イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

オーバーテイク!:第4話『過去と後悔 ―His good points? Don't ask me.―』感想

 ド派手にクラッシュしたその後も、人生というレースは続く。
 自分の応援が父を死地に追いやったのではないかと、答えのない問いに悩む少年と、自分が撮った写真が生み出す罪に押しつぶされた男が、ともに目指す表彰台。
 傷だらけの俺たちが進むべき道が、初夏に眩いオーバーテイク! 第4話である。
 車が走らない地味な回であるが、このお話が扱っているもう一つのレース……人生と人間関係には大きな進展があり、作品が持つ微かに苦く、爽やかで前向きな味わいをたっぷり堪能できた。

 父を喪失して以来、誰かに甘える子供っぽさを握った拳に封印した悠であるが、ジェットコースターのように自分を振り回す孝哉に無自覚に甘える形で、生っぽい感情を表に出せるようになってきた。
 プンプン怒ってブロックもするけど、自分の運命を変え温もりを伝えてくれたありがたみも解っていて、そういう人が自分を厳しく縛り付け、どこにもいけなくなっている。
 そういう難しさを目の当たりにして、自分に何が出来るのか。
 差し出されたものに、何を返せるのか。
 子供なり考えて、毎月の墓参と報告というとてもナイーブな儀式に隣り合うことを、自分の呪いと祈りを目撃する許可を、差し出して隣り合おうとする。
 浅雛悠にとって眞賀孝哉という男がどういう存在になってきているのかを、コメディテイストと人情味を交えながら丁寧に描く、とても良い回でした。
 やっぱ必死に頑張る人から何かを受け取り、自分なり手渡せるものを返し、真心のレスポンスを通じて癒えない傷との付き合い方を共に探っていく感じが、俺は好きだ。
 レースモノというより、人情モノとして楽しんでる感じ強いね。

 

 

 

 

画像は”オーバーテイク!”第4話より引用

 というわけで幕開け、真夏の墓所を描く美術がとびきり良い。
 今回は落ち着いたシリアスと弾むコメディを繰り返す形で、エピソードのテンポが作られていく構成だが。始まりであり終わりにもなるこの場所がとても静かで美しいのが、父の死に悠くんがどう向き合っているのか絵で教えてくれる感じで、とても良い。
 手を土に汚すのをいとわず、丁寧に丁寧に死者の眠る場所を清める仕草には、亡父の遺志を継いで走り続けている青年が鎧を外して、とても柔らかな部分を晒している危うさが微かに宿る。
 無防備な心がさらけ出されるからこそ、悠くんは一人で墓に参り花を手向け、日々何があったのか、普段からは想像できない饒舌さで語りかける。
 それは強がりながら走っている青年レーサーが、嘘も飾りもない生身の少年に戻れる場所であり、この段階で眞賀孝哉はそんな特別な儀式に、しっかり連れて行ってもらえている。

 僕は悠くんがジェットコースターおじさんにプリプリ怒りつつ、相当甘えて体重預けているところ、死人には手渡せない生きた変化を受け取っているところが好きなんだが、それが特別なことであると悠くん自身、あんまり自覚がないまま大事にしている感じがよく見えて、ここの語りかけはとても良かった。
 孝哉と出会ってから大きく変わった自分の生活は、存外悪くない手応えで少年の中に染みていて、そんなありがたさをどう素直に表したらいいのか、悠くんはまだ学べていない。
 教えてくれる家族はみんな死んじゃってるし、そういう部分をこそ伝えたいと小牧のおじさんも思っているんだろうけど、今までなかなか上手く行かなかった。
 涼子さんが孝哉の重荷を背負いきれず別れていったように、悠くんをどれだけ思っていても新たな家族が背負いきれないものがあって、そういう荷物をお互いに動かせる特別な存在だからこそ、彼らは運命的に出会ったのだ。
 いちばん大事な人にその気持を、真っ直ぐ素直に伝えられてる悠くんの現状をまずスケッチして、今回のエピソードは始まる。
 それはとても美しくて、率直で、特別で、大事なことだ。

 

 

 

