イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

夜のクラゲは泳げない:第1話『夜のクラゲ』感想

 窒息性の空気の中で、輝きたいと藻掻いている。
 ナイトアクアリウムのような息苦しさと美しさを、異界たる渋谷に鮮烈に織り込んで少女たちの運命がスタートする、アート群像劇アニメの第1話である。

 天才・木下良平大健在を強烈にアピールする、センス抜群のバキバキな映像に翻弄されつつも、何者かになりたいと彷徨いつつ視線を伏せてしまうありきたりな青春が、運命と出会って烈しく輝き出す瞬間を、力強く受け取ることが出来た。
 特別さを求めながらも匿名性に埋没し、漂うことで守られたい現代的なアンビバレンツを主人公・光月まひるに上手く反射させつつ、彼女の眩い太陽になってしまった女・山ノ内花音との出会いが何かを起こしそうな予感が、いい具合に花開いた。
 とにかくルックが抜群で、シームレスでアップテンポな映像作りが独特のグルーヴを生み出しているわけだが、描かれている物自体はとても普遍的な青春の不安であり、人生メチャクチャにかき回す存在係数のデカい女との出会いであり、そんな特別さの隣で光を窃盗していれば何者かになれるかも知れないという、浅ましくも切実な希望だ。
 ビカビカにゲーミング発光する渋谷を舞台に、ポップで今っぽくて、しかし奇妙な泥臭さと血の匂いを感じさせる生々しい痛みが、どれだけ軋みを上げるのか。
 今後に大きな期待を抱ける、素晴らしいスタートとなった。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第1話より引用

 というわけで、とにもかくにも美術がいい。
 良すぎる。
 渋谷という、若者文化にとってアイコニックな場所を舞台に選び、量産型に諦めている風でいて何かを期待し続けているまひるの視線を反射して、世界は鮮烈に美しい。
 この美しい発光現象はメインモチーフに選ばれたクラゲの習性を投影し、誰かの光を盗むことでしか輝けない(と思い込み、自分を閉じ込めている)まひるの在り方を示してもいるわけだが、画業を再開させた彼女が今後生み出していくだろうアートを、先取りするように世界が美々しいのは、大変良かった。
 美大に行って画壇でのし上がる、古臭い芸術出世物語とは違った場所で花開く話だとは思うのだが、今っぽい配信業をキャンバスに選んだとて、そこには美しいものが描かれなければ説得力がない。
 何かが起きそうな予感と期待を孕んで、七色に輝く夜の渋谷はまひるの視線に切り取られた街であり、その美しさは彼女のセンスと欲望を……彼女の絵を生み出す源泉がどんなものであるか、力強く予見しているように思えた。
 俺は美術ん強さが、キャラやドラマの表現を支え加速させていくアニメが好きだから、こういう連動がテーマと背景に感じられるのはとても良い。

 この極彩色の優しい美しさは、花音の誘いを拒絶した時に面白くもなくくすんで、世界は量産型の現実色に一旦落ちぶれる。
 他人の言葉に傷ついて、己が己である証明を自分で汚して、背中を向けてしまった晴れの舞台から、一番遠い暗がり。
 そこが光月まひるの現在地なわけだが、ハロウィンの予感に浮かれている間はそれも忘れられた。
 しかし自分を好きだと言ってくれる誰かと出会い、その熱を自分の意志と言葉で跳ね除けた時、まひるは何者でもない己を再確認し、自分がどこにいるのかを我が家に戻る車窓に確認してしまう。
 自分は何者でもない、面白くもない負け犬なんだ。
 そう思い知らされた時世界の魔法(art)は解け、極彩色の希望は失われていく。

 もう一度魔女に出会い、今度は自分が何を好きなのか、大声で告げれる自分に変身した時、世界はもう一度七色に輝き出す。
 それが強すぎる光で自分を引っ張る太陽の、光を盗んだ月の輝きなのかは、此処から先描かれる物語だ。
 しかしまひるの渋谷に光を取り戻すためには、確かに花音との運命的な出会いが必要であり、その手を取って面白くもない色合いの現状から飛び出し、生身で傷つく覚悟が必要な道へ進み出すしかない。
 その歩みがかなり危ういものであることも、この第一話は的確に示しているが、黙って止まっていられないほどの魅惑が真夜中のアクアリウムに、ビカビカ光っている説得力は山盛りである。
 当たり前に面白くねぇ青い夜より、万色に輝く美しい夢のほうが、そらー飛び込みたくなるもんなぁ……。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第1話より引用

