イマワノキワ

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ひろがるスカイ!プリキュア:第43話『プリズムシャイン!心を照らして!』感想

 奴隷の勇気は、己を縛る枷を解き放つために在る。
 虹ヶ丘ましろとバッタモンダーを巡る物語、その最終章となるひろプリ第43話である。
 エルちゃんにかまけて敵さんの事情を掘ってこなかったツケを、大急ぎで払っているひろプリ後半戦であるが、この二人の物語はかなり時間を使って煮込んだこともあり、唐突感がなく奥行きがある。
 愛と仲間に恵まれ、迷う弱い自分を認められて絵本作家への道を進んでいるましろさんが、ぶち当たらない暴力的な壁に常に突き当たり、アンダーグ帝国の暴力的価値観を内面化しながら、それに傷つけられも来たバッタモンダー。
 恐怖や弱さと直面できない、それを遠ざけ強い自分のイメージを補強するために暴力を使ってきた彼が、意思を失い暴力それ自体に変貌する時、見つけた最後の光。
 それは虹ヶ丘ましろという、あまりにきれいな心を持った少女から手渡された救いであると同時に、どうしようもないクズがそれでも胸に抱いてきた、尊厳と勇気の光であったように思う。

 

 『なんもかんも無茶苦茶にしてやる!』と意気込みつつ、小市民的生活に適応して平和の仮面を被ってきたバッタモンダーであるが、ましろさんが差し出した”おちば”の結末にキレ、自分の手で作品と関係性を引き裂いてしまう。
 『なんの取り柄もない、普通の子』と自分を見てきたましろさんにとって、落ち葉はそこから夢を見つけ仲間を手に入れた自己像に重なるわけだが、そこまで恵まれても豊かでもないバッタモンダーにとって、”おちば”の結末は自分には縁遠い他人事だ。
 ……と遠ざけることで、社会に役立たずのクズカスだと罵られ続け、所持する暴力を価値として示すことでしか地位を得られない世界で生きてきた彼は、そうではない場所に自分がいること、多様性と弱さを許容される世界で自分が変わることを拒絶する。
 アンダーグ式のマッチョな価値観に傷つけられつつも、代理となる価値観をなかなか学び取れないバッタモンダーにとって、敗者である己を拾い上げ認めてくれる場所があるのだとは認めにくく、しかしその優しさと靭やかさにこそ、弱い自分が弱いままで要られる可能性を見出してもいて、非常に複雑な視線を”おちば”に向けることになる。

 救われたいのに差し出された手を信じきれず、跳ね除け傷つけて遠ざけようとする、バッタモンダーのどうしようもないあがき。
 降り出した雨が、ましろさんがその対応に傷ついていると暗に示しつつも、彼女は泣き出すのを我慢して、目の前で苦しんでいる……のに、苦しむ弱い自分を認められずさらに苦しむバッタモンダーへと、自分の信じる物語を差し出し続ける。
 それはふんわりお姫様なましろさんに相応しい無限の慈愛であり、同時に傷つきながらも誰かを助けようとする強さ(自分の苦しさに溺れるバッタモンダーが、現状持ち得ないもの)でもあろう。
 傷ついて泣きたい、弱い自分をましろさんは認めているからこそあそこで泣かず、バッタモンダーに手を差し出せれる強い自分を演じられたのであり、強者に気圧されビビってる自分を否定するために、さらなる暴力にすがった男とは真逆の在り方を、あそこで提示している。
 しかしましろさんはバッタモンダーもまた”おちば”であり、自分なのだと感じているからこそ傷つけられてなお光を示して、強く在ることだけが価値ではないと、なんとか伝えようと頑張る。

 

 結局行き着く所まで行かなければバッタモンダーは生き方を選べず、この段階ではましろさんの光に背を向けて逃げ出してしまうわけだが、バッタモンダーがかつて放置された無力感の檻に、ましろさんはとどまり続けない。
 すぐさまソラちゃんが来て傘を差し出し、泣きたい自分を顕に抱きとめてもらう、肯定してもらうことで、ましろさんは弱い自分をあるがまま肯定してくれる世界に、救いを信じることが出来る。
 バッタモンダーとアンダーグ帝国には、こういう互助が一切ないことはスキアヘッドの苛烈な成果主義から見て取れる。
 アンダーグ帝国においても、弱さを内包した存在は傷つき助けてもらいたいと、弱いままの自分でも生きていたいと感じているわけだが、あの社会はその揺らぎを認めず、暴力一つだけを社会的価値として、成員に押し付ける。
 それは犠牲者であるはずのバッタモンダーの価値観も、生存するために適応し変化させていってしまう危うい毒だ。
 バッタ野郎が他人を踏みつけにして、弱い自分を高い場所に押し上げようとするのは彼自身の資質であり、同時に彼を包囲した社会のせいでもある。

 スキアヘッドはアンダーグ式の価値観を地上に持ち出し、バッタモンダーを脅迫しながら押し付けていく。
 そこで否定される自由意志や尊厳は、遺志なき暴力装置に成り果てても消えない最後の輝きであり、虹ヶ丘ましろ=キュアプリズムは常に『それが底にあって良いのだ』と伝え続ける。
 それは変身アイテムという強さの保証があるから叫ぶべきものではなく、どんな力がなくとも言うべきであり、言うことが許される価値だ。
 キュアプリズムが異能の光を放つ前、怪物に落ちる前からバッタモンダーは、闇の中の光を、虹ヶ丘ましろの諦めないアプローチに感じていた。
 自分がミラージュペンを奪って、力なく何もいえない弱者に成り果てたはずの虹ヶ丘ましろは、自分がホントは言いたいことを代わりに行ってくれて、本当はそこで過ごしたい場所が実際にあるのだと示してくれた。
 その在り方こそが、無力感と諦観の暗い闇を切り裂く光なのだ。

