であいもん を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
仲春、和は風邪をもらって寝床に伏せていた。
熱に浮かされ見る夢は、憧れの先輩の夢。
下萌に希望を貰って、進みだして…もう逢えない。
一果にとってはその夢は、己を捨てた父の、思い出混じりの雪の果て。
冷たく降り積もる寂しさを、塗り直すことは出来なくとも…。
そんな感じの寒の善哉、であいもん第11話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
この物語の始原に位置しながら、けして直接顔を見せることのない雪平巴を、彼に強い影響を受けた二人の人物…後輩と娘の目から立体視するエピソードである。
あこがれの先輩の背中と、愛憎半ばする父の顔。
どちらが嘘で、どちらが本当か。
あるいは、どちらも本当なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
考えてもせんない悩みを、ふわふわ浮っいた和はあえて考えず、一果は物分かりの良い態度の奥で、ずっしり縛られている。
それは簡単には消えてくれない縁であり、思い切れないから色々苦しく、また微かな救いもある…甘いお菓子とはいかない味だ。
巴とダイレクトに顔を合わせば、否応なく物語は一つの極点へ押し流されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
作中和が使った言葉を借りれば『時期ではない』このタイミング、それは雪の中の幻のように夢枕に立って、二人の思いはぼんやりと、行き場なく彷徨っていく。
まるで、亡霊のような男だな…と思った。
しかし幽霊の影に物思いつつ、大人も子供も支配はされず、一歩ずつ新しい場所へ這い出す準備を整えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
下萌は巴のためのお菓子と作中描写されているが、悲しみの雪から這い出して新たな芽を出すのは、おそらくはこちらの、血の繋がらぬ親子の方なのだろう。
これまでの感想で幾度か言及したように、僕は和をかなり特殊な主人公として捉えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
何を考えているのか、モノローグを使って確定的にこちら側に見せることが少なく、その掴みどころのなさがふわりとした作風、人生の重荷に潰されない救い、ヘンテコな恋路の計り知れなさを生み出している。
今回も乙女エンジン大暴走な美弦ちゃんだの、文句言いつつ甲斐甲斐しい佳乃子だの、色んな人に矢印向けられては、熱にうなされた顔でのらりと逃げとったが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
すンゴイ勢いで突っ走っていく美弦ちゃん見てると、『あー…”コッチ”じゃないんだなぁ…』と理解っちゃって、ちょっと可哀想だったネ…。
さておき和は己をなかなか見せないことで、作品と自分を保ってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
今回はそういう境界線の内側に入って、雪平巴という人間に何を与えられ、何を思うかが明瞭に描かれていく。
想定してたより、人生の深い所にズッポリ刺さってて、驚くと同時に面白かった。
和にとって巴は永遠の憧れであり、ギターという表現手段を教え、自分の行くべき道を先駆ける、個人的なロックスターだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
自分を強く保って、眩く駆け抜けていく彼の影は、和にとっては見えない。
後輩という立場、あるいはそこから巴に求めるものが、死角を生んでもいよう。
和にとっては永遠のヒーローである巴も、人間である以上影を孕む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
その一番の被害者が一果であり、”緑松”で過ごした日々にじわじわ癒やされつつも、雪の日に捨てられた傷は重たく深い。
まー、早々簡単に癒えるもんでもねぇし、そこに焦っている物語でもねぇわけだが。
熱で弱った夢の中で、巴は自身の家庭環境を語り、”緑松”の下萌に人生を動かされた体験を、瑞々しく語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
それは和の主観で見つめた雪平巴で、その影を10年追いかけて、ふわふわ根無し草、ヘラヘラ顔の奥に虚無を隠して生きても来た。
うっすら感じてきた太平楽の裏にある影が、最終話前に見えてくる。
そんな根無し草の日々を終わらせ、我が家に戻る決断は見た目ほど軽くなかったことが、後出しで描かれても来たが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
とある男の影を追って、自分を満たす夢を探した日々もまた、パッと見よりも重たいということが、和の一人称からじっとり滲んでくる。
それは、外側から見てても分からない影だ。
ここまで外見と内面のギャップを積極的に彫られたのは、『大人びるしかなかった子供』である一果であり、和はそこにのほほん気楽に、何も分からんまま忍び寄る救い主に見えていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
しかし今回、『子供のような大人』の奥が語られることで、二人が似通った重さを、同じ相手に剥けてることが解る。
これは勝手な推測だけど、和は巴が子を捨てるようなゴミクズだと、未だに信じたくないのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
いつでも自分の先を行って、虚無を埋める可能性を教えてくれた彼だけのヒーローが、一果をあんなに傷つけて、ゆっくり日々を共にすることでしか癒せない過ちを、叩きつけたとは思いたくない。
