赤子の故郷はしっちゃかめっちゃかだが、それはさておき日々は続く!
背中にずっしり重荷が食い込んだ系プリキュア、うってかわってガッツリ日常エピが続くひろスカ第17話である。
畑野SDの繊細かつ大胆な表現力がコンテと演出に生きて、とても丁寧にましろちゃんの奮戦、それに寄り添う人たちの想いが体育祭に弾ける回となった。
特にソラ・ハレワタールがどんな風に虹ヶ丘ましろを見つめているか、そうして見つめられることで虹ヶ丘ましろがどう変わっていくかが、リレーというフィジカルなテーマを大事に描く筆致と上手く噛み合って、確かな手応えが宿っていた。
未就学児童に”リレー”という競技を丁寧に教える下りとか、ソラちゃんが思いの外トレーナーとして理論的かつ的確だったりとか、最初は腕が横に広がる”女の子走り”だったましろちゃんが鍛錬の末、上体の使い方を覚えてランナーの姿勢になってたりとか。
”走る”ってことをすごく丁寧に扱ったことが、それに挑むことで新しい己を知っていくましろちゃんの痛みや悔しさ、マイナスだけでは終わらない喜びや楽しさをしっかり支えていて、スポーツの物語として凄く良い書き方でした。
後にバッタモンダーが『強者が弱者に力を見せつけるイベント』と蔑した体育祭だけども、確かに超絶フィジカルエリートのソラちゃんと、運動苦手と自認するソラちゃんの間には力量の差がある。
そんな苦手を歯牙にもかけず……ってわけでもなく、半分以上は相性バッチリのバトンパスで勝つためにパートナーを選んだソラちゃんは、共に走り目の前で転びそれでも立ち上がってバトンを受けるましろを、その後栄光とは程遠い暗い場所で涙するましろを見ることで、強さに恵まれている自分がなかなか想像しにくかった場所へ踏み込んでいく。
ただただ、友達と走りたかった。
年相応にピュアな思いを残り半分に込め、ましろをパートナーに選んだ自分の選択は、相手の心をちゃんと見ない身勝手だったのではないか。
強いということは、自分が考えているより危ういのではないか。
そんな事を、ソラ・ハレワタールは走り終わった後に見つめることになる。
ここでましろちゃんは弱者なりの、苦手に挑んだからこその強さをググっと表に出して、練習の成果を出せなかった走りに、皆の前でころんだ痛みに、それでも足を止めない心根の強さを示す。
それはソラちゃんが自分の手を引いて、苦手だと思っていた場所に引っ張り出してくれなきゃ解らなかった、新しい自分だ。
自分からはなかなか超えられない壁を、ひょいと乗り越えて新しい景色を、新しい自分を教えてくれる。
そういう特別なありがたさが親友という存在にはあって、今回はそれがお互いを照らす様子が、大変に眩しい。
誰かをケアしたりサポートするのが得意で、万事控えめなましろちゃんが”女らしく”描かれているのは間違いないが、しかしそれが彼女の全てではない。
今回友達と一緒に走る中で、転ぶ中で見つけた新しい自分と、ましろちゃんは仲良く手を繋いでもっと広くて眩しい場所へ、自分を押し出していくだろう。
新たな自分と繋いだ反対の手は、大事な誰かの手を掴んで一緒に新しい場所へ、今回ソラちゃんが思いもよらずましろちゃんを引っ張り出したように、連れ出してもくれる。
そういう風に繋がりの中お互いを相照らして、そこに新しい自画像を見つけていく歩みこそ、人間が前に進んでいく軌跡になるのだろう。
今回失敗を糧にできる豊かな体験が生まれたのは、無論虹ヶ丘ましろのタフな人格も大きいが、ソラちゃんが導き手として、感情の受け手としてすごく優秀だったのがデカいと思う。
アドバイスするときも凄く丁寧に言葉を選ぶし、出来るようになったことは心から褒めちぎるし、愛する女の涙を前にして自分を貫いた反省を、真正面から誠実に叩きつけるし、とにかく人間と人間が向き合うときに必要な背筋が、しっかり伸びている。
”指導”という、否応なく上下を含んでしまう関係が過剰に重たくなりすぎないように、語りかける前にまず微笑んでから始めてるの、無自覚ながら”強さ”が持ってる暴力性にどう手綱をつけるか、考えながら生きてんだなー、と思った。
こういう柔らかさはましろちゃんをお手本に、地球にたどり着いてからより磨かれた良さだとも思うので、お互い様のありがたさ、今後も友情の二人三脚でガコガコ、いい場所へと突き進んでいって欲しい。
あとまー、画面の隙間を徹底的にごきげんエルちゃんが埋め尽くしていて、あげはさんが一生あの子が楽しく過ごせるようにずっと側にいてくれていて、最高中の最高でした。
