イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

映画『バクテン!!』感想

21年4月よりノイタミナ枠で放送されていた”バクテン!!”の、完結劇場版を見てきたので感想を書きます。

ネタバレにならない範囲で言うと、大変良かったです。
TVシリーズで魅力的だったキャラの魅力、男子新体操の迫力、青春の汗と涙はそのままに、このお話にとって”勝つ”ということ、”挑む”ということににどんな意味があるのか、それが人間をどう育てていくのか、。
姿勢を真っ直ぐ背筋を伸ばし、未来に向かって漕ぎ出していく人々の顔を真摯に描き切る傑作でした。
TV版ではなかなか彫り込めなかった部分にもしっかり光を当てて、真実”バクテン!!”完結編として矜持と信念を持って描き切る覚悟が、90分の尺にしっかり漲っていました。
TVシリーズを見届けた方、あるいは見てないけども青春スポ根の傑作を全身に浴びたい方、オススメです。

 

 

というわけで、劇場版バクテン!!見てきました。
いやー……良かったね、凄く良かった。
TV版での良さを殺すことなく、映画ならでは、卒業のお話、完結編だからこその物語をしっかり形にして、山も谷もある青春に全力で挑む少年たち、そして未だ青春を終えない大人たちの姿を、大変元気に描ききってくれました。

いいところ沢山有るので何処から語るか迷いますが、まず端正な演出力が一切衰えることなく、スマートにスムーズに作品が言いたいことを伝えてくれる映像の仕上がりが、全編通して元気だったのはとても良かったです。
TV以来久々に出会うアオ校男子新体操部のみんながどんな人物なのか、翔太郎が勧めるたこ焼きの受け取りたか、食べ方一つでキャラを思い出せる、何気なく見えるのに凄く切れ味鋭いスタート。
後半炸裂する志田監督の悩みと憂いを、全国大会に向けて家族と地域を巻き込んで祝祭的空気が流れる中、フッと画面を冷やして差し込む手際。
『勝ちたい』という気持ちが強すぎた試技がどんな結果に終わったのか、旅立ったときは四本あった垂れ幕が、三本に減っている描写から語らずとも解る。
こういう演出のスマートな圧縮率が、語るべきものをぐうっと濃縮して視聴者に届け、弾むような青春に心を踊らせながらも、そこに何が宿りどんな困難があり、どんな人間が何に悩んでいるかをしっかり伝えてくる。
映像表現としての完成度の高さ、伝達力の高さがドラマを下支えしてくれたからこそ、青春群像劇のど真ん中を走っていく物語の勢いを殺さぬまま、伝わるべきがしっかり伝わり、心を打つ展開に為っていたと思います。

詩的な情景表現が相変わらず豊かで、彼らが生きてる世界がとても綺麗に見えるのも嬉しいところでした。
基本的には理想的なリアリティで東北の情景を追いかけていくんだけども、時折あまりにも美しすぎる風景が挟まれて、まるで夢のようなのだけど夢で終わらない、人生が眩しく輝く一瞬をしっかり切り取っていることが、作品全体に漂う、良い意味でのおとぎ話感、理想に向かって軽やかに飛翔している感じを出していました。
TV版から活用されていた鳥のモチーフですが、今回は志田監督が自分の夢のために巣立つ展開もあって、勝手に飛び立っていく残酷さ、一人置き去りにされる地面の遠さを来立たせる、新たな象徴としての意味合いも含んでいました。
空を行く鳥に色んな気持ちと暗喩を乗せて進む物語が、最後に描く鳥たちがどう見えるかというのは、即ちそのままこの作品、この映画をどう受け取ったかという結晶になります。
そういう作品の焦点としての”鳥”を美しく、詩的に、生き生きと描けていたのは、凄く良かったです。
重力を引きちぎって自由に舞う鳥たちは、けして孤独ではなく、離れたとしても熱は消えない。
そういう物語を語りきった後に青い空を舞っていく鳥の姿は、爽やかで少し寂しく、力強く軽やかだったアオ校の少年たち、彼らを見守る人々と地域……つまりは”バクテン!!”そのもののように思えました。

 

