かくして、冒険は続く。
祝・二期決定! な喜びに包まれつつ、思いの外いい感じにこれまでの旅をまとめ未来に続けてくれた、ダンジョン飯アニメ一期最終回である。
お話としてはあんま大きな事件は起きず、ライオスたちの旅の一場面……という感じの収まり方なのだが、グリフィンとの激闘、過去との対峙を経て自分を取り戻したセンシが上手いこと話をまとめてくれたおかげで、ここまでの冒険とこれからの旅を奇妙な潜航遺物に揺られながら思い返せる、なかなかコクのある最終話となった。
『最後出し出し惜しみはナシだッ!』とばかりにぶっ放される、グリグリ動くカトゥーンテイスト満載なTRIGGER作画も面白く、最後までサービス精神たっぷり、たいへん楽しませてもらった。
コミカルなアクションが元気だと、マルシルのコメディエンヌとしての才能が良く映えて、それが最後の湿った涙といい感じの対照を生んでいたと思う。
戦いあり笑いあり、シリアスあり不謹慎あり。
色んな具材があるからこそ面白い、人生というダンジョンに深く潜っていく旅はまだまだ続くが、今はひとまずの幕。
大変良かった、続きも楽しみにしています。(早めの結論)
前半戦はチェンジリングによる種族入れ替え騒動を、さらなる大騒ぎで決着させていく感じ。
ちっちゃくなったマルシルのどんくさ芸、普段よりさらに雑な扱いが笑いを誘うが、アニメは構成の妙によって『手を繋ぐ』ことで相手を倒していくガーゴイル戦が一期ラストバトルとなったのが、なんだか良かった。
ワーワー騒がしいし高邁な理想で繋がってもいないが、しかし命をかけてお互いを守り、確かな絆も生まれつつあるライオス一行の現在地として、あのコミカルで妙にフレンドリーな戦い方は、結構象徴的だったと思う。
あんだけ早耳だったチルチャックがガーゴイルの襲撃に気づけなかったり、それを聞き分けるのがハーフフットになったマルシルだったり、でも修羅場での対応は全然だったり、慣れない種族に振り回される様子は、相変わらずの面白さ。
同時に種族交換したことでより鮮明に可視化される、寿命差の問題がどんだけマルシルの中でデカいのか、改めて釘を差された感じもあった。
ドッタンバッタン大騒ぎの末、何しろこのアニメは”ダンジョン飯”、やっぱり食事となるわけだが、偏食傾向の強いイヅツミになんとかメシを食わすべく、工夫をこらし手間を厭わないセンシの慈愛が身にしみる。
戦闘では全く役に立たないお耽美に染まりつつ、とにかく若人には飯を食わせ居場所を与える信念は揺らがず……というかトラウマを乗り越えて強化された感じすらあったのが、なかなか良かった。
第21話で話題に登った『魂=卵』理論をずーっと考え抜き、今後往くべき道を静かに指し示す賢明さもそうだけど、僕が好きになったセンシらしさが過去に直面したパニックから戻ってきて、仲間の前に静かに差し出される場面が多かったのは、とても嬉しい。
チルチャックの自己開示を呼び水に、いい形で辛い記憶を表に出し癒せた経験が、ライオスの過去を積極的に聞き出す姿勢に繋がってたり、地味ながら確かな変化……冒険を通じて得た一番大事な宝を、最後に確認できたのは素晴らしい。
チェンジリングを用いてファリンを人界になじませる、ライオスの奇妙な計画はまーまー笑いどころなのだが、ひとしきり笑った後に怖くもなった。
ライオスがモンスターの生態や戦闘に見せる冷静なリアリズムは、”狂乱の魔術師”を倒しファリンを正気に戻すまでのプランと、そこから開放された後の人間社会においては、すっと引っ込んでしまう。
故郷の村にも流れ着いた兵舎にも、金剥ぎ仕事にも馴染めずヒゲボーボーだったライオスにとって、人間に満ちた当たり前の世界こそが戯画化された『良くわからないもの』であり、興味と知識を存分に活かせる冒険者稼業こそが、身を置いて馴染みが良い『当たり前』なのだろう。
竜の下半身をどうにかすれば、怪物と化したファリンの居場所が人間社会に生まれるわけもない『当たり前』を、ライオスはシビアに考えられない。
『魔物を食べるのはなんとなくイヤ』とか『人肉食はタブーなので極力話題に出さない』とか、言語化されない常識や不可視のルールで成り立っている人間社会は、彼にとって馴染みの薄い異郷であり続けた。
食糧事情も命の値段も、まったくヤバいところしかないダンジョンハックで彼が生き生きしているように見えるのは、ただ身につけた魔物の知識を実地に活かし、欲望の赴くままやりたいことが出来ているから……だけではないのだろう。
ここら辺の社会不適合性をどうにかしないと、せっかく思いついた『妹をみんなに食べてもらおう!』という妙案を、実行に移すことも出来ない。
