イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

映画『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』感想

 映画『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』を見てきたので、感想を書きます。
 TV放送から5年、映画版から4年経っての映画版。
 一体どうなるのか少し心配な部分もありましたが、青春の傷みを細やかに描く筆、コミカルで優しいタッチは変わることなく、TV版で描き忘れたものをしっかりと彫り込んでくれる、良い劇場版でした。
 今までの物語を踏まえてキャラが変わってきている部分、相変わらず信頼が置ける部分のバランスが良く、懐かしい友人に出会って近況を聞いたような、とても嬉しい気持ちになれる映画でした。
 新規視聴者よりもガッツリTV放送と映画を見た人向けの作風ではあるのですが、ファンとの馴れ合いに堕さないで、この映画だけの物語をしっかり届ける意識は強く感じることが出来ました。
 青春症候群の優しい贈り物が、遠くに去って行ってしまった世界に取り残された兄妹と、彼らを愛する人たちの冬。
 透明で窒息性の”空気”と向き合うという、(僕が受け取るところの)作品のテーマにもしっかりと触れて、非常に”青ブタ”らしい映画でした。
 久々に出会った咲太は変わらず……昔以上に優しく強い青年で、また出会えて嬉しかったなぁ……。
 これを引き継いで冬にもまた映画があってくれるのは、このアニメが大好きだと思い出せたファンとしてはとっても、ありがたいことです。
 とても良い映画だったので、是非劇場で見てください。

 

 

 

 というわけで、バキバキネタバレ感想をこっから書く。
 前作映画と同じく、あんま劇場版ってことで力みすぎることなく、しかし自分たちなりの語り口、描き方は維持したまま、落ち着いて話を進めてくれた。
 僕はTVシリーズの筆致がとても好きだったので、変わっていく時間や状況にしっかり対応しつつ、基本的なトーンが維持されているのはとても良かった。
 色々辛いことを乗り越えつつ、愛する人たちと前に進んでいっている咲太の歩みを、とても大事にアニメにしてくれている感じがする。
 そういう愛しさを作品に塗り込めて、彼らの奇妙な青春を穏やかに……そして熱く伝えてくれる姿勢は、変なテレなくジュブナイルであり”ラノベ”であり、何回味わっても良いものだった。

 お話としては花楓をヒロインとしてどっしり向き合う感じで、かわいいかわいい俺達の”かえで”が消えて終わったTVシリーズの、補講であり後始末でありエピローグでもある感じだった。
 付き合った話数としても感情の向けどころとしても、僕らが知る咲太の妹はかえでの方で、愛されながらも急に戻ってきた花楓の方には、どうにもお客さん感がある。
 そういう読者のモヤモヤを、しっかり物語に叩きつけて生まれてくる痕跡を、丁寧に写し取るような物語だった。
 どれだけかえでが愛しくても、彼女は青春症候群が生み出した代理人格であり、やりたいことをノートに残したまま去って行ってしまった、もうここにはいない過去だ。
 それが引きちぎられた痛みと悲しさを全否定して消し去るのではなく、時に不格好に、とても優しく切開して心のなかから取り出し、生き残ってしまった者たちがより良く進み出すために、何をすれば良いのか。
 その全工程を、丁寧に歩ききった映画だ。

 久保ユリカの好演により、かえでのプラスティックでだからこそ愛おしい妹っぷりが、もはや花楓にはないのだと思い知らされるのがまず良かった。
 花楓とかえでは別の人格であり、しかし確かにかえでがいてくれたことで、ニ年間耐え難い痛みに意識を失っていた花楓の居場所が保たれ、頑張りによって未来に進む足場が整えられて、受け継がれてきた。
 視聴者が見届けたその歩みを、花楓自身もありがたさと後ろめたさの入り混じった複雑な感情で噛み締め、だからこそ震えながら”お兄ちゃんの学校”を目指して、消えてしまったもう一人のわたしに報いようとする。
 でも生っぽい妹リアクションを返す花楓は、かえでではない個別の人格で、彼女だけの人生と尊厳が当然ある。

