終末トレインどこへいく? 第8話を見る。
愛と友情のゾンビ騒動も無事乗り越え、レールに戻った終末列車。
監督手ずからのコンテ演出脚本で、逝くぞカオスの向こう側ッ! という、”練馬の国のアリス”回である。
異様なアップテンポでゴロゴロ転がる、ファンシーなんだかグロテスクなんだかわからない絵面のクレイジー展開に、メッセージがあるんだかないんだかさっぱり解らない、大変このアニメらしい回だった。
考察する体力があんま残っていないので、分かるところだけ記載しながら、ワケのわからなさをたっぷり楽しんだ視聴体験を記録しておきたいと思う。
冒頭の東久留米&ひばりヶ丘の、人間不在で終わってた世界の描写も、相変わらず良かったな…。
というわけでナンセンス文学の金字塔”鏡の国のアリス”リスペクト色の濃い、ハッピーエンドが主役皆殺しのバッドエンドに反転した地獄の大泉学園を舞台とする回である。
”不思議の国”ではないのは今回のエピソードが将棋ベースだと明言されているからで、”鏡の国”もまたチェス盤の上の出来事として、コマの動きに縛られながら物語が展開しているからだ。
というか、狂気の国を彷徨うアリスとして遂に池袋が見える所まで来た静留たちが、悪の魔女王となった葉香と対峙するのであれば”不思議の国”をパロるのは今後の終盤戦…って話なのかもしれない。
話をまとめ上げるためのアレソレを、大量に撒いておく回でもあったかな…?
あらゆる境界線がぶっ壊れる7G世界、アニメと現実の境目も当然ぶっ壊れ、作中作が現実を飲み込む形で大泉学園は一大アニメタウンと化す。
人間そのまんまでやってたら、ここまでの旅で一番グロいことになってただろう善悪逆転展開も、ファンシーな皮一枚被せておけばそこまでヤバく…別の意味でヤバい感じではあった。
豚人間を照明にしたり、主要キャラが死んだり砕けたり、かーなりエグいことをやってるんだが、それに気付かせない速度でお話が転がっていくため、ワケのわかんないまんまなんか柔らかい印象で終わっていくのは、作劇的詐術の粋を集めたオフザケって感じがあって、大変良かった。
みんな早口だったなぁ今回…。
何しろ僕らは”練馬の国のアリス”を見ていないので、玲実のようにワクワクも出来ぬまま、何かがひっくり返り狂ってしまったらしい大泉学園の悪夢へ、あっという間に飲まれていく。
フィクションの中の描写されていないフィクションが、フィクションの中の現実を書き換え乗っ取っていく静かな怖さは、豚人間たちが元は人間であることを知りながら、押し付けられた役柄を剥ぎ取って”元の自分”へと帰れない、起源の喪失を際立たせる。
豚どもは自分がもともとどんな存在であったのかを忘れ、多重のクラッキングを受けた”現実”に食われて…それでも一応、息はしている。
ここまでの旅で、沢山であった元人間のように。
思い返せばキノコ自殺村でも狂ったガリバー国でも、皆己が何者であるかを見失い、終末トレインでそこに立ち寄った少女たちだけが、己を失わずに戦ったことで、自我喪失の引力を振りちぎって旅を続ける。
あるいはその奮戦の余波を受けて、己を取り戻した仲間も幾人かいるけども、7G世界は”現実”なる足場をひっくり返し、ルールの見えないカオス…に思えるものに飲み込む強制力を持っている。
この力から逃れるだけの出力を持っているのは、ギャーギャー騒ぎつつも友情だけを高く掲げて、四人と一匹で頑張ってきた主役たちのみである。
時に狂気の影響を受けつつ、それを振りちぎって”私”である特権が、静留たちを主役にしている。
転じて”練馬の国のアリス”の登場人物たちは、悪役を封じたハッピーエンドを演じられ続けず…というかそもそも7G世界に押し付けられた”アリス役”に自我を乗っ取られて、更にあってはいけない逆転劇に飲み込まれて、主役が登場した時には既に死んでいる。
背負った設定料としては吾野の少女たちにも勝ってただろう、作中作の主人公たちは、人間を乗っ取って役割を押し付け、それをひっくり返されて二度目の死を味わい、予定されていた復活手段をクラックされて完全に終わる。
それを継ぐかもしれなかった撫子は、後悔にズクズク痛む気持ちに乗っ取られることもなく、押し付けられたコスプレを脱ぎ捨て、自分たちの物語へと戻る。
