イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ブルーアーカイブ The Animation:第11話『私の生徒だから』感想ツイートまとめ

 ブルーアーカイブ The Animation 第11話を見る。

 最終決戦前の下地づくりという感じで、先生が色んなところ駆けずり回って協力体制を…作ったんだか作らないんだか、ともあれやれることはやって行くぞホシノ救出作戦! という所まで。
 アニメからだとイオリの足舐めたのマジ意味分かんないんだが、ポジティブに評価すると形振りかまってらんない必死さを奇行で表現…ってところなんだろうか?
 黒服との対話シーンがいい感じに緊張感あったし、世界で唯一子どもに優しく出来る大人≒プレイヤーキャラクターとしての先生の顔が良く見えたので、落差で余計にブルっと来た。
 変なお話だなヤッパ…。

 

 子どもを餌食にすることを全くためらわない、”悪い大人”の黒服が鏡になることで、ようやっと先生の彫りが深くなった感じもある。
 責任ある人々が生み出した社会・倫理インフラが崩壊している世界で、大人の当たり前を引き受けるインセンティブは極めて薄いわけで、自分に素直に生きてたら黒服やカイザーの連中のように、弱い奴らを食ってやりたいことやるのが賢い…となるのだろう。
 そこで世界全体が保証するべき、子どもが安心して未来を信じられる世界を唯一背負う個人…というには、アニメの先生は正直腰が弱い。
 そういう眩い意思を、ねっとり重たい黒い闇を相手に真っ直ぐ出してくれた事自体は、大変いい感じだったが。

 これはプレイヤーキャラクターを、作品に己を透過する一人称アバターとして展開するゲーム的体験と、先生=私にはなり得ない三人称の俯瞰で物語を見ているアニメ的体験の、構造的なズレが生み出す落差…なのかもしれない。
 ゲームのアニメ化はほぼ必然的にこの人称落差を伴うわけで、皆色々工夫して『私の物語ではない物語』を飲み込ませる手立てを講じるわけだが、正直ブルアカアニメは先生が最悪な世界唯一の善である特権を、あんま際立たせてこれなかったかな、って感じはある。
 俗欲にとらわれず、なんか高い場所への突破を目指してるっぽい黒服の語る、エゴイスティックな理想主義…あるいは現実に阿た共感無き突破主義。

 そこには一定の説得力がまぁまぁあって、カイザーの連中がぶん回す面白くもねぇ現世利益より、もうちょい思弁的な…そのくせ己の可謬性に無自覚な、純度の濃い悪の匂いもなかなかいい感じだった。
 彼が突きつけてくる『世の中の当たり前』を跳ね返すには、先生は現実を動かす力も確かに無く、銃は握れず指揮能力も…アニメで見てる範囲だとそこまでブッチギリに無敵ってわけでもなく(ここも、ゲームだと『指揮取る俺tueee!』でシンクロ率アガる、一人称な快楽があるんだろうけど)、世界ひっくり返す資格がやや足りてない、人が善いけどそれだけな優男に思えてしまう。
 シッテムの箱が、その唯一性を担保するかとも思ってたが…。

 

 カイザー理事が蒙昧で野放図な現世主義を、黒服が理想のために弱者を踏みつけにするエゴイズムを、それぞれ背負って”悪い大人”やってくれたことで、”いい大人”としての先生のスタンスは(11話にしてようやく)明瞭になったと思う。
 しかし善良であって当たり前、その上で理不尽で残酷な現実にどう立ち向かうかを常に問われている世界に(一応)済んでる視聴者としては、悪徳の世界での倫理的卓越だけで先生が苦境の突破を果たしていくのは、イマイチ乗っかりきれない。
 あと一つ二つ、可哀想な子どもが救われる都合の良いハッピーエンドを引き寄せるだけの、引力のあるネタが欲しいかな…って感じ。

 先生がそれをするだけの特別さが、裏設定にいっぱい書かれてるっぽいのは、なんかありえないほどに先生好きすぎな黒服のアプローチからも、なんとなく感じることは出来る。
 でもあくまで”なんとなく”でしかないので、世界を変えうるほどの特別さを察してあげる接待まじりの視聴で、ホシノ救出を眺めてはいたくないのだ。
 これは救われるべきヒロインとしてのホシノの描画がかなり上手く行ってて、彼女を世界で唯一救える特別な存在としての先生の存在質量が、そこに釣り合ってないから感じるのかなー、とも思う。
 俺がホシノを好きすぎるだけかもしれない。スンマセン…。

 とはいえ黒服との対話により、先生の卓越性と譲れぬ信念が可視化されたのはとても良かった。
 やっぱ鏡となりうる誰かを専属で用意して、ガッツリ対話しながらキャラの輪郭を固めていく語り口が僕にはありがたくて、可愛い生徒がキャッキャするのを壁となって眺めてるだけじゃ、描けないものは確かにあるよね、と思った。
 アニメからの僕じゃ全然受け止めきれない、多分ゲームだと人気爆裂なんだろう色んな人が今回もたくさん出てきて、いろんな難しさを今更感じたりもしたけど。
 ここで得た爆発力を上手く活かして、先生がなぜクソッタレな世界をひっくり返す特権≒PCとしての唯一性を持っているか、クライマックスに示して欲しい。

 

 最終決戦前に諸勢力を来訪し、助力を請う流れはまー、クライマックスの大逆転の前フリだなー、って感じ。
 孤独な戦いを強いられてきたように思えるアビドスも、結構いろんな集団や個人との繋がりがあって、黒服に火付けられたことでそういう連帯に今一度、縋ってみてもいいかな…つう考えが、先生の頭をよぎった感じだろうか。
 手続き踏んで顔を見せれば、話くらいは聞いてくれる相手に一切すがること無く、ズルズル蟻地獄に引きずり込まれていったアビドスの子等の、狭い視界が子どもっぽくて、ちょっと笑った。
 その後とても寂しく、悲しくなった。
 そんな事すら、大人が教えられない世界なんだな…。

 アルちゃんがいつものノリと勢いを引っ込めて、助力を一旦判断保留にしたのが、僕にはかなり興味深かった。
 あの子も相当ダメダメなところから始まって、対策委員会との接触を通じて己を変えてきたキャラだと思うけども、形だけのアウトロー像に振り回されてきた過去を越えて、自分の意志で見定めた理想に慎重に踏み出すタイミングが、やっとこ来てんのかなー、って感じ。
 対策委員会の子たちは抱えた厄介事を乗り越える瞬間にのみ、物語で得た成長を形に出来る縛りが主役ゆえあると思うけど、アルちゃんがこのタイミングで変化を見せれるのは、部外者だからこその軽やかさだなぁ…。

 まーお膳立ても丁寧なので、たった五人の孤独な戦争に見えて、苦境に駆けつける連中への期待感はしっかり高まっているわけだが。
 物理的戦闘でホシノを取り戻しても、社会的などん詰まりは別に解消されるわけじゃないってのは、頭の隅に引っかかっている。
 単純なドンパチの爽快感で押し流せない、陰湿で重たいもので子どもらを縛って追い詰めている状況なので、これをぶっ飛ばす奇策をどう描くのかは、結構気になるんだよな…。
 そういう場所でこそ”善い大人”にしか出来ない強みがあるとは思うので、気持ちの良いロジック編んで社会的逆転劇を描いてほしいが…さてどうなるのか。
 次回も楽しみです。