 咲太が物語開始時から実感し、それに殉じて全霊を捧げているこの認識が、アニメを見始めた僕には結構遠かった。
 頭では花楓を一人の人間として大事に、今から続いていく未来へ進む手助けをしなきゃいけないと解っているのに、どこかかえでの面影を追ってしまう。
 今目の前にいる花楓が、作品世界のお客さんに思えてしまう。
 ここら辺の感覚を、受験に向けて誠実に頑張る花楓の姿と、彼女を愛しさされる沢山の人達の描写で、ゆっくり埋めてくれたのが良かった。
 この違和感は他ならぬ花楓にこそ強く、かえでの居場所を獲ってしまった後ろめたさに涙し叫び……それでも彼女がいてくれたことを無駄にしたくないから、彼女のいない今をどうにか生きようと足掻く姿が、素直に胸に入ってくる。
 僕らと同じだけ、あるいはそれ以上に、花楓はただの偽物でしかなかったかえでのことを愛し、感謝してくれている。
 その切ない熱量が何より強く、まっすぐ伝わるお話だったのはとても良かった。

 

 そんな花楓の再出発に、咲太とその彼女とその妹がメチャクチャ……メチャクチャ優しいんだ。
 今回は青春症候群がダイレクトに話を弄る、Fテイストの強い物語ではなく、ありふれて普遍的な中高生の物語が展開される。
 全日制と通信制にまつわる偏見やら、生っぽい学力差やら、越えようとしても越えられないPTSDの重たさやら、むろんそういう生っぽさが土台にあって青春症候群は駆動し機能しているのだけども、地金が剥き出しに顔を出してる感じがある。
 その生っぽさに抗う時、飯を食って勉強をして隣りにい続ける、地道な生活の描写がとにかく分厚いのは、非常に良かった。
 異常な事態に翻弄されてぶっ壊された梓川家は、それでも全部を終わりにせずどうにか現実にしがみつき、世間が推奨する『正しい家族』みたいな規範から外れたとしても、必死に生きてきた。
 そこには朝起きて挨拶をし、一緒に飯を食い語り合う当たり前の日々がみっちりと詰まっていて、かえでがお留守番を続けた時も、花楓がそこから出ていくときにも、凄くベーシックな人間の当たり前が、大きな力になっていく。
 生活圏と作中の舞台が近い(どのくらい近いかというと、最寄りの映画館がそのまんま映画に出てきて、鑑賞終わって0秒で聖地巡礼できるくらい)ことも、この映画を満たしている生活のリアリティを特別間近に感じられる手がかりになっていて、思わぬラッキーだったと思う。

 いかにもラノベっぽい変人記号をまといつつ、咲太は地に足がついた優しさと強さでもって、人間にとって当たり前で同時に特別でもある冒険を、幾度もこなしてきた。
 理央が照れもなく親友に告げる『お前はヒーローだよ』という信頼(あそこマジ最高だった)に、値するだけの奮戦をこれまで見せてきた男は、いつもどおりいつも以上に、震えながら戦う妹のために飯を作り、肩に雪をタメて手を差し伸べる。
 けして理想を、誰かが決めた正しさを押し付けないまま辛抱強く寄り添う姿勢はもはや高2のそれではなく、しかしここまで描かれた不可思議な物語が彼に与えたものを思うと、納得の成長でもある。
 前回映画では時と因果を超えた大冒険の主役として、泣きじゃくり迷いもした咲太であるが、今回の戦いの主役は彼の妹であり、どっしり構えて彼女を支える立場の咲太は、主役として揺れなくていいからこそ彼本来の強さと優しさが、色濃く出ていた。
 青春症候群に振り回され、傷つき迷ったあの時間があればこそ、今回花楓が自分を見つけるまでの旅路に根気強く寄り添い、粘り強く愛する奇跡を、咲太らしいと納得もできるのだ。
 これはTVシリーズと映画を通じて作られた強さで、長い物語を経たからこそ生まれた納得を、二度目の映画にしっかり生かした構成だと思う。

