イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第8話『木苺/焼き肉』感想

 あの学び舎での出会いから、龍に喰われてなおキミを探している。
 どんくさエルフの瑞々しき青春時代と、血濡れの修羅場の逞しさを並べて描く、ダンジョン飯アニメ第8話である。

 つーわけでマルシル軸ファリン添え、”リトルウィッチアカデミア”風味な魔術学園青春日記なAパートと、勢いのまま自在に崩れるTRIGGERダイナミズムも鮮烈な、VSウンディーネ戦を描くBパート。
 ドラマとしてもアニメとしても、テイストが対照的……に見えて確かな連続性があり、個人的にこのアニメで注目している味わいが色濃く出て、大変楽しかった。
 僕は”リトルウィッチアカデミア”がTRIGGER作品でいっとう大好きなので、落ち着いて叙情的なスペクタクルもまたこの制作集団の味だと思っているし、ファリンとともに自然迷宮に赴くまでの森の景色に、そんな魅力がたっぷりあって良かった。
 もちろん攻めたカメラワークとスィングする作画でもって、『動く水』との激闘を描くBパートも素晴らしい出来で、こういうのを一つの皿に盛り合わせて、一緒に食べれる贅沢を堪能させてもらった。
 この豊かな対照が、マルシルの過去と現在を描く物語と噛み合って、興味深い奥深さにも繋がっているの、大変良かったな。

 

 決戦前の小休止、マルシルが思い出を語るAパートには、過去があったからこそ現在がある、時の鎖の愛しさが詰まっている。
 学園きっての才媛はダンジョンの現実を知らない純粋培養少女でもあって、タフな野生児ファリンと出会い、フラスコの中に培養できる小さな迷宮ではなく、生きて連環する生態系に触れ合う。
 ファリンと出会わなければ迷宮に迷い込んで、魔物モグモグ食い散らかす所まで行かずにすんだかもしれないわけだが、しかし人と人をつなぐ引力とは不可視にして不可避、因果は人知を超えて回るものだ。
 マルシルはファリンと出会い、共に進み、その触れ合いが生み出してくれる輝きに目を開いて、竜に喰われてなお諦めきれず、迷宮の最奥を目指し突き進んでいる。
 出会いと運命が織りなす不思議な輪の途中に、この迷宮探索行もあり、僕ら視聴者もその一端を知ることで、ファリンという人間、彼女を諦められない冒険者たちの思いを、より間近に知ることが出来る。

 世界観的にもダンジョン学初歩講座を通じて分解能が上がる話で、書斎派マルシルとフィールドワークの申し子たるファリンの組み合わせが、この作品世界にも確かにある”智”の手触りを教えてくれる。
 どんくさエルフには長命種の驕りは全然なく、実地では何も知らなかった己を素直に鑑み、ボサボサ頭の劣等生と親友として手を繋げる、素直な可愛げが既にある。
 出会った頃はちびっ子だったファリンの背丈が、自分を追い抜いて共に迷宮に進み、迷宮を実地に学ぶ……どころか、そこに救う怪物を食ってまでたくましく、歩みを進めるようになっても、消えない輝き。
 薄暗く地下深い迷宮の風景ばかり見てきた目には、なかなか新鮮な森と川の風景に既に、マルシルとファリンの一番いい所が強く焼き付いているのは、やはり善い。

 サブタイトルにある”木苺”は、魔物を倒して糧を得る”ダンジョン飯”スタイルの食事ではないけど、確かにマルシルの人生を変えそれを豊かに満たした、大事な食事だ。
 それが表題に選ばれているということは、逆立ちして考えれば”ダンジョン飯”とは魔物という素材でも、倒して食っての調理法でもなく、魂と人生に染み入る滑稽ながらも奥深い味わいによって、範疇を定められる……という事かもしれない。
 ツルンと綺麗な優等生の立場からは、ばっちく危ない存在だったファリンの木苺を手に取り、口に含むことで、マルシルの人生は大きくねじ曲がった。
 優秀な魔術師として出世のレールにも乗っかれた未来は、怪物を食って日々の糧とする所まで落ちぶれた……と、日の光当たるところで暮らしている連中は嘲るかも知れない。
 しかしマルシルにとって、親友の死を覆すべく懸命に、でも楽しく迷宮に挑んでいる今は、悲観ばかりしたものではない。
 あの時木苺を食べてしまったことを後悔していないからこそ、体洗うもままならぬ迷宮稼業に文句……は時折ぶーたれつつ、文字通り命懸けでファリンの未来を掴み取る戦いへと、彼女は身を投じている。
 ただ朗らかで優しいばかりではない、未来を切り開く逞しさもまた、マルシルの魅力なのだ。

 

