イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

蒼穹のファフナー THE BEYOND:第8話『遺されしを伝え』感想

 僕らの島に季節外れの雪が降る時、起死回生の船が出る。
 OPも心機一転、第二次L作戦へと突き進む島の決戦前夜を描く、ファフナー BEYOND第8話である。
 二話に及ぶ激戦が当たり前に生み出した犠牲者たちを悼み、心を整えて新たに立ち上がる人たちの、それでもこらえきれない涙と愛をしっかり描く、とても”ファフナー”らしいエピソードだった。
 父母の死を伝えられた子供の心に、訃報が染み込むまでの時間を丁寧に見せる演出に代表される、巨大ロボットとケイ素生命体が戦った後当たり前にそこに在る、えぐり取られもう戻らない傷跡の数々。
 闘争が生み出す哀しみと怒りが、歴戦の勇士たちにもけして無縁ではないと描いた上で、そうして失われた人たちが守ろうとした理念を裏切らないために、復讐を戦いの動機にはしないという高潔……と、それでもなお、そこからはみ出してしまうもの。
 弔いの花が枯れる間もなく、大包囲網を背中に突きつけられる最後通牒と、かすかな希望を託して進み出す船には、これまでアルヴィスが戦い続け、守り続けたものが色濃く影を伸ばしていた。
 悲痛でありながら熱く、切実でありながら眩い戦いは、島を二つに割る奇策を口火として、どんな色合いで燃えるのか。
 全てに決着をつけるだろうファフナー BEYOND終盤戦、静かながら力強い滑り出しとなった。

 

 というわけで、沢山の人が亡くなったのだから人間には、殯の儀式が必要になる。
 合同葬儀の前段階、死体すら残らぬ壮絶な戦いの中で、しかしかすかに思い出の残滓を必死に拾い集める人たちの苦労が、丁寧に描かれていたのは印象的だ。
 それはタンクトップ酒場やフリーマーケットに描かれた、幸せな日常が理不尽に踏み砕かれた残骸であり、それを完全に無意味なものにしないためにも、人間が拾い集める名残だ。
 龍宮島が絶滅戦争へと滑り出していく人類から離れ、文化を守り伝えてきた営みは、ともに笑いあえる生だけでなく、死者の尊厳を保ち生者を前に進ませていく、このような儀礼にこそ宿っているのだろう。

 そこら辺の意味合いをかつて子どもであった青年たちは嫌というほど思い知っていて、クソガキは初めての葬礼にいまいちピンときていない。
 黒い喪服が哀しみの色だと直感しつつ、真壁一騎が身にまとう服喪の色合いには目が行かないあたり、年相応のガキっぷりで安心もするけど、ソウシは抹香臭い葬儀場の空気を、彼なりちゃんと吸っていたように思う。
 売り言葉に買い言葉、誤解を助長するような言葉遣いはしてしまうけども、しかし人が生きることと死ぬこと、憎悪と哀しみだけに生き残りが身を染めないための社会装置の意味には、しっかり向き合っていた。
 そうでなければ、自分が継いだものを料理に卓し、何よりも雄弁なメッセージとして姉妹に届けはしないだろうし。

 あれは死してなお千鶴さんの育んだ文化がソウシに継がれ、肉体の死を超越する何かが人間には在るのだと、真矢と美羽ちゃんに伝えるだけでなく、彼の故郷にコピーされていた弓子さんの魂が、確かに意味を宿している証明にもなってたと思う。
 龍宮島の平和で平凡な情景に込められた、血染めの決意を知るものにとって、あの偽物の島は冒涜以外の何物でもないけど、しかし今回ソウシが”母”であるセレノアを通じて千鶴さんの料理を継承していたのなら、それはただ空疎な偽りではない。
 生物当たり前の生き死にを超え、人類の定義を書き換えてしまうフェストゥムが人を模して生み出した/簒奪した/蘇らせたものがなければ、ソウシは姉妹に死を超えて受け継がれる、とても人間らしい味わいを届けられなかっただろう。
 ぎこちない家族の模倣から、人に親しいフェストゥムたちが何かを学び変わりつつある様子は、幾度か描かれている。
 人からフェストゥムへの一方通行ではなく、フェストゥムから人……親から子への偽りの繋がりに、確かに何かが宿っていたと信じたくなる、奇妙で暖かな贈り物だった。