 同時にともすれば無謬の守護天使として、咲太から人間らしい体温を奪ってしまいそうな立ち位置を、適切に揺らすことも忘れない。
 かれがすごく辛いものを感じながら、でも自分より辛いだろう妹の挑戦を不安にさせないために、必死に穏やかな笑顔を作って戦っていることを、この映画は丁寧に追う。
 何もかもが幸せに、順調に転がっていったように思える物語が一気に暗転する、学校からの連絡。
 それを受けた咲太が、作中ずっと妹の側にいたから逃れられなかった弱者からの視線から解き放たれた時、見せる焦りと苛立ち。
 それを飲み込んで『優しい兄』の顔を作って、シーツにくるまり泣きじゃくる妹から『私はいらない子どもなんだ!』と告げられた時の、獣のような苦渋。
 咲太は花楓の希望を叶える便利な機械ではなく、自身の思いや苦しみを抱えてなお妹の求める兄……壊れてしまった母の”夫”であることを選び、そうすることで梓川家の形を守ろうとした父の代理として、大人がするべき振る舞いを必死にエミュレートしてきたのだと、告げる瞬間が幾つかある。
 ”空気”に毒され壊れかけて、なお全部終わりなのだと諦められない大事なもの。
 咲太の強がりはそれを守り続けるための、必死の戦いだったのだ。
 これをちゃんと描いたのは、俺の大事な少年を大事にしてくれた感じがして、とても良かった。

 

 オムライスにスクランブルエッグ
 作中花楓が”卵”を口に運んでいるのが、個人的には面白い描写だった。
 長い眠りの殻を破って、痛みに満ちた世界に生まれ直し進んでいく花楓は幼い雛であり、咲太はそれを寿ぐように、卵の殻を壊して取り出した中見を、美味しく調理して食べさせる。
 それは成長のための糧であり、いつか押し殺した殻を突き破って本当の気持ちを、進むべき未来を目指す兄妹の暗喩でもある。
 言ってくれなければ伝わらない言葉、体験しなければ解らない痛みを受験現場で、卯月との対話で、それを超えた後のテラスモール湘南での語らいで、患部を切り開いて表に出す。
 衝突と摩擦に満ちた体験はしかし、奇妙な運命に翻弄されてきた兄妹がより良い場所に進み出すために必要な儀式であり、これを自分たちの側に引き寄せるために兄妹は自分の意志でもって、殻を叩き続ける。
 その振幅を、今まで彼らが優しくしてきた人たちが見逃さず、掬い上げて返す姿も大変良かった。

 とにっっっかく舞さんが仕上がってて、受験に仕事に大忙しなはずなのに花楓の義姉として、完璧な優しさを見せてくれた。
 高校生カップルとは思えない縁の深さ、強い信頼で結ばれつつイチャイチャしまくる様子も微笑ましかったが、ここまでの物語を考えるとあのあり方には納得がいく。
 付いたの離れたの、ヌルい色恋の表面で右往左往する時代はもう遠くて、人間一人の重さを抱えた上でどう潰れず進んでいくのか、どうみんなで幸せになっていくのか、そういうモンを語らずとも共有している距離感が、みっしり映画を満たしていた。
 この頼りがいが、かえでも花楓も心から愛し支えたいと思っている気持ちの発露が、やはり飯を作って服を整え、こまめに愛を伝え合う生活の描写に支えられていたのが、地道な手応えで大変良かった。
 豊浜さんも家族の一員として色々してくれて、あの姉妹メチャクチャありがたかったな……。

 その便利さに甘えず、好意を蕩尽せず誠意を持って返せるだけを返そうとする姿勢が、梓川兄妹にあるのも良い。
 『何も返せていない』という後ろめたさが花楓を押しつぶしそうになって、漏れた苦鳴が咲太を揺らすのは(あそこで感情の赴くまま、なんもかんも叩き潰さないよう自分を抑えたの、本当に偉いと思う)、目の前にいる誰かが大事だからだ。
 そういう大事な人を人生の淵から引っ張り上げるために、お兄ちゃんは使える手をフル動員して学校説明会に行き、通信制教育の実態を知り、先駆者であり成功者でもある卯月(とその母)の言葉を、妹が聞けるよう走り回る。
 その誠実な必死さに助けられた人たちが、二人を助けるためにデケー声あげず、ただただ地道に勉強を手伝い飯を作り続けていたありがたさを、兄妹は見落とさない。
 空気は全く読まなけども、あるいは過剰に読みすぎて弱るけども、そういう透明で形のないものから切り離された/自分を切り離してくれる、顔のある誰かの強さ、ありがたさ。
 それを体現してきた主役が同じものを手渡されるのも良かったし、そういうものの意味を与えられ支えられる川になって咲太が感じ取るのも、良い共鳴だったと思う。