タイトル明けの興奮しまくりエルちゃんが、ジュース倒さないようにちょっと遠くに置いてる描写とか、今回とにかく細やかに彼女たちを取り囲む環境、暮らしの匂いが作画されていたと思う。
ラストの爆エモ夕日シーンで、ずーっとエルちゃんを見てくれてたあげはさんに変わってツバサくんとキャッキャしてるのも、子を見守るという役割を一人に押し付けてない味わいになってて良い。
エルちゃんが自分の足で立つまでの物語を、丁寧に積み上げたからこそ今回”走る”というテーマが生きた感じもあるので、ロングスパンで造った良さだなー。
ヨヨさんがましろちゃんのことを、『歩きはじめた赤ちゃん』と評するのが、俺は凄く好きだ。
すごい力を発揮できるプリキュアに変身し悪い連中と戦っていても、あの子らまだまだ弱っちいガキで。
弱っちいからこそおっかなびっくり、新しいことに興味津々滑り出せる足取りってのもあって、それは背丈が伸びて分別が付き、自分と世界が解ってきた頃合いにも変わりがない。
『自分はこういう人間だ』という見切りは時に枷や目隠しになって、自分の中に秘められていた可能性に蓋をしてしまう時があるけど、それこそ『何でも出来る、何にもなれる』柔らかな未来は、赤子だけの専売品ではない。
というか、そうあってはならないのだろう。
少しは自分で自分の面倒を見れる赤ん坊として、未知の大地をおずおずと歩く。
そのためには怯える手を引いてくれる誰かの助けと、もし倒れても立ち上がれる強さと、一心不乱に為すべきことへ向き合える心がいる。
そしてそれは、虹ヶ丘ましろにずっと備わってきたものだ。
そういう靭やかな優しさがない子は、誰かを守る力を求めてプリキュアとなり、過酷な戦いに身を投じたりはしないのだ。
超常的な物語の進行が先んじて証明していたものが、『体育祭のリレー』というありふれた日常の中で、とてもドラマティックな手応えを持って展開していくのが、凄く豊かに”プリキュア”だった感じもあるね。
つーわけで、お姫様然とした純白ヒロインが秘めていた闘志が、颯爽女騎士の心を打ち抜くエピソードでした。
こういう爽やかで熱い物語が日常の中に映えると、どんどんお互いを特別に思い、それが独占の鎖で二人を縛るのではなく、むしろもっと広く豊かな場所へ羽ばたかせていく話運びに、メチャクチャ納得できるのでありがたい。
お互いに手を惹かれ、その横顔に新しい発見を反射させながら突き進む青春の眩さは、ブッチギリに特別だ。
ころんだ痛みすらも青春の勲章に出来る、私の強さとあなたの優しさ。
この濁りのない色合いと真っ直ぐな姿勢……やっぱ俺、プリキュア好きだわ。
あ、バッタモンダーは余裕ある時の偽善者っツラと、負けた後の余裕の無さがいい塩梅に生っぽくヒネてて、良いコク出てきました。
あいつ表面余裕打ってるわりに芯がジメジメ陰湿で、異常にスネてひねくれた人格があんま彫られてないこの段階から臭っているので、今後ガッツリカメラ回ってきたとき何が見えるか、今から楽しみだったりします。
カバトンの活かし方がかなーり良かったので、バッタモンダーも美味しい使い方してほしいもんだ。
そして次回はついに! キュアバタフライ爆誕ッ
放送開始より約四ヶ月、前代未聞のタメっぷりで新成人プリキュアのお目見えとなりそうですが、あげは姐さんの”人”への信頼はもうゲージマックスだからな……。
どんなドラマに後押しされて、眩き蝶がその羽根を広げるのか。
次回も大変楽しみです。
追記 『きれいは汚い、汚いはきれい』 シェークスピア”マクベス”
ひろプリ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年5月30日
ましろちゃんはあんだけ練習したのに本番で転んだし恥もかいたが、それでも(あるいはだからこそ)タイトルには『最高のバトン、本気のリレー』と入っている。
ソラちゃんが勝ってくれた事実が彼女の涙を止めないコト含め、ここら辺がひろプリの価値観なんだと思う。
カバトンの強者マウント、バッタモンダーの偽装された哀れみを鏡にして、挑む過程や弱い強さの意味を削り出していくのは、そういう柔らかくしなやかなモノを置き去りに進んでいく時流に、少しでも爪を立てて、この流れの中で生きていくしか無い世代に何がしか突き刺すためなのかなと、少し思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2023年5月30日