イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

江戸前エルフ:第12話『これが私のご祭神』感想

 かくして祭りも朗らかに収まり、今日も今日とて高耳毘売命しろしめす月島は波穏やかにして実り豊か、楽しい笑いがつきません。
 特になんか取って付けたシリアスが襲いかかるわけでもなく、ご祭神とその巫女が最後までキャッキャして終わる、江戸前エルフ第12話である。
 大変良かった。
 今クール一番”ちょうどいい”アニメだった善さを最後まで見失わず、沢山のホッコリと少しの切なさを織り交ぜた、とてもこのお話らしい色合いを終幕まで貫いてくれたと思う。
 この乱れなさの裏には相当な努力があるはずで、その力みを一切見せずにやり切ってくれた事含めて、とても良いアニメ化、とても良いあにめだった。
 面白かったです、ありがとう。

 

 

 

画像は”江戸前エルフ”第12話より引用

 というわけで最終話Aパート、前回丁寧に積み上げた前フリを回収する形で、弓長祭がつつがなく進んでいく。
 巫女として思わぬ重責を背負わされた小娘は心底ワタワタしだし、普段グダグダダメダメやってるエルフ様は、大事な巫女の慌てっぷりに思わず真顔、神事が上手くいくよう色々頑張ってくれる。
 『小愛が焦ってると、私がダメになれないじゃないか!』という言葉には、永生者からお世話係への普段の甘えと信頼、自由奔放に見えてかなり周囲をよく見てテキトーやってる生き方が、いい塩梅に透けて見える。
 この配慮をブーブー文句言いつつ生まれた時から肌で感じてるから、小糸は母亡き世界でもエルダに結構重ための感情を預けてなんとか立てているし、エルダも何かを背負う重さに潰されずに、ダラダラ生きていける。
 風の声を聞き弓に長けたエルダは確かに不老不死の尊き異種なんだけども、ずーっと人間と同じ地べたに足つけて、おんなじモノ見ておんなじ飯食って、偉ぶった所なく生活に寄り添ってきた。
 そんな月島の守護神を、土地の人達がどう扱っているかを見届ける意味でも、ハレの祭りは物語の締めに、大変ちょうどいい。

 装束を整えた小糸は神職の果たすべき責務よりも、家族を辛い目に合わせない事を重視して三本目の矢をあえて外す。
 神様はそんな人の迷いを追いかけて、泳げもしないのに海に飛び込み、見事的中寿ぎの水まみれ、今回の長弓祭も瑞兆と相成っていく。
 人間が背負いきれず、投げ捨ててしまいそうになる荷物を受け取り引き受けることは、例えば第9話でのビデオテープの行方などを思い返しても、このお話における神様……というかエルダの大きな責務である。
 大外れの矢をエルダが追いかけなければ、小糸は急に背負わされることになった(しかし母亡き後、必ず自分が背負わなければいけない)巫女の役割、神職の責務をほっぽり投げる形で、祭りが終わっていたかもしれない。
 エルダはそういう重たく難しくて、ちっぽけな人間が背負い切るには少し重たいものを奉納してもらって、永遠を生きる自分に引き受ける。
 そういう仕事を果たすために、なーんも考えてない風で思いの外優しく賢く、社会の風と心の機微を読みながら、エルダは神様をやっているのだ。
 そういうのが最後に見れて、とても良かった。

 あとツンツンお姉さんコンビが唐突に凄い濃度のキャッキャしだして、脳髄を強めに焼かれた。
 もはや少女ではなく、華やぎ思いを素直に伝えれた時代を遠くに置き去りにしながら生きている人たちが、麗しき童心を取り戻す。
 ハレの祭りにはそういう特別があって良く、エルダと彼女の神社、彼女の巫女たちは月島の人たちに、そういう活力を与える存在なのだ。
 そんな日々を共に歩いてきた老女が、儚く去っていったかつての巫女を、その娘の奮戦を見届けて思い出すのもまた、しっとりと良い味わいだったね。

 

 

 

 