世の中の常識が不可思議にひっくり返るダンジョンにおいて、ライオスが逆ツッコミする通りその”料理”こそが難題を解決する冴えたやり方なわけだが、しかしここにおいても人と人が繋がる『当たり前』な難しさは、攻略するべき迷宮としてライオスに立ちふさがる。
『他人に興味がないだけ』とかブルーには酷評されたライオスだが、センシに促された自分語りにじんわり滲むように、身内への情や社会に馴染みきれない居心地の悪さ……他人と共鳴できそうな人間らしさは、勿論ある。
あるのだけどもそれを解ってもらうことも、他人のそれを解ることもなかなかに難しい、厄介な個性をこのお話の主役は抱えてしまっている。
そういうアウトサイダー性は、ライオス一行の全員が持っているものであり、だからこそ魔物を食らう変わり者集団として、ヘンテコながら確かな絆も育まれてきたわけだが。
魔物が大好きで人間がうっすら苦手な、他人の当たり前を自分が当たり前にこなすことが難しい青年が、妹復活という悲願を果たすためにはどうにか、他人と繋がり響き合う手がかりを掴まなければいけない。
そんな人生の難題をクリアしていくヒントはもちろん”飯”であり、ここまで凸凹繋がったり離れたりしながら、同じ釜の飯を食ってきた仲間たちとの関係性が、ここからの旅がお先真っ暗ではないことを教えてくれる。
あれだけの重たい過去をくぐり抜け、死者の蘇生を禁忌と跳ね除けるのも当然のセンシは、自分を重苦しい過去から解き放ってくれた変わり者の青年に強い恩義を感じて、彼が必死に挑む蘇生への戦いを、自分の使命と背負ってもくれる。
そんな信条の変化を下支えしているのは、共に支え合って危機を乗り越えてきた”パーティー”としての記憶であり、一食一食感謝を込めて腹に収めてきた、数多の”飯”なのだと思う。
センシが大事にしてきた”飯”は身体を養うだけでなく、お互いの哀しみを受け止める心の繋がり、それによって育まれる人間同士の絆も、また美味しく料理してきたわけだ。
最悪の出会いから命がけの冒険を共にくぐり抜け、黄金郷でゴロゴロネコチャンの顔を見せ、気づけば手ずから料理を作るまでにもなったイヅツミもまた、”ダンジョン”と”飯”によってパーティーという社会の一員になっていく。
マルシルがこらえきれず流した涙を『ばっちぃ!』と言ってしまう所に、シュロー配下で他人の思いを間近に受けることが少なかった過去が滲んでて、ちょっと切なかったりもしたが。
他人が心の奥に秘めた思い出が溢れ、一人では耐えられないことが確かにあって、そこに手を差し伸べれる自分へとおっかなびっくり、マルシルに寄り添うことで近づけている場面は、大変良かった。
ライオスとはまた違った意味で、イヅツミも人間の『当たり前』から遠ざけられてきた存在なんだけども、パーティという小さな社会にいることで色んな人に気にかけられ、メシを食わされ自分なり、人と隣り合う意味を学んでいる姿は眩しい。
センシ心尽くしのドライアド茶を煮出す、炎熱の魔法陣もファリンとの離別を経て、魔力酔いに苦しみつつライオスが身に着けた、小さくて大きな変化の一つだ。
そういう小さな奇跡を積み上げながら、一行の旅はまだまだ続く。
思えば金剥ぎ稼業の悪党や、カブルー一行に殺された蘇生詐欺の連中のように、目先の欲望に突き動かされ変化も成長もない日々を、迷宮に送るのが『当たり前』な場所において、倒すべき相手を日々の糧として尊重し、ハチャメチャな冒険の中で何かを変えていけるライオスたちは、やっぱり普通ではないハグレモノなのだろう。
しかしそんな彼らだからこそここまでの旅はたいそう楽しかったし、それだけで終わらない、悲喜こもごもな人生の面白さがドラマに宿ってもいた。
人生万事塞翁が馬、色んなことが起きて常識がどっかにぶっ飛び、災厄が幸運に、幸せが哀しみに変遷しながら確かに、なにか大事なお宝を心と絆に刻んでいく冒険の主役として、ライオスたちほど適役はいないのだと、しみじみ思える最終回だったと思う。
最後に示された希望が『この迷宮の謎とファリンを、見事に料理し完食する!』というのも、まったく”ダンジョン飯”らしい羅針であり、そういう未来予想図を示して幕引きとしていく手つきが、とても良かった。
シュロー達の前に広がる『ずいぶん変わっちまった』一層の景色だとか、これもある種の”パーティー”といえる”狂乱の魔術師”とファリン=キメラの様子とか、これからもハチャメチャで面白い”ダンジョン”が待ち構えているのだと、二期にワクワクを持ち越せるフィナーレになったのは素晴らしい。
旅は困難を増しながら迷宮の真実へと、まだまだ続く。
その行く末を心底楽しみにしつつ、新たな料理がテーブルに登る日を楽しみに、今はありがとうを。
とても面白かったです!
