まさかの時の月島エルフ裁判~ッ!
高麗ちゃんの暇つぶしにつきあわされる形で展開する、長耳神社ののどかな午後を描く、江戸前エルフアニメ第11話である。
次回最終話はしばらくぶりの祭りで賑々しく終わるとして、なんてことない神社の日常としては多分ラスト……いつもの大変ちょうどいい食感でサクサクと楽しめた。
いつもの大江戸豆知識に加え、”かまいたちの夜”や”シムシティ”をパロったレゲーネタ、やや濃い目のガンダムネタをいい具合にクドく使って、騒がしくも楽しく繰り返される日々のサンプルを、最後に僕らに手渡してくれる回だった。
やっぱなぁ……エルフが氏神として実在している世界が毎日楽しく、少しの切なさを混ぜた手触りを宿して、僕らが『こう過ごしたいなぁ……』と思える幸福に満ちた”普通”なのが、このアニメのとても良いところだと思う。
それは当たり前に見えてありえんくらいに特別で、永遠に繰り返されるようでいて一瞬で、大概の人が見過ごすその愛しい矛盾に強くフォーカスしながら、力むことなく日々をスケッチしてきた、このお話。
大団円の大祭に向けて、丁寧に滑走路を整える仕事もバッチリで、気持ちよくありがとうとお疲れ様を言えそうです。
一足早いけど言っておくと、本当に良いアニメ、良いアニメ化だったな……。
というわけでAパートはSD多めありがたいッ!
暇人JKの探偵ごっこに御神体と巫女、地域の大人が巻き込まれるお話である。
エルダの力んでるのに気が抜けてる、最高のクソオタク喋りが本当に好きなので、最後の日常回でたっぷりと味わえて大変ありがたかった。
高麗ちゃんを間にはさみ、エルダと小糸は今日も沸点低めにイチャイチャ日々を過ごしていて、『これからもずーっと、これが続くんだろうな……』と、幸福な安心感に包まれる。
宝物を壊したとしてもギャーギャー騒ぎ立てることなく、トンチキ神様のお世話役が引き起こした小さなアクシデントとして、笑って過ごして楽しく終わる。
血圧低くローテンション……というにはあんまりに、皆が過ごしている時間は賑やかで和やかで、生きる喜びに満ちている。
最終話一個前にこの、罪のない当たり前の日々をもってきたのは多分、神通力を持たないエルダが氏子たちに施せる最大のご利益が、共に過ごすこういう時間にこそあるからだ。
暇を持て余した女子高生の探偵遊びに、既に暇じゃない大人も混ざってガヤガヤ喧しく、活き活きと毎日を暮らしていく。
その端っこに、江戸月島という土地の鎮護を任された永生者はずーっと立ち続けて、日々の暮らしを見つめてきた。
大江戸豆知識がポンポン出てくるのも、人間が活きて生み出す様々なものに強い興味があって、神様に相応しく上から見下ろすのではなく、同じ地平から文化を一緒に楽しんできたから、ずっと覚えているのだろう。
数百年後、今月島に生きているすべての人が死に絶えた後にもし、高耳神社が変わりなく御神体を奉じているのなら、破壊されたプラモの謎を追いかけたこの思い出も、活き活きと未来の巫女に語られるのだと思う。
第9話で抱えきれず氏神に預けた、思い出のビデオテープ。
その中で生きていた母の残影と同じ場所に、いつか小糸も旅立っていく。
それでもエルダはずっと現世に取り残され、ワガママで手前勝手で優しい神様として、人の生活に寄り添い続ける。
それがどんな温もりと楽しさを持っているのか、このありふれた午後のスケッチは豊かに描き出してくれる。
日常モノにつきまとう閉じた永遠性、だからこその安定感をしっかり醸し出しつつ、それがいつかは終わるのだという寂寥と開放感を、永生者と定命の対比でもってしっかり宿せているのは、見事の限りだ。
そしてBパートは最後を飾るハレの祭りに向けて、丁寧に前フリを積み重ねていく。
実在しない仮想神の神事を、地域でそれがどう受け入れられ楽しまれているかを交えつつキッチリ描写するのは、民族伝奇SFとしての歯応えがギッチリあって、大変良い。
エルダは水都・江戸の守護神として漁の吉凶を占い、月島が漁港というよりウォーターフロントになった現在でも、生き神様を射る行為はバチあたりな不敬ではなく受け継がれてきた敬慕として、活き活きと土地に根付いて続いている。
当たっても外れても、全部を楽しい祭りの一部として受け止める賑わいが準備段階から伝わってきて、まさかまさかの大役も重い荷物ではなく、楽しい試練としてエがkれていく。
ここまで続いてきて、これからも続いていくエルダと小糸の物語。
アニメがその最後に”祭り”を選ぶのは、穏やかなケと賑々しいハレの狭間で揺れ動いている、神と人とのダイナミックな関係をまとめるにあたって、とても良い選択肢だと思う。
友達のようでいて家族でもあり、死せる母の代理であり永遠の憧れであり、お世話しなきゃダメダメな同居人でもある。
色んな顔があってその何もかもが魅力的な主役たちの、一番根っこにある関係性を描く上で、やっぱり神事がピッタリ来る。
生きることの楽しさをとにかく前向きに、時にしっとりとした手触りを交えて描いてきたお話が幕を閉じる時は、なにかを晴れやかにやり遂げた手応えが欲しいし、それに”祭り”は大変ちょうどいい。
果たして小糸は射手の大役を、無事勤めきることが出来るのか。
お話のサイズにピッタリとハマる課題が、最終回への良いヒキとして示されて待て次回!……である。
そういう明るくカラッとした”今”に挟み込まれるように、10年前の神事を小糸が話題に出したとき、何故エルダは何かを言いかけて止めたのか……というミステリも、しっかり差し込まれる。
前半の高麗ちゃん名探偵のドタバタ推理よりも、より深甚な謎解きがここにはあって、それを解くヒントはここまでの物語で、既にしっかり示されてもいる。
エルダを置き去りに流れていく時の定めと、小糸が亡母に向ける感情の複雑さ。
ここでこの表情を挟むということは、最終話はこのお話がずっと大事に描いてきたものをもう一度、暴き語るべきミステリとしてしっかり準備をしている、ということだ。
人は生きて死に、神はそうではない。
『一生仲良くキャッキャしてて……』と思わされる、最高の神様と巫女の間に確かにある分断は、別に永生者と定命者の専売特許ではない。
人と人もまた思い出に引き裂かれ、死に押し流されて、必ず別れていく。
10年前そこにあったものが、今はもうない現実の寂寥を前に、大事な巫女の心境を慮って口ごもってしまった氏神が、祭りの中で何を見つけるのか。
それが小糸に届く時、世界はどんな風に輝くのか。
最終回は、それもちゃんと描くだろう。
とても楽しみだ。