、完全に”往く”空気だったもんな……。

 

永遠を約束してくれるはずのホタルは虫追い祭りには遅くて、二人はその影を見つけられない。
ハナの顛末といい、今回は人生のうまくいかない部分も二人に追いついてきて、しかしその手触りはあくまで優しく、適切にファンタジックだ。
『人間を成長させるための試練』という物語的役割にだけこだわれば、ハナを殺して人生の残酷さを見せつけたり、虫追い祭りでなにかヒドいことが起きても、お話の筋立て的にはおかしくはない。
しかしそれは、これまでアニメ制作者達が真摯に紡ぎ、僕らが幸せに包まれてきた『いつもの”高木さん”』から、大きく逸脱する。
ここで上手く、『そういう事も、人生にはあるよね』という小さくて切実な難しさを選び取って、ちっぽけだけど当人には結構な痛みを伴う事件として丁寧に扱ったのは、とても良かった。
終わるためには起爆剤が必要で、変わるためには痛みがいるわけだが、そこで加減を間違えると、全てがぶち壊しである。
そういう意味で、来年もしかしたら見れるかもしれないホタル(実際に、永遠を約束し形にした後見れる)と、差し出した愛が報われずハナが去っていく展開は、このお話にとてもちょうどいいイベントであった。
つーか、あんな美しい景色の中、あまりに美しい距離感と残影でもってお互いを見つけられてんだから、ホタルくれー我慢しろッ!!!

ハナの描き方は老舗・シンエイ動画の真骨頂という感じの愛らしさで、生物としての猫を夜く見つつ、可愛さのアイコンとして極限まで磨き上げた、デジタル作画の凶器であった。
生の子猫がやりそうな仕草、実際にやる動きを丁寧にアニメートしていて、『アニメの中の動物』が好きな自分としては大興奮ポイントである。
歯も生え揃わない子猫故に、指を吸う時おっぱいが出るよう肉球でモムモムする動きとか完全に作画されてて、『やりおる……ッ!』ってなった。
そんなハナに骨抜きにされ、デレデレな表情を見せる西片も、そんな西片とハナを見て幸せそうな高木さんも、美しい花畑と神社の緑に包まれ、とても幸せそうである。

嵐の中、後ろを顧みず小さな命のために突っ走る西片の表情も良く、高木さんがなぜ西片好きなのか、ここでもしっかり補強されていると感じる。
少ない小遣いからミルクを買い、毎日世話してチラシも書いた彼らの思いは、とある日唐突にスルリとハナをすり抜けて、急な別れがやってくる。
しょせん幼い獣であるし、愛が必ずしも報われるわけではなく、自分以外にもハナと出会う特別な理由がある事実を噛み締めながら、西片と高木さんは幼い子供が、星になった愛猫との再開を喜ぶ子供の姿を、じっと見つめる。
飛び出そうとする西片をつなぎとめる高木さんの手が、あまりきれいに少年を掴めていない所に、揺れる心が反射していて良い。

愛に愛が無条件に帰ってくる、幼い世界。
ハナとの離別は、そこに悪意や不幸が介在せず、むしろ幸せな結末のはずなのにそれを自分が受け取れない割り切れなさと、たしかにそれは幸せだったと思いたくなる切なさが入り混じって、とても複雑な色合いだ。
夏の暑い日差しに影が差して、二人は今までの努力と愛をトボトボ歩いて回収し、気づけば夕日が不思議な色合いを生んでいる。
無言で歩く中、二人の脳裏には沢山の『なんで?』があったんだと思う。
ハナを奪っていった見知らぬ家族を恨めれば、心の置所もわかりやすかっただろうが、そこにはたしかに喜ぶべき幸福があった。
しかしそれは自分たちの注いだ愛に報いるものではないし、だからといってハナと過ごした日々、そこで生まれた喜びが消えたわけでもない。
そういう複雑さが人生には沢山あるが、真正面からぶつかったのはこの時が初めてだったのだろう。

ここで高木さんは、作中初めて悲しい涙を流す。
それは西片にとっても初めて見るもので、同時に二度と見たくないものでもあった。
だから彼は、永遠の幸福を約束する。
それを目の前の女の子に届けたいと思う自分、それを約束できる大きく強い自分へ、堂々と踏み出していく。
その兆しは、この夏に至るまでの物語で幾度もあって、これほど決定的な約束ではないけども、僕らの少年は確かに、ずっと少女の幸せを願って、手のひらと言葉を差し出してきた。

