イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ゆびさきと恋々:第10話『桜志の世界』感想

 夏の風に照らされた君の横顔が、あの時僕の世界から音を消した。
 雪と桜、交わらぬ定めをその名に刻まれた青年の閉ざされた心を、常識の外を爽やかに吹く風が心地良く攫っていく、ゆび恋アニメ第10話である。

 大変良かった。
 恋に限らず青春の物語は『選ぶ』ということが非常に大事で、それを際立たせるために作中には『選ばれない』存在が必ず生まれる。
 ガキで身勝手で狭い場所に自分も好きになった子も閉じ込めようとする桜志くんは、コミュニケーション応力に優れた大人で、広い空へと雪ちゃんの望みを解き放ってくれる逸臣さんとは真逆の『選ばれない』側である。
 彼が無様なクソガキであるほど、雪ちゃんが大学で出会った特別な運命、そこから跳ね上がるトキメキは素直に見るものの心に届いて、作品のメインエンジンはガンガン加速していく。
 桜志くんが選ばれない負け犬であることは重要で必要な、物語の必然だ。

 

 しかし物語を都合の良い書割として窒息させるのではなく、意思と尊厳に満ちた人間の場所として呼吸させたいのならば、そういう選ばれない存在にもプライドを認め、届かなかったあがきに報いる必要はあるだろう。
 作品の丁寧な筆致はここまで桜志くんの身勝手が、雪ちゃんを思う真っ直ぐな気持ち、幼い頃から見つめていたからこその不自由故であり、彼は彼なりに雪ちゃんを愛しているのだと、豊かに告げてきた。
 そのトーンに惹かれて、彼の挙動に注目するようになった自分としては、恋が彼を外野に置いたまま成就したこのタイミングで、逸臣さんがヤバい横恋慕野郎にどう向き合うかに強く注目していた。
 運命の恋人と狭く緊密な関係を築き、そこに入らない他人を関係ないと踏みつけにして高く飛ぶのか、それとも自分が出会っていなかった時代、雪ちゃんを大事にしてくれた人を大事に出来るのか。
 かなりハラハラして迎えた話数であったが、持ち前のコミュニケーション能力と他者への善い興味は桜志くんの心を叩き、鷹揚に迎い入れて彼の世界を広げてくれる決着となった。

 『雪の世界』で恋に落ちてスタートしたお話が、恋からちょっと離れた場所で『桜志の世界』もまた広げて幕引きを見据えていくの、構造としてあまりに綺麗すぎて震えが来るんだよな……。
 男女関係を飛び越えた、人間としての爽やかな影響力が恋敵にすら及ぶことで、逸臣さんのイケメンっぷりが顔面だけでなく魂の全部に及んでいると、確認できたのも良かった。
 複雑な三角関係に取り込まれた心くんが、桜志くんを恨まない理由を『カッコいいじゃん』と呟いていたのが、良い補助線にもなっていたね。

 

 俺はこのお話のメインターゲットとは、ちょっとズレたところに立っている視聴者だ。
 雪ちゃんのような最強天使に自分を重ねるにはヒゲが濃すぎるし、逸臣さんに選ばれるトキメキを素直に齧るには、男性としての自己認識がちと邪魔をする。
 そういう視線からすると、恋人になりうる子だけに優しい男にはそこまで惹かれず、雪ちゃんとの関係構築にフォーカスして進んできたここまでの物語では、逸臣さんの人間を判断しかねる部分があった。
 無論ここまでの語り口で既に、恋人との狭い関係性だけで人生判断しない人格を備えていることは十分感じ取れたわけだが、今回酒の飲み方も知らない弟分にしっかり向き合い、奇妙で彼らしいアプローチでもって厄介な恋敵の心を解してくれたことに、強い侠気を感じた。
 雪ちゃんとの幸せな暮らしを思えば、ぶん殴って関係を壊して終わりでも良いところを、極めて面倒くさい敵対姿勢にあえて分け入って、行き場のない少年の心を抱きしめてやる。
 そういう事ができる男はねぇ……本当に偉い。

