出戻り少女の青春探索を描く幻日のヨハネ、華やかなヌマヅ夏祭りを描く第8話である。
異世界でもヌルっと結成されたAqoursの晴れ舞台、スクールアイドル文脈で言えばかなりデカいイベント……のはずなんだが、舞台それ自体に注力するよりゆったりドタバタ、いつもどおりの幻日テイストで進んでいった印象。
この力まなさは俺結構好きだし、話数的にも中盤戦終了って感じなので、やっぱこのお話はスクールアイドルの話ではない(そのために鏡写しの異世界を舞台にした)つうことなのだろう。
お祭りのドッタンバッタンも、杖探しのてんやわんやも、これまで通りヨハネの現状にフォーカスした基本線に則ってて、彼女の成長と未熟を大きな舞台にスケッチしていくような話だと思った。
犬を模した杖がなければ歌えないと、震えライラプスに噛みつくヨハネは未だ、安心毛布を手放せない子どもであり、同時にヌマヅに戻ってきて以来友だちが増え縁が出来、自分なり社会に居場所を見出しつつもある。
このハンパな場所から漕ぎ出して、優しい賢狼と何らかの決着をつけるのが後半戦の眼目になんのかな、と思った。
ヌマヅ異変にしたって、今回歌ったから全部解決って感じでもないしね……。
決定的な一歩を踏み出す時、いったい誰が手助けしてくれるのかも賑やかな祭りの中でしっかり書かれて、一つの転換点をこのお話らしく刻むエピソードだったと思います。
女子会の勢いを借りて往くぞ夏祭り……ヨハネの気合は十分だ!
暗い自室から窓越し外を眺めるカットは、ヨハネの幼い内心を具象化したフェティッシュとして、このお話では幾度も描かれている。
幼いヨハネがただ眺めるだけだった”外側”は、七話分の蓄積を経て今目の前に扉を開けている。
この変化はヨハネだけのものではなく、ハナマルに手を引かれて進みだしたヨハネが、今度は手を取る皮になってアワシマ魔王城から引っ張り出したマリちゃんも、明るい顔で街の人と触れ合ってる。
ギルキスの三人は出来ない、進めない描写がしっかりあったキャラなので、一つの節目になるだろう今回の祭りで成長を確認できて、大変良かった。
あんだけ『陰気で何もね~~~』と自虐してた地元を、晴れやかに『いい場所ですよ! ウミウシくんもいるよ!』と誇れるようになったの、素直に良い描写ね。
ヨハネの方も……まぁ本業の占いは相変わらず散々だけども、頼れる便利屋としては一定以上の足場を得て、色んな人に助けられヒーコラ言えるようになった。
『他者は自己の鏡、不安をそのまま預けてみて……』というアドバイスは、文字通り鏡合わせにヨハネに帰ってくる予言なんだけども、自分が言っていることの意味を自身全く把握していなくて、答えが目の前に既にあると気づけないのは、良い愚者の書き方だと思った。
このお話は掴むべきものが我が家にあることに、そこから進み出してみなければ気づけない青い鳥構造の作りなので、まだ旅を終えていないヨハネは占い師(本業、なりたい自分)として成功できないわけね。
それでも友達と賑やかに過ごす日々は明るく楽しく、満点笑顔で祭りを満喫する。
ブーブー文句垂れ流して、誰かが奇跡を持ってきてくれるのを口開けて待ってた物語開始時に比べて、大変良い表情していて嬉しい。
ここにヨハネを引っ張ってきた功労者はマルちゃんとライラプスくんだと僕は思っているので、今回ハナマルちゃんがグイグイ来まくっていたのは最高に良かった。
考えすぎて足踏みするよりも、自分がしたいことを率直に伝えて前に進もうとするマルちゃんのワガママは、自分の幼さに手綱をつけて適切に扱う大人っぽさを、しっかり身につけている。
これは犬の魔杖がないと歌えない、自分を信じてくれたライラプスの真心にも噛み付いてしまうヨハネの態度と真逆で、残りの話数でこういうところを煮込んでいくんだろな……と思った。
それはつまりヨハネが己の幼年期とサヨナラする話であり、優しく強く幼い時代を見守ってくれたデケー犬とも、何かの区切りをつけることになるのだろう。
『それが話しの真ん中ですよ!』ってサインはずっと出していたので、納得も期待もするんだけども、それはさておきライラプスくんとただお別れして終わりは辛すぎるので、ヨハネには己を愛した導きの獣に相応しい決断を、今後果たしてほしい。
俺はライラプスくんが好きだから……。
お祭りを堪能していざステージ! ……の前の一波乱、魔法の杖がなくなっちゃった!