 ソウシは”ファフナー”最後の主役として、作中当然視されているものを素朴に疑問に感じ、問いと働きかけで切り崩す立場にあると思う。
 ファフナーと晩ごはんを同列に並べる発想は、怪物に魂を喰われながら何かを守り続けてきたパイロットたちには思いもよらない発想で、しかしその価値転換が千鶴さんの罪を減じ、彼女が真実守り続けたものの意味を、新たに輝かせる。
 美羽ちゃんとの関係においても”問うもの”としてのソウシは特異で、敵すら嫌いになれない(から声が届かないと、ソウシに突っ込まれてる)彼女が、いい人なのか嫌な人なのか、判断しきれない他者性を唯一有している。
 全肯定でも全否定でもなく、あやふやな天秤の中で適正な距離を探り、お互い変化に対して開かれた動的関係を作り上げる。
 そういう人として自然な……しかし気づけば特異な価値論的結界の中に囚われている、島と美羽ちゃんにとっては思いもよらない在り方を、ソウシは突きつけてくるのだ。
 彼の料理が静かに示した、偽りの日常が確かに育み伝え得た”何か”が、激化する人間とフェストゥムの戦いで何を為しうるのか。
 今は悪口に思える『フェストゥム人間』が、既に人間の定義を書き換えるほどにフェストゥムに侵食されてしまっているこの世界において、実は希望をはらんでいる可能性に向かっても、船は進み出せるのか。
 第二次L計画の行く末は、ただ悲痛なだけではないだろう。

 

 同時に死中に活を求める奇策を前に、帰ってこれるか理解らぬ運命へ進み出す戦士たちには、否応なく悲愴な気配が漂う。
 これが恋人たち、夫婦たちの確かな愛と共に描かれるのがなんとも切なく、闘争を前にしたスケッチとしてなんとも重たかった。
 普段は険しい武をまとう零央が、美三香とかわす抱擁に宿る愛しさと、その足元に前提としてある”時間切れ”。
 あるいは遠い月を見上げるように、気づけば当たり前の恋とは違うところまで来てしまった真矢と一騎。
 呪いのように刻まれた傷跡を、夫婦の契りを形にした婚約指輪が覆い隠す優しさがむしろ切ない、咲良と健司の深い絆。
 死と離別を避け得ない闘争の中で大きくなった子どもたちは、愛しい人と共に過ごす未来を片手で撫でつつ、大義のために死ぬ運命ともう一方の手、固い握手を交わしている。
 そんな極めて”ファフナー”的な光景が、なんとも見ていて辛い。

 千鶴さんに守られ生き延びた真壁司令だけは、船出を前に恋人と語らうことがもはや許されず、しかしその不在こそが何よりも強く、彼の愛を語ってもいた。
 人類最後の希望を司る船長として、人間らしい弱さを己に許さず背筋を伸ばしてきた男が、どれだけの激情と後悔を秘めてなお、人として正しい道を進んできたのか。
 その歩みが数多の子どもたちの導きとなり、沢山の死者に支えられてきたのか。
 マリスの挑発を前に一瞬息を呑み、しかし仇敵相手にも憎悪に飲まれず、理念と使命のために戦う姿勢を示した今回、ファフナーに乗らない彼の……彼が体現する”大人”の戦いがどんなものであるか、強く示された感じがあった。