そんな願いが、暗い雪の日に巴が見せた薄暗さより、思い出の中の眩しさをいつでも思い出す、一果とは違った視界を支えてる気はする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
人間信じたいものを信じるものだし、それぞれ見えているものは違う。
それは分かり会えない寂しさの源泉だが、同時に呪いから開放してくれる気軽さの根源にもなる。
しんしんと降り積もる雪は、一果に捨てられた日のことを思い出させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
それは日常の温もりに雪解け、何もなかったことにはなってくれない。
そういうモンを、この歳で背負わなきゃいけなかった事実を考えるに、やっぱ俺は巴許せねーな…つう気持ちも強い。
複雑な家庭から飛び出し、自分だけの夢をつかむ希望を下萌に見た巴だが、流れ着いた場所は結局、子を捨てる冷たい雪の果てだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
そこにどんな因果と事情があったかは、未だ完全には描かれぬ(描いてしまえば、何かが大きく変わって終わる)わけだが、雪の下に何が眠ろうとも、消えない傷はそこに在る。
そこに他人の気楽さと、身内の重さ両方携えて、ヘンテコおじさんが顔を出し、手を差し出し、消せぬながらも塗り直そうと、戯けて遊んで、一果を子供に戻そうとしてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
今までも、今回も、多分これからも、和がお気楽に差し出す『一緒に遊ぼう』という子どもじみた手のひらは…
存外深めの虚無を背負い、だからこそヒーローに憧れて10年追い続け、ヘラヘラ顔の奥で人生の重たさを自分なり、考えた結果選ばれたものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
一果を未だ縛る愛憎の鎖が、和に見えていないわけではない。
だが、その重たさに潰される生き方は、あんまりに寂しい。
面白くない。
子供じみた大人はそう考えて、そう考えていることを悟られない態度を作って、あくまで気軽に一果を誘う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
大人びた子供が、背負ってしまったいらない荷物を、一個ずつ一緒に下ろそうと手を差し出してくる。
それは…実は凄く大人びた態度なのではないかと、今回思った。
自身青春の残影を追いつつ、同じ相手の影に呪われた子供を、雪の亡霊の辛い記憶ではなく、ちょっとずつ楽しい思い出に塗り直していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
それは果てのない試みで、気持ちというどうにもならないものに挑む、徒手空拳の闘いだ。
しかし和は泣き言は言わないし、ヘラヘラ顔も崩さない。
その軽さが、何かと重くなりがちな人生の中で思わぬ救いとなることに、この主人公存外自覚的なのかな…と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
一果の繊細で発達した人格は、そういう生真面目さを感じ取ってるから、面白おじさんに片足だけ、体重を預けるようになってきているのかな、とも。
その歩み寄りはお互いにのしかかる冷たい雪を払って、緑萌える季節を連れてくる…かもしれない、健気で大事な行いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
雪に心を閉ざしかけた子供が、そんなふうに悲しみをかき分けて生き直す手助けが、和自身の虚無を埋める足場なのだろう。
ヘラヘラ笑い、手を握って、お互い様で雪の中生きていく。
そういう希望と悲しさが同居している景色は、一果だけが見ているわけじゃないんだなぁ、と思うエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
一果が見据えている巴と、和が追っている巴は決定的に食い違っていて、しかし同じ人間の別の顔だから、根っこで繋がっている。
娘に対する残酷と、後輩に対する燦然。
それは矛盾したまま同居し、しかし交わらないままただ、”そこ”にあってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
そういう不思議は、人が生きていく中で色んな場所にあって、付いたり離れたり、見えたり見えなかったりしながら、進んでいくものなのだろう。
”そこ”こそが、このお話がこれまで描き、これからも進んでいく舞台だ。
そういうことを、”雪平巴”を心に深く刻んだ大人と子供、2つの視点から描いていくエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
この作品が何を書いてきたか、どんな場所にキャラクターが居るのか。
しっかり語れるエピソードで、そろそろ幕引きが見えたこのタイミングに置いては、非常に大事で意味在る回だったと思います。
一年が巡りゆくこのタイミングで、全部雪解けして終わりではなく、まだまだ冬が続いていくと冷静に見据えていたのが、凄くこの話らしかったし、焦りと嘘がなくて良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
一果の傷も、和の虚無も、簡単には消えない重荷だ。
でもそれを、互いに半分背負って生きていくことは、もしかしたら出来る。
そのための糧として”和菓子”を書いてきた話なんだなと、自分の中で納得の行く回でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月16日
とても良かったです。
何かが変わり、何かが変わらぬまま転がっていった一年も、そろそろ一巡り。
春の気配に何が生まれるのか。
少なくとも、春に悲しい雪ではないだろう
次回も楽しみですね。