そんな風に思える素敵な物語、漠然と全員を活躍させるのではなく、お話の中核を三人に絞ったのが、まとまりよく力強く語りきれたポイントだと思います。

無論そういう作りが機能するのは、作中に生きる全キャラクターを蔑ろにせず、生き生きとその活力、人格、ありがたみを活かす横幅広い話作りが出来ているからこそ、なのですが。
この映画版、3つのコアだと僕が感じたのは、志田監督、亘理先輩、そして美里くんです。
一人ずつ見ていきましょう。

 

解る!
映画見た連中が全員、志田監督に一言言いたすぎるのは良く解る!
『子供たち放って置いて自分の夢に突き進む決断を、事前の相談なしに決めてしまうのが大人のやることか!』とか、『綺麗な言葉で飾っちゃいるが、翔太郎のすがるような言葉を正面から受け止めるのがこええだけだろ!』とか、俺も思った。
しかしそんな見てる側の反発は百も承知でこの映画、だからこそ馬淵監督に『俺が怒鳴りつけておいた!』と言わせたり、衝撃の一言に美里くんが激情を拳に込める場面に時間を使ったり、見てる側の気持ちを裏切らぬよう、作中の物語の波長を整えて、志田監督を身勝手な鳥として、変化の起爆剤として描いたんだと思います。
それは、怪我により競技を諦めた彼の中でくすぶり、大人しくしてはくれないエゴをむき出しにして、”いい大人”の立場から彼を開放するための一手だったのかな、と思うわけです。
僕ら(と、アオ校の子どもたち)が思うほど監督は大人になりきれない人で、その魂に教え子の奮戦が火をつけたからこそ、マイナースポーツである男子新体操の未来のため、七ヶ浜部長が無いと言ってた”先”を作るために、より広くより影響力のある空へ、自分を羽ばたかせようと決めた。
ここでまず教え子に伝え反応を見るのではなく、自分で決めて進んでしまう所が志田監督の中に眠ってた弱さ勝手さ未熟さであり、この衝動ってつまり、『バクテンしたい!』ととにかく思った、物語開始時の翔太郎……そんな彼に憧れラストステージに誘ってくれた子供たちと、同じ心なんじゃないか。
年齢を越えて躍動する、時に身勝手で危険な衝動こそが、新たな物語を作り出していく原動力になる。
志田監督はこの映画で、そういう役割を背負っていたんじゃないかと。

一つの物語を終えて物わかり良く、現役の面倒を見る”大人”には収まりきらない気持ちは、年令を重ねてもなお元気で、しかしそれをなかなか表に出せない。
置いていかれる辛さを思わず言葉にした(言葉に出来た)翔太郎の気持ちにも、敗北を引きずってくすぶる部活の現状にも、イマイチ的確に踏み込めず、不器用に思いを飲み込んでしまう半端な”大人”。
その姿は、世界最強の面倒見を誇る馬渕先生の頼りがいを鏡にして、時に身勝手に、時に頼りなく写ります。

が、同時にそれは弱小新体操部が強くなって勝つという、TV版のサクセスストーリーを成立させる重責を解いたからこそ描ける、志田周作の素顔だったと思う。
そのエゴを描いたからこそ、子供たちに常に優しく微笑んで導きを与えてきた彼が、ようやく一人の人間として泣けるラストに分厚さが出た、とも。
今回の映画は気持ちを表に出せない辛さ、言いにくい気持ちを預けれるありがたさが幾度も描けども、自身やりきれていないくすぶりを抱えつつ、必死に成熟した仮面をかぶり微笑みを作ってきた彼は、実は誰よりも重荷を、感情を、涙を表に出せない立場だったのではないか。
最高のサプライズで監督の想像を上回り、これまでの成長、かけがえない宝を表現しきった教え子たちを見ることで、ようやく同じ夢を追い、同じ競技に夢中になった同士として、彼らと対等になれたのではないか。
だから志田周作は最後に泣くのではないかと、僕は思いました。

 

