イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

うる星やつら:第36話『みじめっ子・終太郎!!』感想ツイートまとめ

 うる星やつら 第36話を見る。

 OP・EDも最終クールっぽくなって一発目、面堂終太朗一本繋ぎでブッかますぜ! という回。
 普段よりバイオレンス5割増の仕上がりになっており、『やっぱ面堂家ってヤ…』という、長年の疑問を裏打ちするような回。
 勢い重視ギャグ作品とはいえ、武装の強度があまりに高く、暴力への引き金があまりにも軽いので、やっぱなんかこー、サンデーでは表立って言えないアレソレが設定に食い込んでそうな匂いが伝わってきた。

 お話としてはスナック感覚でタイムスリップして、面堂くんの人となりを掘ろう! という回。
 回想でも良さそうなところで、直接過去に戻るのがうる星イズムだなぁ…。
 面堂といえば令和のサンデー看板作品、”葬送のフリーレン”でもパロられた『暗いよ狭いよ怖いよ』であり、そんなキャラ記号のど真ん中に切り込んでいく…けど解決はせず、むしろ歪んだ時空が因果を繋げた決着が、最後の最後で投げっぱなしにされる展開がパワフル。
 つーか令和うる星が放送してる結果、フリーレンのミミック芸が古典からの引用じゃなくある種のアヴァンギャルドになってるの、放送時期の妙味だなぁ…。

 子供時代から相当イイ性格してイイ育ち方してた面堂が、自分自身とバチバチ騒がしくやり合う回なのだが、それより了子の動じぬ強キャラっぷり、暴力へのためらいのなさが際立ち、面堂家の序列を再確認する事になった。
 幼少期からあんだけイカれた環境で育てば、そらーすぐさま日本刀を取り出すヤバ人間にもなろうし、むしろあの異常家庭で育った割には、落ち着きのある好青年になったんじゃなかろうか。
 言うたかて極限まで追い込んで、バチ切れさせると自分自身に強烈なトラウマを刻み込む悪鬼にもなるわけで、そういうぶっ壊れ方含め面堂終太郎、面白い男である。
 やっぱマモちゃんが終太郎役で良かったし、その良さを引き出す作画と演出頑張ってくれて嬉しかったな、今回。

 

 話の流れははいつもと同じく…にしては”暴”の匂いが濃い回だったが、幼終太郎に無意識の牽制ぶっこむダーリンに、ラムがワクワクする様子が可愛く浅ましかった。
 

 めちゃくちゃメロウに、最終エピソードに注力して作り上げられたOP/EDを見ても、ラムとあたるの終わらない追いかけっこが思いの外脆くて、儚い非日常である事を、このクールは強調してくる感じがある。
 なのであざとくあたラム出来るタイミングで、グイグイ押し込んでくる形にもなろうよ!

 普段はすっとぼけられて逃げられてばかりの純情を、確認できそうなチャンスが来ると角引っ込めて、結構マジにドギマギしながらダーリンに近づいていくラムのあざとさ、大変良かったな…。
 そこに明確な答えを返せないあたるの半煮えが、最終盤をの大事な火種にもなろう。
 永遠に続くはずの狂った祝祭も、ふわり儚く終わる日が来る。
 今回描かれたようなワイワイ騒がしく、やり過ぎ感満載のドタバタを、何もかもが消え去った後で懐かしく思い返すような、”うる星”の終わり。
 新OP/EDは『うる星が終わる、ラムが消える』という必然にしっかり焦点を合わせてて、令和うる星らしい力の入り方だった。

 

 あの淋しくも美しい景色へとどう走っていって、その先にある自分たちの答えを、どう描ききるか。
 4クールの長きにわたって楽しませてもらったアニメの行く末はやっぱり気になるし、そうしてフィナーレが見え隠れしてくると、騒ぐだけ騒いでスカッと終わる『いつものうる星』味にも、微かな苦味が交じる。
 それは今本気で、”うる星”やったからこその味だ。

 既に結末を知っているはずなのに、騒々しい祝祭の先に待っている必然にしみじみ感じ入るものを受け取るのは、僕がこの令和のうる星が好きになれた、大事な証拠かなぁと思う。

 終わらず続いていく喜ばしさと、必ず終わっていく切なさ。
 その両方を色んな角度から、色んな面白さで描いてきた物語に残された話数は、実はそんなに多くない。
 つうか莫大な原作を抽出して令和に”うる星”再構築するには、そもそも厳しい紙幅ではあるのだ。
 しかし創作者達はエピソードを選び新たに書き直し、長く愛された古典がなぜ面白いのか、生き生きと新たな生命を吹き込んできた。
 そんな旅路が、どこに行き着くのか。
 次回も楽しみだ。