イマワノキワ

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ヴィンランド・サガ SEASON2:第19話『ケティル農場の戦い』感想

 遂に戦端が開かれ、麦穂を狩るが如く有象無象の命が摘まれていく。
 国家中枢が保持する暴力装置の、機械めいた圧倒的な整然が、実力によって意思を通す現場の空気を教えていく。
 代価は地を満たすほどの赤……ヴィンサガアニメ二期、第19話である。

 身を焦がす怒りに押し流されるもの、冷静に戦力を見定めなお進むもの、がら空きの背後を狙うもの。
 戦に赴くそれぞれの表情を切り取りつつ、その外れでひっそり死につつある女の夢が終わろうとしている。
 命を育むにはあまりに過酷すぎる現世から、ようやく開放されようとしているアルネイズが恩人達を見る時、大きな鹿と小さな狼が幻視に浮かぶ。
 三匹目の獣……鮫頭の兜で命の刈り取りを見つめるクヌートも、この世を暗い森と見定めなお足掻くのを止めれないから、ケティル農園を我が手に求める。
 土と鍬、血と剣の交わる先に、いかなる決着が待つのか。
 解るのは、まだまだ人が死ぬ……ということだけだ。

 

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第19話より引用

 開戦を前に、火と灯りの描き方がそこに集う人の顔を様々に照らしていく。
 アルネイズに振り下ろした”鉄拳”の勢いそのままに、素人兵士の士気を上げていくケティル陣営を照らすのは、燃え盛る松明の赤い炎だ。
 その外れ、かつて差し伸べられた手を跳ね除けたときとは異なる顔で、レイフとの再会を受け入れるトルフィンを、暖かな灯火が見守っている。
 そして嵐の予兆を孕み帆を広げる王の軍勢には、狂熱も温もりもない。
 職業として、機能として暴力を最適に行使/制御できるからこそ強いプロの兵士たちは、殺しという非日常を受け入れるために何かを燃やす必要がない。
 息をするように殺し、瞬きするように殺す。
 それが可能だから、王は国権の最高権力として堂々君臨し、版図を広げるコストに悩まされて、豊かな土地を接収せんと企む。

 かつて自分たちが売る暴力の値段、死の重さをトルフィンに語っていた”客人”は、ケティルに乗せられ意気込む兵団の吠え声を、空鉄砲と正しく見切る。
 畑を耕し糧を得る人間の当たり前から切り離されて、一日中武芸を磨き死を思う、戦士の究極系。
 実力差に加え、目の前で人が死ぬこと、自分が人を殺すことに慣れきって維持される堅牢な士気は、暴力的衝突でも揺らぐことがない。
 ここが崩れれば戦争が終わることを良く知っているから、”蛇”は壊滅を正しく予期するのだろう。
 勝利に必要なのは一瞬燃え盛る炎ではなく、晴れ渡った空のような静けさと、荒れ狂う海のような逞しさ。
 そしてその両方に、トルフィン達が小さく灯す暖かな光は居場所がない。

 

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第19話より引用

 歯をむき出しに獣めいた、おなじみ”ヴァイキング”の顔をしているケティルが、ろくでもないペテン野郎だと、俺はもう知っていた。
 そう呟く”蛇”は確実な死を前に特に揺らぐこともなく、戦備えを静かに整えていく。
 ぽけーっと気のいい旦那顔が、過酷な運命とそれに殺されぬ為燃え上がらせた怒りに染まって、血を求める修羅を演じている滑稽さと、それでも笑い飛ばせぬ日々の蓄積。
 のどかな農場の暴力装置として、鍬も握らず生きてきた意味を”蛇”はしっかり理解していて、戦に滾ることも勝利を夢見ることもないまま、ただただ自分が為すべきと定めた戦いに、己を運んでいく。
 その平然は”客人”の頭として立派なふるまいで、生きることだけに汲々とする人面獣心の怪物に落ちないために、部下たちもまた死地に進んでいく。
 ケティルの狂熱、クヌートの冷徹がそれぞれ、彼らが率いる集団に伝染していることを考えると、リーダーの立ち姿こそが集団の表情を決めるのだろう。

 そういう”蒸れる動物”から遠く離れ、350からの人命を不意打ちの種まきと笑い飛ばせる、圧倒的な”個”。
 トールギルの凶暴な笑みは、彼の父が湧き上がらせている威勢の良さとは大きく違った野獣の賢さを、確かに秘めている。
 生きるも死ぬもどうでも良く、所属する集団の存続も、そこでの立場も投げ売って、ノルド戦士の理想に向かって真っ直ぐ突き進む。
 トルケルと同じく、王権が強大な秩序として世界を平らげていく時代に適応できない、古い獣の生き様は、果たして新時代を担う若き王の背中を刺すのか。
 敗勢の濃い戦況で、この奇策こそが唯一の勝ち筋なのも、また間違いないだろう。

 

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第19話より引用

 空は不吉な内乱の灰色に染められ、戦端が開かれようとする。
 衣装、姿勢、武装、隊列。
 ヨーム戦士団の整然と、農場側の乱雑はあまりに分かりやすく対比され、より強く統一され、鍛錬され、特化された強さが、不揃いな戦意を刈り取っていく未来を明示している。
 集団を一つにまとめあげ、その意志を明瞭にする。
 ヒトが群れる動物であるが故に手に入れた強さを、戦士団はその伝統と鍛錬、暴力組織としての毛並みの良さで鍛え抜いている。
 人を殺すことを存在意義にしているものと、誰かから借り受けた土地を耕して日々を生きるものでは、社会によって立つ足場がそもそも異なっており、このプライドが一糸乱れぬ前進を、情け容赦のない刈り取りを可能にする。
 放っておけば麻の如く乱れる世を憂い、血染めの平和を鍛造することを選んだクヌートの意思……それにすり寄らんとするフローキの策謀が、複雑な政治力学を経て突き出す槍の穂先。
 縦に刻まれた戦鬼の単眼は、無慈悲に冷静に狩るべき実りを見据え続けている。