今回(あるいはこの物語全体で)描かれたハチャメチャな大冒険は、狂ってしまった世界が押し込み飲み込もうとする”私”を、友達の支えで見つけて守る闘いだ。
そこはカオスに見えてルールがあり、一回ひっくり返った(”練馬の国のアリス”に悪役が勝利する理由になった)将棋の駒働きを、晶ちゃんに見抜かれて混沌は負けていく。
カオスを名前に背負うにしては、彼もまたオリジナルと同じ顔を押し付けられたミスコピーでしかなく、『カオスというほどカオスっていない』わけだ。
ここら辺、エピソードを握り込んだ監督のある種の自虐というか、結構素直なメッセージを感じたりもするが…先見てみないとなんとも言えねぇ。
物語の筋立て(あるいは”現実”)をひっくり返せるほど、何でもありな自由な力に満ちているようでいて、7G世界は何らかのルールと不自由に縛られている場所のようだ。
とはいえ可視化されていないルールはカオスと同義語であり、今回大泉学園の狂気…狂気の中の不自由な正気を見きったように、”私”を強く持って世界の法則を見抜く知恵がなければ、葉香を魔女にしている世界に静留が追いつくことも、勝つことも難しいのだろう。
異様なスピードで展開する大泉学園のドタバタは、このお話全体のフレームを総括し予見する、かなり鮮明なメッセージにも思えて、つまりは『カオスというほどカオスっていない』…のかもしれない。
いや、訳わかんねぇよ!?
”練馬の国のアリス”の登場人物たちは、自殺を望みつつ死にたくないと喚き、混沌を名前に背負いつつカオスっておらず、アリスを名乗りつつも旅に出る前に死んでいる。
そして軒並み、その物語が用意した主役それ自体ではなく、その役割に乗っ取られてきた模造体でしかない。
このあべこべは極めて英国ナンセンス詩的であり、つまり悪趣味で軽薄なパロディに見えて非常に”アリス”的であるという、入れ子構造のあべこべでもあるのだが。
”本当”から逃げたさかしまは、狂ったように見えて思いの外正気なこのお話において、主役が主役でいる力…悪役が主役に成り代わったままでいる力を奪う。
その狂騒的な現れ方が、 今回作中作としての触られ方しかされてないのに、あたかも当然の常識であるかのように暴れまわった、アリスの悪趣味なパロディが現実を乗っ取るお話に、どう重なるのか。
あるいはあくまで通過駅の一つとして、あっという間に暴れ駆け抜けていった終末トレインの連中の、結構真っ直ぐな青春友情旅に、どう関わるのか。
これは推測しか出来なくて、しかしある種の確信を持って、『自分であることの大切さ』と現状読める。
狂った旅を駆け抜けているようでいて、極めて正統派の自分探し、仲間探しの物語でもあるこのお話において、結局お話のコアの部分はそこなんだろうなという、ある種の信頼が僕の中にあるからだ。
遂にTwitter上での進捗ヤバいです芸すら出なくなった、おそらくマジのマジにスケジュールがヤバいこのお話が、なんとか最終目的地までリアルに駆け抜けれるのかという、別の意味合いでの心配もありつつ。
しかし作中かなりダイレクトに『カオスというほどカオスっていない』事実を作品が告げてくれたのは、自分がこのお話に見ているものがあんまズレていないと教えてくれたようで、妙に安心もした。
まーこういう分かった感じを横殴りするのが、いいお話の証明って話もあるので、いつぶん殴られるか覚悟決めながら今後も見るけど、『旅と友情と青春』つう軸は、最初っからここまでブレてない…と思うんだよなぁ。
自分がなにかのコピーではなく、他でもない私だと確信するためには…世界に食われず己であり続けるためには、貴方がどんな存在であるのか告げてくれる”鏡”がいる。
静留はそれを己の業で割ってしまったから、池袋まで葉香を探して走ってきた。
道中幾度か、迷う己の未来を示してくれる誰かと触れ合ってきた物語は、一体どんなルールに狂わされ、従わされて走っているのか。
そのレールから飛び出して、終末トレインの旅が終わる時は来るのか。
次回も、大変楽しみである。
不条理の皮を被った人造狂気が、ネタがバレる前に一気に使い潰されるの、このアニメに必要な速度感を制作者が理解ってる感じあってよかったな…。