※22/12/23 マシュマロでのご指摘を受け追補
山を征きて諦め、帰りて再び挑みて降りる。
雪村あおいの登山行、総決算であり一つの頂であり、ただ超えて降りてまた進んでいく一つの山場、Next Summit最終回である。
大変良かった。
最後は前後編でどっしり、二度目の富士山挑戦を追いかける足取りに焦りはなく、あおいが身を置く山のリアルをしっかり追体験させてくれるような作りとなった。
所々に入り交じる青春の横道も眩しく、ネガティブで内向きな少女が山を歩くことで何を学び取ったか、山を降りて進む日常に何を学んだか、鮮明なエピソードとなった。
これだけの意気込みと労力をかけた歩みが、特別ながらあくまでこれからも登っていく山の一つでしかなく、山を降りてなお続く物語に軽やかなウィンクを飛ばしつつ、たしかにアニメ・ヤマノススメの総決算となっていたことが、とても嬉しい最終回だった。
というわけで規格外の絶景もこれでラスト、前回山景色を抑えてた分を一気に取り戻すかのような、圧倒的美術力の乱舞に心地よく溺れる。
いやー……こんだけ常時美術ぶっ飛び続けてると、いつか慣れて麻痺するかと思っていたけども全くそんなことはなく、最後の最後まで異様で驚異的な、週に一度の喜びであった。
今回はあおいが山登りという趣味を通じてどう変わり、何を与えられたかを語り切る回でもあるので、師であり挑むべき壁でもある自然がどれだけ大きく、多彩で、美しく楽しいものかを示してくれる美術の強さも、さらなる冴えを見せる。
こうして無言の背景が、主役が一歩ずつ踏みしめる物語を下支えしてくれることが、登って降りてまだ続く、しかし確かに節目でもあるこの富士登山の意味合いを、より強く深くしてくれる。
そういうドラマと連動した善さだけでなく、めっちゃシンプルに超すげぇ背景たくさん見れて、大変嬉しい回だった。
二度目の富士山行はその始まりから丁寧に、明るく楽しい場面も、暗く危うい瞬間も余すことなく、カメラに捉えていく。
画面の中心には楽しみつつもどこか不安げなあおいと、ずっとそれを見守り続けている日向が捉えられ、彼女たちを包む明暗は幾度も入れ替わる。
不穏な気配に囚われかけた時、あおいの顔を上げさせ雲を祓うのはひなたの声であり、それでも再び蘇ってくる暗がりへと、あおいの足取りはふらふら飲み込まれていく。
再度の高山病、二度目の撤退。
物語がずっしりと重さを増した時、あおいに寄り添うべくまっさきに声を上げるのも、やはりひなたである。
一度目の登山は経験者であるかえでさんが付き添ったポジションに、ひなたが率先して踏み込むのは、1gを切り詰め研ぎ澄ませていく登山者としての姿勢が、この一年でしっかり鍛えられた証拠だろう。
その途中で不安定に揺らいだ過程を、三期でしっかり見届けたからこそ、今回ひなたが見せる圧倒的な相棒感には、頼もしさ以上の感慨も宿る。
この子もまた、今あおいが身を置いている陰りの中でふらついて、あるいは惨めさに揺らいでいたあおいを半分支えて、山に立てる自分を作ってきた一人なのだ。
この富士登山はあおいの山登りであると同時に、ひなたの……そして同行するみんなの山登りでもある。
とは言うものの、この物語の大黒柱はやはりこの二人であり、物語が始まった時から強く結びついていた関係性をその最後に噛みしめるように、弱るあおいと支えるひなたの肖像が切り取られていく。
道のりに暗雲が立ち込めてきたあたりからBGMは消え、冴えに冴える音響が生々しい環境音をダイレクトに叩きつけ、山を登る臨場感をググッと高めていく。
標高3000m越えの風と冷気が、薄い酸素に痛む頭と湧き上がる不安が、見ているこちらにも伝わってくるような見せ方だ。
だからこそ、ずっと隣りにいてくれて、時によりかかり時に支え合った親友のありがたみも、親身に判る。
今回の山旅は分厚いモノローグを横に据えて、雪村あおいが山を登るリアリティ、その息吹をどっしりと追いかけていく、二期以降の演出哲学に立ち戻るような筆致を感じた。
それに惹かれ、魅せられてきた視聴者としては、最後にそういう筆を選んでくれたことが、懐かしくも嬉しい。
たしかにこのアニメは、こういう足取りで幾度も、山を登ってきた。
時に決意を瞳に宿し、確かな手付きで靴紐を結び。
時に共に進む仲間と、笑いながら先に進むための糧を分け合い。
二人はあの時進み、あるいは戻りたどり着けなかった頂を目指して、ゆっくり着実に歩を進めていく。
額には灯明が眩しく輝いて、追い越されても焦ることは、なにもない。
自分がここまで進んできたこと。
今は上手く進めないこと。
しかしそれでも、確かに一歩ずつ、頼れる誰かを隣において進んでいること。
その全部を、雪村あおいは噛み締めながら足を前に出していく。
そういう話として、この物語を積み上げてきた。
あおいの独白には、4シリーズの道のりが刻んできた足跡、そのものを絵筆に乗せて叩きつけるような、確かな重さがある。
それが決意と強さだけでなく、笑いと可愛さに最後まで包まれていることに、僕は嬉しさとありがたみを感じる。
確かに、そういうアニメだった。
払暁の前の、この世のものとは思えぬ薄紅い闇。
挑み登りきったものだけが立てる景色の中で、あおいの靴は砂に塗れている。
ここのアップが、僕はとても良かった。