 

 花楓とかえでにある分断と連続は、かえでの願いを引き継いで全日制を目指し、花楓自身の決断として通信制を選ぶことで、豊かに止揚されていく。
 かつてかえであり、今花楓である少女の過去と現在と未来を選ぶキャンバスとして、変化していく教育の形を置いたのは、青春症候群があまり目立たないこの話のリアリティ・ラインに、とてもマッチしていたと思う。
 ある種の救済として描かれる通信制高校には、結構な美化が入っていると思うけども、制度への偏見を咲太が実地で解体していく様子が、観客(というか僕)のそれが切り崩されていくあゆみとしっかり重なって、花楓の人生に適切な迂回路を、嘘ついて裏切ってでも用意する決断を、すんなり飲み込めた。
 嘘に巻き込まれた形の舞さんが、その事実を声を荒立てるでなくしっかり指摘して、もはや裸身を晒すのも当たり前のパートナーがなんも隠すことなく、共有されている花楓への愛を確認する形で良いところに収めてくやり取り、『この破廉恥カップル……誠実な恋をしているな!』と、ニコニコしちゃった。
 恋が愛になって家族になっていく一部始終を、結構丁寧に追いかけれるのはこのお話独特の所で、末っ子である花楓の奮戦を年上共ががっちりスクラム組んで見守る様子は、地道だからこそ安定感と達成感があってよかったね。

 人間一人の人生を、己の辛さを押し殺し飲み込んで背負う重責を、十代の子どもに押し付ける。
 お父さんが非難されてもおかしくない展開なんだけども、お父さんも妻の人生背負うのでいっぱいいっぱいで、とても文句言う気にはなれなかった。
 花楓の世話を咲太に預ける父の仕草は、10代を特権的な時代と描くラノベジャンル特有の持ち上げでもあるのだが、同時にそれぞれ別の荷物を背負って、嵐の中を駆けている戦友への対等な信頼も滲んでいて、奇妙ながら気持ちのいいものだと思った。
 そういう形以外にあの一家が生き延びる手筋は残っていなくて、世間の空気がどう言おうと、今戦っている私達に恥じるものはない。
 そういうプライドが、親子の描写にはちゃんと在ったように思う。

 お互いギリギリの線をなんとか歩いて梓川の家を守ろうとしてきた結果、帰還した花楓が傷つきつつ新たに漕ぎ出すための港として、かさぶただらけの幸せを入れるための箱として、家が残った。
 砂浜を駆ける奇妙な女の子が、夢の中から飛び出して新しい映画への導きになっていたけども、彼女と進む物語はそういう、梓川家の今をより良く、前に進めて満たしていくものになるのか?
 一つの節目になりそうな映画三作目、何を描くかはまだ見えないけども、花楓が自分の未来を選び、かえでの生きた証を己に刻みながら立ち上がった今回の物語を思うと、それがなにか報われて欲しい気持ちもある。
 そんな奮戦の果ての再獲得が、失われし母の帰還、梓川家の奇妙な再生として描かれたのなら、その崩壊ゆえに始まった物語が一つの終わりにたどり着いた証明としては、とても収まりが良いと思う。
 つーか関わる人みんなメチャクチャ頑張ってきて、強くて優しかったから、舞さんや豊浜含めた新生梓川家が、最高ハッピーになって終わって欲しいの俺は!
 あの子ら好きだから!!

 苦しみに倒れ伏した人も、それを支えるべく自分だけの戦場に進みだした人も、みな引き裂かれつつも必死に、大事だったものを守るために不格好に生きてきたのだから、咲太が人生の全部を預けられるパートナーと出会い、その支えもあって花楓とかえでが部屋の外へと進みだした、更にその先を、見てみたいものだ。
 そう思える、とても良い最終章前編でした。
 かえでが大好きだった僕たちを、花楓も同じくらい大好きな僕たちにさせてくれる映画だったのは、TVシリーズの始末として凄くありがたかったし、咲太が一足早くなきながらたどり着いた場所に彼らを見守った僕らを、引っ張り上げてくれた感じもあった。
 こういう風に作品と呼応しながら描かれたものを受け止められるのは、やっぱり良いアニメ、良い映画、良い作品なんだと思います。
 冬の映画も、大変楽しみです。
 ありがとうございました!