イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

スキップとローファー:第12話『キラキラ』感想

 目を背けてしまう眩さと暗がりの、狭間に生きている僕たちが、それでも明日に進んでいくために。
 学園祭も無事終わって、秋の空に続いていく学生生活がとても穏やかかに一旦の幕を下ろす、スキローアニメ第12話です。

 志摩くんとお母さんの関係が劇的な決着を迎えるわけでも、美津未ちゃんの恋が形になるわけでもなく、しかし志摩聡介と西城梨々華の関係は明確な変化にたどり着き、いけ好かない生徒会長の見えにくい内心が、ひっそり垣間見えたりする。
 色んな人たちが互いに繋がりながら、朗らかながら懸命に生きてきたお話に相応しい、とても落ち着いた最終回でした。
 『また明日』と告げた秋の空は、期末テストで気が重い未来に確かに繋がっていて、カメラが美津未ちゃんたちを追いかけるのを止めた後も、彼らの物語は変化しながら続いていく。
 考えてみれば当たり前で、でもなかなか実感ができない物語の豊かさを、自分たちが紡いできたものはしっかり掴まえられるのだと、書き手と読み手をしっかり信じた”続く”だったと思います。

 このいかさま中途半端なおしまいが、何も投げ出さず描ききった手応えを宿すのは、確かに何かが終わって始まって、それを繰り返しながらちょっとずつ前に進んでいく歩

き方が、青春の歩調なのだと、ずっと書いてきたから。
 秋に続く冬と新しい春、その先にも色んな難しさがあって、子どもたちは悩みつつ手を携え、時に差し伸べられた掌を跳ね除けたりもしながら、自分たちが行く道を真っ直ぐ見据えて進んでいくのでしょう。
 終わってなお繋がる歩みが、確かな幸せと微かな苦さに満ちているのだと自分だけの筆でしっかり証明してきたから、梨々華ちゃんの涙は彼女が暗い想念に囚われて幼馴染の手を引いてしまうだけの日々から、自分を引っ張り出すための産声なのだと信じられる。


 特定の視点からは”悪役”に思えてしまう人が、当然複雑な心と難しさを抱えて必死にもがき、なんとか生きているのだと静かに、強く訴えてきた物語が、あの子を置き去りにせず新しい場所に、クリスくんというとても頼もしい同行人を添えて送り出してくれたのが、僕はとても嬉しかった。
 この迷い道は、いつかどこかにたどり着くまでの途中。
 色濃く独白される志摩の明暗に、美津未ちゃんが立ち入れない断絶……それ自体が一つの希望として描かれたこと含めて、高校一年生を生きる人々の全てに暖かく愛しい視線を送り続ける姿勢が、大変良かったです。

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第12話から引用

 母は梨々華の詰問に耐えかねたのか、息子の舞台を見届けることなく去っていって、志摩くんはその背中を寂しく見送ることになる。
 『自分のために、子どもに演じさせている』という指摘は多分、志摩家の静脈瘤を鋭くえぐりすぎていて、母も子もそれに真正面から向き合う姿勢は、まだ(あるいはずっと)整わないのだろう。
 顔が良すぎる女王様然とした梨々華の憤怒は、エゴイスティックな痛みへの復讐戦というだけではなく、自分たちが大事にして欲しかったものを踏みにじり傷つけた、取り返せない過去への公憤という色が、確かにあるのだと思う。
 感情の赴くまま好き勝手に生きているように見えて、もうちょっと複雑で不安定な立ち位置に生きている梨々華の痛ましさと正しさを、嵐を一緒に生き延びた志摩くんとクリスくんは良く知っているし、だからこそ歪な距離感を崩せない。
 美津未ちゃんが慣れない悪意と受け取り、コアリクイめいた威嚇で友達を守ろうとするものの奥には、未だ行き場所を知らないすごく純粋で、剥き出しの心が見え隠れしている。

