イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

わんだふるぷりきゅあ!:第17話『私が、あなたを守る!』感想

 出会いの奇跡が闘いを呼ぶなら、少女たちは愛を抱いて荒野を駆ける。
 キュアニャミーの正体が判明し、猫屋敷サーガ最終章が始まるわんぷり第17話である。
 心から大切に思い合いながら、お互いの成長がすれ違いを孕んでいる猫屋敷姉妹の関係性を改めて描くにあたり、無垢で弱く守られるべき”赤ちゃん”をエピソードテーマに選んだのが、可愛くも良く効いてる話数となった。

 上田華子さんコンテ・演出の画作りが全領域でバチッと冴えてて、大胆で鮮明なレイアウト、細かくパワーのある芝居、面白さの手数を惜しげもなくねじ込む演出と、強い話数に相応しい映像を支えていた。
 こむぎを真ん中に据えて描かれる可愛く楽しい場面も、まゆとユキがお互いの思いを照らすシリアスなシーンも、ケレン味を強く感じるのに繊細でもある表現力で、見事に削り出していてくれた。
 そういう力強さに支えられて、ようやくニャミーが自分の全部をさらけ出し、ゆきと犬飼姉妹が受け止めて最後の物語が始まっていく脈動を、楽しく感じることが出来ました。
 新キュア加入という、大きなネタが動き出すダイナミックさが、猫特有の優雅さと可愛さを結晶化させたニャミーの仕草で美麗に飾られているのが、ゴージャスな雰囲気あって良かったな……。
 プリキュアは、いつでも強く優しく美しく……って感じ。

 

 さて前半は穏やかな春の日、新たな生命の芽吹き溢れるアニマルタウンを、いろはちゃんがガイドして赤ちゃんツアーにみんなで出発! という流れである。
 キャラとしてのいろはちゃんの特長は、周辺視野の広さと細やかな観察力にあると思っているのだが、”ガイド”という周りをよく見ていないと出来ない仕事は、そんな彼女の善さを巧く活かしてるなーと思った。
 僕はプリキュアが住まう日常の舞台が、僕らの煤けた街よりちょっと美しくて、小さな理想を体現した場所であると教えてくれるシーンがすごく好きなのだ。
 今回の赤ちゃんツアーはとても良いスケール感で、アニマルタウンが素敵な街だと教えてくれる肌触りで、大変良かった。
 色んな動物の親子が、優しく睦み合う姿がとてもいい感じに描かれていたことが、まゆを純粋なる幼年期に閉じ込めて守ろうとするニャミーの視界と重なり、冒頭の赤ん坊時代を経て勇気と決意を手に入れつつあるまゆの成長を、裏打ちする感じの見せ方……だったかな。

 カルガモやうさぎ、つばめや猫が示すように、赤ん坊は親の庇護を得て過酷な世界から守られ、自分の足で進み出す強さを得ていく。
 それがなければ生きていけないという意味で、庇護者の愛と優しさは何より尊く大事であり、しかしご飯をいっぱい食べて育った赤ん坊は、もはやシェルターに閉じ込められていることを必要としなくなる。
 愛に守られていたからこそ、守られているだけの自分から進み出して、守ってくれた大切な誰かを、守れる自分になっていく。

 極めて頼りない引っ込み思案なところから、友に出会い街に馴染み、自分にできることを少しずつ探してきた猫屋敷まゆの、どっしりとした成長描写。
 わんぷりが選んだゆっくり目な語り口だけが生み出せる、もう赤ちゃんではない猫屋敷まゆの尊厳と頼もしさが、賑やかで楽しい赤ちゃんツアーの中に、静かに息づくエピソードでもあった。
 まゆちゃんがユキ以外何もいない、何もいらない閉じて満ち足りた世界から、おっかなびっくり伸ばした手をいろはちゃんが取って連れ出し、ユキ以外の世界を知っていく様子……知ればこそなお、ユキへの愛しさが募り愛に恥じない強さを求める様子は、丁寧に積み上げられきた。
 だからこそ今まゆちゃんが赤ちゃんとして庇護者の胸に抱かれるのではなく、赤ちゃんの愛しさ、尊さを少し離れた場所から見守れる立場になっている事実も、見ている側に良く伝わる。
 この成長と対置するように、生まれてくる事自体が決死の戦いであったネコの赤ちゃんの頑張りを、間近に見つめる描写があったのも良かったなぁ……。

