死んで、殺して、その程度では終わらず、絶望の光と希望の闇の狭間を進む物語、一つの決着。
アークナイツ黎明前奏、最終回である。
流石に第1期のフィナーレ、作画も演出も気合が入りまくり、過酷な大地で人々がそれぞれ進む道の険しさ、それに砕かれるものと再度立ち上がるしか無いものの群像を、しっかりと切り取ってきた。
手、瞳、明暗。
作品を描くにあたり重要視されていると感じてきたモチーフが幾重にも重なり、人がその掌で掴むもの、掴みそこねて滑り落ちるものと、それらが積み重なって生まれる光と闇が鮮明に突き刺さる。
対話を通じたり理性的で人道的で理想的な解決が、まどろっこしく間に合わない生き死にの現場において、武器を握ってしまった刃は否応なく、他人も自分も殺していく。
暴力の押収がたどり着くどん詰りを回避すべく、光明を掲げてロドスの頂点に立つはずの少女は、一番たどり着きたくなかった決着に幾度も踏みにじられ、それでも立ち上がる。
ミーシャとの決着の先に、まだ続いてしまうアーミヤの旅路。
第1話においてそこから漏れる光に導かれたドクターが、暗い墓所に満ちた絶望からアーミヤを引っ張り出し、傷を抱えたまま前へ進んでいく導き手となるラストシーンが、八話の物語が何を生み出したのか、微かな祈りを込めて美しかった。
冒頭、黒沢ともよ圧巻の息吹を込めて描かれる、何よりも雄弁な掌の芝居。
自分が摘み取った命と希望、踏みにじってしまったロドスの理念の重さにアーミヤの指は迷い、組織の長として、これまで必死に生きてきた一人間としての自分を鎧に固めるかのように、ギュッと拳を作る。
そうせざるを得なかったし、そうすることしか出来なかった決着は、この掌から放たれて、もはや戻らない。
別の可能性があったとしても、それにたどり着く運命も実力も”今、ここ”には常に足らなくて、理不尽に選ばされたものを強く握りしめたり、諦めて手放したりする。
数多の犠牲を生んだチェルノボーグのドクター奪還作戦を通じて、あるいはロドス代表として沢山の紛争を巡る中で、アーミヤはその小さな手のひらを広げて誰かの手を取り、こぼれ落ちるものの手触りを確かめ、それでも未来に向かって手を伸ばすことを諦めなかった。
その体験と決意が『私は間違っていない、負けてはいけない』と固める拳を、緩めるのはやはりドクターの声だ。
それがアーミヤを、頑なな理想の怪物に危うく踏み込む道のりから遠ざけ、終わらない問いに答えを探し続ける、長くて暗い道へ戻らせる。
極めて残酷で、尊い間柄の描写だと思う。
差し出されたドクターの手を取り、人としてあまりに正しい道に顔を上げて戻りかけたアーミヤは、Wがわざわざデリバリーしてきた(悪辣な顔作ってんのに、わざわざこういう事するから困るよねだぶち……)通信機を通して、ミーシャの絶望と再開する。
自分が奪ってしまったもの、取り返しつかず壊れてしまったものを目の当たりにして、その瞳は大きく見開かれ、再び声は震える。
アニメのアーミヤは、ゲームでの印象よりも年相応に柔らかく、もろく健気に描かれ続けたように思うが、それはヒロイン力を上げてお話を強く牽引させる目論見以上に、こうして運命の過酷さに震えて、へし折れそうになる当たり前の人間味を押し出す意図があったように思う。
暴力と復讐が永遠に連なる荒海に溺れず、理想を掲げ続けるロドスという方舟。
その象徴として鋼のように強く揺らがない少女が、正しさの鎧の奥に抱えている柔らかな生身。
同じく生きた人間であった……龍門での交流を経てそれを思い知り、一度は共にまばゆい光を見上げたミーシャが通信機越し、絞り出す絶望がその質感を、ずっしりと教える。
理性と対話を重視し、死なず殺さず病を治し全てがより良い方向に向かう夢を見続ける(見続けなければいけない)アーミヤの手は、すがるように通信機を握り続けている。
しかし向こう側に立つミーシャは愛する弟の死骸と、その素顔を隠す仮面に手を塞がれて、通信機を掴むことを諦めている。
万言を尽くしても伝わらず、殺し殺される業の中にしか怒りと悲しみを伝える手段を持ち得ない、感染者達の絶望。
