イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ U-149:第7話『声を持たないのに語るもの、なに?』感想

 眩しい一番星を目指す少女たちの物語、第7話はほわほわお姫様候補の大変な一日。
 相変わらず難しい部分と良い部分が混在しており、無国籍料理屋……つうかなんでもアリの定食屋みたいな作風を噛み砕きつつ、結構楽しく見れた。
 小春ちゃんのほわーっとした雰囲気はとても好きだし、動物さんがたくさん出てきてお話の大事なところを背負うのは個人的なツボにビシッと入ったし、しかし起きてることは洒落になってない力が高いし、不思議な味わいだなとにかく……。
 やっぱ激ヤバ大人が子どもの顔一切覗き込まずに、ガチガチに思考停止して仕事に飲み込まれている様子がないと、全然食べやすいとは思った。
 あと実は母と子の話で、それをあんまり大声で叫ばない所が上品で良かったかな。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第7話より引用

 僕はアニメの中に描かれる動物がとても好きなので、まずその話をすると。
 小春ちゃんの大事なお友達であり守護騎士でもあるヒョウくんが、可愛げ満載でたくさん出番あったのがまず良かった。
 何かと冷遇されがちな爬虫類だけども、第3芸能課の子たち……のみならずステージに上った少年も、それが何より一つの命であることに驚き少し怯えながら、慎重に抱き方を教わって触っていたのが、とても良い。
 小さい命を前にした時、下手に触ったら危害を加えてしまうのではないかと慎重になるのはとても大事だと思うし、そういう手触りがヒョウくんの触り方、抱き潰さないようにとっさに頑張る小春ちゃんから感じられたのは、結構嬉しい描写だ。

 一般ウケの良いモフモフ哺乳類だけでなく、蝶だの鳥だの色んな動物が画面を横切って、小春ちゃんが生物そのものが好きなのだと伝えてくれたのは、彼女が受けたオファーが動物関係であるのとも繋がっていた。
 好きが個性となり武器になっていくのがアイドルだとしたら、小春ちゃんの動物への興味と愛情は彼女が”仕事”していく大事な手がかりになるべきで、実際そういう方向で仕事自体は見事にこなし、その後悪運が重なって最悪風味な事件が起こっていく。
 ここのランダムに物語の舵取りまかせっぷりは第3話を思い出し、『オイオイ欠片も洒落になってねーだろ』感をシャレで済まされてる手応えも相変わらずザラつくけども、そこに至るまでの前景は結構良かったと思う。

 

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第6話より引用

 今回のお話はお姫様を夢見つつ、お姫様にはなれていないと自分を抑え込んでいる小春ちゃんが、試練と夢を通じてあるべきアイドル像を掴む成長譚でもある。
 お姫様が大好きだからこそ、小春ちゃんが目指す理想像は高く、アイドルとしての初仕事で見えた景色はその憧れに、彼女を近づけていく。
 同時に彼女は『え、12歳? ……やっぱデレの表記年齢は信用ならねぇな……』と思わされるほわほわっぷりは色々心配でもあり、夢に踊り星に願うファンシーなあり方は、第5話・第6話にあったゴリッと生っぽく、だからこそ手応えのある変化と成長の手付きから、大きく味を変えている。
 俺はファンシーで幻想的な話が結構好きなので、プロデューサーよりヒョウくんの方が主役の成長に寄与している構成もまぁまぁ飲めるし、なによりヒョウくんはダンディーなイグアナなので格好良くて嬉しいけども。
 しかしまぁ、全体的に夢っぽい。

 しかしその夢こそが小春ちゃんの現状であり、彼女が大事にしたい/大事にしてもらいたい”らしさ”なのだとしたら、それを現実のハンマーで乱雑にぶっ壊して成長を押し付けるよりも、彼女なりの足取りでちょっとずつ前に出ていく道が適切だし、良いなとも感じる。
 迷子の自分を見つけてもらうためのアンカーであり、気づけば騎士様なしでは何も出来なくなっていた依存体質を、ヒョウくんはお姫様の側から離れることで優しく荒療治していく。
 ガボゼに一人取り残され号泣する小春ちゃんを見ていると、微笑ましい幼さと思うより、必要な試練と飲み込むよりも『いやマジ……必要な手立てを取ってからウッカリぶち込んでくださいよ、第3芸能課唯一の保護者さん……』と、思わざるを得ないのだが。
 毎回橘さんにプンプン可愛く説教させれば、ヤバさが薄まるってわけでも無いと俺は思うよ……。
 まーた子どもに許してもらうんかこの人はッ!!!!