画像は”江戸前エルフ”第12話より引用

 大仕事を終えて巫女がプレッシャーから開放されたので、Bパートではダメエルフは思う存分グダグダする。
 神様として祀られているのに、世のジンクスを総動員して厄を払い、ワイワイ騒がしく過ごしすぎて宮司に怒られる。
 一旦の幕引きとなるエピソードで、小柚子がしっかり目立って菊次郎まで出てきて、小金井家総動員の趣があったのはとても良かった。
 この距離感と温度感を毎日積み重ねながら、今どきエルフの、月島の生き神様の生活は成り立っている。
 特別なことなど何もなく、他人行儀な遠慮も身勝手な欲も遠ざけて、毎日楽しく暮らす姿を、巫女と神様が境内でかくれんぼする様子を、氏子は見守り遠慮している。
 とても優れた日常系アニメが、作中のなんてことない日常を描いて終わっていくのは、やっぱりとっても良い。

 エルダには神通力はない。
 精霊と語らい弓を当て、不死不滅という古式ゆかしきエルフの特徴はあっても、オカルティックな魔法で誰かの願いを直接叶えることは出来ない。
 だから辻占いだの四つ葉のクローバーだのタイのタイだの、無邪気なおまじないで役を払おうと、別の神様に頼る。
 それが描かれるのは、短絡的で直接的で超常的な”ご利益”ではなく、家族の一員として一緒に過ごし笑う、人間と同じく(あるいは喋って動くのだからそれ以上に)敬愛するべき””ただ、そこにいる”ことで生まれるカミの意義だ。
 氏子が求めるままに護符を作り神事を取り仕切り、やることやった上で今様の文化に親しみ、グダグダオタク活動に励む。
 エルダはあるがままにエルダであることを許され、求められ、ダイレクトな神力を発現しないままにカミサマであり続ける。

 そのわかりやすい代償の求められなさ、人の営みに生きて隣り合う在り方は、日本のカミを描いたエンターテインメントとしてかなり誠実だ。
 ずっと作品の根っこにこういう視線があったから、作品を信頼し、安心して体重を預けリラックスして、三ヶ月楽しく見れたな、と。
 最終回にして、しっかり思い返せるエピソードだった。
 こういう家族的同質性と同じくらい、カミとヒトを取り巻く時間の差異、それが引き裂くものと繋げるものも話の真ん中にしっかり入れ込んで、”エルフ”という題材を生かしたダシのとり方してるのも、やっぱり好きだ。
 過ぎ去っていく一瞬を紡いで、永遠という夢を編む。
 オタクカルチャーに浸りきった俗物エルフが持つ、人のあり方に向き合う機織り巫女としての顔が、朗らかなホームコメディの奥ににじむ。
 そういうところが、好きになれるアニメだった。

 

 

 というわけで、江戸前エルフ全12話、無事完走! です。
 大変良いアニメ化、大変良いアニメでした。
 エルフと巫女が織りなす朗らかで元気な日常、暖かで嫌味のない笑い、そこに時折交じる切なさと眩しさ。
 大江戸知識をスルッと盛り込む教養エンタメ的側面も持ちつつ、『エルフのいる月島』を楽しく描いてくれる現代SF的匂いもあり、構えた所も力んだ部分もないけども、とても贅沢なお話だったと思います。

 作品が持っている多彩なポテンシャルを活かすように、キャラの表情やテンポの良い笑い、月島の息吹を感じられる美術と、アニメを構成する各種要素も過不足なく、大変程よい塩梅で頑張ってくれました。
 クオリティで殴り倒す勢いだと、ローカルで落ち着いた魅力がかき消されていたかもしれないけど、小糸たちが楽しい日々を積み重ねる得難いキャンバスとして、現実的でありながら現実よりも少し素敵な月島を、しっかり作ってくれました。
 そこで描かれるやり取りにはたっぷりと笑いがあり、『しょ~がねぇなぁ!』と噛み締めれる愛しいダメさがあり、毎日を積み上げていくことで何が生まれるのか、時々シリアスに鋭く描ける強さがあった。
 ”日常系”としても緩さと硬さのバランスが絶妙で、大変いい塩梅の作品でした。

 最終回、例えば第6話屋第9話のようなシリアスな重さのある話で〆る事もできたと思うのですが、スタッフは特に特別なこともない小金井家のいち日を、ゆったりと描く終わりを選んだ。
 それが生み出してくれる、ここ月島にずーっと毎日が積み重なり、それが苗床となって沢山の幸せが育まれていくのだという静かな確信が、作品を貫通しているようなお話でした。
 作品とキャラを信頼し、紡がれる物語に安心しながら、はっと目を拓かれる気持ちにもなる。
 滅多にないレベルで”ちょうどいい”アニメだったと思います。
 大変面白かったです、お疲れ様、ありがとう!!