よりにもよってロドス代表の手で断ち切られた弟の死が、ミーシャにその重たさを教え、アレックスが仮面をかぶり武器を取り”スカルシュレッダー”になった理由を、全てを引き裂く痛みとともに教えていく。
それでも、自分がこれから行うことは贖罪であり、世界の歪みと弱者の傷に向き合わなかった過去の精算であるとだけは、伝えておきたかった。
仮面に遮られてもはや泣けない弟に変わって、自分が流した涙がどこに行き着いて、その畢竟以外に答えなど無いのだと、その絶望を刻んでおきたかった。
それは一方的な通告……あるいは遺言であり、アーミヤがすがりたかった対話ではない。
友情も、希望も、愛も、輝いて見えるものが全て打ち砕かれてしまう残酷な世界で、アーミヤは対話のツールにすがりつき、ミーシャは弟の仮面を受け継いだ。
うさぎは痛みに耐えて続くことを選び、熊は耐えかねて終わることを望んだ。
ここから続く物語は、ここに描かれた対話未満のすれ違い……その約束された決着である。
今回のエピソードは、世界の過酷さに翻弄される少女たちに向き合う、二人の大人の存在感も一気に高める。
司会定かならぬ砂嵐は太陽の過酷さを和らげ、殺し合いへの小休止を生んでくれるが、いつか過酷な烈日が顔を出して、殺し合いでしか決着しない現実がむき出しになる。
チェンとホシグマはそこに向き合って、瞳を逸らすことはない。
龍門近衛局。
国に属さず、治安維持組織でもないロドスとは違う職責を背負い、違う鎖に縛られ、違う権益と理念を抱え込んだ組織の長として、チェンは絶望に震えるアーミヤに剣を突き立てる。
高みに立つ以上、個人としての弱さを表に出せば壊れてしまうものが、確かにあるのだと。
それは私人としてのアーミヤに寄り添い続ける、誰かを殺してでも守り続けなければいけない彼女の特別であるドクターには、示せない事実だ。
その苛烈な刃は、アーミヤの震える瞳を現実に向けさせ、一人間でありながらロドスという巨大組織のトップ、それが掲げる理念の体現でもある自分を思い出させる。
ちっぽけなうさぎが背負うには、あんまりに大きすぎるモノを抱え込んでいる辛さを同じ組織の長として理解しつつも、為すべきことを示す。
そんなチェンさんの言葉には、怜悧な使命感だけでは収まらない、割り切れない思いが段々とやどりだす。
一方死んだ弟の喪に溺れ続けるミーシャを、Wは光と闇の中間点で見据える。
部屋の奥に長く伸びている闇には悲しみ、過去、死……そこに逃避して停滞するある種の安楽がたゆたっていて、傭兵として戦場に立ち続けてきたWは、そこに隣接しつつ飲み込まれない道を……殺したり殺されたりする稼業を選んだ。
そこには死んでも死にきれない妄念が渦を巻き、命を賭けて戦える理由があり、どす黒い闇から魂を引っ張り出す、暴力的な希望が瞬いている。
それを引き継いで立ち上がる道は、すなわち殺し殺される道だ。
それ以外知らない……ってことにしているWには、そういうものしか示せない。
チェンが組織という、自分の外側に大きく広がるものとの繋がり、そこから生まれる責務でアーミヤの顔を上げさせたのに対し、Wはミーシャとアレックスの個人的なつながりが、”スカルシュレッダー”とレユニオン構成員にも敷衍している事実を突きつける。
弟が対話を拒絶した暴力の化身として、同じく傷ついた仲間の隣で仮面をかぶり戦い続けたことで、生まれてしまった希望と可能性。
その光に誘われて、人々は虫のように死んでいった。
同じく虫のように横たわる弟の遺骸を、価値なき物体ではなく意義ある物語として完結させるためには、弔いの祈りよりも鳴り響く砲声をこそ、世界に轟かせる。
Wはそういう道を選んで(選ぶしかなくて)傭兵になったし、ケラケラ笑いながらも暗い闇に弟とともに沈もうとしているミーシャに、光を差し出そうとはする。
その苛烈な炎が人間の命や魂や尊厳を燃やしていくとしても、世界は常にそういうものであったし、その只中で人に出来ることは、安らかな闇を振りちぎって苛烈な光に身を投げることだけだ。