 

 前半の赤ちゃんツアーは、ユキとのシェルターから出たまゆちゃんが何を手に入れたのか、明るく楽しく描くキャンバスでもある。
 新しいお友達との笑顔、知らなかった知識への渇望、ちょっとずつ広くなっていく世界のまばゆさ。
 とても健やかな発育を、いろはちゃんに比べて人間力が少なめなところからスタートしたまゆちゃんは手に入れていて、その成長はけして否定されるべき間違いなどではない。
 時を止めて永遠の幼さに憧れを閉じ込めたかったとしても、雛は卵の殻を破って巣立っていくものであり、宿命を嘆くよりも育った身の丈に相応しい場所へ、共に進み出していくほうが健全だ。
 そういう摂理を、笑顔も学びもいっぱいなまゆちゃんの日常は静かに語っている。

 同時にあまりにも美しい運命の出会いが、孤高に寂しさを秘めるユキの中で……そしてまゆ自身の中でも特別であることも、一つの事実だ。
 世界が特別に輝いて見えるほど、美しいものに出会って抱きしめてしまったまゆちゃんも、その温もりに魂の震えを止めてもらったユキも、あの雪の日が鮮烈に焼き付いている。
 その残照に世界を照らしてもらっているから、二人はここまで幸せに歩んできて、さらにその先へと進んでいくことも出来る。
 ……第10話、どっしり過去エピやったのメチャクチャ効いてるな……。

 

 そして鮮烈すぎる光は時に鎖となって、最高の瞬間に少女を縫い留める。
 まゆちゃんが頼りない震えを抱えつつ、それごと新しい友達を認めてくれるいろはちゃんの手を取って進み出す歩みに、ユキは同行しなかった。
 自分を守り愛してくれる特別な誰かが、傷つかないように守り続ける責務を己に任じて、実際愛しく守り続けてきた日々は、”妹”がどんだけ頼もしく育ったかを、ユキの視界から外してしまう。
 この現実と認識のギャップが、ただ守られるべき幼子としてユキのなかのまゆを固定してしまっていて、鋭い爪の後ろで守られるだけのヒロインに、彼女を閉じ込めてしまう。
 それはつまり、ニャミーを守り傷つくだけの王子様に固定してしまう、ということでもある。

 まゆちゃんだって小さな誰かを守りたい……守れない自分ではいたくないという、仁愛の気持ちがあってこそ、地割れに落ちる赤子に手を差し伸べた。
 弱い彼女が傷つかぬよう、遠ざけて守っていた愛の檻を飛び超えて、傷付いてでもなりたい自分になれる場所へと、猫屋敷まゆは進み出す時を迎えている。
 その気持はたった一人を守るために、鏡石に願いをかけて人化の奇跡を手に入れたニャミーと”鏡写し”全く同じであり、しかし守るもの(と己を規定するニャミー)と守られるもの(でい続けたくないゆき)の思いはすれ違う。

 

 このすれ違いが身勝手なエゴイズムではなく、真っ白な雪色の純情によって駆動していることを、これまでの物語も、今回のエピソードもしっかり描いている。
 あれだけ気高く美しい孤高を己の属性としていたニャミーが、初めての変身シーンを公開する前に寂しさと弱さについて語ったのは、マジでグッと来た。
 ずっと秘していた人間当たり前の脆さをここで語るということは、守ってもらいたい自分、守ってくれるまゆの特別さをユキこそが誰よりも認め、求めている事実を強く刻むわけだが、ニャミーはそれに素直になれない。
 守られなければいけないまゆ、守らなければいけない自分に強くこだわり、それ以外の全てを世界から排除する狭い強さで、爪を研いで戦い抜く。
 それはつまり、そうしなけりゃ戦えないくらいニャミーも、当たり前の人間だ……ということだ。

 ずーっと謎めいて美しい、傷つくことも揺らぐこともない美の化身だったニャミーが、ユキの変身した姿であり、まゆに抱きしめられた瞬間魂を救われていたと告白することは、彼女の素直な現実がまゆに近づいている事を示しているように思う。
 ずっと自分を守ってくれた”姉”が、実は自分に救われた/救われ続けている存在であり、傷つく存在であり、守らなければいけない存在だと知ることで、まゆちゃんがより強い自分へと踏み出す歩調は、決定的な確かさを得ていくだろう。
 それは『ユキに守られる私/まゆを守る私』を核に形成されていた、二人の世界を決定的に回天させつつ、最も大事な思いを新たに正しく、変化に満ちた世界に適応させていく一歩にもなる。

