イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ミギとダリ:第7話『おばけじゃなかった』感想

 初恋泥棒サリーちゃん再び!
 女の装いに身を包み、悲劇の真相を一人暴かんと奮戦するダリに、降りかかる思わぬ三角関係。
 傷ついた子どもたちに襲い来る甘酸っぱい初恋は、一体どこに運命を連れて行くのか。
 真相解明急転直下、謎が謎呼ぶジュブナイル・サスペンス、ミギダリアニメ第6話である。

 まさかまさかのサリーちゃん初登板となったが、恋に恋する季節に差し掛かった子ども達を揺らすには美少女は最適ってんで、一気に事件の真相へ物語が近づいた。
 同時にようやく手に入れた人間らしい暮らしを通じ、既に亀裂が入っていた双子の癒着も嘘と裏切りで引っ剥がされ、純情を弄ばれたミギちゃん大激怒で次回へ続く!
 双子と瑛二、運命の三人を主軸にグイグイと進めつつ、落書きから美少女を再生する異能と熱意がキモい秋山くんの存在感とか、我が子の初恋に共に泣いてくれる養親の暖かさとか、端っこの方もいい感じだった。
 おバカなミギちゃんが日常担当、それを隠れ蓑に冴えたダリちゃんが探偵役てのが双子の基本的な役割分担で、今回もそれで進んで遂に座礁するわけだが、友達も家族も得たからこそ当たり前に恋して笑ってしたくなった(実際にした)ミギちゃんと、そういうモノをあえて遠ざけて鋭い真実の刃であろうとしたダリちゃんの、触れ合いとすれ違いがなかなか切ない。
 元々別の存在だったのに、一緒に思えるほど近くお互いを寄せ合わなければ、母もいない荒野に生き延びることは出来なかった二人。
 裏切りと兄弟げんかはようやっと、彼らが『二人で一人の僕ら』ではなく、孤独で別々の彼らなんだという、当たり前の現実に立ち返れた証明なのかもしれない。
 ……ここら辺の、痛みに満ちつつも健全な生育過程を見ていると、完璧であることを強要され記憶に欠落もあり、イカれた母に支配され理解者がいない瑛二の孤独が、どんだけヤバいかも分かる感じね。

 

 つーわけでミギちゃんが平和に学校生活送る裏で、ダリちゃんは使える武器をフル動員、素敵美少女サリーちゃんに変☆身して、色仕掛けで重要情報聞き出すぞッ!
 やり口は大概トンマなのだが、演技力と分析力はダリちゃん本物であり、恥ずかし写真の日付から情報を絞り込み、ツッコむべきポイントを的確に暴いていくのは、さすがの頭脳である。
 同時に人間当たり前の情に理解が薄く、目的のために手段を選ばなすぎる部分があるので、弟がどんだけ”サリーちゃん”に本気だったか、人が恋に向き合う時どういう誠実さが必要なのか、ちゃんと解っていない。
 瑛二にしてもミギちゃんにしても、あの惨劇のクリスマスから止まっていたように思える時間は勝手に進んでもいて、年頃の少年らしく誰かを好きになり、あるいは心の傷を預けられる誰かを求めている。
 優れた知性と付きぬ復讐心でもって、大人びた態度を崩さない(よう、自分に任じ続けてきた)ダリちゃんは、そういう当たり前の柔らかさを知らないからこそ、探偵役を的確にやり、家族としてやっちゃいけないことを叩きつける。

 今回こんだけ真相に近づけたのは、おバカなミギちゃんが一切調査に関わっていないからこそではあって、兄貴が色々苦労する裏で、秋山くんとトンチキながら本物の友情を育んだり、惚れた女を必死で追いかけたり、失恋の傷を家族に癒やしてもらったり、まーまーいい空気吸ってる。
 そのアーパーな頭から母への復讐は消えかけていて、だからこそ兄貴が全力で真実追いかけなきゃいけなくなったわけだが、そんなごくごく普通の思春期は、間違いなく幸せでもある。
 完璧を演じつつもゲーゲー食事を吐き戻し、惨劇の記憶が女性という存在を遠ざけさせる(つまりは心の何処かで強く求めている)瑛二も、否定しつつ暖かくフェアな関係性を必要としていたから、当たり前で美しい初恋を前にして”完璧”ではなくなった。
 そのまま穏やかにお馬鹿コメディやってればいい……とは、とても言えない悲惨な過去は確かにあって、それは正しい裁きを受けることなく隠蔽されている。