そう信じた(信じざるを得なかった)からこそ、アレックスは”スカルシュレッダー”となり、レユニオンは仮面と武器を手に取った。
かくしてミーシャの、暗い暗い不帰の旅路が始まる。
かくして残酷な夕日が美しく照らす戦場で、あるものは殺さないことを選び、その他の圧倒的多数は当たり前に殺し合う。
龍門近衛局が踏みつけにし進むレユニオンの死体は、そのままチェンが選んだ(選ぶしかなかった)道を何が埋め尽くしているかを、雄弁に語る。
それはアーミヤが選ばなかった道であり、ここに進んだからこそ守れるものが確かにあって、しかし取りこぼすものも確かにある……はずだ。
顔なき骸を夕陽が照らす風景はそのまま、差別と暴力以外の解決法を見つけられないテラの現状でもあり、それを選ばないアーミヤの視線は未来へと、誰もが変えたいと願い変え得ない宿命に飲み込まれない道へと伸びている。
それが安楽ではありえない事実を、イヤってほど叩きつける全八話。
マジでアーミヤは辛い表情ばっかしてたな……。
練度と兵数の差で押し込まれる中、奇跡のように復活を果たした”スカルシュレッダー”は眩い光を……希望と生と未来を暴力的に背負って、起死回生の機運を呼び込む。
しかしそれが哀しい偽りでしか無いことは、震えながら銃把を握る細っこい手が良く語っていて、ミーシャは自分が生み出した熱狂を勝利のためではなく、損害の少ない敗北(”撤退”の別名)に生かそうとする。
イワンが親友奇跡の復活を受け取って、故郷へ帰る未来を語る場面があまりにも重い。
狂える暴力装置としてチェルノボーグを焼き尽くしたモノたちの、少なくともその一部には、仮面をかぶり武器を取ることでしか故郷と自分との分断を埋め、在り得るはずの幸福へ再統合(Reunion)する手立てがなかった、当たり前の人間がいる。
アレックスもその一人で、弟を失ったミーシャもその一人で、対話の装置より仮面と銃を手に取った者たちは、失われたものを他人の血と自分の命でしか、満たせなくなっていく。
自分たちが受けた痛みと悲しみを世界に跳ね返し、暴力を通じて自分の叫びを強制的に聞かせる道を選んだレユニオンの先に待つのは、故郷ではない。
ミーシャの末路は、それを良く語る。
烈日の復活劇に戦場がねじれ狂う中、アーミヤは一人仮面の奥の素顔を知る。
知ってしまう。
お互い相手の命を奪う武器を構え合い、それでも滲み出す思い出と情を交わし合いながら、少女たちは再び対峙する。
龍門で迷いの中手をつないで辿り着いた光は幻のように消え去って、お互いの手には全てを暴力的に断ち切る装置が、何かを守るために何かを殺す矛盾が宿っている。
それで眼の前の相手を殺しても、癒やされぬ悲しみは愛に癒着したまま疼き、けして消えぬまま精算と再統合を求めるということを、ミーシャは解っている。
これ以上無いほどに思い知らされたから、弟の仮面を被って”スカルシュレッダー”として戦場に立ち、彼を信じ弔い合戦に立ち上がった者たちを少しでも生かすべく、不格好な奇蹟を演じてみせた。
そんな仮面がズレながら張り付く土壇場で、少女たちの手は未練と殺意を宿して震える。
どうにかならないかと心底願い、どうにもならない現実を間に挟んで、決定的な終わりに……つまりは始まりに向かって進みだす前の、濃厚に張り詰めた空気。
そこに宿る吐息は熱く荒く、ミーシャは銃爪から指を外さず、アーミヤの黒い雷は力を失う。
”スカルシュレッダー”を殺した時の、声も届かず顔も見えない遠さではなく、思いを伝え合い仮面の奥の素顔も知っている近さの中で、誰かを殺しうるほどアーミヤは強くない。
そうして下ろした手が何を守れず、何が失われていくかを知っていても、アーミヤは殺せない。
ロドス代表が日々被っているほほえみの奥には、そういう震えがいつでも満ちている。
アニメはそんな、ゲームだと結構伝わりにくい部分にフォーカスして作ったんだなぁと、つくづく思わされる最終回だった。
アーミヤを殺させないために、ミーシャを人殺しにしないために、チェンは文字通り体当たりで剣をテロリストに突き刺し、凶行をせき止める。
