イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

葬送のフリーレン:第11話『北側諸国の冬』感想

 激闘を終えてようやく、死者の尊厳を見送る葬送に両の手を合わす。
 人の形をした獣が未だ跋扈する世界で、天国を目指し旅を続ける一行に冬が来る。
 長くて短い変なオッサンとの半年間を、豊かに描ききるフリーレン第11話である。

 

 Aパートは長かったアウラ編のエピローグをどっしりと、Bパートは武道僧・クラフトとの山小屋生活を豊かに。
 バトル要素が薄かった、前半戦の味わいが戻ってきたかのようなエピソードで大変良かった。
 永生者フリーレンの時間間隔に合わせて、どっしり腰を落として静謐に物語を編んでいくこのお話、だからこそ苛烈で冷徹な魔族との戦いもずっしりと心に刺さったし、戻ってくると確かな安堵も覚える。
 冒頭、黄金の朝焼けに照らされて死者に戻れた首無しの鎧達が、その尊厳を取り戻して無言の帰還を果たすところ……信仰から遠いはずの理性主義者のフリーレンが、ヒンメルやハイターとの触れ合いを通じて弔意をしっかり示しているところが、長い戦いの終わりとして素晴らしく良かった。
 アウラ戦はずーっと暗い闇の中で展開されていたので、金色の払暁がより眩しく、アウラのプライドを引っ掛ける形で被害少なく勝って、辱められてきた遺骸を魔族の奴隷ではなく、かつて人であった名残を保って故郷に返す偉業も、より善くわかった。
 クールで冷酷な立ち姿が、ともすれば宿敵たる魔族と重なるフリーレンの何が仇と違っているのか、数多の骸が朝焼けに倒れ伏す戦場に静かに祈る姿が、しっかり語っていたと思う。
 こういう説得力を、すげー真っ直ぐ力強く描ききれるクオリティの使い方が、やっぱり好きである。

 その後は15分リッチに使い切って、魔族に傷ついた街を復興し、新たな勇者たちが守った人達の笑顔と生活を、丁寧に描く。
 超作画バトルの勢いのまま駆け抜けて良いところだとは思うが、あくまでゆったりとした日常の呼吸を取り戻して長編を着地させていく所に、原作の雰囲気を徹底的に尊重するアニメ化の姿勢、それがアニメ独自の呼吸と善さになっている手応えを感じた。
 僕は元々モンタージュ演出が好きなので、戦争状態ではその空気を味わうどころではなかった、ありふれた平和な街の風景にフリーレン達が馴染んでいく様子を、たっぷりと見れたのは嬉しい。
 合理と復讐心に突き動かされて、魔族を狩る装置のように魔王討伐まで駆け抜けた10年の旅。
 そこでも、フリーレンと仲間たちはこういう風景を、生きて死んでいく人間の尊厳と喜びを、しっかり守ってきたのだろうと思える描写だ。
 この”今”がちゃんと描かれているからこそ、Bパートで回想される孤児院、そこに咲くコスモスの美しさが時を超えて映え、時経てなおとても大事なものを静かに守っている、戦士の強さと優しさを思うことも出来る。
 回想シーンがシームレスに多用されるこのアニメ、視聴者が体験する物語的時間旅行も実は結構複雑なのだが、叙情と詩情が見事に冴えているので、流れていく時の無情とそこに錆びない真心の眩さを、両方感じることが出来るのは良い。

 

 人面獣としか言いようがないアウラたちの、人間……あるいは同族すら舐め腐った態度を見ているからこそ、今回多数描かれた弔意の描写は良く刺さる。
 第8話で最高のタイトル回収を見せた”葬送”は、人類の宿敵への容赦の無さを意味していたが、今回もう一度そのもう一つの意味に立ち返って、なぜフリーレンが天国を目指す旅をしているのか、思い出す形になったのは良かった。
 ヒンメルとの旅の中育まれ、その死を叩きつけられようやく理解した、生きることと死ぬことの意味。
 それをもう疎かには出来ない自分に成ったからこそ、フリーレンは死と時間が奪い去るものに抗して、大事な思い出を、守ったからこそ紡がれる未来を、その目で確かめる旅を続けている。
 死者に対して手を合わせるのは、その人が死んでホトケに成ったからではなく、理不尽に満ちた世界を必死に、その人なり生きてきた瞬きに敬意を払うからだ。
 それこそが、人の人たる由縁だと、このお話はずっと書いているように僕は思う。

 敬意は相手を対等の存在として認め、膝を曲げればこそ生まれるもので、魔族は種族の性質としてこの善徳を掴めない。
 他人をナメることしか出来ないから、目の前の弱者がもしかしたら自分の喉笛を噛みちぎる強敵かもしれないと、油断なく戦い抜くことは出来ない。
 ナメる・ナメられるしか社会の基盤がないから、力をディスプレイして他人を上から押さえつける形でしか、関係を築けない。(この裏打ちがタメ口も笑って許し、勇者たちの戦いを絶対に忘れないと誓う、権力者のオッサンの在り方なのだと思う)
 それがどんだけ無様で脆いかは、アウラ一行の死に様で描かれたが、今回フリーレンが見せた死者への敬意、生者と共に歩む姿勢は、その裏打ちだろう。
 それは大仰な言葉だけで飾り立てられるものではなく、日々の行いの中で静かに証明されるもので、このストイックで誠実な姿勢が、ただただ”絵”で魅せていくアニメのスタイルと噛み合っているのは、奥行きとコクがあって素晴らしい。

