イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

葬送のフリーレン:第27話『人間の時代』感想

 難攻不落の迷宮を攻略し、待ち構えるの最後の試練は思わぬ方向へ。
 バトルまみれの後半クールを締めくくる、世界最高の魔術師によるスーパー主観クライマックス、フリーレンアニメ第27話である。
 あんだけ趣向を凝らした新世代ハンター試験やっておいて、最後の最後でゼーリエ様の思し召しが飛び出してくるの、やっぱヘンテコなお話だな……そこが好きだが。

 というわけで試験を終えて一休み挟みつつ、最後はあっさりノーバトル、協会のトップの直接面接で決める展開となった。
 一級に似合わないヘナチョコもPullして合格させてしまう、フリーレン規格外の実力が生み出した結果ではあるのだが、閉鎖空間でのデスゲーム、協力型の迷宮攻略と来てこの流れは意外……なんだが、このお話らしくて妙にしっくりも来る。
 『ゼーリエ様の独断ならしゃーないか……声も伊瀬茉莉也だしな……』と思える、格と超ツンデレっぷりもたっぷり積み上げてくれて、特権を約束する一大事がザクザク決まっていく気持ちよさもあって、個人的にはなかなか面白い。
 カンネ以下の有象無象が不合格になる理由を、ここまでさんざん掘り下げてきた”イメージ”に担当させるのも、大鉈振るっているようで一貫性があったように思う。
 一級魔術師になった自分が、その特権で何をするのか。
 その地位それ自体が魔法であるような場所にたどり着くには、魔法使いとして一番大事な資質を見せなければいけないし、それを見抜く眼力は確かに、ゼーリエにはある。

 

 三次試験へ向かう合間、お久しぶりなシュタルクを交えつつホッコリ人情噺が展開されていくわけだが、ここのトーンとゼーリエが愛弟子を見る視線がすれ違うつつ重なるのが、なかなか面白かった。
 すっかり孫みが板についたラオフェンが、不器用にリヒターを気遣うデンケンおじいの代弁する様子とか、『コイツ……最後だからって完全にブレーキ壊してきた!』という距離感でイチャイチャキャッキャするカンラヴィとか、大変良かったが。
 定命共が比較的分かりやすい形で顕にする情を、時代も命も自分を置き去りにしていく定めを飲み込んでいるゼーリエは、尖った形で表に出す。
 苦み辛み濃いめのソリッドなツンデレで、かなり俺好みの味してんだよなゼーリエおばあ……。

 クールな罵倒と冷たい値踏みで、超越者然と構えて周囲を睥睨し、花を愛でつつも花から愛でられることはない……と思いつつ、かつてフランメの思い出を語った時に滲んでいた情は、現役世代にもしっかり向いている。
 フリーレンの魔力隠蔽を唯一見抜いた、レルネンの眼力と鍛錬……それに奢らない謙虚さを誇りに思いつつも、その才が時の流れに飲まれていく無常を嘆く言葉には、皮肉な色合いが濃くなってしまう。
 いうたかて、レルネン自身はお師匠様が『そういう人』だってのは(多分最初の弟子であるフランメと同じく)良く解っていて、だからこそ紅顔の美少年がしわくちゃジジイになるまで、側に仕えて学んできたのだろうけど。
 彼女が描かれる時、常に花園に立つのはフランメを象徴する”花畑の魔法”の覆い焼きであると同時に、咲けば散ってしまう儚さをそれでも愛でる、永生者の分かりにくい愛を結晶化させてもいるのだろう。
 そういう不器用で分かりにくい生き方をしている人の側に、彼女を解ってあげれる人がいるのは良いなぁ、と思う。

 

 とここまで書いて気づいたのだが、『分かりにくい永生者を分かってあげれる愛弟子』つう構図は、フリーレンとフェルンと全く同じなのだな。
 出会った頃はまだ隠遁者の硬さが残り、自分が何を楽しんでいるか分かりにくい硬質美少女だったわけで、ハイターも『ロリババァツンデレ、分かりにくいけど食ってみると極上だから!』とアドバイスしたわけだが。
 他ならぬフェルンを弟子として義娘として、旅の仲間として十年伴に過ごす中で、ふにゃふにゃ甘えん坊マスコットとしての才能を開花させ、何を楽しみ何を愛しているか、分かりやすい人になっていった。
 ブーブー文句たれつつ、リヒターおじさんを巻き込んで大事な杖を修理して、フェルンの大事な思い出を守ってあげる気遣いあればこそ、瞬く間に散ってしまう花々が一つ一つ、かけがえなく咲いている今を寿げもするのだろう。
 逆に言うと一般的なエルフは、自分からすればあまりに刹那的な人間たちの時間間隔に寄り添えなかった結果、種族全体としては衰退してんのかな……とも感じるが。

