イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム3:第7話『なついろフェルマータ』感想

 たった3日の中休みに、暴かれていく断絶と影。
 やった水着だイチャイチャだ! 一見幸せなサービス回に見えて、真由との軋みがより深い残響を残す、真夏のユーフォ三期第7話である。

 府大会もあっさり勝ち切り、『サンフェスもそうだけど、本当に今までやったことを三期で繰り返すつもりはねぇんだな……』という気持ちを強くしつつ、迎えた短い夏休み。
 やや緩んだ空気が幸せに心地よく、OGも揃いのヘアピンで顔出してみんなハッピー! ていう穏やかさから、主役である久美子だけが冷たく切り抜かれているような見せ方となった。
 無論(これまでと同じように)冷えた感触だけが話の全てでも、久美子の全てでもなく、一期の衝突を経て穏やかな家族団らんへたどり着けた黄前家の幸福とか、『え、”下”……?』となった麗奈との仕上がった関係とか、温かいものはもちろん沢山ある。
 それは誰か特別なものにしがみつき、執着あればこそ強く爪痕を残す何かと、向き合った結果の穏やかさだ。

 真由はその特別であるがゆえの強さ、荒々しさから距離を取り、執着をモテないがゆえに執着されない……されないように立ち回っている自分を、今回一見滑らかな交流の中に開示してくる。
 どれだけ歩み寄っても近づいた手応えがない、同じ夏服を着ていても奇妙な異物のままでいる少女は、久美子が差し出す優しさ(と、一般社交上は受け取るべきもの)を微笑んで手に取り、しかし特別には抱きしめない。
 拒絶なのか偶然なのか、悪意なのか純粋なのか。
 正体を探らせないことがそのまま適応戦略であるかのような、今までのユーフォイズムからはかなり浮いてる三年目のエイリアンがどんな顔をしているのか、際立たせるために自分の”特別”とイチャイチャしまくる連中を、たっぷり配置した感じもあった。

 ”ユーフォ”が終わる三年目、そこで全てを語りきらなければ作品を奏できれない勝負の場所で、嵐の中心として選ばれた少女が自分の歪な鏡だと、久美子自身も認識しだした。
 これまで”特別”に執着し、涙するほど上手くなりたい体験を経て『上手い自分、全国で勝てる自分たち』を追い求めてきたお話の流れに、どうやっても馴染まない自然体の実力者。
  必死にならなくても、業と執念を燃やさなくても、当たり前に上手く在れてしまう存在は、自分の周囲で展開する物語を観測できるカメラマンの位置から出て、同じ青春の只中に立つ主体=被写体となることを、あくまで穏やかに拒む。
 物静かに偶然を装って……かどうか、判別の尻尾すら掴ませないさり気なさに、部長となり大人な態度を取らなければいけない久美子は噛みつく隙を見つけられず、衝突を経て和解に至る今までの”ユーフォ”な解決法は、真由との間を滑り落ちていく。
 その手応えのなさを、最後に不穏に描いて夏が終わるのは、なんか残酷で凄く良かった。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第7話より引用

 今回のエピソードは暗さ、新しさ、馴染まなさ、真由を最初と最後に配置し、その間に特別な親密さと弾むような明るさを、馴染んだ連中の既に仕上がった関係性を挟み込むような作りになっている。
 その構造と筆致自体が、真由というキャラクターをわざわざ三年目の真ん中に置くことで何がしたいのか、語りかけているような感覚が確かにある。
 間に進路説明会が挟まり、久美子の正体が判然としない迷いと、そこに微かで確かな道糸として黄前家の小さな幸福が置かれたりするが、全体を通してみた印象は三円かけて久美子が……彼女を主役とする物語が得た””ユーフォらしさ”と、それに馴染まない真由の異物性が際立つ作りだ。

 久美子は開かれた窓に向かいつつ、その先にあるはずの広い光景は描かれない息苦しさから物語に入り、それを通奏低音に高校最後の幸せな夏休みに飛び込んでいく。
 モナカの由来を尋ね、北宇治に馴染もうと彼女なり努力している真由に、部長として友達として人間として”正しく”触れ合おうとする時、彼女には力んだ決意が必要であることを、洗面所で張り紙(何かを鮮明に写してくれる”鏡”ではないのが、画面に何を映すかマニアックに考え続けるこのアニメらしくて好きだ)を睨む姿勢から透けて見える。
 そうして絞り出した善意は、部長として後輩の質問に答える努めに阻まれて真由に(また)届かず、”正しく”いなければならない今の久美子の軋みは、不穏なノイズとして幾度目か、物語に蓄積されていく。