ツルンと可愛らしい萌え萌え美少女が、しかし確かにその身体性を刻み込みながら……刻み込めるように精魂を込めて生まれたアニメーションだけが持ちうる、独特のリアリティ。
ご来光が切り開く景色の鮮明さと、その衝撃を下支えしているのはやはり、その質感であり……ようやくたどり着いた光の中、フードを外して微笑むあおいの、この笑顔の可愛さなのだろう。
運命の瞬間が訪れるまで、砂嵐を征く砂漠の民のように寡黙に溜め込んでいたものが、ほぐれ溢れていく。
そのカタルシスは必要十分に強く、その実感を必要以上に飾りすぎないように、見ている側に十分に届くように、とても丁寧に編まれていたように感じた。
あおいが一年間待ち焦がれていた景色であり、ただただ目の前の一歩とそれを進める自分に向き合った結果たどり着けた場所であり、僕らがとても見たかったもの。
その歩みに隣り合ってくれる者たちの、祝福と喜びに満ちた笑顔と合わせて、これが見れてよかったな、と思う。
みんなとても立派で、楽しそうで、綺麗で可愛い。
頂を越えてまだ山は続き、あおいの頭と足は痛む。
それでいいのだと噛み締めながら、人の多い夜道とはまた違った荒々しさと開放感で、日本最高峰への道のりは続いていく。
登って、降りて、また登って。
その繰り返しの中で時に挫けることも、弱く揺れる自分自身を思い知らされることもあった。
だからこそ、再び挑み苦痛の中でなお足を進める事もできた。
口を開けば、ネガティブで手前勝手なぐちばかり。
イイ性格してた卑屈な主人公だからこそ、この山を征くなかで心に去来するもの、山があおいに見せてくれたものの大きさは、景色に重なって豊かだ。
いやー……やっぱ狂ってんな美術……。
山行の終わりに、あおいは過去と未来の自分を幻視する。
たしかにここに来て、果たせず折り、その先で色んなものを見つけて持ち帰り、再度挑んだ自分。
ここから降りて大きな荷物を持ち帰り、またいつか登っていく自分。
雪村あおいの山登りは、その意義を教えてくれるものだった。(22/12/23追補)
登ったからこそまた出会えて、降りるからこそまた挑める。
その一瞬一瞬を、あおいはリベンジを果たした達成感よりも強く胸に噛み締めて、街へと帰っていく。
最終回でその瞬間が描かれるということは、このアニメはそういう作品であったのだと、墨痕あらたかに揮毫するようなものだ。
山に登って、良かったな。
そう思える自分に、雪村あおいが己を導くまでの、数多の出会いと喜びと、惨めさと薄暗い思いの中で導かれていくまでのアニメ。
”ヤマノススメ”は、そういう話だったのだろう。
とても良いアニメだ。
かくして、エピローグ。
原作ですら描かれていないここなちゃんの高校制服と、あおいたちの卒業証書……前回ED冒頭を飾った指で縁取る”ヤマ”のリフレインに『鋼くん……キミの描いたEDは本当に大したものだけども、監督として僕が、僕だけが描けるEDは”コレ”なんだ。僕だって”ヤマノススメ”なんだよ……』という、山本監督の声を幻聴する。
マジで声出たからね、”ヤマ”が襲いかかってきた時に……。
完全に”文脈”なんだよな、世界で一番”ヤマノススメ”な男たちが、お互いの魂を入れてかき鳴らした音符をそれぞれ引き受けて、豊かに展開していくアド・リブのラッシュ……。
『本編終わった後に、富士山登りきった後に続く道は”ここ”なんじゃいッ!!』という、監督という立場だけが許すオーバーランは、何かが終わりきってしまう寂しさをたしかに宿しながら、綺麗に”ヤマノススメ”をまとめ上げる。
いいアニメだったな、と思う。
コンテンツホルダーが変わり、変則的な総集編振り返りからスタートした四期は、連作短編独自のテンポ感、スタッフの個性を最大限活かしたバラエティ、ヤマに挑む以外の面白さを大事にした話運びで、たっぷり僕を楽しませてくれた。
色んな人と色んな場所に行き、色んな楽しさの中で再び山に挑むための力と心意気を育んでいく歩みが、ラスト2話、決戦の富士登山に結実していく。
しかし秋から冬、春へと移り変わっていくあおい達の歩みはそのための”準備”ではけしてなく、一歩ずつが確かに豊かで意義ある、個別の顔を持った思い出なのだと、しっかり描けていた。
日常の中に、あるいは様々な非日常の輝きに、その瞬間だけに宿る季節と山特有の色合いに、ちゃんと意味のあるアニメだったと、僕は思う。
そもそもNS自体がありえないほどの執念が生み出した奇跡であり、だからこそ異様な意気込みが形となり炸裂した、不可思議で愛しい作品だ。
コレ以上の奇跡を望むのは欲深というものだし、フィナーレとなる富士登山をもあくまで超えていくべき山の一つとして、ずっと続くあおいの歩みの確かさをしっかり刻んで描いてくれた最終回を見終わって、これ以上ない満足を感じてもいる。
ラストのストイックな筆致と、山登りを趣味に選んだ少女の到達点は、これ以上無いほどに”ヤマノススメ”で、ここで終わってもいい納得をしっかり宿した。
それでも、あおい達の歩みは止まらず進むと、エピローグは描いている。
一つの頂を越えて、街に戻って制服を着替えて、そしてまた山に登り新たに何かを手に入れて、また戻ってくる。
そういう物語を強く刻んだのなら、最後に描かれた言葉を僕も祈ろうと思う。
またいつか……この愛しい情景と少女たちに、出会わせてもらえる奇跡を。