イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

呪術廻戦「渋谷事変」:第37話『赫鱗』感想

 無人の渋谷駅に、赤紅の血葬と蒼黒の呪力が踊る。
 虎杖悠仁と脹相の激戦を超絶クオリティで描き切る、呪術アニメ第37話である。

 毎回毎回劇場版クオリティ、”質”でぶん殴られるのにもいい加減慣れてきた……などとあぐらをかいていた所を、横合いからぶち飛ばすような凄まじい回だった。
 陰謀と惨劇渦巻く渋谷を舞台に、全撃必殺、生きるか死ぬかのせめぎあいをしている二人は爽やかに全力を尽くし、裏がない。
 奇妙にスポーティで爽やかな殺し合いが、どっしり24分緩むことなく描ききられた。
 何しろ人数も多く事態の変遷も激しい渋谷事変、前回のように複雑な情勢をカットアップして手際よく処理していく(そうすることで生まれる独自のグルーブ)も大事なのだが、一話まるまる激闘一つに使い切ることで、血みどろの贅沢をたっぷりと食わせる今回、その真骨頂を味わったありがたさがある。
 偽夏油の思惑に敵も味方も踊らされ、数多の犠牲を出しながら転がる事件の中で、何かを賭けて挑む者たちが閃かせる、命の眩さ。
 それが嘘ではないことを、エピソードの圧倒的仕上がりで証明した今回は、「渋谷事変」をアニメで描く意味を作品に繋ぎ止める、要石のような手応えを感じた。

 死闘当然の結末として、主人公が命を奪われる。
 かと思ったその時、これまでの血生臭さを押し流す勢いで溢れてくる、家庭的な……だからこそ歪でグロテスクな存在しない記憶。
 去りゆく脹相を追い抜くように、倒れ伏した虎杖くんに迫る影と、さらなる惨劇の予兆。
 超絶バトルを描ききった上で、次回以降への導線もしっかりと引いて、「渋谷事変」中盤の妙手として、大変素晴らしい回でした。
 死力を出し尽くした主役を巻き込んで、物語は一体どこへ転がっていくのか。
 心地よい余韻と混乱を味わいながら、話の続きを待ちきれない気持ちにさせられる、傑作回だったと思います。

 

 

 

画像は”呪術廻戦・渋谷事変”第37話より引用

 今回は普段なにげなく摂取し消化している、街に溢れる意味論……超常の暴力によるその破綻が印象的な回だった。
 標識やピクトグラム、張り紙、案内。
 街にあふれている無言の情報は、人が集積する駅でさらにその密度を高め、適切に伝えるべきを伝えるように、それが街の情景に馴染み美しく無視できるように、人々が努力を重ねたメッセージ・アイコン。
 今回の演出は見過ごしがちなそれらが、渋谷を襲った呪霊事変によってどう蹂躙され、無視され、記号媒体としての役割を消失していくかを、つぶさに観察していく。
 見慣れているはずの渋谷駅が、どれだけ鮮烈な舞台装置として機能するのか。
 卓越した演出家の”眼”を借りる形で、日常にかぶさっていた帳を引っ剥がす快楽が、動のアクションに対し静のインパクトを伴って、静かに深く突き刺さる回でもある。

 真人の生み出した怪物が大通りを跋扈し、地上の地獄と化した渋谷において、看板は血塗られ、高圧ウォータージェットで真っ二つにされる。
 日常に封じられていたはずの呪霊が、日常に埋もれて意味を伝えるアイコンを壊す行為は、虎杖悠仁たち呪術師が何を守れていないかを、とても象徴的に示唆する。
 虎杖くんは『走らないでください』のメッセージは無視して戦いに挑むけども、人間が当たり前に生きていくためにひっそりと、機能的に、よく見れば美しくすらある数多の言葉(言葉にならない、しない言葉含めて)を壊しはしない。
 そういう穏やかで大事なものを、ガチャガチャにぶっ壊すからこそ呪霊は人と相容れず、今ここに地上の支配者が誰であるべきか、壮絶なせめぎ合いを展開もしている。
 これに呪いが勝った時、看板や標識が当たり前に機能している世界そのものがぶっ壊れ、渋谷で収まらない範囲に混沌と死が拡大していくという、おぞましい予感。
 それが外れていないことを、蹂躙されていくメッセージ達は静かに告げている。
 「渋谷事変」だからこそ描けるもの、描くべきものを、静止したバトルの外辺にしっかりと配置し、活写しているここら辺の演出、大変良かったです。
 やっぱ、都市論の視座があるアニメが好きだなぁ……。

 

 

 