 

 他方麗奈とは三年目の夏、怒ったふりもイチャイチャのスパイスでしかなく、猛暑にうだる身体をだらしなく晒しても、全く問題無しの距離感である。
 それもこれもあの最悪の中学最後のコンクール、一年目に出会い直してぶつかって分かりあった特別な経験あってこそで、衝突は対立を完全に消し去るわけではないけど、だからこそ嘘なく自分たちらしく繋がれる可能性を、ユーフォの少女たちの前に拓いていく。
 逆に言えば真由と決定的な衝突に至れない、そうする相手だと思えない今の久美子の大人びたあり方こそが、決定的に噛み合わない真由との距離感を生んでいる……とも言える。

 まー人間関係の衝突なんていいことばかりではありえないと、数多のギスギスでこっちの胃を殴りつけてきた描いてきたシリーズではあるし、そういう経験を経ているからこそ”正しく”部を導き、夢に近づこうとする黄前部長の頑張りが、どんだけ頼もしいかも三期は描いてきた。
 そうやってぶつかればこそ変われた人たちの眩しさが、夏の日差しに強く反射する回でもあるのだが、染まらないままそんな”ユーフォらしさ”を尊重し、ガチりたくない自分らしさに過剰に執着することもなく、上手く泳いでいる真由は極めて、扱いの難しい異物のままだ。
 その異質性が音に出て、生まれる音楽を見出してくれれば衝突=突破のしようもあるのだが、彼女の実力と演奏は文句のつけようがない完成度を誇り、久美子と北宇治が掲げる勝つための完全実力主義に、ピタッとハマる資格を有している。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第7話より引用

 そんな厄介さを一旦休止させるように、夏休み前の大掃除はせわしなくも楽しく、今日も川島緑輝は可愛い。
 界隈震撼の”おそろ”をブッ込み、立派な先輩面して久々に部室を訪れたなかよし川のイチャイチャも、懐かしく愛しい感触で夏を流れていく。
 色々あった青春の名残を、どこか遠くに眺めつつだからこそ、穏やかに微笑んで後輩をいたわることも出来る、もう制服を着ることがない少女たち。
 そんな”あがり”の後に半歩足を突っ込んでいるからこそ、久美子と麗奈は親愛なる元部長と元副部長を窓辺に出迎え、上に立つ苦労を経験した者同士の共感に突き進んでいく。

 夏紀が奏に向ける視線がひどく優しくて、”誓いのフィナーレ”で発火した関係性は未だ熱を残して愛しいと画面が語ってくれているのが、とても嬉しい。
 同時に皆が同じモノを選んで食べる、団結の儀式としての色合いを強く宿している(だからこそ、ユーフォの姉妹たちはパピコを割って食べる)この場面において、真由が消えているのは印象的だ。
 真由はこの場面に色濃く匂っている、『これまでのユーフォ』の物語、関係性、価値観を共有しない。
 三年目の転校生である彼女はその歴史を共有していないし、どんだけ言葉で聞いても肌で感じていない、衝突に血を流していない自分はあくまで表面しか共有していない部外者だと、敏感に感じ取っている。
 それ故の適正距離からはけして生まれないものが、夏紀が奏を見守り、その視線の意味を久美子が心から理解して喜んでいる場面には満ちている。

 真由はそれを蔑しているわけでも、恨んでいるわけでもない。
 ただただ一つの事実として、アイスを美味しく食べるための前提条件を満たしていないし、その事実をクレバーで客観的な……まるでカメラのような視線でしっかり見据えている、というだけだ。
 そういう割り切れないものが確かに目の前にある時、一体どうするべきなのか。
 もう一つの不鮮明にも目鼻を付けれない久美子の姿は、戸惑いがフェルマータによって停止/延長されている現状をゆったりと語る。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第7話より引用

