イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ひろがるスカイ!プリキュア:第36話『ふたりは仲良し♡ 思い出の木! 』感想

 ひろプリ秋の個別回ましろさんのターンは、思い出探訪田舎旅!
 穏やかな景色に響く笑い声が、薄れかけた思い出を蘇らせていくひろプリ第36話である。
 大変良かった。
 何が良かったってまず景色が良くて、心地よい秋風を画面越しに感じ、田舎情緒のこもった心地よい空気を共に味わっているような、美しい風景がたくさん出てきてくれた。
 ああいう情景が穏やかにエピソードを埋め尽くして、そういう美しい場所でひろプリのみんなが生きているのだと感じられると、しみじみ作品を身近に感じられてありがたい。
 リスやらヤギやら蝶々やら、動物もたくさん出てきて全体的にのどかな雰囲気が漂い、少女たちのサウダージを追いかけていくお話と噛み合って、家にいては生まれない空気がよく出ていた。

 マジェスティ爆誕というミッションを終えて、エルちゃんを話しの真ん中に据えなくても良くなったことで、終盤にして物語が”広がって”いるのは、ちょっと面白い現象かなぁと思う。
 タイトルとテーマ回収するの最優先にするなら、虹ヶ丘邸に絞った展開で狭く深く話を転がす以外の手筋もあったわけだが、エルちゃんを中核に据えた疑似家族の物語を優先的に選んだ結果、敵の事情の掘り下げ含めやや作品世界が狭くなった感じもある。
 学校エピソードの少なさなんかもその現れかと思うが、家族であることに注力して進めていった結果、今回薄れかけた思い出を取り戻し新たな家族と皆で笑う写真も撮れたわけで、結局は何に注力して何を描くかって話なんだろう。
 この個別回ラップを最後に、話も総まとめに入っていくと思うが、ひろプリが選び取った物語(つまりは、選べなかった物語)がどういうものか、堂々語り切るようなクライマックスを期待したい。
 あの川辺を歩きながら”ももたろう”を皆で歌った時間とか、今回歩いた田舎道とか、ひろプリが描いてくれたものがやっぱり俺は好きだから、それには一年描くだけの意味があったのだと、納得できるラストを望んでいる。
 そしてこのアニメは、ちゃんとその期待に答えてくれると思うのだ。

 

 つー訳でお話は特に大きな揺れもなく、ゆったりとハマーに乗って田舎を訪れ、思い出をたどりながら秋の風の中を皆で歩いて進んでいく。
 最初田舎を訪れた時、思い出を二人が忘れかけているのが、僕は好きだ。
 あげはさんの描き方に顕著だけど、例えばエルちゃんがこれから白紙の人生に色々書き加えていくべきもの、皆で一緒に積み上げていくものを、年長の二人は既に得ている。
 それは永遠に鮮やかなわけではなく、うっすらとかすかに消え去っていって、しかしふとしたきっかけで……あるいは今回のように、『思い出そう、取り戻そう』と願う決意によって、息を吹き返すものだ。
 歴代最も年の差があるチームになったひろプリ、一下の真ん中に位置するましろさんにも中学生なり積み上げてきた思い出があり、生きていく痛みがあり、挫折や無力感が鎖になって己を縛る時があった。
 ソラ・ハレワタールとの出会いを契機に前へ進みだしたましろさんは、共に笑い合う日常の中で自分だけの夢を見つけ、厳しい戦いの中で自分だけの強さを磨き上げ、思い出の上に輝かしい未来を積み上げようとしている。
 そんな道程の先、既に夢を見つけ真っ直ぐ”最強の保育士”たらんと願うあげはさんにも、涙に暮れる子供時代があり、ましろさんというヒーローとの出会いがあった。
 その思い出があるから背筋を伸ばして生きることが出来て、それがどれだけ守るべき子どもたちを支えているかは、既に作中幾度も描かれた物語だ。

 そういう生き方をしている人たちも、時の流れの中で思い出が霞んでいく時があって、そしてそれはそのまま消え去るのではなく、新しく出会った人たちとの歩みの中で、鮮烈に蘇っていく。
 小さく人見知りだったかつての自分が、何を願って帽子を追い、リスの寝床になったそれを快く諦めて、あげはさんと友達になったのか。
 とても大事なはずのそれすら薄れていってしまう、当たり前の定めの中に”プリキュア”もいて、でもそれはとても穏やかな景色の中もう一度歩くことで、静かに蘇ってくる。
 そういう喜ばしさを、焦りが一切ない描写を積み上げながらしっかり削り出してくるのは、凄く良い手触りだった。
 おしゃまにツバサくんを叱りつけるところまで成長したエルちゃんが、この後さらに自分の足で……時折大事な人達の腕に抱かれて進んでいく場所を、もう赤ちゃんではないましろさんは通り過ぎている。
 しかし今エルちゃんが立っている場所と、今ましろさんが立ち止まり過去を思い返す場所は繋がっていて、子どもはいつか大人になり、大人になっても子ども時代の輝きを思い出すことは出来る。
 そういう不可思議で暖かな、人と人との繋がりが、虹ヶ丘邸でひとつ屋根の下暮らしてきた人々の間にはあるのだと、今まさに作られているのだと、静かに語るエピソードだった。
 こういう静かなペーソスは、エルちゃんを守り育む日々を皆で共有しながら進んできたひろプリの長所だと思っているので、最後になるだろうましろさん個別回で味わえて良かったな……。