 というのが、ぐわんぐわん画面が暴れまわるBパートに良く描かれている。
 学生時代何の考えもなく全てを焼き払おうとした爆裂魔法は、強敵を独力で打ち倒す大きな力となり、そもそもそんな激ヤバ状況に追い込まれているのは、生来のオッチョコチョイで精霊住まう清水に、熱湯ぶっかけたせいでもある。
 あの頃と変わったもの、変わらないものを見届けるのにウンディーネとの激戦は大変いいキャンバスで、己の血潮すら敵の位置を探る助けとする、戦士としての逞しさが垣間見えたのは大変いい。
 そういうラフなかっこよさと同じ話に、長旅を前に体を拭いたくなる人間味(気を使い席を外そうとする、チルチャック&センシの気配りも含め)があって、食って食われて殺して生きる、”ダンジョン飯”らしい味わいであった。
 ハック&スラッシュを繰り返す戦闘機械になりそうな冒険者を、過去も思い出もある人間として掘り下げ、笑いとワクワクの詰まった冒険奇譚の中でその奥行を見せてくれる手際は、やっぱ良い。

 ファリンとの思い出だけがマルシルを作っているわけではなく、自力で窮地を乗り越えた後”おおきなかぶ”のようにコミカルに、頼もしく死に体を支えてくれる仲間との絆も、彼女の大事な一部だ。
 重傷を負ったマルシルを気遣いつつも、モッシャモッシャ水棲馬の焼き肉に舌鼓を打ち、自身もタフに明日を生き延びる力を蓄えていくライオスたちの、憎めない顔。
 それに引っ張られるように、木苺一つ食うのにもためらっていた箱入り娘は『別の肉もよこせ!』と叫び、目の前に立ちふさがる敵を殺し、食って生き延びていく。
 学生だった過去と冒険者な今では”食べる”ことの意味も、それを得るための困難も変わっているものの、あの木苺もこのレバーも、口から入ってマルシルの心と体を作る、大事な一部に変わりはない。
 そんな変化と連動を、心地よいコメディに笑い激しい戦いのスペクタクルに心躍らせつつ、感じることが出来る回だ。

 

 Aパートラスト、目覚めかけにマルシルの思い出話を効いていたライオスは、あの時ダンジョンから届いた手紙が伝えてくれた、彼から見たマルシルを初めて語る。
 ダンジョンに挑む仕事仲間とはいえ、あるいはだからこそプライベートには踏み入らないクールな距離感が、このお話の中にはチラホラ見え隠れしているが、命懸けの冒険をともにし、幾度も同じ釜の飯を食う中で、自分たちを形作る思い出もまた、パーティ内部で共有されていく。
 忘れたい、遠ざけたいと願う暗い過去も、それがあってこそ危機にも立ち向かえる思い出も、全部が自分たちの”今”を形作っているわけで、それもまた魔物由来ではないファリンの木苺と同じく、大事な”ダンジョン飯”なのだろう。
 命懸けの決断に何を選び取るか、土壇場において物を言うのは各々の人生であり、否応なくそういう場所に突き進んでいく冒険者一行にとって、過去と繋がった己の在り方を率直に晒し、より強い想いでお互いを繋げることが、生き延びるための命綱にもなっていく。

 まだまだ素性も本音も見えきらない、でもコイツラの旅路をぜひとも見たいと思わされる、愉快なライオス一行。
 美味しそうな食事と激しい戦いの中で、それぞれを形作った思い出が語られ、自分がどんな未来を望むのか明かされること……それによって、運命共同体(パーティ)がより緊密に結び合って、同じ目的へと力強く進めるようになる歩みも、このお話の見どころだと思う。
 ダンジョンの深部へと着実に歩みを進める、冒険譚としての着実さと並走する形で、一蓮托生な人間集団の関係性がかなりジワジワ煮込まれ、焦ることなくキャラの人間性が照らされていくの、見事な語り口だと思う。

 

 マルシルがファリンを諦めきれない理由を、森を吹き抜ける爽やかな風とともに語った思い出話と、強敵を前に戦い抜く強さを手に入れた今は確かに繋がっていて、それはマルシル個人の中に留まらない。
 聞いてしまった、知ってしまった仲間たちも、マルシルの過去と現在を噛み砕いて、新たな自分を形作るための糧にしていくのだ。

 そうやって生まれる、”パーティ”だからこその強さと面白さこそがこのお話の醍醐味……ではあるのだが、肉食っても傷は塞がりきらず魔力は戻らんッ!
 パーティ唯一の回復役が潰れかけて、大ピンチのライオス達に迫る謎の影。
 もう一つの因縁が近づく中で、新たな”ダンジョン飯”はどんな未来を切り開くのか!?
 次回も大変楽しみです。