というわけで、ダンジョン飯アニメ一期もフィナーレである。
『モンスターを料理する』というキャッチーで奇天烈な入口から視聴者を誘い込み、キャラクターが織りなすドラマ、微細に組み上げられた背景設定の面白さで、奥行きと広がりのある魅力に浸らせる。
原作が持っている語り口の妙味を、見事にアニメにしてくれたシリーズだったと思います。
実は作画のカロリーコントロールが凄い精妙な作品で、動かすべき場面でドバっと動かし、普段はやや控えめだけど食い足りないってことは全然ない、絶妙な味付けで2クール走りきってくれました。
勝負どころのアクション作画が、ド迫力のイマジネーションで”迷宮”を立体化してくれたおかげで、原作が目の前に動き出す”アニメ化”の嬉しさをたっぷり味あわせてくれるシーンが沢山あったの、凄くありがたかったです。
勝負どころとなるメシの作画を頑張ってくれたおかげで、敵を倒して糧を得る、ライオス一行独自の生態系をゲテモノとして消費せず、一緒に美味しく食べれたのも良かったです。
それが確かに生命の営みであり、興味本位でタブーを弄ぶ、切実さのない”遊び”になってしまえば、作品の根っこが壊れるわけで。
食事という営為が持っている社会的・精神的な意味合いが、話数を重ねるごとに掘り下げられていく物語を支える意味でも、ライオスたちが向き合う”飯”の手触りをしっかり僕らにも伝わるよう、最後まで抜かりなく描いてくれて、大変良かった。
”飯”と並んでタイトルになっている”ダンジョン”も、命がけの危険と不思議な面白さが同居し、色々問題ありな連中を鍛え上げ育てていく試練場として、素敵に描いてくれました。
階層が変わるごとにガラッと様相を変えていく非日常の楽しさ、ただのアトラクションでは終わらないヒリついたヤバさ、そこに住まう多彩で魅力的な魔物たち。
ヤバいんだけども、だからこそもっと先が観たくなる魅力がしっかりこのアニメの”ダンジョン”にはあって、危険が満載だからこそそれを各々の個性を活かして乗り越えていく、探検物語としての楽しさも色濃かった。
ヤバくて普通じゃない場所だからこそ、色々ヤバい所がある普通になれない曲者たちが、自分たちなり生き方を学び変えていく手応えを支えてもくれていて、舞台設定と人間ドラマが噛み合う面白さを、力強く描ききってもくれました。
数多の食事を腹に収め、次第に迷宮に秘められた真実、心のなかにある宝もその輪郭を顕にしてきて……まだまだ道半ば。
これからもっと面白くなること間違いなしな、ライオスの旅をここまで素晴らしいアニメーションで描いてくれたこと、これからも描いてくれることに、心からの感謝を述べたいと思います。
”ダンジョン飯”、とても素敵なファンタジーアニメであり、原作という食材の魅力を120%引き出す最高の料理でした。
新たな一皿が目の前に差し出されるときを心待ちにしつつ、今はとにかく感謝を。
ごちそうさま、美味しかったです!!