 逸臣さんの人間力に抱きとめられることで、宙ぶらりんになっていた桜志くんの思いも叩きつけるべき壁を、その形を測る鏡を得て、美しい涙とともに凝り固まった心から流れていった。
 あの美しい涙が、どこか”雪解け”のイメージを宿していること……つまり彼と彼らが追い求めた美しい少女と重なっているのが、恋がすれ違うどころか近づくことも出来ぬまま、それでも真っ直ぐに一人を愛した青年が報われた感じがして良かった。
 ぐうの音も出ないほど、好きだった女を盗っていった男に解らされてしまった立場だが、こうも気持ちよくノックダウンされてしまうと、青春の予後はだいぶ良いように感じる。

 相手の顔を見て、伝えるべきを伝える。
 ろう者である雪ちゃんとの恋の中で、とても大事なことだと描かれ、今回もセックスに至るまでの同意形成を追う過程で新鮮に描かれ直したお話のテーマが、サブキャラ救済に腰を据えた話運びの中で、もう一度輝いたように思う。
 とにかくコンセンサスを大事に、恋を含んだ人間関係を展開しているのは大変現代的な感覚だと思うが、こうも鮮烈に描かれてみると『そらー大事だよね……勝手に決めつけて良いことなんて、何もないよね……』という気持ちになる。
 『俺はコイツが嫌いなんだ』で凝り固まっていた桜志くんが、逸臣アニキに抱きしめられて(酒の力も借りて)自分と対峙し直し、『嫌いになれねぇ……』という結論を導く話でもあって、このお話で繋がる手ってのは恋人や他者だけでもなく、見えにくい自分自身もそうなんだなぁ、と思った。
 一貫した太いテーマでもって、多彩な相手や問題をビシバシしばきながら進んでいく物語には力強い推進力が宿るわけで、『このアニメ……オモシロッ!』となる理由を、自分の中に改めて確認できる回でもありました。
 本当に、大変良かったです。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 というわけで物語は、桜志くんの心に運命が滑り込んできた夏をまず描く。
 子供らしい自意識に遮られて、少女の視線から目をそらしてしまったあの時に炸裂した、恋の花火。
 それは桜志くんの心に深く突き刺さって、しかしガキっぽい意固地だけで片付けられない思いを確かに宿して、恋という名前を与えられないまま残響し続けている。
 幼い頃に出会ってしまったからこその呪いのようなものが、桜志くんと雪ちゃんには絡みついていて、雪ちゃんが携帯電話からメッセージを受け取った時のイメージは、『アホアホ言ってくる嫌な桜志くん』で止まっている関係性を、コミカルに反射している。

 そういう出会い方をして、それが大事な繋がりだからこそ変えられず、足踏みしている間に頭を飛び越えて、誰かに何かを変えられてしまった。
 そんな状況は前回鮮烈に描かれた、心くんとエマちゃんの距離感とも重なるものがあり、常人が足踏みしてしまう心の痛みで蹲らず、高く自由に飛ぶ強さこそが、逸臣さんを主役足らしめている感じがする。
 あの夏の日の呪いが胸に疼いて、どんな名前をつけてどこに行くべきか分からないまま見守っていたら、同じように運命に出会ってしまった男は素早く力強く、雪ちゃんとの距離を縮めて恋人になった。
 進める逸臣さんが凄いんか、立ち止まった桜志くんが悪いんか。
 是非を判断する場所じゃないが、運命の残酷さというものを少し考えさせる構図ではある。
 ここら辺の苦さを適切に薄め、見ている側が『桜志くんから雪ちゃんを盗った』という印象にならないよう、桜志くんを『ボーっとしてたバカ』と思わないように、このお勝負の前にしっかり描写を編んで来たのは、巧いしありがたいね。