TV版で非常に強く引っ張った、シロ高との全国大会決着。
これを序盤の谷として、あえて負けさせる(そしてそこから立ち上がり、勝敗を越えた輝きと強さを描き切る)物語を選んだのは、僕は英断だと思っています。
『勝つ!』と意気込みすぎて、『楽しむ』ことを忘れたアオ校の演技には、シロ高のリハーサル……そして自身が卒業公演でたどり着いた高みのような、魂の火花が宿らない。
時に身勝手に暴れる初期衝動を、緊張と気負いで押しつぶした結果があの硬すぎる演技であり、悔いの残る結末であり……その勝利至上主義は、かつて選手としての志田周作を殺した原因でもある。
これとどう向き合い、敗北や挫折の後にどう立ち上がって、どう生きていくことこそが大事なのだという映画にまとめていったのは、かつて師/大人がつまずいた地点を、教え子/子供たちが超えて新しい答えを掴み、届け、その体験を翼に変えて、勝ちも負けも当然あって、でも終わりはしない未来へと飛び立つかを、描ききりたかったからだと思います。
この”勝つということ””負けないということ”の書き方は。TVシリーズでも飛び抜けた出来である第9話で、美里くんの一日を通じてこの作品があの震災とどう向き合い、”ずっとおうえんプロジェクト”の一環として何を描くか、見事に表現しきったことと、響くものを感じました。
あの話ではけして過去の惨劇は明言されず、視線一つ、景色一つから豊かに想像され理解されていくものとして……確かに過去あって今も長く影を伸ばし、しかしそれだけが現在と未来のすべてを決めてしまわないものとして、精妙に描かれていた。
今回の映画で、勝ちを意識しすぎた故の敗北がどのようにアオ校に影響を及ぼし、魂を震わし強くぶつかり合って、だからこそ思いを伝えあい立ち上がって、自分たちが何処まで来たのか、何処まで飛び合っていくかを、強い筆で描いたこと。
それはけしてマットの上で演技はしないけど、様々なものを背負い今翼をひろげている沢山の人達……その隣りにいる僕たちにむけて、静かで強いメッセージを発していると感じられました。
人生に否応なく訪れる挫折や転機を前に、へし折れるのではなく強く飛び立つためには何が必要なのか。
志田監督の身勝手さは、物わかりの良さや大人びた微笑みで殺しきれない心の炎こそが、時に未来を拓いていくのだと語っているようで、本編を見ながら一つ一つ、噛み砕いて腹に落としていくような視聴になりました。
そんな風に見れる映画、キャラクターがあってくれたことは、僕は凄く良いことだと思ったのです。

 

んで、男・亘理光太郎と男・美里良夜の話するね。
TV版では正直、例えば第8話における女川先輩のように深く心に分け入り、その弱さと脆さ、それを受け入れたからこその靭やかな再起のドラマを与えられなかった亘理は、今回主役も主役、一番揺れて泣いて迷って、自分を見つける旅の主人公ですよ。
こんだけデカいドラマを亘理に手渡してくれたこと、”男”を標榜しつつもそこから一番遠い彼の心を深く掘り下げたことで、群像劇としてのフェアネスがしっかり担保されたし、挫折と向き合い立ち上がる作品の背骨として、凄く大きな仕事を果たしてもくれた。
映画の中の侠客に憧れ、形だけ強ぶってそのくせビビりな彼は、プレッシャーに押しつぶされて全国大会でミスる。
そこに追い打ちをかけるように先輩の卒業、恩師の離脱が重なる……んだけど、そんな気持ちを表には出せない。
弱い自分、普段憧れてるような”男”じゃない自分を、後輩に見せたらキャプテンではなくなってしまう。
託された責務は果たせないし、不要な動揺を拡げてしまう。
こうして自分の気持ちを抱え込んで、煮え切らないヘラヘラ笑いとむっつり黙り込んだ表情を貼り付けてる様子は多分、志田監督や美里くんの反転した鏡だったのだと思う。

クールに他人と馴れ合わず、甘えず、心を許さなかったエースはTV版の物語を通じて、同い年の仲間として心から信頼できる翔太郎と手をつなげた。
彼を相手に、閉じ込めてきたものを解放できるようになった。
苦しさや弱さ、それらに脅かされても消えない情熱を表に出せるようになった美里くんは今回の映画、凄い大人っぽい。
志田監督の一言にどれだけ衝撃を受けて、殴りつけたいほど感情が燃えて、それでも今まで与えてくれたもの、積み上げてきた夢を大事に抱きしめて、震える拳を握って感謝を伝える。
ぶっちゃけこの映画、見ながらドバドバ泣いちゃったんだけども、一番泣いたのはあのシーンだったわけ。