 千鶴さんの喪失はアルヴィスの人間がどう死と喪失を噛み締め、遺されてなお道に迷わず進むための糧にしていくのかを、具体的に描いた。
 そこには責務と使命と、そこから一滴漏れてしまう涙が入り混じっていて、変わり果ててしまった我が子にのみ後悔をこぼしつつ、その人間的な震えを己の全てにしない、強い生き方がある。
 そうして遺された者たちが正しく生きることが、志半ばに倒れた死者(かつて生者であった者たち)をその消滅によって終わらせず、尊厳と意思を未来に繋ぐことになる。
 言葉にすれば簡単だが、湧き上がる思いに流されずそう生き続けることはとても困難で、例えばいまソウシがガキっぽく振り回されている色んな思いと同じ荒波に、司令だって身を置いている。
 身を置いてなお、アルヴィスの理念を血で穢さぬように、礼節を持って敵の使者と対話し思いを伝える道を、彼は選んでいるのだ。
 そういう人が島の真ん中に、ソウシと美羽ちゃんの行先にいてくれることが、この船出が絶望のみで彩られていないと思える、大事な理由なのだろう。

 

 赤い月が生み出す冷たい停滞を打ち破らなければ、人類に未来はない。
 しかし里奈ちゃんをバックドアにした超常的諜報活動で、情報アドバンテージは圧倒的にベノム側にある。
 マリスが『ぶっ殺すぞこんガキ!』言われた時に『心を別の場所に移す』って答えてるのが、感知できないスパイウェアがどういうからくりで動いてるのか、観客が推理できるヒントになってんのね。
 彗が静かに強く、眠リ続ける想い人をずーっと守っている様子も描かれ、やっぱ今回は恋人たちのエピソードだな、と思ったりもしたが、あそこは事情を知る人にとっては余人立ち入るべきではない、不入の聖域なのだろう。
 しかしソウシは『手っ取り早いから』とそのアドレスを引っこ抜き、ひょいと顔を見に行く。
 その軽率な足取りはおそらく、真実と解決に一番近いイレギュラーで、やっぱり彼は硬く凝り固まった……だからこそ何かを守れるモノへと踏み込み、意外な形で変化を手渡す存在なのだろう。

 気づけば”ファフナー”的なものに縛られ、そこから解き放たれた志向ができなくなっている人たちが、硬質なケイ素生命とぶっ殺し合いしている現状は皮肉でもあり、否応なく皆”フェストゥム人間”になってしまっている現状をスケッチもしている。
 望むと望まざると、フェストゥムの因子を取り込みその力を借りて、魂と肉体を砕かれながら戦ってきた人たちは、もはやかつてあった人間ではない。 
 コピー不可能なはずの人間存在は複写され、死せるものは形を変えて蘇り、繰り返される交雑が世界の形も、人の定義も書き換えていく。
 そんな新しい世界に決定的な何かをもたらす資格と運命が、美羽ちゃんとソウシにはあって、冬の包囲を突破する第二次L計画がうまく行かなければ、親の仇を取るべく子どもがファフナーに乗る物語が、また繰り返されるだけだ。
 そこから誰もが抜け出したいと思いつつ、しかし繰り返す悲劇から抜け出せないのなら、未来の鍵は誰が持つのか。
 後半戦は、そこら辺を厳しく問いただしそうだ。

 

 というわけで、終盤戦を前にじっくり、いなくなった人と遺された人たちを描く回でした。
 戦いと戦いの間にある、こんなふうに喪失を飲み下してなんとか人間の形を保つ時間をしっかり書いてるのは、”ファフナー”の凄く良いところだと思う。
 死中に活を求めて突き進めば、また新たな犠牲が生まれ、繰り返す虚しさに心が飲まれそうにもなる。
 それでもなお、人間らしく戦い抜いて何かを守るために必要なものが、しっかりと刻まれる回でした。
 あまりにも正しく、あまりにも寂しい航路の行く果ては、希望か絶望か。
 次回も大変楽しみです。