イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ウマ娘 プリティーダービー Season3:第8話『ずっとあったもの』感想

 年は明けても海路は見えぬ、迷いだらけの有馬明け。
 G1三冠馬魂の逍遥をどっしり描く、ウマ娘アニメ三期第8話である。

 ここまで泥臭く足掻く主人公として描かれてきたキタサンブラックが、有馬で見せつけられたあまりに分厚い紙一重を前に耳をヘニャヘニャ凹み、迷い迷って色んな人に出て原点に回帰し、新たに進み出すエピソードである。
 特別な誰かにアドバイスを貰って豁然と顔を上げる感じではなく、サブタイ通りずっとあったもの”を一個ずつ拾い集めて、新たな戦いに挑む自分の支えを作っていく足取りが、三期らしくてよかった。
 徹底して葛藤とドラマを凝縮したRTTPを直前に見ていたせいか、1クールどっしり使える三期の語り口、ゆっくりだからこそ描けるものを堪能するレースのない回は、勝っても勝っても迷うキタちゃんの在り方を、丁寧に教えてくる。
 少しもどかしくもあるが、しかし行きつ戻りつ、他人を鏡に己を見つめ直して原点から未来へと進む歩みには、人間が前に進む時の普遍的な歩調が、しっかり刻まれてる感じがした。
 お祭り娘という個性も、家族や商店街の人達の支えも、これまで確かにずっと作中描かれていて、しかしクローズアップされなかったものだ。
 そこにキタちゃんと僕らが視線を向け直して、蓋をしていた夢のカケラは過ぎ去ったはずの過去に確かに瞬いていて、届きたい明日は思い出の中にこそあるのだと、時間を超越した決意に走り出す話運びが、彼女らしさ、三期らしさを改めて教えてくれた。
 この決意からどんなレースをするのか。
 笑顔の祭りに憧れ与えられるだけでなく、自分こそがそれを作っていくのだという意思に、ライバルたち……具体的にはシュヴァルグランがどうかじりついていくか。
 そこら辺が楽しみになる、折返しの後の一歩目だった。

 

 つーわけでレースのない正月、キタちゃんは制服でも私服でもメソメソ迷っていて、シナシナなお耳が可愛かった。(僕はウマ娘の耳と尻尾が好きなので、そこばっかり見ている)
 揺らがず前を見据え、迷わず突き進む(ように思える)他人の誉れは、優秀だからこそ自分に何が足りないか解ってしまえる天才児にとって、比べて嘆くものだ。
 ダイヤちゃんだってドゥラメンテだって、キタちゃんが見ている鋼鉄の戦士の顔だけが全てではなく、くじけたり悩んだりもしているだろう。
 しかし競い合う強敵だからこそ弱さを見せられない、同世代のライバルは仮面の奥をなかなか見せてはくれない。
 そこを回り込んで、硬い鎧の奥に自分と同じ生身があるのだと思える思慮深さは、まだキタちゃんにはないのだ。
 一見浅薄にも見える他者認識だけども、キタちゃんが勝手な思い込みで他人をジャッジしたり、思いやりに欠ける触れ合い方をしている描写は一切ないので、『ただただ今キタちゃんは、そういう感じなんだな』と受け入れられるのはいい。

 念願のG1をサトノにもたらし、幼馴染でライバルなキタちゃんに勝っても、ダイヤちゃんは新たな夢を見据えて走り続ける。
 ドゥラメンテも故障にめげず再起を目指し、二期の長大な物語を終えた頼もしいトウカイテイオーも、夢がかなった後の夢に向けて、真っ直ぐ歩みを進めている。
 キタちゃんが迷って足踏みしている前で、ライバルたちは軒並み歩みを止めず夢の向こう側を目指している様子が、今回は印象的だった。
 『他人のことは、なかなか分からない』てのが、個人的には三期のテーマの一つだと感じているのだけど、キタちゃんはそういう姿を見てもすぐさま答えが出るわけではなく、自分の中で生き様への問いかけが結晶化するまで、時間がかかる子だ。
 トウカイテイオーの山あり谷あり根性物語を見届けた身からすると、『同じ辛さを背負った上で、テイオーさんも走ってるよ!』と言いたくもなる。
 テイオー自身の口から語られる二期は、あれを見届けた自分には深い感慨を与えてくれるもので、更にその先へと視線を向けて、馬たちのヴァルハラで走っている彼女の”今”を、爽やかに受け取れた。
 ありがたいことだ。