 この物語の話運びが上手いのは、犠牲者である双子にとってだけでなく、犯人候補である瑛二にとっても、真実の隠蔽が悪しき作用を及ぼしていると、結構しっかり書いていることだ。
 幼くあやふやな記憶の中で、母を殺した時何を思い何が真実だったかはまだまだ不鮮明だが、それが催眠によってしか蘇られない封印された記憶であり、解き放たれれば再び意識せず人を殺す、危うい凶器であると今回示された。
 完璧を押し付けるばかりの怜子からは得れない、当たり前の幸せを瑛二はずっと求めていて、しかし満たされず封印された記憶に傷ついたまま、おねしょもすれば嘔吐もするアンバランスに、一人追い込まれている。
 記憶を切開し真実を暴くことは、瑛二を自分がしてしまったことに向き合わせるある種の治療でもあって、しかしそれは激しい揺り戻しを伴う危険な行為でもあると、ミギちゃん殺人未遂は上手く描いた。
 封じられた真実が暴かれる時、溜め込んだ悪徳は必ず何かを壊し、そうして空いた風穴が瘴気を吹き飛ばすだろう。
 ”催眠”という精神療養技術がここで顔を出してきて、真実に近づくための大事なファクターになるのは、なかなかに示唆的だなぁと思う。

 

 サリーちゃん美少女過ぎて、ボーイズが狂うのもまー納得ではあるのだが、当のミギちゃんは極めて冷静に恋を乗りこなし、脳髄ポワンポワンになった中坊がどんだけヤバいか理解してないので、思わぬ反撃も食らう。
 五歳児だったらあんなに恋に浮かれポンチにはならないわけで、一見愚かながらも微笑ましい青春狂騒曲は、サスペンスの渦中にありながら正しく、子ども達が育っていることを示している。
 ……”正しく”って言葉を使えるほど健常な環境でも状況でもないってのは、瑛二が記憶を蘇らせた後のリアクション、嘘まみれの恋の破綻を見てると、よく分かるけども。
 しかしどんだけ異様な経験を背負いつつも、ガキはガキらしくおバカで、恋に全力で、可愛らしく痛ましい。
 マージで可哀想なガキどもが、慰め会だったはずなのにゴーゴー痛飲して無様な寝姿ママが晒すような、油断してあったけぇ暮らしの中、自分の中から湧き上がってくる当たり前の人間らしさを裏切ることなく、フツーに幸せに暮らして欲しいと思ってるよ俺は。

 ここら辺の子供らしさ、人間らしさを遠ざけることでダリは冷徹な復讐マシーンになれているわけだが、それが完全な正解じゃないことは、ミギちゃんの冷たく傷ついた表情、地面に落ちたイルカのペンダントが見事に語っている。
 傷だらけになっても、パパに教えてもらったように治して届けようとした真心が砕け、双子の関係が破壊されてしまったことを示すアイコンとして、あれはとても良かった。
 そのきっかけになったのがベーゼ(良い発音)だってのも、イルカがキスしてる図案と相まって素晴らしかったな……。
 ”ライ麦畑でつかまえて”から自分の名前をとったサリーちゃんが、窓辺から落ちかけた自分の分身をしっかり掴める”The Catcher in the Rye”になれているところとか、物語が核心に迫るに連れて、文学的重ね合わせの切れ味が増してきてる感じもある。

 そういう意味では、地面に落ちて壊れつつも完全に砕けたわけではなく、いちばん大事な唇は不器用に修繕されて繋がってるイルカのペンダントは、双子の未来を暗示もしているのだろう。
 嘘は真実のために、裏切りは未来のために。
 ダリ自身がうまく伝えられなかった自分の中の真実を、もう一度もう一人のかけがえない自分に伝えられたら、新しい形で力強く、双子は一つに戻れると思う。
 その過程でまー色々はあるんだろうけど、『失敗したって、何度もトライだ!』ってパパも言ってたからね……。
 双子の真実は欠片も知らねー、サスペンスなんてどこ吹く風な園山夫妻が、おどろおどろしい事件に挑む時何が大事なのか、生き様で既に教えてくれてる構造好きなんだよな~。
 母の無念を晴らすべく双子が進んでいく旅が、結末を迎えた後返ってくるべき真実の”家”がどこにあるのか、言われなくても肌で分かるもんな。

 惨劇に奪われ、今再生しつつある暖かな場所へもう一度たどり着くためにも、闇の中の真実へ突き進む必要がある。
 そのための嘘が家族を傷つけてしまった今、怜悧なる推理装置はどんな道を進むのか。
 頑張れダリちゃん、お前も心を持った人間なんだ!
 次回も大変楽しみです。