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 腐れ縁の幼馴染には、けして見えない情欲と慕情の混ざりあった甘い微熱が、逸臣さんの家に招かれた雪ちゃんからは消えない。
 自分の”ぜんぶ”を与えてもいいと思える、特別な相手との特別な間柄。
 世間一般では人間と人間が、そういう場所にまで上り詰めたのなら必然として起こるのだと、知識だけはあるし恥じらいとともに憧れてもいる、セックス・コミュニケーションへの門は、雪ちゃんの前に確かに開かれている。
 解らなぬからこそ戸惑い憧れる”大人の階段”を、しかし逸臣さんはゆったりと一段ずつ進もうと、言葉と唇と手のひらで伝えてくる。
 自分の経験と内面が反射する私室に招き入れ、休日をどう過ごすかを伝え、”雪の世界”を知ろうと映画の音を消し、キスはしても肌には触れない距離感を保つ。
 自分と極めて個人的で親密なコミュニケーションを取ることに、喜びよりも緊張のほうが勝っている乙女の現状をしっかり見据えて、静かに滾っているだろう性欲にきっちり首輪をつけて立ち止まる。

 それは雪ちゃんを大事にしたいからだと、逸臣さんは学び取った手話でしっかり伝える。
 『ただ思うだけで終わらず、相手に受け取れるメッセージを手書きで整えた上で、受け取りやすいように手渡す』という能力が、逸臣さんは高い。
 雪ちゃんは逸臣さんが好きだからこそ、素肌に触れられ何かが始まってしまうことに怯え、また憧れてもいる。
 そういう彼女に何も告げず、ただ見守って”大事にする”だけでは、愛を感じられず不安になるかも知れないから、『する。だが今ではない!』としっかり告げることで、適切な同意を形作っていく。
 ここら辺の距離感と歩調は、『恋人にもなったしセックスすっか~~~』という定形を全力で否定し、二人だけのラブストーリーを手捻りで作っていく気合を感じれて大変良かった。
 大切なことだからこそ秘され、特別扱いされている”それ”をストイックに消去するわけでも、当然視してこなすでもなく、重要なコミュニケーションの一つとして段階を踏み、一つ一つの歩みに宿るときめきを暖かく描きながら、そこに在るものとして描く。
 エロティシズムに向き合う姿勢も、やっぱりこの話好みである。

 

 自分の生き方が宿っている領域を見せて、映画を流しながら触れ合い、心の奥底に入る。
 ここで雪ちゃんと逸臣さんが形成したコミュニケーションが、後に恋敵と語らう時になぞられているのが、大変に面白かった。
 男と女、好きな人と警戒するべき相手。
 真逆に見えて二人は確かな縁で結ばれていて、心のどっかに透明で綺麗なものを残している。
 そういう相手と逸臣さんが向き合う時、かなり似通ったアプローチをたどるのだと、今回のエピソードは鮮明に描いてくれていて良かった。
 奥ゆかしく慎重な日本的接触法ではないけども、あけすけながら無遠慮ではない踏み込みでもって心を開き、その自由さが相対する者をも解き放っていく。

 雪ちゃんがあの出会いの日に見上げた空は、今回セックスの手前で慎重に立ち止まった時、眩い星空として新たにもう一度、胸の中にひろがる。
 逸臣さんはこのアニメにおいて、空の擬人として描かれ続けているわけだが、この認識が恋人である雪ちゃんだけでなく、恋敵である桜志くんにも共通していくのも、また面白い。
 純情な月明かりを雲が隠す場所にいた彼が、尖ってぶつかって酔っ払ってたどり着いた場所でようやく見上げた、遮るもののない夜空。
 そういう存在として、波岐逸臣という男はあり続けている。
 ……雪ちゃんの存在が桜志の心に這入ったのも、夏夜空に舞い上がる花火の日だったことを思うと、人生の様々な季節ごと、心が揺れる時に空が広がるお話なんだな。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 桜志くんの世界に分け入っていく前の閑話として、あるいは次回以降心くんとエマちゃんの世界へ踏み込んでいく前走として、店長に一人相談に来る青年の表情も切り取られている。
 雪ちゃんがドキドキお泊りに始めて眼にした私室、あるいは桜志くんとの接触の中で導くサークル棟と同じように、灯の落ちたオシャレな酒場にはプライベートな匂いがあり、そこに二人きり身を置いている時の親密な空気が、独特の表情を照らしている。
 逸臣のこと、嫌いにならないの?
 特別な関係性を構築できていないのなら、なかなか聞きにくいこともここでは/この人相手には親身に語り合うことが出来て、そう出来る相手がいるから苦しい恋にも負けずにいられる。
 あるいは負けないために、わざわざ真夜中にこの温かな場所へと足を運んでいる。
 出会いが恋となり、全てを許しあえる特別な関係へと成就していく歩みを追いかけてきた物語が、少し別の角度から、男と男の不思議な信頼感を照らす時、作品の武器である繊細な鮮明さはけして緩むことなく、優しく迷い子を写していく。