近衛局の長として、都市国家の秩序と平穏を背負う人間として、チェンには為さなければならない責務がある。
それを果たす時、『ミーシャの保護』という題目は横にズラされ、龍門に迫った危機を跳ね除けうる同盟相手の命が最優先されていく。
おそらく押し寄せるチェルノボーグ難民への対処、スラム切り捨て政策と同じく、ウェイ長官からの司令として、いざという時何を選ぶかは指示されていたのだろう。
それを冷徹に、法と正義の機械のように飲み込んでいるわけではないことは、アーミヤに語りかけているようで自分に言い聞かしてもいる声の震えが、良く教えてくれる。
それでもなお、膝を折って人間としての感情を表に出すことも、それに従って剣を手放すことも、チェンは自分に許さない。
アーミヤは究極的決断を平和裏にまとめ得えなかった自分の手で、せめて”スカルシュレッダー”の仮面を外す。
アレックスをその手で殺した時は確認できなかった、ロドスと彼女が救うべき感染者の素顔を、親友の死に顔を、ちゃんとその目で確かめようと、自分の体を前に突き出す。
賢い少女だから、傷になることは重々承知であったと思う。
しかし確かに友情と希望に包まれていたはずの出会いが行き着いてしまったこの結末を、引き受けてなお足を止めることを自分に許さないアーミヤは、ミーシャの素顔を見つめて、仮面を置き去りにせず引き受ける。
祈りだけでは何も変わらないとしても、確かにミーシャも自分も、光の中朝を祈ったのだという事実を、忘れないために。
あまりにも気高く、あまりにも哀しい歩みは、まだまだ続いていく。
この惨劇は、物語全体の門出(Departure)でしかない。
大地に染み込んだ涙と血潮を照らして、夕陽はあくまで美しい。
Wもチェンもアーミヤも、そこに取り残されて自分の道を進んでいくしか無い。
祈りは呪いに、愛は憎しみに、光は闇に移り変わっていくしかない無情の大地を睨みつけながら、道化師は思いの外血の通ったつぶやきを、風に溶かしていく。
ニヒリズムに食われきった道化師と思いきや、相当な湿り気と情念を持っているWの面白さが最終話、強い描写力を背に受けて一気に盛り上がってきたのは、嬉しい不意打ちであった。
彼女の祈りがどんな形で、それがどう呪いとなって深く食い込み続けているかは、サイドストーリー”闇夜に生きる”を読もうッ!!
さて。
血を吐くように苛烈に、正義の為に殺し続け、守り続ける責務を吠えていた時には見えなかったチェンの顔は、アーミヤの道に……そのど真ん中でうずくまっている小さな女の子を見つめる時、しっかり描かれる。
近衛局のチェンは、こういう生き方しかできない。
それだけが貫けるものと守れるものが在り、それが正しいのだと信じることが、彼女が後ろに退かないための巨大な釘だ。
しかしそれは、ロドスとアーミヤが信じ続け、これからも信じるべき正しさを排斥しない。
Wが乾いた視線を向ける現実の残酷さに、かつて幾度も、そして今新たに対峙するアーミヤの甘っちょろい生き様を、チェンさんはどこか羨望の色を滲ませながら、不器用に寿ぐ。
それが弱く、脆く、儚い夢でしか無いことと、それでもなお夢であることかrが、チェンさんは視線をそらさない。
『必要な人殺し』を背負える現実主義者が、そんな風に眩いものが確かに自分の隣りにあるのだと思いながら生きていくことは、相当に大変で辛いことだろう。
それでも、目を背けさせない強さと眩しさが、アーミヤの逡巡と苦悩に……ミーシャとの在り得たかもしれない未来には、確かに宿っていた。
だから、この結末を越えてなお、自分の道を、そこに続いていく仲間を、諦めないで欲しい。
理想の押し付けというには、あまりに複雑な色合いで揺れている、自分の選んだ道からはみ出せない人間の、微かな祈りである。
その信頼と正しさに支えられて、この暗い闇から出て光の方へと、再び……そして新たに進み出るべきなのか。
戦いの残骸が、理不尽に終わりきったアレックスとミーシャの人生が眠るお墓を前に、アーミヤは死面を抱いて動けない。