 ニャミーがまゆに指一本触れさせないために、過酷な戦いに生身で挑んでいるのと全く同じ気持ちが、頼りなかったはずのまゆに確かに燃えていること。
 その強さが姉妹を優しく包んできた繭を壊すだろうけど、外側に広がる世界は変わらず愛と優しさに満ちて、白い奇跡は消えてなくならないこと。
 ニャミーの頑なな態度は、そんな未来を確信できない脆さから生まれている感じもあって、フシャーと逆立つ毛がむしろ愛おしい。
 我が子を守る母猫の、一心不乱の死物狂い以上に嘘のないものはこの世になく、まさにその戦闘的な姿勢に知らず助けられて、猫屋敷まゆは戦士になりたい自分を見つけていくのだ。
 そもそも猫屋敷まゆが優しく強い少女……変身して特別な力を得なくても、進みださなければいけない時に誰かを抱きしめられる”戦士”だったからこそ、ユキは凍えるような寂しさから救われたわけでね……進歩とは、常に原点に戻ることで動き出す獣なのだ。

 

 ここまで猫屋敷姉妹の物語をどっしり編んできたことで、ユキの分からず屋な態度、まゆ以外を拒絶する偏狭が、人間にとって最も美しい心から生まれていると解って、その身じろぎを優しく見守れているのは、とてもありがたい。
 狭くて危うくて、ともすれば”正しくない”とされてしまいそうな……遊んで語らうワンダフルとフレンディの体現する闘い方とは真逆の思いにも、否定してはいけない真心が確かにある。
 まゆちゃんといろはちゃんを、性格や積極性、人間的完成度から真逆な造形で生み出して、だからこそ生まれる交流や成長を丁寧に積み上げてきたように、戦士が戦う理由もまた、真逆で多様なまま混ざり合い、新たな可能性へと進み出していくのだろう。
 その時必要な、”正しくない”正しさへの共感を、猫屋敷姉妹がここに至るまで積み上げてきた、愛の思い出を僕らに惜しげもなく見せてくれることで確保しているのは、わんぷりだけに可能な強い語り口だ。

 『たった一人だけを守りたい、それ以外はどうでもいい』と、ひろがる世界を拒絶するユキの狭い愛は、その番人になるニャミーにだけ闘いと傷を要求し、役割を固定していく。
 守る役も傷つく役も、隣に並び立って分担しながらだって、一番大事な誰かを愛し守ることは出来るし、そうして傷ついていくユキに、まゆちゃんはけして耐えられないだろう。
 愛ゆえに強くなろうという願いが、間違っているはずはないわけで、かつて自分を救ってくれた純粋な思いが新たに見せている光を、ユキ自身が否定しかねないこの狭さは、認められつつ変わっていくべき思いなのだろう。
 ここら辺の頑なさと可能性を、ここからの猫屋敷サーが最終章にむけてしっかり提示し、キャラの思いとドラマの行く先を鮮明に見せているのは、わんぷりらしい強さだ。

 

 というわけで、ユキの気高さの奥にある震えと、それを抱きしめうるまゆの強さをしっかり感じられるエピソードでした。
 それさえ眩く輝いていれば、どんだけすれ違っても行き着くべき場所へ愛が届くと思えるので、今後の話に一番大事な羅針盤をしっかり提示したのは、ありがたいし偉い。
 柔らかな語り口、どっしりとしたペースを選び取りつつも、こういう話の骨格が極めてしっかりしているのは、わんぷりの強いところだと思う。

 そんだけでなくて、天真爛漫なこむぎのオトボケと元気がめちゃくちゃ可愛かったり、トラガルガルとのバトルが『竹林に猛虎』という古典的モチーフを面白く料理してたり、色んなところに良さがある回でした。
 こういうパワーのあるお話で、新たなプリキュアが生まれ落ちるまでの物語をスタートできるのは、大変いいことだと思います。
 まゆとユキ、二人きりの優しい繭が引き裂かれて生まれる新たな勇気は、一体どんな輝きで世界を照らすのか。
 次回も楽しみです。