画像は”呪術廻戦・渋谷事変”第37話より引用

 ”静”の演出の鋭さは、”動”の激しさと強さに隣り合うからこそより的確に機能し、アクションにメリハリを与えても行く。
 不倶戴天の敵同士が出会い、死力の限りを尽くしてせめぎ合う舞台……無明の闇におちた渋谷駅。
 ポップ表現の最先端をひた走る……というか、このアニメの後ろ側に”最先端”が出来ていく蛍光の眩さに瞳を焼かれながら、虎杖くんと脹相の激闘は激しさを増す。
 アーバンでサイバーパンクなトーンで統一された戦いは、あくまで闇の中、誰も見守ることなく展開し、世界の裏側でその命運をかけて殺し合う超人たちの微かな寂しさを、血生臭さに上手く混ぜている。
 結局殺戮では終わらない、この奇妙な死闘に漂う妙な味わいが、クローズアップで拳が交わる時に、危険極まる赤血操術が主観映像で迫る中に、しっかりと存在していることで、血湧き肉躍る戦いに不思議な落ち着きがあった。

 それは血肉を切り裂いて痛みを伴うはずの戦いの中で、ありえないほど静かに己を鑑み、為すべきことを探る虎杖悠仁離人……正しすぎて遠く気持ち悪い印象と噛み合って、彼がそこにいる実在感をフィルムに宿す。
 誰かの生存のために己の血を流す、供犠の獣であることを全く疑わない、恨みに思わず呪わない男にどうしても感じてしまう、不気味な非人間性
 ”人間”であればこそ貫ける高潔に、微かな濁りがあってくれたほうが体重を載せやすいという、傍観者の身勝手な感想。
 バチバチにやり合う激しさが、一手一手に込められた渾身の作画力が、そういうモノを削り出して、作品への解像度を上げていってくれる感じだ。
 この地獄絵図の中で、虎杖くんはどこまで冷静に、痛みに他人事に”人間”なのか。
 この違和感は彼が意識を手放した続きに、炸裂する物語的腫瘍だから、アクションを見ながらそれを感じれたのは、凄く適切で高度な”演出”だなぁと僕は思った。

 メカ丸のアドバイスをインターバルに、鮮やかなサイネージが赤血操術の多彩な技を映す演出もいい。
 何がいいって、実際の一撃がそれをぶっ飛ばし、言葉が言葉として、術理が術理として機能する空間を破断させていく瞬間が、ちゃんとアニメになっているのがいい。
 脹相は看板を、意味を、人間社会を壊す。
 呪いとはそういうものであり、その駆動因は彼がお兄ちゃんであること、弟の仇を取るべく虎杖悠仁を殺すことにある。
 何もかも置き去りに砕くほどの苛烈な激情が、彼を突き動かしていて……だから湧き上がった記憶に必殺の腕が止まり、話はここで決着しなくもなる。
 これほどに静かに荒ぶり、激しく猛るものがどのように呪われ、捻じ曲げられ、あるいは秘された真実に繋がっているのか。
 アクションの淀みない鋭さが、今後のドラマを追いかける理由を僕らの中に結晶化させてくれるのは、とてもありがたいことだ。
 それは明確な言葉でこちらに語りかけ、見るべきものを押し付けるのではなく、自然と視界に入り込み、伝えるべき意味を伝えてくる。
 駅構内に埋め込まれた、数多の看板のように。

 

 

 

 

 

画像は”呪術廻戦・渋谷事変”第37話より引用

 開けた駅構内で激ヤバジェットに対応する戦いから、狭いトイレに誘い込んでの近接戦へ。
 様々な色彩に彩られた時空から、赤と青が支配する緊密な暗がりへ。
 見事に死闘のトーンを調整しながら、バトルは新たな局面へ踏み込んでいく。
 長い長い戦いを見るものが飽きないように、上手く描くべきものを切り替え刺激的な味変キメて魅せきる工夫が今回冴えていたのも、とても良かった。
 こんだけの長丁場アクションで見せきるためには、バキバキに鍛えられたフィジカルだけで押すのは無理で、その勢いや凄さをどう緩め、方向を変え、テンポを緩め、緩急をつけるかが大事なのか。
 そうして興味と興奮を維持しながら、圧倒的なクオリティでアクションを暴れさせることでどんだけ、見ているものの脳みそを揺さぶれるのか。
 よく分かる回だったと思う。

 片や呪いを払う呪術師、片や呪いそのものを家族とする意志ある呪物。
 対極にあるからこそ潰し合う二人が、間近に殴り合うと差異よりも類似の方が強調されて、赤と青、鮮烈な二色に塗り分けられた両雄が親しくすら思えてくる。
 脹相の得意レンジ(というか、虎杖くんの苦手レンジ)を封じる奇手、スプリンクラーから滴る水が経時装置となって、額と額が擦れ合う調子近距離戦でどういう時間が流れているのか、視聴者に可視化しているところも凄く良かった。
 スローモーション一点張りで水滴を見せるのではなく、通常……というには加速し加熱された時間の中を二人の戦士がバチバチ殴り合い、高速で移動し、便所の壁ぶっ壊しながら奇襲を仕掛ける様子も、適切に入り交じる。
 相手を殺すため、止めるために死力を尽くす血みどろの知恵比べは、本気だからこそある種の遊戯性を帯びて、その純粋さが際立っていく。
 ……まぁ敵も味方も、一心不乱たぁとても言えない濁りが集っているから、なんかピュアなものが見たいってキモチも気づかず強くなってた感じか。

