イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ひろがるスカイ!プリキュア:第20話『ましろの夢 最初の一歩』感想

 このペン先に宿った翼で、私の夢は空に羽ばたく!!
 お姫様体質の真っ白少女が、遂に夢の翼を広げるひろプリ第20話である。
 手紙とかメモとか、ペンが生み出すものを大事に拾い上げてきたお話が主役の一人に手渡す夢が、物語を紡ぐことなのは凄くいい。
 プリキュアを見せることで幼い子供に夢を手渡す物語の中で、当のプリキュアが物語ることを自分の夢に定めて真っ直ぐ走っていくのは、リアリティとメタ・リアリティが喜ばしく手を繋いで自分たちを先に勧めていく手応えを感じれて、とても良かった。
 最初の読者となるエルちゃんの様子がしっかりクローズアップされて、色んな顔が見れたのも嬉しかったな。(エルちゃんがイキイキしていると、とにかく嬉しいマン)

 最初っから覚悟全開、憧れのヒーロー目指して努力を続け夢まっしぐらなソラちゃんを筆頭に、”跳ぶ”という目標は登場以来ブレてないツバサくん、学校通って実習して堅実に夢に近づいてるあげはさんと、ましろちゃんの周囲は夢追い人が多い。
 そんななか何事も控えめで自信なし、出来ない自分にコンプレックスが強いましろちゃんが、プリティホリックで出会った菜摘さん……彼女の作品を通じて、夢中になれるものに出会っていく。
 ソラちゃんがヒーローに憧れ”武”を積み上げてきた時代は既に遠く、何かが燃え上がって人間を前に進めていく推進力は軽く思い出話なわけだが、ましろちゃんは何者でもない自分への震えをここまで丁寧に積んだ分、夢と出会った化学反応がライブ感マシマシで描かれていた。
 最初はアリモノの影響受けすぎてオリジナリティがないのに、砂場での一件を起爆剤に描くべきテーマ、届けたい読者を具体化させて、拙いながらも自分だけの物語を結晶化させていく流れも、一人の創作者が自分を生み出した瞬間そのもので、大変良かった。

 このグイグイ来る感じはましろちゃんのお姫キャラとは真逆で、だからこそ人生を変えていけるパワーを感じたし、執筆に夢中になりつつもソラちゃんの心配をしっかり受け止めて、差し入れにお礼言う所とか最高だった。
 アバンでたった一人穏やかな時間、虹ヶ丘ましろは紅茶を選ぶことを選ぶ。
 自分自身も含めて何かをケアする優しさと、上品な落ち着きが彼女の特徴なわけだが、それが運命の出会いとそこからの同居生活を通じて、ソラちゃんに影響を与えている感じが凄く良かった。
 ましろちゃんが今回『これだ!』と思えるなにかに出会って、エンジンぶん回す楽しさにブレーキを踏まないのも、そうやって夢に突っ走っている仲間……特にソラちゃんの背中を羨ましくも眩しく見つめて、そこから生まれるパワーを既に知っていたからだろう。
 こういう風に、お互いに影響されて善い所を残し、新しい可能性にガンガン突き進んでいく姿が見れるのは、爽やかなアツさで良い。

 

 ほいでもって、遂に物語をねだり自我を発露しだしたエルちゃんでございますよ。
 絵本にご執心なのも、あげはさんが手渡したえるたろうの思い出が彼女の中、とても大事だから生まれた変化だと思う。
 自分だけのお砂場セットを、ソラちゃんの正論でもましろちゃんの寄り添い方でも他人に譲れないのは、大事な人が自分だけのために手渡してくれたモノに、愛着を持っていればこそだ。
 人間として育っていけば当たり前の、そういう執着にどう手綱をつけて付き合っていくのか。
 バッタモンダーくんが、エゴイズムとの付き合い方間違いきったクソカスっぷりを毎週披露してくれる中で、ともすれば人道からコースアウトする危うさが主役サイドにもあると、ほんのり書く慎重さが好きである。