『第3話以来、異変のヤバな部分があんま前に出てきてこないので、このタイミングでガッツリ派手な事件起こしても良いんじゃない?』と思わなくもないが、この小さな事件こそが、このお話が選んだ身の丈ってことなんだろう。
あくまでヨハネ個人の内的変化にクローズアップし続ける、土の匂いがする小さな歩調はいい手応えで、僕は好きだ。
やっぱここでもハナマルちゃんがグイグイ手を引っ張ってきて、終盤を見据えて始まりの関係性に回帰してきた感じもある。
部屋の外に出て色んな人とふれあい、故郷の空気を胸いっぱい吸い込んで、自分の足で未来に進めるくらい強くなったように見えるヨハネは、魔法の杖がなくなった瞬間震えだし、歌えないと弱音を吐く。
ライラプスはヨハネ自身が奇跡を引き寄せられると(ずっとそうだったように)信じているが、ヨハネはその言葉を受け入れられない。
結局モノが生み出す奇跡を取り戻す形で杖は見つかり、ヨハネはそれを抱き寄せ抱きとめることで安心を得る。
これさえあれば、自分は自分でいられるのだと、自分の外側にあるモノに依存している。
そのフェティッシュが『友情スタンプを刻まれた、犬の形をした杖』なのは、ヨハネがヨハネでいられる原因がなんなのか、上手く物質化していると感じた。
魔法の杖に刻まれているのは、ライラプスやAqoursとの形のない繋がりであり、それを見つけ導かれて作り上げられた、ヨハネ自身の魂だ。
どちらも無形だからこそ永遠で、無限の力を生み出しうる可能性なんだけど、ヨハネは『魔法の杖』という形に縋って、震えながら閉じ込めてしまっている。
ライラプスくんが魔法の杖を抱く妹を複雑な顔色で見ているのは、まだ自分を信じて部屋の外へ踏み出すには少し足らない現状を、再確認したからだろう。
それはヨハネが返ってくるべき場所を守るために、自室にい続けなければいけないライラプスから、ヨハネを引きはがす未来に繋がっている。
愛しているから側にいて、信じているから離れなければいけない矛盾を、賢いライラプスはずーっと分かっていて、来るべき運命の日を待ち望みつつ、成長に伴う健全な必然なのだと理解しつつ、心の何処かで永遠を求めている。
その複雑な心と視線に、震えるヨハネは気づけない。
幼いということは、時に残酷だ。
ヨハネとライラプスの関係において、正誤はいつも固定されている。
幼いヨハネが感情のまま正しくないことをして、ライラプスはそれを正して導き、感情の爆発に傷つけられながらも、微笑んで妹が進むべき道を示していく。
その一方通行な関係の中で、ライラプス個人の感情は表立って描かれることはなく、思うがまま自分の道を進んでいく主人公敵特権は、常にヨハネの中にある。
最高のステージの真ん中に立ち、最高の仲間とまばゆい青春を描けていくのはいつだってヨハネで、ライラプスは表舞台に上がることなく、ずっと後ろで見つめている。
浦の星のスクールアイドル、Aqoursを原典とする物語にとって、九人のステージは相当大きな見せ場のはずなんだが、それは結構スルッと形になってしまって、そこに至るまでの苦労や努力は、ほぼ描かれない。
前回の女子回においても、ファンサービス(あるいはジャンルに求められるものへの応答)として瑞々しく眩い少女群像はぎっちり詰め込みつつ、ストーリーを駆動させる足場は出戻り少女と優しい精霊に、あくまで置かれている感じがある。
この話が”SUNSHINE in the MIRROR”であり、沼津ではなくヌマヅを舞台とした新たな物語である以上、”ラブライブ! サンシャイン!!”と同じ画角、同じ足取りで青春を描いても、意味もなく上手くも行かないだろう。
だからあくまでヨハネ一人に強くクローズアップし、その幼さを照らす一番大きな鏡としてライラプスを描く筆先は、けして間違ってはいないと思う。
デカくて喋る犬がメインキャラクターなのも、魔法が実在する(島津善子の中二病が、実現不能な夢想ではなく一つの現実的可能性になりうる)ファンタジーにおいては違和感なく……というよりむしろ、ライラプスが青春の導き手、去りゆく幼年期の象徴として機能する舞台を求めて、異世界ファンタジーというジャンルが選ばれた感じもある。
ヨハネの超自我であり守護獣でもあるライラプスの、超越的でありながら人間味が濃く、優しく強く少し寂しい描き方が、僕はとても好きだ。
Aqoursの物語を描くなら、クライマックスに配置してもおかしくない九人の舞台が、晴れ舞台としての眩しさ、美しさを十分以上に宿しつつあくまで、青春の1ページとして描かれた(と、僕は感じた)今回、作品の軸足が何処にあるのかを再確認する感じで、不思議な納得と手応えがあった。
鏡を重要なフェティッシュとする今回、愚者たるヨハネが無自覚に予見していたように、自分のあるべき姿は他者との関係性の中にしか照らし出されない。
九人の仲間と出会い、笑いながら触れ合ってこのステージまで来たヨハネは、そういう鏡をライラプスと二人きりの暗い自室の”外側”に見つけつつある。
しかし同時にその幼い自我は十分育ち切っておらず、形あるからこそ確かに思え、同時に無限の可能性を宿すには窮屈な物質にこそ、自分を支える安心を見出してしまっている。
そこがヨハネの現在位置であり、ライラプスが身を寄せて毛皮で暖かに守りつつ、どこか距離を置いて離別の準備をしている、二人の居場所でもある。
楽しいことも難しいこともいっぱいあったお祭りを、ヨハネは満点の笑顔で締めくくる。
その野放図で自由で健全な成長の奥で、ライラプスがずっと抱え込んでいるもの。
ヨハネの心の震えを受け止めてくれた存在が、正しさと優しさの奥で同じように抱え込んでいるものを受け止められるほど少女が育った時、物語は終わるのだろう。
必死に正しい存在であろうと自分を律していた親が、自分と同じく感情に震える”人間”でしかないと気づいた時、ヨハネの幼年期は終わり、一方的な傾斜が公平に開かれていく。
今はまだその時ではないから、異世界Aqoursのステージはクライマックスにはなり得ない。
鏡写しの自分を抱きしめ返せるほどに、ヨハネが優しく強くなる最後の試練は、一体どう描かれるのか。
次回も楽しみです。