 まひるは自分に魔法をかけてくれる誰かをしゃがみこんだまま待ちつつ、自分で自分を動き出すことが出来ない、当たり前で面白くもない呪いに囚われている。
 量産型を名乗る彼女の世界はしかし、思いの外幻想的……というかマジックリアリズムの匂いがあって、妄想と現実、過去と現在はシームレスに繋がり、軽やかに踊り狂いながら垣根を飛び越えていく。
 至高の領域と現実に境目がなく、自分を縛り付けている思い出が現在と重なり合いながら描かれる不思議な感覚が、まひるの視線で彩り直された幻想の渋谷と折り重なって、魅力的な眩暈を生み出していく。
 このフラツイた感じは、しゃがみこんだ自分を追い越して悪魔の装束を迷わず手に取った、かっこよくて特別な女の子に惑わされてしまった、まひるの感覚と見てる僕らをシンクロさせていく。
 激流に押し流される、快楽に満ちためまい。
 それは自分の力で泳ぐことが出来ないクラゲが、誰かの光を盗みながら夜に迷っている時に感じるだろうセンスであり、作品全体を……その真ん中に立つまひるを、窒息させ満たす大事なフレイヴァーだ。

 花音はまひるが真夜中に邂逅してしまった魅惑的なミステリであり、底しれず謎めいているからこそ惹かれる暗い光だ。
 勝手な期待や幻想が投影され、だからこそ諦めていた夢にもう一度火が入りもするわけだが、その目眩は目の前にいる生身の少女が、自分に何を求め何を感じているのか、等身大の現実的視線を横に押し流す。
 花音がどういう人間であるか、出会ったばかりであり彼女に酩酊しているまひるの視線を借りて作品に潜る今回、なかなか見えない。
 しかし傷つけられ匿名の仮面で鎧ってなお、魂が願う叫びを音に刻んだ歌をヘッドフォンごし共有してもらった喜びは、花音が考えているほど無敵でも強靭でもなく、当たり前に傷つく少女の色合いをしている。
 歓喜の涙のように、顔を映さず垂れ下がるケーブルの重量感が、まひるが花音に出会った運命と同じ重さで、花音もまたまひるの方へと押し流されている現状を、静かに語っていると感じた。

 クズどもの陰口に殺されないために、JELEEというアイコンを選んで世界に闘争を挑み直した花音が選んだ、仮想の自己像(アバター
 そこにまひるのアートがあるということは、まひる自身が特別な存在として既に選ばれている事実を示すだけでなく、彼女が生み出すアートに何が出来るのか、誰を救えるのかを、既に示している。
 まひるは”海月ヨル”、花音は”橘ののか”と、傷つけられて打ち捨てたお互いの名前があるわけだが、二人のユニット名となる”JELEE”もまた、少女たちが自分で選び、正しくない綴でもそれが自分なのだと、常に吠え続けるための武器だ。
 柔らかなクラゲたちは仮名や匿名の鎧で身を固めて、なかなかうまく泳げない夜にっこから飛び出していく。
 それはまひるにとってのみ特別な快楽ではなく、世間の追求に目を伏せさせられ、一回自分を殺された花音にとっても、人生揺るがすほどの怪物的悦楽なのだろう。
 そういう運命に酔っ払った……クラゲのような足取りで進み続けるためには、正気じゃいられないほど特別な何かが必要で、つまりはアートに満ちた世界は少女が生存していくための、外付けのアクアラングでもあるのだろう。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第1話より引用

 帰宅するなり思いを風呂に吐き出すシーンは、まひるがクラゲをトーテムとする水生生物であり、”当たり前”で埋め尽くされた地上では生きづらい天使であることを上手く示す。
 夜の中、水の中でこそ上手く出来る自分を世界に肯定してもらえなかった彼女は自分から顔を伏せ、眩しい場所を見ないようにすることでここまで生存してきたわけだが、山ノ内花音と出会ってしまったからにはそうもいかない。
 特別だ、自信を掲げて世界と戦える強い人だ。
 私とは違う、と告げて背中を向けた後、まひるは花音がどういう存在で何に傷ついたのか、親友キウイちゃんに補助線を描いてもらいながら見つめ直していく。
 スキャンダラスな過去において、”橘ののか”は自分を突き刺すカメラの剣に目を伏せて、己を殺して歩いていた。
 そこには、傷つきやすい自分をヘラヘラ笑いでごまかすまひるの顔が、痛みを込めて反射している。

 そういうモノを見てしまえば、自虐を交えて友達とフツーに上手くやっていく道は歩けなくなってしまう。
 渋谷の雑踏に、あの時ドンキで見上げた眩しい光を見つけたまひるは惹かれるまま駆け出し、悪魔に囁かれて一歩を踏み出す。
 まひるのアートを求める花音の囁きが、とてもセクシーに描かれているのが良い。
 そういう生の律動を強く孕んだものに出会ってしまったから、まひるは一度諦めようとしたもの、でも死んではくれないものにもう一度踏み出して、自分が自分でいるために必要なものを墓場から引っ張り出す。(少女再生の日がハローウィンなのは、浮かれポンチイベントの旧い起源を尊重した描き方で好きだ)