 というわけで、夏になっても黄前久美子の進路はあまりクリアにならず、一緒に行った葉月ちゃんは友達を置いてけぼり、スルッとあっさり(と、置いていかれた久美子には思える)道を決めてしまう。
 ポスターの中の美辞麗句はあくまで”言葉”でしかなく、涙を流すほど実感を伴った痛みでしか人間が変わらないこの物語において、久美子に響くことはない。
 同じクリームを扱いつつ、混じり合うことなくくっきりしている緑のクリームソーダと、混濁した色合いのコーヒーフロートで二人の前に置かれているものが別れているのは、なかなか印象深いフェティシズムだ。

 この久美子の困惑と混濁は、真由という煮えきらず繋がりきれない未解決和音とひしぎなハーモニーを為して、三期の軸としてずっと顔を出し続けている。
 自分が何になるのか、これだけ全霊を傾けて挑んでいる”音楽”が答えにならない場所に悩んで、しかしそこは暗いばかりではない。
 葉月ちゃんの決断においていかれた帰り道、オレンジと青に眩しい夕焼けは眼を見張るほどに美しくて、帰ってみれば懐かしき顔が土産を持って訪れて、悩みを忘れさせてくれる穏やかな愛しさを、気負わず手渡してもくれる。

 懐かしい面々が次々顔を出す夏休みは、色々ぶつかりもしたけど結局全てがいい方に行って、いつでももう一度会える幸せを語る。
 なかなか表に出せない幹部の辛さを共有してくれるOB訪問もそうだし、あんだけバチバチやり合ったのにすげー普通に入浴剤を手渡し、娘心尽くしのお湯を堪能できる黄前家もそうだ。
 その温もりがしみじみ、長きにわたりこのアニメに付き合わさせてもらったファンの心に染み込むほどに、”ユーフォ”に馴染もうとするほど馴染めない、真由の孤立は際立っていく。
 その迷いは思いの外、角度を変えてみれば久美子の足取りに近いのではないかと、彼女なり真剣だからこそ道が定まらない、部長の進路問題を見ていると思う。
 それが帰省した姉との平和な時間のような、静かな幸せにたどり着けるかどうかは……この小さな小休止を挟んで、後半戦でバチバチよ!

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第7話より引用

 そんな不穏な気配が、楽しいはずのプールに弾けて燃える。
 『おそろい水着のその先……百合イチャイチャの極限は”これ”!』とばかりに、当たり前の構えで”下”交換してくる怪物二人にビビるが、それとはまた別のベクトルで真由と久美子の荷物番は迫力があった。
 ”リズと青い鳥”への解釈(あるいは感想、感覚)を着火剤に、真由が珍しく己を語る時暴かれていくのは、そこに踏み込んで分かり合える可能性ではなく、お互いの瞳にお互いを映しつつも混ざり合わない、不穏な反発だ。
 隣り合っているはずなのに同じ画面に入らない、でも瞳にかがみ合わせ、お互いを反射させている、極めて捻れて緊張した距離に立つ二人は、しかし表向きは仲良しな友達を演じている。
 その表面張力は破綻寸前の危うさを孕みつつ、お互いが望んでいる””正しい”形を必死に保って、内側にあるどす黒い不定形を押し留めている。

 それこそ映画””リズと青い鳥”にあまりに鮮烈に、美麗であり残酷なものとして切り取られた、誰かを特別に選べばこそ燃え上がる炎を、真由は実感できないと告げる。
 その選べなさ、選ばなさが自分を異物にすることを分かりつつも、それは実感であるがゆえに否定できない。
 譲ることが出来ない炎が、たとえ(例えば一年の時の久美子が燃やし、色んな風穴開けたような)激しいものでないとしても、個人の大事な信念であるということは、この物語が常に大事にしてきた真実だ。
 そのゴツゴツした質感の角を削りすぎず、上手くハーモニーを奏でられる所に持っていって続いてきたお話が、最後に選んだ特別な音符が、どれだけこれまでの””ユーフォらしさ”から異質で、根本的に似通っているかを、真由はあくまで穏やかな口調で告白していく。

 特別な誰かを特別に選ぶ、特別な輝き。(そのサンプルとして奏と梨々花を選んだのは、ツインテ剣崎がいっとう可愛かったからです)
 真由にとってそれは、カメラの向こう側にある”正しさ”でしかない。
 そこに自分は切り取られず、切り取られるべきではなく、切り取られたくもない。
 そういう柔らかな違和感と拒絶を言葉で顕にする時、久美子の中で結晶化する鏡面構造を、真由もまた視線の先に見ていて……しかし鏡合わせが教えるのは(例えば麗奈との間に作れたような)特別な融和ではなく、分断された相容れなさだ。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第7話より引用