 美津未ちゃんは高校で初めて志摩くんに出会った”外野”として、世界のドス黒さに幸運にも染まらずにいられた幼子として、この複雑さから遠い場所にいる。
 志摩くんの事情も、梨々華ちゃんの思いも、幼馴染と家族の複雑な関係性も何も知らず……なら、黙って何もしなければ良いのか。
 大人の判断ってやつが出来ないからこそ、故郷を救う大望を抱いて官僚を目指している少女の優しいお節介に、志摩くんは惹かれてここまで歩いてきた。
 一見キラキラピカピカな新学期の出会いに見えたものは、かなり複雑な共鳴を表に出さないように静かに奏でて、志摩聡介の内面が舞台の上、上の空に切開されていく。
 それを覗き込む視力を、世の中にはあまりに複雑で暗いものがあるのだと考え及ぶ体験を、岩倉美津未は未だしていない。
 だがその幼さが、確かに拓く未来というのが沢山あることをこのお話はずっと書いてきたし、最終回になる今回も、やっぱり書く。
 知らないからこそ、複雑なバランス取りを要求される過去を共有しないからこそ、”外野”だからこそ差し出せる光があり、それが導く未来がある。
 でもそこに視線を向けて、逃げずに進んでいくのは結局、陰りに囚われている本人だ。

 

 志摩くんは役を演じつつどこか上の空に、自分と他人の距離感について、自分が何を求めるかについて考え続ける。
 それはかつてクリスくんに告げていた、調子を合わせて他人の求める自分を差し出して世間を泳ぐ姿勢とは、真逆の深くて苦しい潜航になる。
 自分が無価値で無関係とはねのけようとして、眩しくて視線をそらせない輝きに、一体何が反射しているのか。
 おそらくは子役時代の事件と、それによって乱れた家族関係で土台が崩れて、愛すべき/愛されるべき自己像と世界観にしっかり向き合えなかった幼い青年は、今カーテンの向う側にあるものを真摯に見つめようとしている。
 都合の良い自分の表面と、それを求める誰かとの上っ面を投げ捨ててそこに踏み込もうと思ったのは、やはり岩倉美津未と出会ったからだ。

 なりふり構わず、自分の外装を整えずにがむしゃらに走りたいと思えるほど、己を満たす何か。
 それを中途に奪われて、大人ぶった子どものまま十分子どもでいることを許されなかった志摩くんは、思案の末に自分が嫉妬していることに思い至る。
 それは夢の眩しさと対比される影ではなく、その発見こそがなにかの夜明けなのだと描くように、光として表現されている。
 そこには己の内面だけでなく、それを形作った(より善く形作る事に失敗して、結果未だに関係がギクシャクしている)母への洞察……お母さんを愛しつつ憎んで、何処にもいけなくなっている自分への視線が、確かにあるように思う。

 3人の過去を知るクリスくんは、梨々華ちゃんの悪辣に表情を固くしつつも、彼女が突き刺した刃に片手を添える。
 『俺も、そう思う』と。
 親友の言葉を受けて志摩くんは、ようやく傷つけられ動けなくなっている自分に、そんな自分を作った母を憎みたくない愛の鎖に、目を向けたのかなと思う。
 それで縛られて前に進めないのに、眩しい人たちは狭間の向こう側で総力を振り絞って、夢に向かって駆けて行ってしまう。
 かつて確かに芝居に夢中になり、今はもう何もない己に、どこか似た姿で。
 だから志摩くんが見つめた嫉妬は近親憎悪でもあり、縛られてなお進み出したいという、空っぽの中から湧き上がってくる光の反射なのだと思う。

 

