イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

オーバーテイク!:第2話『ノリと勢い Told ya, roller coaster.』感想

 サーキットを離れても、動き出した運命は止まらない!
 F4に出会ってしまった一人の男が、持ち前のノリと勢いを取り戻して突き進んでいく様子を描く、オーバーテイク! 第2話である。

 競技の華やかな力強さで話に引き込む第1話から、金勘定と人情が渦を巻く勝負の裏側へと舞台を変えつつ、丁寧に競技の何が面白いのか、大変なのかを刻み込んでいく手際は相変わらず。
 ショボクレた整備工場の空気、そこを家として必死に生きているレーサーとメカニックの人生を雰囲気ある描写で積み上げていくことで、作品の奥行きがグッと広がった感じがあった。
 前回は孝哉が悠と出会うことで停まりかけていた人生が動き出す様子を切り取ったが、今回はそうして勢いがついた男に引っ張られて、無骨な態度に情を隠した悠が何かに出会っていく様子、固く握りしめた何かが解けていく場面が描かれ、レースを見守る大人と駆け抜ける少年、両方が出逢いによって変わっていく物語なのだと分かっても来た。
 両親の死により表情を強張らせ、心を固めて大人になるしかなかった悠が、彼との出会いにより持ち前の童心を取り戻した孝哉に引っ張られて、キラキラと輝く眩しい幼さを取り戻していくお話という、作品の画角を感じられる第2話だった。
 貧乏プライベーターの人生事情に切り込むことで、走るために彼らが何を賭けているのか、どんだけキツいところから勝ちを掴もうとあがいているかも分かってきて、作品をしっかり味わうための下地が整ってきた印象。
 このよく整った出だしからどういう走りを見せるのか、今後が楽しみになるエピソードでした。

 

 

 

 

 

画像は”オーバーテイク!”第2話より引用

 つーわけで、やっぱりTROYCAのアニメは美術が良い!
 実在感の濃い小牧モータースの佇まい、薄暗いガレージの空気が、サーキットにいては感じられない弱小プライベーターの”生活”というものを感じさせる。
 スポンサー獲得の大切さ、難しさを追いかけていく今回、小牧モータースとベルソリーゾの違いをヴィジュアルでもって分かりやすく示すってのも大事な仕事で、F4を足がかりに上を目指していく強豪の本拠地は、明るく清潔に、いかにも稼いでいる感じで描かれている。
 貧乏チームがシコシコやりくりしてなんとかしがみついている場所が、恵まれた強豪チームにとってはパイロット育成のための”学校”……あるいは本命の片手までやる”おまけ”でしかないと、明瞭に示したことで主役の立ち位置も相当分かりやすくはなった。
 立ち位置としては『金持ちライバルチーム』なんだけども、目指す先と立ってる足場が違うだけで、ベルソリーゾも本気で誠実に走っていると書くことで、群像劇に必要な透明度も上手く確保されてる感じ。
 ベルソリーゾが選び取った、経済的で効率的で近代的な”勝てる”スタイルとは真逆の惨めさに小牧モータースはいるわけ。
 だが、どん底を這いつくばりながら人情山盛り努力と根性、ジャイアントキリングを目指す(しかない)やり方は、よりドラマチックではあるのだ。

 同時にその難しさも裏切ることなく書いていて、養親にお金を入れるべくバイトに勤しむ悠の健気は、オーディションに選ばれ経済援助を受けながら、使える時間を全部レースにつぎ込むエリートに歯が立たない。
 金があるということは時間を何に突っ込むか、選ぶ自由を買えるということであり、使う車は同じでも乗っかる人間には差が出てくるF4において、環境の違いは強さの違いだ。
 それでも、だからこそ。
 錆びついた町工場から譲れぬ思いを載せて、必死に夢へとひた走る挑戦を応援したくなるものだし、それが叶って勝利を手にした時の気持ちよさはひとしおだと、全然成果が出ていないこの段階でもよく分かる。
 クラッシュで終わった前回のレースと同じく、企業スポンサーの募集も一口広告も結果を出せず、小牧モータースは”負け”続けている。
 しかしこのアニメの的確な画角は、挑戦する人たちの眩しさと熱量が勝敗を超えたところにあること、夢に向かって頑張る姿は見るものの心を震わせることを、しっかり描いている。
 これは最適効率で勝利を求め続けるトップクラスでは描けない、金持ちも貧乏人も走るF4を舞台にしているからこその面白さであり、それを緻密な取材、その成果をスマートに届ける手際がしっかり裏打ちしている。