 死闘は虎杖くんが近接戦に居着いてしまったこと、自分に都合の良い決着を頭の中で組み立て囚われてしまったことで、敗北に終わる。
 二期から導入されたナレーション演出、不用意にねじ込めば大変不格好になろうものだが、榊原良子の圧倒的存在力を強引に的確に活かし、元々の芥火語録の強さも活かして、ビタっとハマる形でねじ込んでくれている。
 それが教えるのは、脹相がまだまだビギナーであること、しかし目の前の現実に全力を尽くし、不得手な状況に誘い込まれても適切に対応する柔軟さを有している事実だ。
 全レンジに対応できる脹相は至近距離戦に引きずり込まれても焦らず、使える手立てを全部使って虎杖くんの肝臓を穿ち、勝手に決定打になりうると決め込んだ一撃にも血の着込みで対処して、最後の最後で上回る。
 無心で目の前の戦いに挑むこと、胸の奥で湧き上がる憎しみを捨てないこと。
 両立困難な闘争の心得を、貫き通したから脹相は勝つ。

 

 

 

 

画像は”呪術廻戦・渋谷事変”第37話より引用

 そして予期せぬ呪いに思い出を汚されて、仇を殺せぬ混迷に迷いながら、闘争の場から離れていく。
 アスペクト比を切り替え、劣化ノイズを適切に交えた『思い出』を素晴らしい仕上がりでねじ込みつつ、脹相は不動心の戦士ではなくなったことで、今まで散々壊してきた看板の導くままに進むことになる。
 虎杖くんの命をすんでの所で救った『思い出』が、妄想なのか呪いなのか事実なのか。
 その謎解きは今後に引っ張る(あるいは、今後を引っ張る)として、未来を予期しない殺しの機械だから勝った脹相が、家族愛という人間味を脳内にねじ込まれることで勝利を手放していくのは、とても示唆的だ。
 家族だと思ってしまえば、仇でも殺せない。
 脹相がこの事変に首を突っ込んだ理由こそが、殺戮装置としての役割を奪い、呪具として生まれた彼の閉じた世界をぶっ壊していく。
 この暴力的光明の到来を強調する意味もあって、便所は閉じて暗かったのだなと、ここに至って納得する話運びも、大変良かった。

 見せ場見せ場がそれぞれ個別の切れ味を完結して持ちつつ、後の見せ場と連動したり示唆したり、あるいは裏切ったりする。
 エピソード単位で完結しきらない、連動した物語としてのクールアニメにおける場面の役割をしっかり思い出して、ここまでのお話とこれからのお話に、圧倒的なクオリティを連結させていく。
 そこが意識された回だったのが、凄く良かったと思います。
 序盤、これからぶち壊され置き去りにされるものとして演出されていた無言のメッセージ、人間が人間だからこそ埋め込まれた意味が、戦いの意外な決着、脹相の変化を人間側に導くように最後機能するの、やっぱいい。
 このフラフラとした離脱以来、脹相は虎杖悠仁を殺す自分、未来を期待せず機械のように殺し続ける呪具から、離れた場所へと進んでいく。
 それを導くのは、彼が壊してきたものなのだ。

 

 

 

 

画像は”呪術廻戦・渋谷事変”第37話より引用

 そんな人間性への順路を、逆さに歩む人でなし二人。
 無様に打倒され、死を待つばかりの虎杖悠仁に”夏油の娘たち”が近づく意図は不明だが……まぁ、ロクなもんじゃないよね。
 ロクなもんじゃなさすぎる呪いに殺されかけていた所を、最悪の呪詛師に救われてロクでもなく奪われ、これから彼女たちがやることが、ロクでもないわけないだろう。
 血みどろにぶっ壊れた”止まれ”は、本来の意味合いを失ってなお今伝えるべきメッセージを、最適に教えている。
 この頭とお尻がくっついた、アーバンな記号論でこの激しいエピソードがまとまるのも、心地よい余韻があって好きだ。

 メチャクチャフィジカル勝負で暴れ回ったお話が、最後の最後で凄くクールで落ち着いた所に戻って終わることで、エピソード内部にあったメリハリがしっかり完結し、なおかつ先に続いていく。
 戦いという非言語行動の極みを限界まで描ききったその筆で、『アニメは、記号の集合体です』と語りかけてくる仕草が、不思議に心地よかった。
 激しさと静けさが全編に満ち、情報と動きの洪水に熱く流されながら、それが化学反応して生まれるメッセージを、脳髄の冷えた所で受け取る。
 矛盾しているはずの体験が一つに結びあって、より大きな物語に接合されていくと、理屈ではなく理解させられる瞬間の圧倒的な快楽。
 アニメがアニメであるがゆえの喜び。
 そういうモノがみっちりと濃い話数で、大変良かったです。

 さて、終わった呪いも戦いはまだまだ続く。
 次回も楽しみですね。