 

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第19話より引用

 そんな血の畑の端っこ、葬列めいた荷馬車の上でアルネイズは、末期を夢見る。
 かつて夫も狂乱と惨劇の果て、微かに安らいで終わっていった、救いとしての死。
 そこではかつて奪われた我が子も、生まれることがなかった我が子もその手に宿り、夫も惨めな血まみれの奴隷ではなく、誇り高く優しい騎士としての表情を取り戻している。
 やったこと、お互いの境遇を思えば当然であるのだが、”老い”にせっつかれる形で嫉妬と狂気に焼かれたケティルではなく、若く美しいままのガルザルを夫と選んでいるのが、なかなかシビアで残酷だなぁと思う。
 まぁ、ケティルさんがまだしんでいないので、”お迎え”としては不適切だって話かも知んないけど。

 アルネイズは幸せな夢に終わっていく前に、暗い森で未だ生きる二匹の獣を見る。
 矮躯の肉食獣が戦場で育ったトルフィンであり、巨躯の草食獣が生粋の農夫であるエイナルなのは、見ての通りだ。
 たとえ自分の命が暴力と血にまみれて終わるとしても、お別れと礼を言いたい気持ちこそが、人と獣を分け隔てるのだとしたら。
 『生きてて、良いことなんにもなかったよ』と残されるものに思わせない心が、荒野を微かに灯す灯火ならば。
 一方的で圧倒的な殺戮は、殺す側が獣である証なのだろうか?
 アルネイズが今際の際に見た光は、人間のあるべき真実なのか、あまりに悲惨な物語最後の慰みなのか?
 答えは、物語を見届ける僕らが出すべきなのだろう。

 

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第19話より引用

 命の刈り手として極めて優秀な戦士団が、麦も刈る半端な戦士たちを虐殺していく様子はなかなかに皮肉であるけども、その頭目は四つ目の異形に慈悲を殺して、冷酷に戦場を睨む。
 配下の戦士たちも同じく、兜の陰りに表情を隠し、人間らしい動揺など戦の荷物と、冷静に投げ捨てている。
 『本当はやりたくないけど、しかたがないから殺している』などという言い訳を貼り付けるほど、北海帝国初代皇帝は軟弱ではなく、そもそもそんな逃げ道を用意していれば、父も兄も殺せはしないだろう。
 海を征く血みどろの鮫として、非情なる暗い森を進む三匹目の獣は、誰よりも愛を求めたがゆえに武器を取り、人をまとめ、命を狩る道を選んだ。
 この整然とした殺戮は、人が人であるからこそ可能な効率を宿す、もう一つの獣との境界線のような気がする。

 一瞬の気分で、湧き上がる怒りと自己保存本能で、こんなに精妙な戦争芸術は生まれない。
 集団としての意思、国家という機構を束ね操るからこそ、その主に相応しい武力と残酷を示せばこそ、楽土建造の道は死体で舗装されていく。
 愛する人を奪われ、今若造に己の存在意義を否定されかけているケティルが、示し得なかった頭目としての器。
 クヌートは道に迷う少年時代から、覇王として獣相の兜で表情を隠す今まで、個人の感情にまかせた殺しなどしないだろう。
 冷たい血を宿した北海の鮫として、二匹の獣が進まぬ道をただただ、突き進んでいく。

 

 

画像は”ヴィンランド・サガ SEASON2”第19話より引用

 その素っ首を背後から掻っ切る契機を、数多の雑兵を贄に生み出す知略と、剣を背負って海を泳ぎ切る難行を果たすからこそ、トールギルは”ヴァイキング”でもある。
 尋常な人間……それにしかなり得なかったオルマルが、魂の奥底から絞り出すように置いてけぼりの喘鳴を嘆く浜辺から、遥か遠い場所で兄は笑う。
 それは英雄なる者の素顔であり、殺戮という異常をこそ日常とし、四六時中人殺しの術を考え続けるよりもさらに研ぎ澄まされた、異形の殺戮獣の顔だ。
 国を守り、人を生かす偉人と崇め奉られた者たちがだいたいこういう顔をするからこそ、戦場に倫理あれかしと祈って、色んな物語が編まれたんだろうな。
 それは現実の刃に断ち切られる、無常な幻でしかない。
 それでもそれが現実を凌駕しうるのだと、誰よりもだいそれた望みを抱いたからこそ、クヌートは農場を今血に染めている。

 出口なし。
 それがどうした。
 トールギルは獰猛に、満足げに笑う。
 収穫のときは、まさに今この時だ。
 良い顔してんなぁ……。

 

 人が獣でしかないからこそ、人であるからこその有様が、いろんな場所に刻まれる開戦でした。
 なんともやりきれないものと、微かに灯火と思えるものが交雑しながら、戦場のリアリティは色んな物を飲み込んでいく。
 その大波をひっかぶって、皆がどこにたどり着くのか。
 去る者、取り残される者。
 物語はまだ続く。
 次回も楽しみです。