 フリーレンがそういう、刹那を愛でる永遠になれたのはもちろん、色んな人との縁あってのことだ。
 時の重さに閉じられそうになっていた彼女のまぶたを、決定的に開いたヒンメルとの出会いに、フランメが愛した魔法が深く関わっていたこと……話の主軸になる二人の関係が、神話スケールのおねショタだったことが判明などもし、界隈が更地になったわけだが。
 いやー……27話話を牽引してきた関係性の”起点”が、残り一話ってこのタイミングで暴かれた上に、『あまりに美しいものとその名も知らず出会ってしまい、後の人生全部その色に染められてしまった』つう麗しい呪いだと解るの、あんまりに強いよ……。
 永遠に若きフリーレンがヒンメルを勇者と呪うだけでなく、人生全部を……その死すらも使い切って愛した人が淋しくないよう、世界中に埋めた花束をフリーレンが探り当てているお互い様な関係なの、あまりに……あまりに……。
 ここまで気楽な調子で『仲間になったのは偶然!』みてーな回想パなしてきたのが、今回”起点”描かれたことで全部ひっくり返り、『ヒンメルの魔法使いは、最初っからフリーレンだけだった』つう”事実”がそびえ立っていくのも、気さくな笑顔の奥に隠した感情がデカすぎてヤバすぎる。
 話数が積み重なるほどに、『勇者はまさしく勇者だった……』と思わされるキャラなの、凄いよねぇ……。

 

 フリーレンは何を答えても、ゼーリエが自分を落とすと確信して試験に挑む。
 それは散る花を愛でる永生者の共鳴であり、師匠の師匠、弟子の弟子として魔導を追求し続けた高達だけに見えている、必然の風景だ。
 フリーレンの目的は一級資格を通行証にして、皆で旅を続けることだから、何やってもフェルンが受かると確信している以上、自分の合否は問題ではない。
 ゼーリエがフランメに、レルネンに、あるいはフェルンに求める、自分と同じ領域まで……それ以上の高みへと上がってこれる理想の魔法使いに、自分はなれなかった。
 魔力隠蔽に無駄な時間を費やし続け、必殺の機を強引にもぎ取る泥臭さは、魔法浪漫を魔王亡き世界に再生させようと協会を作ったゼーリエとは、根本的に相容れない。
 しかしそこが重ならなくても、一千年後の人間の時代を鋭い眼力で見据え、静かに人の世に寄り添ってその時を待ち、いざ時が来たら表舞台に上がって傲慢に夢を形にしていくゼーリエのことを、フリーレンは信じている。
 自分もまた、エルフにのしかかる時の重さに抗って、人の世に交じることを選んだからこそ、理解るものがあるのだ。

 それが叡智と呼ばれるにはあまりに卑近で、当たり前に大事な誰かを慈しむ気持ちなのが、僕はすごく好きだ。
 これを生来分かり得ないから、魔族は人類の天敵、コミュニケーション不能な猛獣なのだろう。
 フリーレン達高位エルフがどれだけ規格外の実力を持ち、人間一個殺す程度何の苦労もないことを、二次試験のスーパーバトル作画は良く教えてくれたが、同等以上の力を持っていても、彼女たちは人食いの猛獣にはならない。
 牙の鋭さが人の尊さを決めないと、自ら学び人と触れ合う中で理解できる力が、エルフを賢者にしているのだ。
 この善さを娘として弟子として旅の仲間として、一番の至近距離で浴び続けたフェルンがフリーレン信者になっているのは、メチャクチャ納得がいくし、それで合格もぎ取っていく流れも良かった。
 ヒンメルの人生も世界救うほどにネジ曲がったし、クールな顔して人間としての存在質量、それが生み出す重力が強い女(ひと)なんだな、フリーレンは。

 想像できないものは、実現できない。
 ゼーリエが夢見つつ自身では成し遂げられなかった、魔王がいない人間の世界へ確かに、儚く脆く咲いては散る花たちは辿り着いて、彼らだけの魔法を成し遂げた。
 個としてゼーリエを超える魔法使いはいないだろうが、種としては既に乗り越えられていて、旧き種族最後の責務を果たすように、『魔法使いの高みはここに在る』と己の存在で告げる。
 市井に混じっての旅路に、小さな幸せをその目で確かめ手で掴む道を選んだフリーレンとは真逆の生き方だが、そこには人間存在への確かな愛しさがある。
 ゼーリエが全ての魔法を知っているということは、フリーレンが収集する数多の民俗魔法も、そこに込められた人々の祈りも、なんだかんだ理解っているということだ。
 分かった上であの態度しか取れないってのが、なんとも面倒くさく愛しい人である。
 

 

 という感じの、一級魔法使い選抜第三次試験でした。
 今までと毛色の違う選抜を最後に置くにあたって、全権を握るゼーリエがどういう人間なのか見せないと飲み込みにくい所でしたが、彼女の硬い外装を崩すことなく、内側にある豊かさを良く描いてくれて、大変良かったです。
 モチーフに選んだ花の作画が最高に良くて、表に出づらい内心を的確に象徴できていたのが、良く効いてたと思います。
 つくづく超絶ハイクオリティを良い方向に活かしながら、ドラマや表現と噛み合わせながら走りきったアニメも、残り一話。
 次回も楽しみですね!