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第12話から引用

 自分の傷と癒着していた過去から離れて、志摩くんが進みだした舞台を見届ける痛みに耐えかねて、梨々華ちゃんは彼の前から去ろうとする。
 母との対話タイミングを逃した志摩くんは、それに追いついて視線を彷徨わせ、拳を固めて彼らの幼年期を殺しに行く。
 『学校が好きなんだ』と告げる時、岩倉美津未がいないことが、僕はとても好きだ。
 その結末に進み出す端緒は、確かに特別な主人公が担ったのかもしれないけど、この学舎で幸福なノイズを立てている全ての人が、志摩くんが見つけ立ち戻ってきた世界に、確かにいる。
 学園祭を楽しむ人たちの声を、あえて切り捨てない音響も含めて、彼が自分の中のどす黒い光を真っ直ぐ見据えて、それで照らし直そうとしているものの形を誠実に削り出そうとする演出は、最終回でも良く冴える。

 かつて共犯の証として手渡された帽子を、投げ捨てて立ち去る梨々華ちゃんに、志摩くんは『ありがとう』を言う。
 自分を置き去りにしたその成長がまた悔しくて、梨々華ちゃんは世界に中指おっ立てるわけだけど、でも志摩くんが進みだしたもの、受け取りてわたしてくれた思いが、間違いなんかじゃないことも良く知っている。
 タクシーの中でわんわん泣きじゃくる、強気な鎧を全部外した姿はとても幼くて、痛ましくて、もっともっと泣いて心のなかに溜まっているものを全部吐き出して、真っ白になった場所から新しく進み出して、大事なものを取り戻してほしいなと思った。
 ここで後ろめたさと怖さに視線を彷徨わせつつ、一緒に暗い場所に……動かない時間に沈んでいくのではなく、もっと善い場所に進み出すからこそ片手を離す未来を志摩くんが提言できたのは、凄く良いことだと思う。
 その良さを梨々華ちゃんも解っていて、でも素直に伝えることはどうしても出来なくて、どうにもならなくて子どものように泣きじゃくる。
 その涙を飲み込めない幼さが、何も終わり果ててはいない希望に思えて、僕はとてもチャーミングに感じた。
 運命が切断されていく痛みに耐えかねて泣きじゃくっても、これで終わりになんてしたくないと志摩くんから手を伸ばしてくれたのなら、まだまだ変わっていけるのだから、いつか笑ってくれたら嬉しい。

 そういう子をよぉ……真隣で穏やかに寄り添って、微かな恋心を温めつつ時に道化に徹して、フラフラ青春迷ってるダチを一才見捨てずいてくれてる男のいる、ありがたさったらねぇよ……。
 梨々華ちゃんの志摩くんへの執着は、自分の人生が壊れたあの時間に置き去りにしてほしくない寂しさと裏腹で、その複雑さをこそ愛おしく思って、クリスくんは昔なじみの側に居続けるんだと思う。
 彼がいてくれることが、どれだけ稀有な奇跡なのか
 大概の人間はこんな重たい荷物を投げ捨て、遠くに行ってしまう世の中の当たり前を思い知っているから、梨々華ちゃんも志摩くんもスレて難しくもなっているわけだが、気づかぬほど間近にいる天使の存在を、いつかしっかり受け止めてあげてほしいと思う。
 マージで福永玖里寿”人間”過ぎて、作中一番尊敬できるまである。

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第12話から引用

 そんな祭りも終りを迎え、軽薄に調子良く会長職を乗りこなしていたように思えた青年が、影の深い場所にちょっと足を伸ばす。
 風上くんが調子のいいテキトー人間なのは、今まで(美津未ちゃんと高倉先輩の視線から)描かれたように、事実だとは思う。
 だけど人間には必ず死角があって、他人や自分の何もかも見据えて事情を知る事は出来ないし、無謬の天使がどこにもいないように、絶対の悪魔も人間の世界にはいない。
 重責を家の当然と飲み込みつつも、どこかに逃げ場を求めてサッカーに励み、不幸に潰されてなお何か、学生らしく自分らしく生きられる証を求めて、手を伸ばした。
 会長職の終わりに告げられるその気持も、また事実なのだ。