画像は”オーバーテイク!”第4話より引用

 そんな人間が生きる時吹き付ける風が一旦止んで、スーパー萌え萌えコメディタイムだッ!
 孝哉が結んでくれた縁で、レースを走る以外にも社会との接点、経済との繋がりを得た悠くんだけども、いかに怪物マシンを操るスーパー高校生といえども、飾り立てられることに慣れているわけではない。
 孝哉が思わず12年ぶり、シャッターを切ってしまった(切れてしまえた)エモーショナルな写真は、当事者の思惑を離れて色んな人の心を動かし、経済を回す起爆剤として機能しだしている。
 今すごくポジティブな変化を生み出している敗者の涙と、かつてフォトジャーナリストの人生を砕いた一つの写真が、同じ制御不能なメッセージ性を伴って社会を揺らしている対比は、なかなか面白いところである。
 上手くポップな外装で多いつつ、本来個人的で感情的な”エモ”が宣伝媒体に乗っかりお商売の道具になっていく歪さなんかにも切り込んでいて、第1話この作品の意味合いを決定づけた強い写真は、とても良い使われ方をしていると思う。

 勝手に動いてしまった運命に不機嫌に眉をしかめ、プンプン怒りながらジェットコースターに乗っかる悠くんは、サーキットでは見せないコミカルな表情をしている。
 この顔も彼のかんばせの一つであり、幼馴染であり家族でもある錮太郎くんは、ここら辺の手触りを間近に感じる立場なんだな~と、理解る描き方をしてくれていた。
 小牧のおじさんと横並び、もぐもぐ御飯食べる様子が親子でそっくりで、彼らが好きな僕は凄くほっこりと見守っていた。
 のだが、ふと『悠くんは……こうして横並びお互いそっくりと笑いあう肉親、もういないんだな……』と思ってしまい、おそらく作品が意図してないところで、エモの流れ弾を食らった。
 勝ったり負けたり、泣いたり笑ったりが数珠つなぎになって一つの人生だってのは、前回サーキットの内側でしっかりと描かれ、今回はコミカルな前半とシリアスな後半の対比の中、走らなくても続いている日々に刻まれていく。
 凄くリッチな作画と演出で『人生、色んなことがあるなぁ……』と思えるのは、個人的には肌なじみが良くて、好きになれる風合いである。

 だから亜梨子Changの唐突で強烈な萌えキャラムーブも、その一つなんだよッ!
 凄まじくわざとらしい萌えっぷりに一瞬面食らったが、上田”最強”麗奈の声帯を備えた美少女が時にヘニャヘニャヘンテコな動きを、時に甘ったるい純情を全力でぶっ放して来るのに、耐えられる人間はいないッ!
 素直に萌えてしまったので、まぁそれでOKです。
 そっか錮太郎くんそっかー……。
 春永くんの『嫌味がないのが嫌味』なキャラ性といい、軽妙に踊る賑やかな青春が大変楽しかったが、恋に恋する亜梨子Changの若い恋と、酸いも甘いも噛み締め、指輪外してなお縁が続いている涼子さんの愛が、後々対で効いてくる構成でもあったと思う。
 『もうなんなんだよコレッ!』と、ニタニタ笑いつつコミカル元気なAパートを堪能していたことが、Bパートで叩きつけられる人生の重さ、それに押しつぶされてなお立ち上がり繋がる人たちの物語にメリハリ生んでるの、結構好きな構成よ。

 

 

 

 

画像は”オーバーテイク!”第4話より引用

 孝哉が獲った/撮れてしまった写真は涼子さんの心を動かし、彼女の紹介でスポンサーが付きCMに出て、悠くんの騒々しい日々が始まった。
 孝哉が悠くんの走りと涙から受け取った、理屈を追い越して人間を動かす感動の強さは、孝哉自身のカメラにも既に宿っていて、自覚はなくとも重荷でも、孝哉は既に『応援したくなる人』に戻りつつある。
 しかしかつて無自覚にレンズで切り取り、世に問うたものが奪ってしまったものが深く心に突き刺さってる孝哉は、自分がそんな存在だと思えないからこそ、頑張り方を忘れてしまったからこそ、悠くんに惹かれてもいる。
 称賛と期待は耐えきれない毒になり、自分は大したことのない存在なのだと卑下して、惨めさの中なんとか生き延びる。
 そういう人間らしい生存反応を目の当たりにして、悠くんはまるで裏切られたような表情を見せる。

 このアニメはこういう、何かにぶち当たった時人間が見せる顔の描き方がいっとう上手く、これを視聴者に読ませることで心境の変化、お互いの影響力を測らせている部分がある。
 ここで生身の孝哉を叩きつけられて、悠くんがこういう顔をするということは、自分に人生の色んな顔を教えてくれたジェットコースターおじさんに、彼が自覚しているより遥かに深く、信頼と期待を寄せていた……ということだろう。
 それは子供が親に寄せる無条件の信頼、無謬の神様として誰かを求め甘える気持ちにどこか似ていて、明るく楽しく傷つかない”大人”だと思っていた人がバックリ傷を開けて、痛みに叫んでいる様子は、そんなイメージを裏切るものだ。
 でもそれも孝哉の顔の一つであり、そういう柔らかなものを目の当たりにしてなお向き合う粘り腰を手に入れれれば、悠くんはもっと強く、優しい人になれるだろう。