あんだけ辛い過去を背負って、一人色んなものを抱え込んで必死に生き延びてきた子が、あの一瞬に凄く強い感情を燃え上がらせて、それでも自分のことだけを考えるのではなく、目の前の人間に与えてもらったモノの重さ、怒りや理不尽だけじゃない自分の気持ちと向き合う決断が出来たのって、滅茶苦茶大人で”男”だと感じた。
それは翔太郎が彼に憧れて、つれない態度にも懲りず幾度もつきまとって、真っ直ぐ純粋な気持ちを伝えて、新体操の面白さ、一緒にいられることの喜び、大事だからこそ頼って欲しいと言う願いを、彼に託したからこそ育った強さなわけで。
TVシリーズで一年坊主が二人三脚、凸凹噛み合わせて青春走ってきた一つの成果が、あの震える拳と、自分もショックを受けつつ”それ”を見落とさない翔太郎の優しさに、めちゃくちゃ強く結晶化してると思ったのよ。

美里くんの個性でもある空気の読めなさ、ズケズケ物言う当たりの強さも、かつてみたいに反発だけを呼び込むわけではない。
出口が見えない状況に風穴を開けて、嘘のない気持ちをぶつけ合える関係性へと自分たちを導く起爆剤へと、より善く変化している。
亘理キャプテンが何かを言い出したくて、でも何も言い出せなくて(これは彼がただ一人の”二年生”だということと、深く結びついてる停滞だと思う)淀んでいる空気を、『今のお前は未来にビビり、キャプテンでも男でもない。お前と新体操は出来ない』と拳突きつけて、ぶち破るからこそ。
彼らの関係性と物語が、いい方向に転がっていく。
そういう『言う勇気』、『嫌われる勇気』を彼が表に出したのは、亘理先輩と一緒に進んでいくこれからの部活動に期待して、もっと良いものにしたいと思えるから……そこで一人閉じこもるのではなく、感じたことを伝えて変えていきたいと思えるよう、美里くんが変わったからだ。
彼はTVシリーズを通じて、未来に期待し、他人に期待する男へと変わっていけたのだ。
この気っ風の良さは、亘理先輩が憧れてる”男”そのもので、『自分に楯突いてくる後輩』っていう、二重に認めたくない相手にこそ彼が大事にしたい潔さ、真っ直ぐさ、怯えない強さがある。
一年二人がエキシビジョンを実地で見て、心の赴くまま勝手に依頼を受けた時、『スジ通して、出来ませんって言ってこい!』と吠えてしまった自分は、”男”の形だけをなぞって逃げ出す、心底弱い存在なんだ。
そう思い知らされるのは、とても辛いことだと思う。

 

”男”を標榜しつつそこに全く追いついていない亘理の弱さ、情けなさ。
これを描けていたからこそ、キャプテンとして必死に何をすべきか考え、自分たちを打ち負かした強敵に雪の中頭を埋めて、最高の未来をつかむために思いを伝えるシーンは、もう眼球無くなるくらい泣いちゃった。
自分の至らなさに正面から向き合い、それに潰されずに出来ることを探し、熱い想いを伝えるために必死で突き進む。
形なんて関係なく、勝手に心の赴くままに真っ直ぐ走るその姿こそが”男”なのだと、亘理はあそこで体現したわけです。

この彼なりのスジの通し方は、七ヶ浜元キャプテンの中にあったいらない負けん気、高瀬キャプテンへのライバル意識も、すごくいい形で砕き、再生させてくれる。
終生のライバルと意地を張っていた相手にも頭を下げ、教えを請いて自分たちを高めていく。
そういう真の強さを後輩が勝手に形にしたことで、諦めかけていた大学進学への道もひらけて、男子新体操の”先”に三年全員、飛び込むことも出来た。
年上だからといって常に正しいわけではなく、知らず己を成長させてきた後輩の強い拳が、頑なに臆病に守っていたものをぶち砕いて、翼をひろげてくれる。
このモチーフは、志田監督と生徒、二人のキャプテン、亘理先輩と美里くんに共通しててて、弱さや敗北を受け取ってより強く飛び立つ時、年齢や立場に取らわず真実を見る素直さこそが大事なのだと、伝えたいのだと感じました。

虚栄や怯懦に囚われず、恥も外聞も捨てて雪に頭を埋めたことで、学校の壁を越えて亘理に舎弟が出来て、孤独じゃなくなったのも凄く良かったです。
亘理先輩と同じくらい揺らいでた翔太郎が、彼ほど思いつめずにすんだのは、ズケズケ心の中に入ってきてくれる親友が同学年隣りにいてくれた。
やっぱ孤独ではないという実感こそが、逆境に追い詰められない大事な拠点なのだ。