 やはり作品全体において、『眼を上げて、相手の顔を見る』という行為は大切に扱われているように思う。
 ろう者である雪ちゃんにとって、顔が見えないコミュニケーションがどれだけの不安を生むか、このアニメは丁寧に積み重ねてきたわけだが、自分の気持の中にだけ沈んでいけば周りを見る余裕も、瞳を合わせる勇気も消えていってしまう。
 前髪で瞳が見えないシャイボーイ達が、抱え込んだ恋に一人苦しんでいる様子が心くんを……あるいは桜志くんを被写体に幾度か描かれてきたわけだが、店長の言葉はそういう深みから友達を引っ張り上げて、眼の前の相手がどんな顔でいるのか、心くんに見させる。
 そうやって、自分が孤独だと思い込みそうなどん詰まりから助けてくれる人の温かさが、明暗同居する夜に灯るオレンジでもって描かれ続けているのも、このアニメが積み上げてきた映像詩学と言えるだろう。
 この店長の助け舟に心を休めて、心くんがどこへ踏み出していくかも、彼が好きな自分としてはなかなか気になるところだ。

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 それはこの先綴られる物語として、逸臣さんは遂に桜志くんとの接触を図る。
 逸臣さんからしたら桜志くんは彼女に良くないアプローチを仕掛けてくるヤバいガキであり、数年間の足踏みを一気に追い抜いて恋愛勝者のポジションを勝ち取った負け犬なわけだが、年下の不器用な青年を相手に、雪ちゃんとまだ恋仲になる前見せていたような強引な気さくさを、思う存分発揮する。
 面倒見が良い……ともちょっと違う、自分と関わった人間を前にして色んな面倒くささから逃げず、相手がどういう人間なのか、自分をさらけ出して解ってもらった上で対応する鷹揚が、そこにはある気がする。
 あの改札で桜志くんが自分に見せた、負けん気と当惑と庇護意識の入り混じった視線の奥に、一体何があるのか。
 ”身近な異国”として雪ちゃんに興味惹かれたように、かなり複雑な内面を尖った態度で覆い隠している青年の、色を見届けてみたくなったのかも知れない。

 彼女を自分の家に呼び寄せ、口づけだけして抱きはしない間合いで向かい合った時のように、逸臣さんは自分を形作っている空間に桜志くんを招き入れ、食事を共にし、映画を見る。
 あの部屋では雪ちゃんが『手を引いてくれる存在』として逸臣さんをスクリーンに重ねてたわけだが、今回は『ガキな自分をからかい、導く存在』として、桜志くんは恋敵を見ることになる。
 受け入れてしまえば何かが壊れると、強がりの奥に恐怖を隠して逸臣さんを遠ざける桜志くんの姿勢は、最初傾いで遠い。
 しかし男相手にも距離感バグった逸臣さんの、『俺はこういう人間だ』というあけすけなメッセージを無視できるほど、感受性が薄い……瞳を伏せて他人の顔を見ない人間でもない。
 雪ちゃんを好きでい続けるために、雪ちゃんが好きになった人を好きにはなりたくない。
 複雑にこじれた純情にしがみつきつつも、逸臣さんの歩み寄りとそれを無視できない自分の誠実さに切り崩されて、気づけば投げ捨てても良い約束を守り、共に酒を飲む関係性が構築されていく。