 

 

・追記:光学性ヒロイズムと音響性ロマンティシズム

画像は”わんだふるぷりきゅあ!”第17話より引用

 わんだふるぷりきゅあにおいて、非日常にアクセスするための特別な力は鏡石によって与えられ、パクト(大人を装うための道具としての鏡)によってプリキュアに変身する。
 今回のまゆに如実に結晶化しているように、世界が広がり新たな可能性へ踏み出す自己像を確認するためには、目の前に鏡を置かなければいかない。
 エゴイズムの狭い独善に浸っていては、人間は自分の形や願いを確認することが出来ず、鏡という対象物を用いて初めて己の輪郭や目的を確認することが出来るという、反射を通じた自己確認をこのお話は幾度も行っている。
 いまだキュアリリアンに変じず、キュアニャミーに並び立つ戦士になり得ていないまゆの前で、鏡石は鈍い色合いでまゆの輪郭を反射していない。
 『もう一度、ニャミーに会いたい』という願いは、まゆの真実を照らすには解像度がいまだ低く、魔法の鏡が特別な力を与えるためには、もっと鮮烈に己の願いを言葉にしなければいけない。
 ここから一ヶ月の猫屋敷サーガは、まゆがどんな自分になりたいかを新たに、決定的に探っていく物語になるのだと思う。

 この物語において、鏡像は常に他者に反射して結実するものだ。
 特別な誰かがいてくれるからこそ形を結ぶ、自分の願いと愛。
 それは既にユキとまゆの、青と赤の瞳の中に相互に乱反射しているのだが、出逢った時からお互いのみを視界に入れていた懐かしい自画像たちは、そこにたどり着けば物語が決着する二人の真実としては用意されていない。
 あわせ鏡に閉じこもっている幸せな幼年期が既に終わり、命を賭してでも誰かを助ける優しさと強さ……合わせて正しさに目覚めかけているまゆが見つめる自己像は、ユキという鏡に”だけ”反射するものではないし、既に彼女はその狭い領域から半身を乗り出している。
 ユキ”だけ”が世界の全てではなく、でもユキをこそ特別に求める自分をどこに定位するべきなのか、まゆは新たな自己像の制定を求められていて、これが成った時鏡石に新たなプリキュアが結像するのだろう。

 

 自分がどんな存在なのか、何を願っているのかを照らし直す時、その位置を客観視して照らす大きな武器が言葉である。
 本来言葉を持たない禽獣が、”変身”によって言語化されたロゴスとコミュニケーション手段を手に入れて、好きな人と思いをつなげたり自分がどんな存在か発見したりする様子も、ここまでの物語でかなり大事なものとして扱われてきた。
 言葉という鏡に結像させることで、真実自分が何を望んでいるかもより鮮明に可視化され、それは発話されることで己の外側に出て、他人に届き響いていく。
 まゆがどんな自分になりたいのか、誤った(あるいは真実から少し遠い)願いを言葉にしている間は、鏡石は魔法の鏡として機能しない。
 『ユキと一緒に戦いたい』という、わざわざ戦うに足りる力を求める魔法こそが彼女をプリキュアにしていくわけだが、それは自分を闘いから遠ざけるユキに突きつけるだけでなく、自分自身の輪郭線をはっきりさせていく、もう一つの鏡としても機能することだろう。

 猫屋敷まゆ/猫屋敷ユキという、非日常のヒーローネームから切り離されたお互いの瞳は、ずっと愛に守られてきた固い絆を解くことが出来ず、二人の現状を反射しても未来を照らすことは、未だない。
 そんなふたりがプリキュアになったとき、お互いを見つめるあわせ鏡に何が写り、『愛と闘い』という極めてプリキュア的なモチーフに、わんぷりがどういう答えを出すのかが見えても来るだろう。
 対象年齢を下げ、平易な語り口を選んではいるものの、わんぷりが自作へ向ける批評眼、テーマと選んだものを描ききるための戦術は、極めて怜悧だ。
 『2クールかけて初期キュアを変身させる』という新たな試みが、トータルどういう感触で落着するかも含めて、大変楽しみに猫屋敷サーガの決着を見届けたい。