ドルオタ趣味とか古典教養とか、色んな接点でシロ校の子たちと繋がる描写は他のキャラにもあったが、亘理が心の中に湧き上がるモヤモヤと一人戦い、出口が見えないまま苦しんでいる描写が分厚かったからこそ、吾妻くんと心底通じ逢えたことが嬉しく、救いに思えた。
『舎弟がいる、兄貴と呼んでもらえる』ってのはアオ校で叶わなかった亘理の夢で、でもそれを掴み取るためには形だけ”男”を演じるのではなく、不格好に雪まみれ、キャプテンとして成し遂げるべきことのために頭を下げる行いが、吾妻くんの心を撃ち抜いたからこそ得られた。
ここら辺の『中身のない形から、自分たちだけの真実へ』って話運びは、全国大会での勝負論、それ故の敗北から立ち上がって、自分たちの意思と努力で最高のステージを形にした話運びと、豊かに重なってる感じもあります。

男男と言ってるけど、作中唯一の女性部員であるあさちゃんが、常時男気溢れていたのも最高でした。
仲間を信じ、自分に出来る支えを差し出し、責務に負けない心で未来に進んでいく。
そういうモンは性別ではなく魂に宿り、全人類の美質なんだとあさちゃんで描けたことで、こんだけ男臭い話なのに性差を超えて風通しのいい、人間全部の話としてまとまっていたのは、僕は凄くいいことだと思う。
筋を通す、仲間を信頼する、逆境にくじけず前を向く。
それは大人や男だけの専売品ではなく、あらゆる人の中に宿ってる翼なのだ。
あとあさちゃんは映画でも本当に可愛くて、良く働き優しく強く、最高の人間だったね……。(ずっとあさちゃん大好きプロジェクト)

あと卒業後の進路選択にかなりシビアなリアリティがあって、あくまでマイナースポーツである男子新体操の現状とか、家業の重さとか、震災孤児である美里くんの未来とか、ずっしり重たい質感で向き合ってきたのは、偉いなと思った。
そういう重さに潰されず、輝く夢を見れる形でしっかり終わらせてるのが、なお偉い。
けして明言はされてないんだけども、美里くんの経済的・社会的な後ろめたさってのは彼を襲った理不尽が長く尾を引いているから、それに潰されず周りに甘えず生きていこうという気高さを彼が持っているからこそ。
そういう子が望む未来を迷わず掴めるような世界を、作り守っていかなきゃいけねぇな、ともしみじみ思った。
ここもキャラに明言させず視聴者に理解らせる作りで、自分たちがプロジェクトとして扱うこと、テーマとして選んだことへの繊細なアプローチが感じられる。
こういう良さが満ち溢れてるから、『俺やっぱこのアニメ好きだわ……』ってなるわけ。

 

んで、物語のクライマックスであり作品の総決算であるファイナルステージ&アンコールなんですけども。
最高に良かった。
やっぱ新体操シーンのアイデア溢れる魅せ方、生身の迫力をアニメで伝える演出の強さはこの作品最大の武器で、それが最後に暴れ倒して話が収まるのは、最高に気持ちがいい。
気負いに押しつぶされた全国大会では出なかった王者の証が、シロ校の火花とはまた違った水しぶきとして演技に宿ることで、今の彼らがたどり着いた境地をしっかり伝えてくれるのは、アニメらしい演出補助でした。

ここにいたるまでに、現役を引退したブランクがアスリートにどれだけ響くか、ちゃんと書いた上で迷わせ、助けさせ、乗り越えさせる描写があったことも、感慨を深めてくれる。
アニメのスポーツ表現ではなかなか扱わない所なので、意外だけど面白いモンみれたな……って部分だったね、あそこらへん。

あのステージはあらゆる意味でシロ校の助けなくては実現してない夢で、ライバル共闘の熱さも相まって、敗北を越えて立ち上がるに互いの手助けが必要不可欠で、連帯こそが翼なのだとしっかり描いてました。
地域共同体に見守られ、また見てもらうステージになったことで、学生レベルの友情で終わらず、もっと広く靭やかなものにアプローチできていたのも、とても良かった。
あと馬淵監督は男の中の男、大人の中の大人なので、歴史の教科書に乗って欲しい。