 

 そこに手を差し伸べるのが、別れてなお惹かれ合う情念の女(ひと)である。
 ここまで微細で大人な関係性を細かくスケッチされてきた二人だが、今回は孝哉の傷に深く切り込む足取りに乗っかって、その間柄も鮮明に描かれた。
 未だ傷癒えぬ……自分では癒やしてあげれなかった夫を難しい距離感で見守りつつ、ぽつんと取り残された少年の呆然をちゃんと見て、手渡すべきものがなにか考えて、寄り添う涼子さんの人間力が、大変いい。
 ここまで悠くんから奪われた親しき抱擁、子供っぽい自由さを両方手渡してきた孝哉が、トラウマに向き合って”大人”ではいられなくなったこのタイミング、誰かが間を取り持たなければ良い方向に転がっては行かないわけで、ベストタイミングでベストな橋渡しをしてくれたと思う。
 孝哉の人生を変える唯一性は悠くんにあるのだろうけど、ここまで12年、膿んだ傷跡を愛すればこそ切開できなかった涼子さんの想いは、ただの媒で終わらず報われて欲しいなと思う。
 変わり果ててしまった彼女のヒーローが、頑張り方を忘れてなお生きてる無様にそれでも指輪を外した手で寄り添い続けるってのは、まぁ大変なことですよ……。

 

 水辺で奪われた命を切り取った、フォトフレームの爆弾。
 その余震で生活をメチャクチャにされ、同じく水辺に立ち尽くす孝哉のシルエットが、孤独に過去と重ねられていく描写がいい。
 フォトジャーナリストとして、メッセージを発する生き様を選んだ人間として、理屈や後先を追い抜いて世に問わなければいけない題材が確かにあって、出会ってしまえばシャッターを切るしかない。
 なかったことには出来ず、世を震わす影響力を投げつけるしかない。
 そういう、感動の業みたいなものが12年前と今を、カメラマンと被写体を、孝哉と悠を繋ぐ場面でもある。
 握りしめたままその孤独を抱きしめられなかった手に、光っていた指輪は今はない。
 重なる部分と変わってしまった部分を、鮮烈に描く演出がここは冴えに冴えていて、孝哉の重荷がどんな手触りなのか、良く伝わる場面だった。

 高校生に預けるには難しい重荷を、それでも今この人に託さなければいけないと決心した涼子さんの思い。
 傷まみれのままヘラヘラ笑っていた、一人の人間の生きざま。
 そういうモンを受け止める自分を、プンスカ不機嫌に甘えていた距離感から引っ張り出すタイミングなのだと、悠くんは腹を決めてブロックを解く。
 頑なに心を閉ざしているように見えて、悠くんが結構色んなものをちゃんと見て、感じたことを受け止めて、そうやって心を動かしてくれたなにかに報いるにはどうしたらいいのか、考えて行動する人だって描かれ続けているのは、とても好きだ。
 悠くんは自分が考えているより孝哉のことが好きだし、尊敬しているし、だから影響も受けている。
 自分の心や環境を変えてくれた恩人に、大事な年上の友人に、知ってしまった痛みに、どうすれば報いられるのか。
 ちゃんと考えて、為すべきことを為せる青年なのだ。
 好きだなぁ……。

 

 

 

 

画像は”オーバーテイク!”第4話より引用

 孝哉の柔らかな部分を知ってしまった返礼として、悠くんは自分の聖域へ彼を連れて行くこと、自分が何を考え何に傷ついて今そこに立っているかを、率直に晒す。
 応援という行為に潜むエゴイズムを、父を喪失するという最悪で思い知った彼は、頑なに不器用に、一人で走るのだと自分を縛ってきた。
 ガキが突っ張って生み出した孤独に思えたものの奥には、凄く柔らかく切ないものが潜んでいて、それを教えてくれるには特別な関係が必要になる。
 四話まで話が転がって、悠くんも孝哉も好きになったからこその、一話で描かれた不可解な頑なさの答え合わせだ。
 悠くんを突き動かしている祈りと、縛り付けている呪いが見えるタイミングとして、孝哉が未だ解決できない呪詛が暴かれる今回は、とても良かったんだと思う。