 

 ましろさんとあげはさんがどんな子どもであったか、小さな小さな大冒険を思い出しつつ描いてくる筆先も達者で、マジで可愛く素晴らしかった。
 幼少期の人見知りっぷりを思えば、第1話当時の『なんにも出来ない、なにもない真っ白な女の子』っぷりは実は成長の結果であって、そこにあげはさんとの出会いが深く関わっていたのだと、終盤戦の答え合わせをした気持ちにもなった。
 家族と離れ離れになる寂しさに顔を伏せず、アゲアゲで夢を追うのだと生きてきたあげはさんの眩さが、後に瓦礫の中開花する虹ヶ丘ましろのヒロイズムを準備していた感じもあるし、あげはさんがそういう存在でいられたのは、自分の涙を拭ってくれた幼いましろさんがいてくれたからこそ。
 そういうお互い様の眩しさが、ここまで3クール積み上げた物語からじんわり匂い立つのも、秋という季節に相応しい詩情だったと思う。
 ひろプリは”年齢差”を話の中心に盛り込んだ結果、子どもなり進んできた道の意味が大きく扱われがちで、それが個別の尊厳を持ってるけどたしかに繋がっている仲間の道に繋がり、かけがえない助けを手渡ししてる様子も、強く描かれてきた。
 ここらへんのジンワリした味わいは、やっぱ好きだ。

 まぁそこら辺の穏やかな妙味を横にぶっ飛ばして、バトルノルマは果さんといけんのだがな!
 独善に酔う豚、弱さを残虐で覆い隠す虫、武人気取りの暴虐猪と、色んな悪人を描いてきた(そしてあまり掘り下げきらなかった)ひろプリであるが、スキアヘッドは理性的で謎めいた暴力装置として、ファイナルラップまでお話を牽引しそうだ。
 まー元々悪党の経歴や内面をそこまで重視せず、プリキュア(つうかエルちゃん)を狙う組織や社会がどんなもんか、ダイレクトには描かない作風で進んできたので、スキアヘッドだけゴリゴリに削り出されても逆に違和感がある。
 なのでバトル発生装置に徹している今の立ち回り、自分はそこまで違和感ないのだが、そういう”悪”があることで主人公たちのヒロイズムがどう照らされるかは、しっかり書ききって欲しい。
 アンダーグ帝国がどういう組織で、どういう目的と過程で悪を為しているのか描かなくても、悪党がなぜ悪になってしまい、何を求めて果たせないかは、このお話主役たちの”善”と対比する形で、なかなかうまく書けてきたと感じている。
 カバトンの共感と志の欠如、バッタモンダーの独善と残酷、ミノトンの狭い視野はそれぞれ、その真逆の資質を元々有し、あるいは好きになって憧れた仲間から手渡されて自分のものにした主役が、何に長けているかを照らしてきた。
 そういう主役の鏡としての仕事を、虚無的な暴力装置であるスキアヘッドがどう果たすかは、彼が牽引するだろう終盤戦においてしっかり書くべき課題だろう。
 主役のシャドウとしての敵役の、物語的機能を凄く限定的に書いてきたひろプリの語り口が成功だったか失敗だったか判断するのは、やっぱり最終クールをどう走りきるかにかかっているわけで、まーそこら辺は頑張って欲しいポイントだ。

 

 というわけで、穏やかな秋の日に相応しい、優しくも靭やかなエピソードでした。
 こういう歩くような速さで思い出を語り、それがあればこそ眩しい今を描き、そこから伸びていく未来を照らすお話ってのは、ひろプリの得意だし強みかな~と、終りが見えてきたこのタイミングで思う。
 ツバサくんやエルちゃんという、導くべき年少者がいることでましろさんが手に入れた独特の手触りを、最後にもう一度確認できるお話でした。
 白紙の未来にひた走る中学生に見えて、その実結構みっしり人生積み上げてきてるっつうましろさんの描き方、結構プリキュアの中でも特殊だと思うんだよねぇ……。
 そこも好きだ。
 虹ヶ丘ましろさんは、好きになったところ、なれたところがたくさんある人で、この人と出会えるアニメだったのはひろプリ、凄く良かったなぁと感じている。
 次回・浮島の大冒険も、大変楽しみですね!