ここでなにもかも失って物語に登場し、アーミヤに守られ導かれて新たな道に進みだしたドクターが、再び複雑な色彩の光に進み出す決定打となるのは、とても良い終わり方だと思った。
やっぱ第1話の、赤子のようなドクターを信じ続け守り続け、アニメ全体への信頼をググッと盛り上げてくれたアーミヤの姿は印象的で、それがこの暗い墓所の中朽ちようとしている時、彼女の光に救われ導かれた一人として、ドクターが手を差し出すのは良い。
現実はあまりに残酷に、甘い夢を断ち切って行く。
エクシアが彼女に似つかわしくない(そしておそらく、彼女の本質である)シリアスな思慮深さで見定めたように、独善的な希望にも、甘やかな絶望にも針を振り切れさせず、複雑に揺れ続ける人間性の天秤に乗っかって進んでいく歩みは、極めて踏破困難な人道である。
それがたどり着いてしまった終わりは、彼女が捨てれなかった仮面の重さが、嫌というほど教えてくれる。
それがすべての終わりなのだと、絶望して足を止めてしまったほうが、遥かに楽だろう。
しかしアーミヤの……彼女が先頭に立って導くロドスの歩みは、多大な犠牲を払ってドクターを助け出し、白紙の記憶に進むべき指標を定めた。
理性を失わず、荒れ狂う時代の波に舳先を向けて、多くの人を船に乗せていく旅路。
その先頭に立つアーミヤは、時に己の無力にうずくまり世界の残酷さに倒れ伏すとしても、確かにアーミヤの生き様は闇の中の光だった。
ミーシャも多分、龍門のスラムでそれを見たのだ。
かくして、二人は連れ立って旅立つ。
目の前には光と闇が入り交じる薄暮、子どもが二人死んだところでレユニオン事変は終わらず、乗り越えるべき難問は山と積まれている。
それでもアーミヤが自分に示してくれた道こそが己の道標なのだと、信頼に救われこの結末にたどり着いたドクターは、思いを手渡す。
それに縋って立ち上がり、アーミヤもまた荒野に進んでいく。
その先に何があるのか。
”冬隠帰路/PERISH IN FROST”で見れるのは、大変幸福なことだ。
というわけで、アークナイツアニメが終わりました。
大変良かったです。
僕は結構ヘヴィにゲームを遊んでいるユーザーなのですが、ゲームでは分かりにくかったアクションや感情の動き、それぞれの表情と声色がしっかり伝わってきて、既に知っているはずの物語に新たな息吹を吹き込んでくれました。
同時に今始めて”アニメ”として描かれる個別の物語としても、テラの大地に満ちた苦悩と残酷から一切目を背けず、複雑怪奇な色彩でうねり、数多の悲劇と微かな希望を生み出し続ける現状を、的確に切り取っていました。
八話のアニメーションとしてどうまとめるか、相当大変だったと思いますが、力を入れて描く部分をしっかり見定めて、ドクターがロドスに帰還し、アーミヤとともに進み、ミーシャと出逢ってこの結末にたどり着くお話として、見ごたえとまとまりがあったと思います。
僕はゲームを遊んでいる段階からアーミヤのことが相当好きだったのですが、極めて苛烈に彼女の生き様を試すミーシャとの物語の主役として、10代の少女としての柔らかな感性、感染者問題に向き合う不屈と優しさ、だからこそ流れる魂の血の色を、鮮烈に描きぬいてくれたのはとても良かったです。
ドクターもゲームだとなかなか実態が見えにくい影法師なんだけども、アーミヤの存在感を鏡にして上手いこと、なかなか面白い描線でキャラを立てていたと思います。
ゲームだとなかなか実感しにくいテラの諸相、都市と荒野に渦巻く色んな因縁と矛盾も、アニメだからこそ描ける筆でしっかり切り取られていて、そういう部分も良かったです。
何しろ長大重厚なお話なので、色々取りこぼすものもあったし、アニメ新規層には厳しい作りだったのかなー……などとも想像しますが、自分としてはこれまで抱いていた想像や愛着にしっかり答え、期待以上のものを返してくれる良い”アニメ化”だと思いましたv。
この結末の更に先に続いていく、冬の娘との魂の対話を、新たに積み重なる鮮烈な残酷を、アニメで見れるのは大変嬉しいです。
二期を楽しみに待ちつつ、今はお疲れ様とありがとうを。
良いアニメでした、楽しかったです!!