 夢っぽい……というより実際夢な動物さんまみれの問いかけ&覚醒シーンは、彼女が世界をどう認識しているのかかなりダイレクトに伝えてきて、結構好きである。
 俺が色んな禽獣が聖者に寄り集まってくる、釈尊入滅図みたいな絵面に死ぬほど弱いっていうのもあるけどさ……。
 彼女にとって動物は思わず追いかけてしまうほど魅力的なもので、第3芸能課の友達たちは動物に対等に擬せられ、泣きじゃくる彼女を優しく包み、小さなヒョウくんこそがどんなアイドルになりたいのか、作品にとっても小春ちゃんにとっても重要な問いかけを投げかけてくる。
 それが表記年齢に不相応であろうと、現実から遊離した危うさを秘めていても、そういう世界を小春ちゃんは今見ていて、そこから力を受け取って、お姫様になろうとする自分を肯定して、かつての自分によくニた少女の手を撮る。
 歌を歌い、笑顔を取り戻させる。
 やっぱそういう一歩にたどり着けることは良いことだし、そこに行き着くまでの歩みが小春ちゃんだけのファンタジーを殺すのではなくて、豊かに活かす方向で話が転がっていくのは、”生き物”が大好きな彼女らしい運びだったかな、と思った。

 

 

画像は”アイドルマスターシンデレラガールズ U-149”第7話より引用

 彼女が憧れ追いかけ相応しくないと自分を押さえつけ、現実の仕事と雨中の夢に勇気づけられ堂々目指すのだと宣言できた”お姫様”は、一体誰なのか。
 これを物語は明言しないのだけども、状況証拠をつなぎ合わせるとほわほわな娘を心配して緑色のナイトを側においてくれた母こそが、ガラスの靴を履いた彼女のシンデレラであったことが分かってくる。
 小春ちゃんは現実と幻想の境界線があいまいな人で、僕はそれはとても豊かな、彼女だけの善さだと思うのだけども、現実につなぎとめるのは極めて大変である。

 そんな彼女に『大人になりなさい!』とがなり立てるのではなく、手を繋ぎ歌を歌って、星にかけた願いを全部叶えてくれる信愛の具象として、夢を守りながら育んでくれた母こそが、小春ちゃんの夢だ。
 アイドルのお仕事を頑張ると何が出来るのか、ステージから見た素敵な景色はキラキラな未来だけではなく、雪の中確かに愛されていた思い出にも繋がっていて、それに夢の中出会い直すことで、思い出すことで、小春ちゃんは自分だけの答えにたどり着く。
 その歩みを導いたのが、母が贈ってくれた緑の騎士様だったのは、俺は凄く良いファンタジーだと思うのよね。

 自分と同じ年頃の子ども達が、自分が大好きなヒョウくんに似た人形を持ってる景色を見て小春ちゃんが嬉しそうなのが、俺はとても好きで。
 帰り道夕日の中手を差し伸べた女の子にかつての自分を見たように、小春ちゃん(にかぎらず、第3芸能課の子たちはその傾向が強いけど)は自分とよく似たものを目の前の誰かに見つけて、凄く純朴に、無防備に共鳴できる強さがある。(からこそ、そういう柔らかな感性が殺されないように、プロデューサーは死ぬ思いで事前に事件を防ぐ気概を見せて欲しい気持ちがある。偶然を利してハプニングを起こさないと、話がまったり転がりすぎるという判断もあるんだろうけども、ホント怖いよアンタ……)
 その源泉が優しく愛されてきた母との記憶にあり、あの時手渡されたものをもっと広く、強く、優しく歌い上げるために古賀小春は”アイドル”やるのだという答えは、やっぱ良いなと思う。
 

 

 という感じの、動物さんとお姫様とお星さま満載、ファンシーな大冒険でした。
 小春ちゃんがどんな子なのか、教えてもらいつつ好きになるエピソードとしては非常に好きだし良いんだが、その変化にプロデューサーがほとんど噛めていない手応えのなさは、正直やっぱ気になる。
 ずーっとそういう奴……ってわけでもなくて、話数ごと頼りがいが1D6でランダム判定されており、プロデューサーを作品内に置くことで何を描きたいのか、イマイチ得心出来るタイミングが薄いのは、なかなか難しい。
 ここら辺僕が、グバっと太い芯でまず殴りつけて欲しいという、創作マゾ野郎なのが大いに影響しているとは思う。
 お前が何をやりたいのか、デカ目の声で耳元まず叫んでくれ!! と思ってしまうが、作品としては十分吠えていて、僕の耳が塞がってるだけなのかもしんない。
 そこら辺を探り探り、自分なりの張り付き方を探しながらの視聴はまだまだ続くが、なんだかんだ見たいものを見れる瞬間も多々あるので、次回も楽しみである。