 顔を伏せ、目を向けない。
 この第一話で幾度も繰り返されるモチーフだが、自分たちの思い出を汚すストリート・アイドルを反射板にして、少女たちはようやくお互いの顔を見る。
 それは自分が何を望んでいるのか、嘘のない眩しさに目を向け治す作業でもあり、まひるも花音も、お互いだけを目にいれることで損なわれた自己像を取り戻していく。
 それは彼女たちが二人で一つの軟体生物……”JELEE”になっていく必然と危うさを、面白く語る筆致だ。
 面白くもなく傷つかない、ごくごくフツーの量産型に埋没するための条件として、夜の獣たちから引っこ抜かれる牙を、少女たちはお互いに選び取って突き進んでいく。
 そうするだけの輝きと危うさ、そうしなければならない熱と痛みが、極彩色を取り戻した渋谷の夜に乱反射していく。
 そんな青春の犯行現場を描く筆も、アバンギャルドな映像センスを暴れさせて、心地よい酩酊感でジャンプしている。
 かなりドラッギーな映像を、毒気をポップさに包んで飲ませる演出プランで成り立たせているの、相当面白いスタートだよな……アヴァンギャルドだ。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第1話より引用

 運命に向かって駆け出す瞬間、まひるは常に影の中にいて、光の方へ引っ張ってくれる強い存在を見つめ続けている。
 しかし彼女の切迫した主観を強くトレースし、青春の息苦しさと開放への期待感を親身に伝える映像の中で、かなり冷静な客観性をモとなって、花音がまひるを見つめ、手を繋ぎ、求める視線の強さも切り取られている。
 自分は影の存在だ、光を盗むしかないクラゲだ。
 そう自分を位置づけることで、主体的で欲張りで美麗で……つまりはアーティスティックであることから逃れているまひるの自己認識が、彼女を包囲する影にはつきまとう。

 しかしそれが思い込みでしかなく、彼女自身を”真昼”と眩しく見つめている存在が目の前にいることを、この第一話はしっかり描く。
 描いた上で、そんな事実をまひるが全然受け止められていないこと、その自己認識のズレが危うい結果に繋がりそうな気配も、同じく描く。
 JELEEがパフォーマンスとヴィジュアルデザイン、花音とまひるの両輪で成立する対等なユニットならば、どちらか一方が手を引きどちらかがその強さを盗み取る、アンバランスな関係では長続きしない。
 花音の認識の中では、自分の音を聞き求めてくれたまひるは既に特別な存在なのに、それに相応しい自分であることをまひるは(強く求めつつも)遠ざけ、光の中に堂々立つ主体である責任から、逃げているようにも思える。
 それは危うく間違っていて、でも誰もがそこに立ってしまう普遍的な立脚点だろう。
 物語の全てが始まる、出発点でもある。

 まひるはアーティストとして再生する最初の画材として、ルージュを選んだ。
 唇を赤く濡らすだけでなく、天使を自分色に彩るフェイスペイントとしても、通常の使用用途を逸脱して使われたそれは、路上に打ち捨てられる。
 彼女の悪魔、魔女、あるいは王子様に手を引かれて渋谷を走る時、気合を入れて履いた靴は脱ぎ捨てられて、隠しておきたかったけど履いてきてしまったソックスが顕になる。

 ガラスの靴が脱げても、今夜かかった魔法は解けない。
 灰かぶりをヒロインに化けさせた魔法は誰かの借り物かもしれないが、しかし魔法はいつでも、あなたの中にある。
 そんな現代童話のモチーフを鮮烈に輝かせながら、天使はちょいブサな顔で運命とキスした。
 自分らしさを解き放つ祝福にも、複雑怪奇な感情と表現親身に魂を引きずり込む呪いにも、なんにでもなりうる特別な出会いが、眩しく夜を駆けていく様は、美しくて危うくて、とてもチャーミングだ。
 魔法が始まる。
 出会ってしまったからにはどう終わるか、見届けざるを得ないだろう。

 

 大変いい。
 想定していた以上に、つまんねー檻に自分を閉じ込めている青春少女クラゲっ子が、強がりで武装した引力強い女に情緒と運命メチャクチャにされる話で、凄く好みだ。
 やっぱ存在質量がデカい女に何もかもクッチャクッチャにされる様を見るほど面白いことないし、それが自称”月”の才能窃盗女とお互い様、太陽もまた既に狂わされていると暗に示されているのも最高。
 音楽に限らず、アート全般を現代配信文化と混ぜ合わせながら描いていこうとする姿勢が、バキバキに仕上がった映像自体に支えられ、舞台と選んだ渋谷の空気に受け止められ、良い広がり方しそうなのもグッドです。

 俺、このアニメ好きだわ。
 次回もとっても楽しみです!