 ましろちゃんは他の誰でもないエルちゃんのために絵本を書き、それは誰もが読めるコンテストで展示される。
 エルちゃんのためだけの家庭内製品として絵本を作るので終わらず、コンテストという出来を判断される公的空間に自分の夢を差し出す必然性が、エピソードとキャラの中にあった……ということだと思う。
 たった一人への思いが具体的な表現に結晶化して、手に取れ読める物語の形を取ってエルちゃん以外に対しても開けていくのは、表現という行為が持っているパワーと公平さを静かに祝福している感じがして、とても好きだ。
 それはただ正しく味気ないだけで終わらず、あんだけ親身に伝えたのに結局仲良くは遊べなかったエルちゃんに、より善い選択肢を自発的に選ばせる熱量を、確かに持っている。
 楽しいからこそ生き方が変わっていく、本気で作り上げられた嘘っぱちの力が絵本作りに宿っていたのは、自分たちが創っている”プリキュア”にどんな物語であって欲しいのか、微かな祈りが滲んで好きだ。

 結局は”いい子”に収まっていくエルちゃんだが、両の足でヨチヨチと大地を踏みしめ自分というものを確立してきた結果、ただ世界に流されるだけではなく、譲れないものにしがみつく自我が育ってきた。
 これをご両親がリアルタイム砂かぶりで体験できない無常に、アンダーグ帝国マジ許すまじの心を毎週新たにしているけども、その狭量も人間のあるべき、一つの変化だろう。
 エルちゃんがなんで、年長者たちが訳知り顔で差し出す”正しさ”飲めなかったかといえば、やっぱそれは大好きなましろ達が特別に、自分のために差し出してくれたからこそなのであって、愛あればこその執着は確かに、人が歩いていく道にそびえ立っている。
 同時にその独占が行き過ぎるとマジヤバイことになるのは、綺麗事では終わらない人生の実感として確かなことであり、うまーく距離を取っていい具合にバランス取るという、難事にベビーも挑まにゃならん。
 ここで上から怒鳴りつけるはおろか、子どもの視線に近づいて想像力を膨らませるように諭すましろちゃんの優しさは、やっぱええな……と思いつつ、そのふんわり柔らかアプローチも断固NO! とエルちゃんは拒絶する。

 その頑なさ、”いい子”じゃなさが、ちびっけぇ体で今生きておるあの子の現状なのだと思えて、僕は奇妙に嬉しかった。
 そうやって沢山身動ぎしながら、色んな人に支えられ教えられ手渡されて幸せになっていけば良いじゃないの! これ以上良いことは世界にないじゃないのッ!! って気持ちよ。
 エルたろうの毎日成長日記が物語の主柱になることで、独特のまったりムードが作品を色づけている作風は結構評価が別れると思うけど、エルちゃんをキャンバスに人が育つという音、何かを学んで自分を作っていく足取りが鮮明なのは、僕の好みの真ん中にある。
 同時に諭し導く若人もまた、自分の人生のど真ん中に立っていて、今回ましろちゃんが夢中になれる夢に出会って進みだしたような、力強い当事者性もギュンギュンと唸る。
 そこら辺の手触りと歯応えが、俺はやっぱり好きである。

 

 というわけで、虹ヶ丘ましろの純白のキャンバスに、夢の一筆が書き加えられるエピソードでした。
 例えば第17話で、何者でもない真っ白な自分への不安を濃く描かれてきたキャラだけに、どっしり女装に時間を使った上で今回、目指すべき彼女だけの星を掴むお話をやってくれたのはとても良かったです。
 この一心不乱の真っ直ぐさが、他人を妬み邪魔ばっかしてくるバッタモンダーくんの情けなさ、厄介さ、憐れさを際立たせる感じになってるのは、結構好きだ。
 ひろプの悪党は多分意識してスケールを広げていないけども、だからこそ身近な悪の手触りがしっかり粒立ちしていて、解るからこそ認めてはいけない生っぽさを、上手く宿してる感じがある。
 暴力主義に呪われていた時代のカバトンといい、『身近にいたらかなり最悪だな……』ってところに想像力が伸びるのは、良い造形だよね。

 まだまだ話数があるので、ましろちゃんの夢がどういう難しさに突き当たり、それを越えて生まれる輝きを書く余白は、たっぷり残っている。
 今後続いていく物語の中で、とても優しくて、優しいだけでは終わらない虹ヶ丘ましろ固有の輝きを、色彩豊かに紡いでいって欲しいなと思います。
 そして次回は、ヨヨさんの野外学習教室。
 ど直球に道徳的な物語を、衒いなくぶん回してくる腰の強さもひろプリの好きな所なので、ドカンと強いのぶち当ててくれるのが、とっても楽しみです!