イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

となりの妖怪さん:第2話感想ツイートまとめ

 となりの妖怪さん 第2話を見る。

 異形と隣り合う田舎暮らし、穏やかに夏の風が吹き抜ける第2話である。
 主役を固定せず、色んな人がそれぞれの暮らしの中、小さな成長や失敗、衝突や発見を積み重ねながら日々を過ごしていく、落ち着いた手応えが心地よい。
 一話一話、もうちょい明瞭な見通しを立ててクッキリお話の目鼻を付けていく作りが昨今のスタンダードかと思うが、あえてジリジリジワジワした作りにしているのが、逆に独自の語り口となっており、全体の雰囲気とも合っている。
 自分たちもあの山間の村に住んで、隣人の暮らしを見守ってる感じ。
 色んなことがありながら、人間にも妖怪にも時は流れていくのだ。

 河童のレインちゃん(虹とかいて”れいん”なのが、フツーに今義務教育受けてる河童って感じがしてスゲー好き)が甘酸っぱい恋に悩んだり、むーちゃんがお父さんのいない寂しさをどう受けたものかフラツイたり、ぶちおくんがワケアリ狐と衝突したり。
 色んなキャラに色んなことが起きているのだが、あんまドラマチックで大きな解決というのはこの話数で起きず、ちょっとだけ解決の糸口が見えたり、逆に見えなくなったり、どっしりした手応えで話が転がる。
 あんまり劇的ではないその手付きが、人間も妖怪もおんなじように、当たり前の難しさの中で生きている実感を連れてきて、素朴なデザインが生み出す味わいと響き合って大変いい。
 ジローはむーちゃんを大事に思いつつ父親ではなく、虚無に食われた父を忘れたくないと思いつつ、忘れていってしまう自分に戸惑うむーちゃんの全部を、受け止められるわけではない。

 しかし虚無に魅入られかけたむーちゃんを抱きしめた羽の温もりは嘘ではなく、他人であっても、人間でなくても、そこには尊いものがある。
 これをすぐさまむーちゃんが受け入れられるのではなくて、声も形も激渋な早千代に諭され、あるいは同じく虚無から生まれたベトベトサンと話すことで、ちょっとずつ心の行く先が見えていくのが良かった。
 小学三年生、そういう歩幅で進んでいくのが大事だし、そういう歩幅で進むことを許せるように、皆頑張ってる。

 

 今回形のない暗い気配が、人を誘い危うくすること…ジロー達がそれを人から遠ざけるように、深山に分け入って”仕事”をしている様子が描かれたのが、ただボンヤリ優しい話ではないと分かって良かった。
 小学校に当たり前に人外が通い、先生がひょろりと首を伸ばす不思議な世界は、皆が善くあろうと心がけ、持ち前の異能とか長い寿命とかの扱いを考えた上で生まれている。
 そういう当たり前の人の尊い頑張りが見えて、作品世界の底が支えられた感じがあった。

 この手応えは冒頭の、フツーに楽しそうなバーベキューの風景と繋がっているもので、ああいう当たり前の幸せがどう作られ守られてるか、小学校の情景と重なりつつ見えてくる。
 ぶちおくんは猫又としての新生を選び、言葉を得たことで自分が何者か悩んでいる。
 ジロー達と言葉をかわして、自分の胸の中にある家族への感謝を言葉に届ける事も出来るし、うっかり百合ちゃんの地雷を踏んで怒らせたりもする。
 そんな百合ちゃんも素直な平さんには”化け”てない自分を預けて、複雑な家族関係の一端を覗き込むことを許したりする。

 異能があろうと異形であろうと、言葉というメディアを使うことで繋がれるのは人と同じで、言葉にならないものを届けようと藻掻いてどこかにたどり着けるのも、また人と同じだ。
 ここら辺、口下手なレインちゃんの小さな奮戦が、可愛らしく効いている。
 色んな人があの山間の村には住んでいて、色んなやり方で他人と繋がろうとし、上手く行ったりちょっと上手くいかなかったり、色んなことが起こる。
 その全部が、なんか良いことなのだと思える穏やかな調子がずっと緩むことなく、静かに続いていく心地よさを、たっぷり味わえる第2話でした。

 

 この穏やかな語り口に付き合う中、妖怪が当たり前に隣りにいる世界の空気がどんなものか、見ている側に染み入っていくのは良い。
 ガツンと解りやすく殴ってくる語り口ではないが、しかし確かに伝わるものがあって、その穏やかな効き方を楽しみつつ、お話独自の魅力と向き合っていける。
 そういうアニメは、やっぱ良い。
 次回も楽しみ。