 物理的、あるいは身体的な距離がそのまま、社会的、精神的な間合いを反射して雄弁に関係性を物語る筆致は、映像表現の基本であるし、だからこそ難しく面白いものだ。
 ヤバそうでもあり面白そうでもある若造の内側が、どんなもんかと身を乗り出し方を組んで乗り込んでくる逸臣さんのアプローチには、雪ちゃんを相手取って積み上げていった関係性と同じ、遠慮がないけど心地よい距離感覚が確かにある。
 背を向け、相手の顔と目を見ないように逸臣さんを遠ざけようとする桜志くんの内側に、恋敵がどう滑り込んで、酒席を同じくする関係になっていくのか。
 そういう無言の表現が、巧くて強いのがこのアニメの好きなところだ。
 雪ちゃん相手には使わなかった(未成年なんで使えなかった)アルコールの魔力を借りて、頑なボーイの防壁切り崩す手管なども見せつつ、嫌いになりたい男の真っ直ぐな瞳を見てしまった桜志くんは、否応なく自分がどこにいて、何を守りたかったを見つめることになる。

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 そこは逸臣さんよりもっと早く、もっと幼い季節に出会ってしまった、美しい思い出の国だ。
 自分の中に湧き上がっているものが確かに空いなのだと、認めるには気恥ずかしくも怖く、しかし諦めるには湧き上がる想いはあまりに熱く、目をそらしては向き合い、手にとっては遠ざけ、心地良く中途半端な距離で、名前のないままに転がしていた想い。
 第8話で描かれた高校時代を思えば、そんな愛しい未熟は逸臣さんにもあって、エマちゃんや心くんとの甘酸っぱく少し痛い時代を経た後だからこそ、雪ちゃんが求めた立派な大人として、幸運にも出会うことが出来た。
 桜志くんにはそういう好機は訪れず、花火と一緒に心を揺らした美しい少女とどう向き合うべきなのか、わからないまま『アホ』と手のひらで綴ってしまうような、微笑ましくも残酷な繋がり方が、鎖のように彼を縛る。
 手話を覚え、影から守り続けていれば好きになった女の子と、確かに繋がっていられる。
 そんな安心は同時に、より自分の心の真実に近く、より新たな可能性へと開けた関係性……心ちゃんが逸臣さんに求め答えられた間柄へと、彼らを解き放つことを許さない。

 雪ちゃんが優しいステンドガラスの檻から自分を解き放ち、一般大学へと進み出し恋に新生活に挑もうと思った裏で、桜志くんは手話のテキストに視線を落として、変わっていく彼女を真っ直ぐは見られなかった。
 その帰結として、鳶に油揚げ掻っ攫わられたこの体たらくもあるのだが、ではその幼い想いが、夏の日の出会いが、無駄で無意味で無価値なのだろうか?
 ここまで桜志くんを描いてきた筆と同じように、作品はその無様さを、頑なさを、ままならなさを、愛しく肯定する。
 それは確かにそこにあって、桜志くんがいてくれたから雪ちゃんが微笑えた場面が沢山あって、でも恋という形にはならず、あるいは恋にするための一歩が怖くて踏み出せず、それでもあの子と繋がるための特別に、呪いのようにしがみついた。
 もっと颯爽と、もっと成熟した選択を賢く取れたと、傍から言うのは簡単だけども、桜志くんにとってそれが精一杯の決断であり、夏の呪いが痛みと停滞だけではなく、柔らかで温かなものを確かに生み出せていたのだと、彼の追憶を描く筆は確かに語る。

 桜志くんのナイーブな内面は、その視線のゆらぎに常に表されてきた。
 あの改札で、明確な敵意を持って雪ちゃんへの視線とことばを遮られた時、桜志くんは敵意を自分の中から絞り上げる前に、凄く当惑し傷ついた表情を一瞬見せる。
 大人はそんな顔しないから、この子はすごく子どもなのだと、僕はあの時解って、だから見届けてあげなきゃ行かないと、勝手な思い入れを彼に抱いた。
 雪ちゃんが花火の中投げかける視線から、気恥ずかしく顔を反らして、しかし確かに繋がりたいと願って学んだ『アホ』で、真っ直ぐと自分の恋を見つめる視線で、彼なりに応える、一連のシーケンス。
 『目を逸らす』ところで今回冒頭の回想が終わっていて、『その延長線上に停滞してたから、逸臣さんに負けたんだね……』と思わせておいて、桜志くんも視線のことばをしっかり返していたと描き直すことで、彼なり必死の戦い方を、確かにそこにあった愛を、しっかり教えてくれた。

 

 

 

 