 

 ここまでバッタモンダーの暴力は、真実強い存在に反射する卑劣で弱い自己像……あるがままの自分から逃げるための、逃避として常に発現してきた。
 自分は強く、価値がある存在なのだと示し、思い込むために他者に向いてきた暴力は、今回自分がしでかした過ちを取り返し、己の尊厳を圧制者に吠えるために使われる。
 暴力を他人に使うことで自分を騙してきた男が、真実の自分はどんな存在であるのか、強さの証を取り戻し自分を倒す≒救う道を開くために、戦うことを選ぶ。
 そうさせるために虹ヶ丘ましろがしたのは、ただただ信じ続け語りかけることであり、それは彼女が一年の物語を通じて仲間から……特にソラ・ハレワタールからしてもらった行為の、率直な反射だ。
 優しくしてもらえたから強くなれている自分に、虹ヶ丘ましろは常に自覚的だし、そんな風に理想的に”人間”であれている自分の特権が時に暴力的になりうることを自覚しつつも、愛と友情に恵まれなかったクズに自分の影を見る。
 弱くて頑張れないかつての自分が、バッタモンダーの中にいるからこそ、彼自身諦めてしまった苦悩を諦めず、真実求める光を手渡し続ける。
 その優しい粘り腰は、まさに虹ヶ丘ましろ的であまりに眩しかった。

 美大生・門田とましろちゃんを巡る物語は、絵本作家としての彼女の成長物語でもある。
 ”おちば”というモチーフに多様性と不屈、自由と尊厳を織り込んで今回彼女は大賞を取るわけだが、それは結果であって目標ではない。
 ただただ、自分の琴線に触れたテーマで何を描くべきか、どんな相手に届けるべきかを三昧に考え続け、賞レースという社会的評価を、気づけば忘れ去っていた。
 この態度にも、悪しき社会的規範を過剰に内面化し、なりたい自分との摩擦を抱えていたバッタモンダーとの対比(救済の兆し)がある。
 バッタモンダーの苛烈な本音を叩きつけられ、泣きながら向き合うことで、ましろさんは自分がどんな読者に向けて本を書きたいのか、書くべきなのか、作家としての階段をもう一つ登る。
 暴力のみを価値とする独善的支配に傷つけられ、無価値と投げ捨てられた全ての”おちば”こそが、虹ヶ丘ましろが向き合う読者であり、救うべき自分自身でもある。
 バッタモンダーのような人、バッタモンダー自身に向けてフォーカスして書いた絵本には分厚いテーマ性と、それが上滑りしない真実味が宿って、『いい本』だったから賞を得たのだ。
 エルちゃん個人の笑顔のために絵本作家という夢と出会い、結果を求めて空回りしたり、スケッチブックに刻んだ理想を引き裂かれたりしながら、ましろさんは自分が語りたいこと、伝えるべき相手を確かに捕まえた。
 話数をまたぎ小さな成長を重ねながら、作家・虹ヶ丘ましろが一つの完成を見るまでの物語がしっかり描かれたのも、門田とましろさんの物語の良いところだと思う。

 

 ”おちば”が対峙し克服していくアンダーグ的価値観が、具体的にどういうものであるかは、スキアヘッドがこの期に及んで塩対応しまくってて、いまいち芯を捉えない。
 その価値観に囚われかけたバッタモンダーを、プリズムの放つ光が勇気づけ、立ち上がる手助けをしたことで、まぁまぁギリギリ顔が見えたかな……とは思う。
 あくまでバッタ野郎は犠牲者でしかなく、アンダーグ的マチズモから解放されたがってる、救われる準備ができてるキャラだったけども、その真ん中にズップリ沈んで出てこない、他人の話も聞きゃしないスキアヘッドとは、対話が成り立たねぇからな……。

 そんだけアンダーグ的価値観が頑迷で凶暴だって話でもあるんだが、奴が頑なに『コレが世界唯一の真理です、他の価値は全部無意味です』と否定しにかかる、自由やら尊厳やら不屈やらに全く勝ててない状況だと、強者ッ面ももはや滑稽というか、『嘘つきじゃんオマエ!』とはなる。
 バッタ野郎の仕打ちに傷つきつつも諦めず、しぶとく光がそこに在るのだと示したましろさんが今回勝って、無敵のはずの意思なき暴力が否定された現状を見てなお、スキアヘッドは変わらない。
 その思考停止は彼が、これまでと変わらず暴力ノルマを作中に発生させる仕事を完遂するために必要な仕草なんだとは思うが、まぁ……愚かには見えるよね。
 変われない哀れさにも諦めること無く、”対話”を一つの結論と選んだヒーローガールは言葉をかけ続けるのか。
 残り話数はそんなにないが、さぁひろプリ最終盤、どう風呂敷たたむかたためないのか。
 一年の総決算が近づいております。
 次回も楽しみですね!