 ど素人ながら胸に点いた炎を止められず、ノリと勢いで突き進む孝哉を情報の窓口にする形で、F4とはどれくらい金がかかり、それぞれのチームにとってその金がどの程度の負担で、どういうレギュレーションで勝負しているのかが、見ているこちらにも伝わってくる。
 こういう専門知識を噛み砕いて、効率的に伝える手際の良さはそのまま、キャラクターがどんな人物であるかを見せるスムーズさにも繋がっている。
 息子が思わず口にする『エモい』がさっぱり解んねぇ小牧のおじさんだが、孝哉の情熱を鷹揚に受け止め、親友の忘れ形見が固く握った拳に何を託しているのか、親身に真摯に向き合う懐の深さがある。
 そんなオーナーの人物に当てられ、立ち止まったり進んだり、孝哉の錆びついていた情熱もせわしなく駆けずり回っていく。
 そしてそれに押される形で、悠もまた取りこぼしていた何かに出会っていく。

 

 

 

 

画像は”オーバーテイク!”第2話より引用

 ノリと勢いで突っ走り、事情も知らないまま引っ掻き回して大人げない自分を顧みる時、孝哉の行く末を”止まれ”が塞いでいる。
 しかしこのお話がF4のアニメである以上、F4を好きになってしまった孝哉の思いつきが間違いであるはずもなく、その実態に迫れるベルソリーゾへの取材依頼が飛び込んできた時、背後には”出口”が描かれている。
 こういう画面に喋らせる演出がTROYCAのアニメーターは無茶苦茶上手い印象があるが、AパートとBパート、孝哉と悠両方の人生の岐路を、美しい夕焼けのエモさで染め上げ重ねていく見せ方とかも、大変に良かった。
 ロマンティシストとリアリスト、子供っぽい大人と大人びた子ども、見守るものと走るもの、夢を与えられる側と夢を与える側。
 真逆に見えて二人には確かに通じ合うものがあり、この奇妙な縁が孝哉から悠への一方通行ではなく、レーサーの人間的事情だとか競技の裏側だとか見て取るうちに、、心の柔らかな部分へ触れる権利を手に入れ影響し合うのだと、キャラクターの関係性を削り出していく回でもある。

 この共鳴は主役二人だけでなく、それを取り巻く脇役と主役の間でも力強い。
 両親を亡くした悠の親代わりと、ガキが必死な顔で差し出してきた願いを全部引き受け、苦しい懐から夢絞り出している小牧のおじさんが、自分が戦う理由を語る時に揺れているコーヒー。
 それを見つめる視点は、寡黙な少年が訳の分からねぇオッサンに振り回され、軽薄に思えた身勝手の中に確かな情熱があり、自分の行いを鑑みる節度があり、関係ないと思っていた孤独な走りが誰かの思いを惹きつけるのだとわかった時、缶コーヒーを眺める視界と重なっている。
 自分にとって、自分と関わる人にとって本当に大事なものを思う時、こういう仕草が重なるということは、血の繋がりを超えて小牧のおじさんと悠は”親子”なのであり、一見何を考えているかわかりにくい純情少年の魂が、ぶっとく義理のオヤジに繋がっているのだと分からせてもくれる。
 健気な勤労少年の生き方だとか、両親の遺志を背負って走る覚悟だとか、明瞭に悠を好きになれる要素で殴りかかってくる本筋の奥に、こういう言葉にならないからこそ深く刺さる表現が密かに、的確に仕込まれているのは、見ごたえがあって良い。
 ここらへんの圧縮率の高さ、読み解き突き刺さった時の火力の高さは、『TROYCAアニメ食ってるなぁ……』って感じが強くして、見てて気持ちいいわな。