画像は”ゆびさきと恋々”第10話より引用

 桜志くんが頭を擦り付けて、前に進めなくなっていた行き止まりを、逸臣さんは何の問題にもせず軽々飛び越えて、雪ちゃんが本当に欲しいものを見つめ、手渡し、受け取った。
 恋の鞘当てにすらならないまま、名前もつかない幼い恋にしがみついていた桜志くんは、逸臣さんがわざわざ時間を作って、くっそ面倒くさい若造に向き合ってくれたことで、行き止まりから向き直って、眼の前の相手を……見るまで、やっぱ手はかかる。
 別れろとか、両思いを横から盗りたくねーとか、七面倒くさいグダグダを酒の勢いで吐き出しながら、桜志くんは眼の前の相手の顔を見ないように顔を伏せ、しかし真っ直ぐ自分を見てくれる大人の男を無視も出来ず、二人を隔てる一線を越えていく。
 そうすることで、月にかかっていた叢雲は晴れて、静かな春の月光に照らされて少年は、自分が失ってしまったものと、まだ自分の心の中にたしかに残っているもの、そして今目の前、新しく出会ったものをしっかり見る。
 桜志くんと逸臣さんの心理的距離が、決定的に変化する瞬間を切り取る舞台として、縦方向に画面を貫通する街頭と看板、月光のライティングがビシッと決まっている。

 自分が雪ちゃんとどうなりたかったのか、もう絶対に取り返せない状況になった後で認識してしまうのは残酷だが、必要な施術でもある。
 それが恋なのか憧れなのか、庇護欲なのか良く分からない柔らかな気持ちに、名前をつけたくなかった桜志くんの願いを、逸臣さんがそうするように、僕はけして嘲笑わない。
 奪われてようやく、それが恋だったのだと認めた時、流れていく温かな涙。
 それは逸臣さんが雪ちゃんに惹かれた、美しい透明さを同じく宿していて、ヤバい恋敵がもしかしたら、結構面白い男なのかもと踏み込んでみたからこそ、嫌いになれない……というか好きになっちゃう相手と肩を並べ、悪友のように歩き始めることも出来る。
 優しい檻から己を解き放った鳥が、広い空を求めて羽ばたくように、時に陰り暗がりに沈みながらも、あの夏出会った眩しさを反射し続ける月光もまた、自分を解き放つ空を求めていた。
 ”桜志の世界”に”雪の世界”が確かにあり、その両方に”逸臣の世界”が清々しい自由と、頼もしい優しさを手渡した場面で、このエピソードは終わる。
 大変に良かった。

 

 というわけで、雪ちゃんのドキドキLOVEレッスンお泊り編と、桜志くん月下の男泣きでした。
 桜志くんのめんどくさく拗れた幼さを、彼だけの宝物として凄く大事にして描き、別れてほしいんだかほしくないんだかワケ解んないメチャクチャに、揺れ動かなきゃどこにも行けない青春ど真ん中を、堪能させてくれる回でした。
 こういう面倒くさい旅を経ないと前に進めないヤツってのは確かにいて、そういうやつと真正面から向き合い、顔を挙げさせるほど強く見つめて、熱く透明な涙を受け止めてくれる男なのだと、逸臣さんのこともっと好きになれて良かったです。
 終わってみると、雪ちゃん関与しないところで青春の地雷原が撤去されて、彼女(を主役とする作品全体)の特徴であり魅力でもある透明感が全然濁らず決着したの、巧いなぁと感心もする。

 桜志くんは逸臣さんがどんだけ大人で、雪ちゃんを束縛せず自由に羽ばたかせ、新しい出会いと可能性を届けてくれるか教えるための、惨めな鏡だ。
 しかしそんな存在にも人としての尊厳があり、青年としての想いと迷いがあり、間違っていたとしても愛しく抱きしめていたかった、かけがえない思い出がある。
 世の中、そういう不格好な宝石を抱えた連中ばっかりで出来上がっているのだと、群像劇として背筋の伸びたメッセージが、負け犬をきっちり負けさせることで未来に顔を向けさせるお話から、しっかり飛び出していました。
 つえーわこのアニメ、マジ……。
 次回も楽しみです。