登場から最後まで、強キャラオーラを一切崩すことなく勝ちきったましろくんが僕は大好きなんですが、一年二人の悩みを凄く高い場所から、サラッと救い上げる展開も良かったです。強い推しが一生強いの最高。
受け取ったものは、離れた程度で消えない。
その言葉はその瞬間急に生えたわけではなく、ずっと最強の新体操選手が最強であるために、心におっ立ててきた大事な柱で。
それを実感させてましろくんの人生決めたのが美里くんで、そうして未来を切り開いてもらった恩を、あそこで返す形になってるのが、また良かったです。
ましろくんは謎めいた天才児で、底が見えないからこそアオ校が捕まったた迷いと過ちに、捕らわれることなく正解を掴み、勝ち続けられるキャラなんですけど。
そんな彼にも大事な誰かがいて、その温もりがあったからこそ強く正しくいられた。
あの白い天才児が答えを掴み続け勝ち続けたからこそ、翔太郎と美里くんは迷いを振り切って、飛び立っていく監督に伝えるべきものを演技で伝えられた。
そういう風に、輝きと優しさが連鎖して、それを分け与えた相手に帰ってくる展開が多かったのが、滅茶苦茶”バクテン!!”っぽかったです。

それは最後のステージ自体にも言えて、ずっと戦場に子供たちを送り出してきた監督の手は、あそこにはないわけです。
サプライズにするべく自分たちで決めて、迷って、苦しんで、お互いの手を叩きながら堂々飛び出していく舞台こそが、彼らの最後のステージになる。
頼れる大人に見守られる時間は全国大会で終わってしまっていて、自身子供な部分を残している志田監督は夢へと身勝手に巣立っていくし、それに傷つけられてなお逞しく飛びたつ教え子たちは、監督の手を借りなくても己が何者であるかを堂々表現できる存在へと、自分たちを鍛え上げた。
そのステージは勝負論が支配してきた今までの舞台(その総決算が全国大会だと思う)を越えて、二校協力して華々しく、ARや眩いサイリウムなども活用した新しい表現を、最後の最後に生み出していく。

勝つために練り上げられた表現だけが男子新体操の答えではなく、敵と味方が混じり合うからこそ描ける輝き、新たなテクノロジーが生み出す鮮烈を、自分たちの答えとして選び取り表現する。
それが自分も想像しない、教え子が自分の方を超えて高く高く見せてくれた未来の可能性だからこそ、志田周作は泣いた。
泣くことが出来た。
そう感じました。

ドラマの筋立てとして勝負論を越えた所にぶち上がっていくお話が、最後のステージ表現でも今まで描いていた地点を越えていく。
ただ新しくゴージャスであるというだけでなく、『男子新体操という表現は、ここまで行けるんじゃないか!』という希望と野心を込めた表現を形にできていたのは、とても説得力のあるフィナーレだと思います。
言いたいことを言葉以上に伝えれるのが、身体表現の強みだとしたら、あの無言のメッセージはそういう強さをアニメという表現の中、最大限発揮したわけだ。
この静謐で豊かな伝え方こそが、”男子新体操”というテーマを選び取った作品が捧げられる、最高の敬意であり成果だと思うのね。

 

志田監督の想像を教え子が超え、泣かせてくれたことで、彼の未来もより高く跳ぶ。
そうしてくれたことで、教え子たちも残念なく、新たな夢へと飛び立っていける。
離れたとしてもずっと一緒で、思い出も魂の炎も消えはしない。
様々な波風に揺れるこの場所を愛しく踏みしめながら、もっと高く、もっと遠い空へと、永遠を追い続ける。

そういう実感がしっかり湧き上がるクライマックスだったのは、これを一つの区切りとして彼らを見送る僕らにとって、とてもありがたい贈り物でした。
人間である以上気負いに潰され、苦境に悩み、思い込みに縛られ、衝動に焦がれる。
それでもなお、人が立ち上がってより高く、より豊かに舞うためには何が必要なのか。
真実強く、美しく、優しく生きるということはどんなことか。
男子新体操に夢を賭けた少年と元少年のドラマを通じて、非常に深く強いものを語りきってくれる映画で、大変良かったです。
まさに”バクテン!!”の映画で、求めたものを完璧に返され、それを遥かに上回る飛翔に魅せられました。
こういう終わり方で作品から巣立てるのは、本当に幸せなことだと思います。

ありがとうございました!