とてもちっぽけでありふれていて、でも本当に大事だったからこそ割り切れなくて痛い。
そういう人生の問題を、一緒に背負って分かち合っていく関係へと、はたから見れば一足飛びに、しかしその歩みを思い返せば当然、中学3年生の二人は踏み出していく。
もー”恋人”って段階はある意味終わってるわけよ……分かりきってる答えを拒絶できない土壇場に、どういう運びで主役たちを連れて行くかが、最後の難問だったわけでね。
それがなんかこー……すごく””高木さん”らしい、優しいんだけども切なくて、ちっぽけなんだけど重大で、ともすれば『そんなもんか』で終わらせてしまいかねないけど、それを描く筆の熱量で『なるほど、そいつぁキミたちの一大事だ。頑張れ!』と両手を握ってしまう塩梅に落ち着いてたのは、俺はすげぇ良いなって思ったワケ。

こういうやるせなさって、西片たちが大人になって世界を広げていく中、身の丈と心が豊かになっていく中で、幾度も出会うわけじゃん。
その度高木さんは辛くなって泣いちゃうかもしれないと、一緒にハナを守り育てて心底思い知ったからからこそ、西片は『もう、俺が泣かせない』って約束したわけじゃん。
それって、からかい勝負の勝ち負けに拘る幼い自分、夏の日を受験生とは思えない呑気さと熱量で走り回っていた幼い自分たちに、ある意味でサヨナラする行為だと思うのね。
んで、西片は高木さんと楽しく戯れれるこの時間が本当に大事で、大好きだった。
それが壊れると知りつつ約束を差し出し、自分の身の丈をミリミリと伸ばすことには、でかい勇気がいったと思うの。だから、幾度も足踏みしてたと思うの。
しかし、西片は進むことを選んだ。
そらーね、偉いし凄いよ。
それをちゃんとここで書いて、終わっていくのも偉いよ、やっぱ。

この夕陽の約束、言わせたい系女子だった高木さんがからかい勝負でギリギリを攻めつつ待っていた、最高のエンディングを届けてもいる。
お互いの気持ちは確信しているけどどこか不安定で、言うよりも言って欲しいズルさが、愛しき戯れをここまで引き伸ばしていた……とも言えるけど。
しかし勝負を終わらせる言葉は、からかいどころかド真剣な人生の一大事に発せられて、だからこそ心底待ち望んでいた真摯さを伴って、胸に突き刺さる。
そういう、恋が形になる前の半生な感触をたっぷりと楽しませてくれたお話の終わり方としても、あの場面は良かった。

んでね。
すでに商業出版され巻数が十を越える、確定してた未来とはいえ、いまだお母さんと”ちぃ”にからかわれつつ、約束をちゃんと守ってるデカい西片を描いてくれたのも、俺は嬉しかった。
あんなに美しく、痛みに満ちて綺麗な約束が裏切られることなく、お互いが大好きな二人はお互いが大好きなまま、時々からかい勝負をしながら、幸せになりました。
そういうおとぎ話のような結末を最後まで保ってくれるのは、『いつもの”高木さん”』にある意味優しい嘘と、それが破綻する決定的な瞬間をアンビバレントに待ち望んでいた自分としては、ドンピシャな描線だったわけ。
永遠に続くからかい勝負が、決定的にその性質を変えてしまう一瞬を過ぎてなお、この物語が紡ぎ輝かせてきた眩しいもの、幼く大事なもの、大人びて大切なものは損なわれることなく、ずっと続いていく。
そういうファンタジーを自分たちが作ってきて、大事に届けて、受け止める側にとっても大切なものとして共有されてきたこと……アニメで描かれた”高木さん”を僕が好きだったことに、凄く気持ちを入れてくれた終わりだと感じたのね。

そういう風に、好きなアニメを見終えられるってのは、凄く幸せなことですよ。
こうして終わるべく、第三期で丁寧に一少女としての高木さん、徐々に徐々に、しかし確かに変わっていく西片を描いた意味を、最大限活かす最終劇場版ですよ。
これを作るべく三期をやって、ここに至るべき三期があったわけだけど、当てるべき的をズドンと射抜く精妙な物語の技芸と、自分たちが向き合ってきたキャラクターの生き様を、小さな喜びと悲しみを嘘なく描き切ろうと、アニメーションの全領域で大変に頑張ってくれた成果が、74分たっぷりと詰まってました。

書き残ったんで今言いますけど、作中のキャラクターの動きや心理に劇伴が乗っかって弾む、フィルムスコアリング的なBGMも大変良かったです。
TVシリーズだと話数ごと、エピソード単位で演出方針が結構変わる作風だったわけですが、74分一定の演出哲学で、西片と高木さんが過ごすありふれた最後の夏を描き、そこに宿る情感を艷やかに切り取ろうとしていたのは、短編集という側面を持つTVシリーズでは味わえなかった楽しさで、これも”劇場版”の醍醐味でした。
『良かったなぁ……』と思い返せる所が沢山ある、この終わりを描いてくれて心底ありがとうと言える、とても良い映画、とても良いアニメ、とても良い”高木さん”でした。
大変良かったです。ありがとうございました。