 なんであんなに激しい戦いをしたのか、その結果何が守られたのか。
 豊かに語るエピローグで、第11話Aパート大変良かったです。

 

 

 

 

画像は”葬送のフリーレン”第11話から引用



 さてBパートは、ドヤ顔で厳しさを語っていた北側諸国の冬に危うく勇者たちが食われかけ、半裸スクワットでフンフン言ってる変態と、半年の長きを避難小屋で過ごす様子が描かれる。
 エルフの時間感覚からすれば一瞬であり、人間の目線ではあまりに長い足止めを、どんな空気の中で過ごしたかよーく分かる、復興なった街の生活感とはまた違う白い美しさで描いてくれるのも、贅沢な体験だ。
 ドヤ顔出オチ遭難のスピード感とか、夢枕のドデカサンデーに師匠を添えてとか、変態エルフとの衝撃の出会いとか、細かいクスグリで幸せに笑わせてもらいつつ、永生者同士の触れ合いを丁寧に味あわせてくれるのが、大変ありがたい。

 フリーレンは魔法と理性、クラフトは信仰と感情。
 同じエルフでありながら二人の芯は大きく違っていて、しかし時の流れに置いていかれる寂しさ、それだけが世の全てではないと思える出会いと祈りを、しっかりと共有している。
 雪の森の中、対等な視線で言葉をかわすことで敬意と優しさを交換し、横方向にわけ放たれていた関係が、対話を終えてみると縦方向にしっかり重なっているという変化の見せ方が、大変素晴らしかった。

 フリーレンはハイターとの語らいを自分の中にとどめ、クラフトには語らない。
 しかしかつて共に旅し、今はもういない風狂の信教者が自分に手渡してくれた言葉を通じて、彼が自分に何を語ろうとしているのか、その真意を余すことなく受け取っている。
 多分天国の意味を苦笑い混じりに語ったあの時、フリーレンはその意味を本当のところは理解していなかったのだと思う。
 第1話で流した後悔の涙が、感情を表に出すことが極端に少ないフリーレンにとってどれだけ特別か、今更僕らが理解しているように。
 時経て思い出す……思わぬ奇縁で向き合った誰かに、思い出させてもらうことで、フリーレンは生臭坊主がどんだけ本腰で、自分なりの信仰に向き合ってきたかを実感する。
 その大事な手応えが、自分とは違う生き方を選んだ同族がどれだけ苦しい歩みをしてきたか、それに相応しい敬意を払うべきかを教えもして、時を越えて思いが繋がっていく。
 幾年過ぎても焦ることのない思い出から、今目の前のあるものの意味を理解し、過去と現在を繋げる心の歩みこそが、この作品が描く旅路なのかもしれない。

 

 たった10年とエルフには思える、しかし人間の僧侶には『もう五年も』の旅のなかで、フリーレンは1000年隠し通してきた必勝の魔力隠蔽を、ハイターに見抜かれる。
 腐れ外道相手に最高の逆転をキメる、決定打となった切り札が明かされた後にこのエピソードが挟まるの、『漫画マジウメぇ……』って感じではあるけども。
 ハイターが稀代の天才であることは前提として、隣り合う仲間がどんな生き方をしているのか、しっかり見て受け取る感性がハイターにあればこそ、1000年秘してきた魔力と生き方を見抜かれたんだろうなぁ、と思う。
 周りを冷たい雪に覆われつつも、フリーレンの心のなかには自分を解ってくれた誰かの思い出が豊かに花開いており、そこには親を奪われた子ども達が幸せに笑っている。
 数十年前、遠い景色でしかなかったその暖かさが今、フリーレンにとってどのような間合いで親しいかを、Aパートに書いてあるところが、また良かった。

 あとクラフトが信仰者であることで、フェルンの中に育て親の生き様がどんだけ染みているか、改めて思い出せたのも良かった。
 なにしろハイター死んじゃっているので、今隣に立って魔法を教え、口元拭かれてバブバブぶっこいてるフリーレンが”親”として目立つんだけども、死にたいほどの絶望に手を伸ばして、なんもかんも奪われたガキを救って育てたのは彼だ。
 その残響が消えることなく、フェルンに信心として残っている様子をクラフトが褒めてくれるのが、僕にはなんだかとても尊く思えた。
 ここら辺の残響は、良く鍛えられた筋肉オッサンに親近感があるシュタルクにも通じてて、喧嘩別れしてなお師匠が好きなんだなぁと、かなりホッコリした。
 死にかけの夢の中でも、サンデーと一緒に師匠を幻視るしねぇ……。

 

 クラフトはレギュラーキャラとして一向に加わることはなく、この半年の共同生活を終えて自分の旅に戻っていく。
 自分を置き去りにあらゆるモノが儚く消えていく現世の果て、いつか褒めてもらうために善行を積み上げていく旅に、どんな意味があるのか。
 逆向きに進みつつ、同じ時を過ごす同族と心を通わせ、忘れられない思い出に成ったことは、孤独な信仰者にとっても救いだったのではないか。

 そういう余韻が、美しい雪の中に豊かなエピソードだった。
 Bパート15分で終わってしまうからこその切れ味と豊穣が、子安武人流石の芸達者に下支えされ、とっても良かったですね。
 超絶作画のバトルもいいが、やっぱりこの落ち着いたBPMでもって奏でられる詩情が、とびきり好きだと思い出し、大変ありがたい。
 次回も楽しみです。