 アイスの時は食べなかった『みんなで食べるのが正しいもの』を、より緊密で(水着とは言え肌すら晒して!)特別なはずの場所において、真由は”正しく”手に取る。
 しかしそれは自分を二の次にして、相手に選んでもらってあまりを取る形であり、隙も嫌いもそこにはない。
 『それも一つの生き方だよね』と、心から肯定できる覚めた成熟は、我らが青春探偵にはまだない。
 だから久美子が戻りたくない自画像を真由の中に見つけた時、自分の中の””正しくない”嫌悪感の正体に一歩迫った時、不定形に揺れあふれる時を待っている”水”が描かれるのは、非常に納得がいった。
 隣り合い、お互いの顔を見て、そうあるべき親愛を示しながら紡がれる、表向きの親愛と友情の奥には、どろりと形のない感情未満の実感が、マグマのように揺蕩っている。
 それをどこに持っていくべきなのか……事態を遠くから俯瞰しているカメラも、行く先を知らぬまま濁る水も、答えをいまだ知らぬままだ。

 短いフェルマータが終わり、再び過酷で苛烈な完全実力主義の部活が動き出す寸前、真由と久美子は喧騒から少し離れた場所に立つ。
 窓辺にもたれ掛かり、広く開かれた教室の外側には背を向けた、近くて遠い……””特別”とはなかなか言えない間合い。
 そこがこの短い休符の中で、久美子が己のドッペルゲンガーと見つけた距離感だ。
 そこで開示されるものは一見全てを晒しているように見えて、しかし巧妙な防衛術によって奥底を守られ、遠く渇いた場所に自画像を隠している。
 黒江真由は、必要十分に湿らぬままプールからでたのだ。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第7話より引用

 今回のエピソードを通じて、久美子が開始点からほぼ動けていない事実を、閉じた窓ガラスが黒江真由を覆うレイアウトは静かに語る。
 あれだけ自己開示に思えるものを受け取っても、それは決定的に久美子の心を揺らし、真由を彼女の”特別”にはしない。
 その不感動は瞳孔の鏡面によって真由にも反射されて、同じように真由も久美子を特別”とは思えない。
 取り澄ましたお友達ごっこを、なんとなく本音を語ったふうな渇いた、冷たい対話をどんだけ積み上げても、二人の距離は縮まりきらない。
 そんな事実も人生にはあって、それでもなおいい音は生まれてしまって、その全部を冷たく渇いたまま飲み込むことが、大人になることだ……と思える女なら、”ユーフォ”はこんなに面白くはなっていない。

 自分が写ってるはずの写真をこの場に持ってこない、現像ミスが本音を覆い隠す欺瞞なのか、実際に起った真実なのか。
 踏み込み確かめるほど久美子はガキじゃないし、そんなアプローチが効く相手じゃないことも理解ってきている。
 語り合っているはずなのに同じ画角に収まらない、ねじれの位置が再び……一番鮮烈な色合いで挟み込まれて、空を縦に切り裂く飛行機雲が、二人のユーフォ奏者の間に断絶を奏でる。
 普通なら未来に進む推進力とか、明るい希望への道筋なんかを暗示するだろうこのモチーフを、一話使ってなお踏み込めない黒江真由の難しさ、今までの”ユーフォ”が響ききらない厄介さ……そこに久美子が囚われてしまっている、大人びた頼もしさの代償を描くために使うのが、俊英・山村卓也といったところか。

 

 というわけで、青春探偵が真由容疑者の近いところまで踏み込み、全然切り崩せないお話でした。
 トゲトゲした間違いを分かりやすくぶん回し、どこ攻略すればいいのか分かりやすかった今までのユーフォガールズが、衝突の果てにたどり着いた幸せを幾重にも刻んでくれたからこそ、真由の難しさは際立つ。
 隣に並んでも一緒の場所に立てない。”特別”を形だけなぞった不協和はまだまだ続き、炸裂の瞬間を待っている。

 最後の合宿、そこで行われる二度目のオーディションが、この煮えきらない壁を暴力的に爆破し、動き出さない水を解き放っていくのか。
 思い返してみれば何も決定的なことは決まらなかった、でもあまりにも愛おしかった一瞬の休息が終わり、次の歌が始まります。
 次回も楽しみです。