 

 

 

 

画像は”オーバーテイク!”第2話より引用

 お互い様な影響の強さは、運命的な出会いから始まったこの物語において、とても大事なものだ。
 孝哉の思いつきに引っ張られる形で、悠は街を引きずり回され人に触れて、色んなものを見ていく。
 頑張り方を忘れかけるくらい、人生の荒波に揉まれ流されてきたオジさんが、それでももう一度自分なり頑張ってみよう、夢をくれた相手に報いようと、不格好に汗を流す姿を間近に見つめる。
 応援なんて関係ない、俺は一人で走るだけ。
 そう思い詰めて頑なになっていた悠の心の扉を、孝哉は物分りの良い大人であることではなく、自分が見つけた”好き”に突っ走る子どもらしさでもって叩いていく。
 それは両親の死により過剰な強さで拳を固め、大人びた生き方しか選ぶことが出来なかった悠が、置き去りにしてしまっているものだ。

 それがどんなものなのか、『一番』を無邪気に問いかける子どもの言葉に刺された悠を間近に見ることで、孝哉も理解していく。
 それは小牧のおじさんが先んじて叩きつけられ、このガキのために人生使ってやろうじゃねぇかと、心を決めさせるほど重たいものだ。
 悠の頑ななストイシズムは、高校生にしてF4で走れている彼の強さの源であり、『一番』にはなれない弱さの理由なのかもしれない。
 孝哉と街を歩いた旅の最後、悠は無邪気な子どもの贈り物を受け取る形で、固く握るしかなかった拳をようやく開く。
 そうして新しい何かを受け取ることで、悠が『一番』になれる可能性もまた開かれていって、情熱だけの変なおじさんから間近で浴びた、ノリと勢いを燃料に変えの運命も加速していくのだろう。

 子どもが無邪気に差し出した楽しさが、世知辛いレースを勝ち切る”答え”なのだと示すかのように、階段の傾斜を活かして三人が対等な立ち位置になってるの、好きな見せ方だ。
 孝哉が悠に火をつけられ、悠が孝哉に人生を教えられているように、年に関係なく人は繋がり、何かを与え合うことが出来る。
 そういう物語である以上、な~んも知らねぇ子どもが無邪気に差し出したものが、さんざん駆けずり回って具体的な成果はなかったスポンサー探しの答えが、未来の行く先を示したって良いだろう。
 ”童心”を作品の柱の一つとして打ち出してきたこのエピソード、何かと難しそうな印象があるモータースポーツの根源的な楽しみ方を、ただ楽しいと思ったから突っ走ってる孝哉に重ねて、視聴者に教えている感じもある。
 ただ、面白そうだと思った。
 動き出す理由はそれだけで十分で、それ以上に重たい荷物を抱えていても、シンプルで子供っぽい答えを投げ捨てることなんて、多分ないのだ。
 ここら辺、孝哉が写真取れなくなってる理由(もしかしたら、奥さんと別れた理由)と繋がっていく予感もあって、今後の膨らませ方が楽しみである。

 

 というわけで、ノリと勢いの助けを借りて、散々走り回って成果なしのスポンサー探しでした。
 形に残る銭金は得られなかったが、孝哉は悠と小牧モータースが何を抱えて走るのかを知り、悠はガキっぽいオジさんに振り回されることで誰かに何かを手渡されるぬくもりを、それぞれ知った。
 形のないそれが、シビアな経済原則で動いているF4においてどれだけ力になるかは、今後のレースが教えてくれるだろう。

 悠の走りが再点火させた孝哉の情熱が、重い鎖に縛られた少年に何かを届け、その走りを変えていく。
 そんな物語が力強く動き出した手応えを、確かに感じさせてくれるエピソードでした。
 大変面白かったです。
 次回も楽しみですね!