 しかしキタちゃんは得心するまで時間がかかるとしても、他人がわざわざ差し出してくれた真心がどんだけ重いのか、ちゃんと感じ入って自分の懐に押し抱ける子だ。
 G1三勝のスーパーウマ娘様に気後れするネイチャ先生に、ズビズビヘニャヘニャで甘えるのも、自分を助けてくれた恩義を忘れず、つらい気持ちをどうにかしてくれるのかではないかという甘えもありつつ(かわいい)、もう一度走り出す助けを求めたからだろう。
 この遅咲きの人情主義は、今回キタサンブラックに道を見せた親子の絆、地元の暖かさと上手く響いて、彼女がどんなウマ娘なのかを良く教えてくれた。
 コブシをたっぷり利かせたド演歌がよく似合う、オールドスクール・ジャパニーズスタイル。
 義理と人情、ちっぽけで暖かな絆に支えられ導かれて、迷いながらも真っ直ぐ走るウマ娘が、アニメのキタサンブラックなのだろう。

 

 ライバルや先輩が投げかけてくれた問いが、結晶化する切っ掛けは商店街の人達の情であり、幾度も通り過ぎていたのに見えていなかったものを、キタちゃんは見つけ直す。
 目が開いているのに視えていないものは僕らにも沢山あって、それを見つけられる心持ちを作るために、誰かと語らうのは大切だ、という回とも言える。
 馴染み深い人たちの情愛に気づき直せるキタちゃんもしみじみ善いが、そんな彼女の善さから外れかけたキタちゃんを、時に無骨に、時に優しく、時に頼もしく戻してくれる仲間のありがたさも、濃いエピソードだった。
 キタちゃん周辺の思いのやり取りは、ダイレクトに特定ウマ娘からなにか受け取って劇的な変化がある……って感じがあまりないけど、その間接話法が逆に人間と人間が触れ合う難しさと面白さを、じっくり削り出している感じがする。

 前回は目の前に立ちふさがった幼馴染との、長年積み上げてきた関係と感情に目を塞がれてた感じもあったが、今回はどう見てもサブ・キタジマな父親との思い出に深く潜り、笑顔の祭りをこそ原点とする自分を時を超えて捕まえてもいた。
 天下の大歌手を父親とすることで、正直やや浮きな感じもあるウィニングライブが勝利の必然として価値を挙げていくの、結構面白いアプローチだなぁと思うね。

 テイオーに憧れる可愛い子供として、アニメウマ娘に登場したキタちゃんは、ずっと誰かに与えられ、追いかける側にいたと思う。
 その受け身な幼さが知らぬうち枷になってもいたわけだが、長い迷い道を抜けて駆け抜けた時、『私が作る!』という自発性に燃えていたのが、大変良かった。
 既にビッグレースに幾度も勝ち、自分が考えているほど情けなくも弱くもない”キタサンブラック”を、商店街の人達から手渡されたことで、半歩後ろに引いていた気持ちが前に出て、極めて爽やかな欲が己を引っ張る形になった。
 頑ななセルフイメージの檻は、誰かの愛でかち割られないとなかなか変わらんもんなんだなぁ……愛って凄いや。

 憧れを思い出し、憧れを超えて見つけた一番星は、走り抜けていく中で誰かの星になるだろう。
 自分を『スターじゃない凡人』と未だ卑下し、それでもなおそのまま走ろうと、変わろうとしているキタちゃんが、実は既に誰かの星であることを見つけた時、もう一つの”ずっとあったもの”を掴んでさらに強くなる感じもある。
 ぶっちゃけキタちゃんの一本気な視野の狭さが、ダイヤちゃんから燃えてる感情の熱さを取りこぼしている感じがあるので、毎週『気づけ……愛に気づいてくださいッ!』ってなってる。
 キタちゃんにとってのダイヤちゃんが、気高く不可侵な金剛石であることは作品の要でもあるので、そこに目が開くにしても相当終盤だろうなぁ……。
 焦らしァがるぜ……タメた分のLOVE大爆発を、マジ期待してます。

 

 という感じの、新年の少女遍歴でした。
 どっしり焦ることなく、ややゆったり目のペースでキタちゃんが何を感じて、何が見えていなくて、何が見えるようになったかを描く筆致は、今までのウマ娘アニメのどれとも違う味で、俺は好きだ。
 こっから再びレースの幕が開いていくが、同じく懊悩するシュヴァルグランを隙なくタメてる語り口が、後半戦どう炸裂するか。
 そこも楽しみにしつつ、次回を待ちたいと思います。