 父を失ってからの年月は、少年の中で膿み腐ることなく、真摯な報告と対話のなかで研ぎ澄まされていった。
 孝哉が12年向き合いきれなかったものと、幼い少年は既に対話をある程度以上終えていて、そして孝哉と出会ったことで思いの出口を見つけて、どう頑張ればいいのか、どう応援に答えればいいのか、自分なりの道を見据えてきている。
 悠くんに感動をもらった孝哉が、自身を否定するような彼の言葉に少し視線を伏せて、それでも何かを告げようと顔を上げて、それを追い抜くように悠くんが今の思いを告げていく一連の流れが、大変このアニメらしくていい。
 父の死、踏み込めない過去。
 重たいものが宿った背中は対話を拒絶するようにこちらを向かず、しかしそれで終わらずに悠くんは孝哉の方に向き直って、柔らかな風に吹かれながら、目の前の男が変えてくれた自分を語っていく。
 預けていく。
 この人なら、自分と一緒に走ってくれるのだと信じて。
 こういう細やかな心境が、視線と言葉のやり取りから感じ取れるのは、やっぱいい。
 めっちゃTROYCAのアニメ食ってる感じ。

 

 ここで悠くんが呪いに縛られて頑なに振り向かないんじゃなくて、振り向き向き合って欲しい孝哉の気持ちを先回りするように、爽やかな風を未来に向かって吹かせながら振り向くのが、俺は凄く好きだ。
 第2話では身勝手なローラーコースターに乗っけられて、自分がどういう場所で走っているのか、それを突き動かす幼い原点がどこにあるのか教えてもらっていた悠くんは、そういう体験をしたからこそ、応援したりされたりを解呪している。
 感動すること、目の前の輝きから目を背けないことには、意味も価値もあるのだと……父に投げかけた『頑張って!』は呪いなんかじゃないのだと、思えるようになっている。
 それは自分が生み出してしまった衝撃を前に立ちすくみ、12年動けなくなっている孝哉の現在地を、既に追い抜いている姿勢だ。
 そうやって年関係なく生まれる動きが、爽やかな風を生んで停滞していたもの、腐りかけていたものを突き動かしていく。
 後悔や死や過ちを追い抜いて、今でも必死に走っている自分たちを肯定できるようになる。
 そういう方向へと、この物語は進んでいくのだ。
 それはとても僕好みで、いい話だと思う。

 ここで悠くんがさらけ出してくれた傷に、孝哉が衝撃を受けている様子とか、それでもなお踏み込んで思いを伝えようとする感じとか、丁寧に描かれてていい。
 そんな現在地を既に追い越して、若駒は未来へと走り出していること……自分を追い抜いたその走りが、自分と出会ったからこそ生まれている静かな実感が、墓参に吹く美風には優しく宿っている。
 抜きつ抜かれつ、教え教えられつつ、年の離れた親友は表彰台を目指していく。
 ただ勝ちが欲しい以上の、もっと切実で優しく、でこぼこ道を今なお生きている自分を誇れるような夢へと顔を上げて、二人は疾走っていく。
 走ってっていいのだと、相手と自分に許すための儀式が、この墓参だったのだと思う。
 それをお父さんに報告しなきゃ心が済まない悠くんの傷と、報告したいのだと思えた彼の変化と、そう思わせた孝哉の存在が、俺には眩しい。
 いい話だな、と思う。

 

 

 という感じの、ポップでコミカルな生の実相と、シリアスで重たい死の影伸が錯綜するエピソードでした。
 人間生きていれば間違えるし死ぬもので、ではその宿命だけが世界の真実で、そっから何も動かない終わりなのか。
 終わりにしていいのか。
 このエピソードは力強く”否”と告げたわけだが、そういう答えを真っ直ぐ見据えている話が、走るスポーツであるF4を題材にしてるのは、スゲーいいなと思う。

 金はかかるしアブねぇし、色々厄介なことだらけだけど、それでも走るしかない何かが胸を突き動かすから、皆が走っている。
 そういう群像を愛おしく見つめながら、触れ合いと変化、柔らかな傷とその癒やしを描いていくお話だと、再確認できて嬉しいです。
 こっからもまた、人生の晴れ舞台を目指す二人三脚は続いていくわけですが、さてどんな眩しさと爽やかさ……裏腹に濃い陰りを描いてくれるのか。
 次回も大変楽しみです。
 良いアニメだな、本当に。