 『いらねーからやるよ』と差し出された花束に、どんな気持ちがこもっているのか。
 半年間生徒会で時間を共にしたことが、風上くんの中に何を生んだのか。
 それはけして明言されない謎で、嘘っぱちで柔らかい気持ちを覆って誰にも踏み込ませない少年の本当は、心のどっかで考えて見つけるものだ。
 そういう不可思議で世界は満ちていて、分からないモノとの付き合いを時に間違えたり、出会いの中で道を見つけたりする全部が、愛しく意味あるものであって欲しい。
 そういう祈りが、この物語が見据えるたくさんの子供達を、彼らの触れ合いが生み出す火花を、魅力的に見せていると思う。

 

 

 

 

画像は”スキップとローファー”第12話から引用

 季節は秋。
 期待と緊張に体を固くしながら飛び込んだ新生活は、かけがえのない友情を連れてきて、その先へと続いている。
 ずっと続いてほしいと思える幸せと、いつか手が届くだろう眩しさを見つめながら、子ども達の時間は転がっていく。
 恋も夢も、何か確かな結末が訪れたわけではないけども、出会いは確かに何かを変えて、眩しい光を遠くに見つめるだけだった少年は、立ち止まって彼の大事な人を呼び止め、微笑めるようになった。
 それが、彼らの現在位置だ。
 あまりに美しい秋空が、寿ぐように天を満たしている。
 そうやって、物語が終わる。
 とても豊かで、美しい最終回だった。

 美津未ちゃんは志摩くんが今回の舞台を通じて何に出会い、向き合い、手を離して繋ぎ直したのか、さっぱり知らない。
 知られたくないから隠していたのだし、知らないからこそ救えるものもあるし、色々な人が色々に生きているこの場所で、善悪も良し悪しも簡単には切り分けられない。
 そういう複雑な色が、だからこそ美しいのだと示すように、物語のラストカットは抜けるような青空ではなく、少し影の濃い茜色なのかなとも思う。
 相手の全部を知らないとしても、人には完全に他人を知ることが出来なくても、出会ったことに意味があるから、今志摩くんは微笑んでいる。
 その笑顔の先に、また新しい春が来るだろう。
 それを、アニメで見れたらとてもいいなと思う。

 

 とても豊かで、幸せなアニメだった。
 天然インフルエンサーの率直な素直さが、生きることのありふれて特別な難しさを溶かして変えていくお話は、次第に群像劇の複雑さを手に入れて、なおかつ歩調は迷わなかった。
 色んな人がいて、色んなことが起こり、色んな出会いと願いがある世界。
 そこに今生きている人たちの明暗を、陰りをなかなか覗き込めない幼い主役と、その影に喰われて動けない青年の錯綜を通して、豊かに描く。
 まばゆい光にも、重たい影にも、体重を偏らせすぎず公平に、何もかもを愛しく見つめながら、青春をスキップする人たちの素敵なよろめきを、丁寧に追いかけてくれた。

 そんな歩みが生み出す詩を、アイデアと鮮烈さに満ちた映像表現は粘り強く、力強く描ききって、12話全てが特別な手応えを、見るものに与えてくれた。
 大変良かったです。
 軽く心地よい質感を大事にしつつ、そこで描かれている日常と波乱が含んでいるモノを毎回ちゃんと見据えて、見るものに届く形で表現してくれた努力は、とても素晴らしかった。
 美しく詩的で、印象的な演出が今アニメが描いているもの、それを通じて見るものの心に届くべきものにガッツリ食い込んでいて、幸せな共犯が作品を満たしていました。

 爽やかで暖かく、残酷でもある季節の風を大事に描き、上品なユーモアでしっかりお話を温めて、毎回楽しく届けてくれたこと。
 好きになれるキャラクターたちが、生き生きと彼らなりの物語を進んでいる姿を、しっかりした足取りで追いかけてくれたこと。
 分かりやすく鮮明な表現の奥に、簡単に割り切れない複雑さをそのままの形で愛し、どうにか語ろうとする努力を手放さなかったこと。
 どれもとても素晴らしい奮戦で、よくぞやり切ってくれました。

 とても面白かったです。
 お疲れ様、ありがとう!