NieR:Automata Ver1.1a 第14話を見る。
アダムとイブの死をトリガーに、軌道司令部は機械生命体との総力戦を決意する。
投入される超兵器と、感染する狂気。
全てを賭けたはずの戦いに裏切られた先、転がる運命の行方は…という、ニーアアニメ第14話である。
ロクでもないことしか起こんないこの世界、バックドアフラグはモリモリ立っていたので大惨事は想定の範囲内だが、全体的なスピードが速くて驚いている。
精鋭たるヨルハ部隊すら狂気に侵されて、アンドロイド側総崩れの体だと思うのだが、永遠に続くはずの戦場がボロボロ崩壊してなお、全然クライマックスではない。
この物語は一体どこまで行くのか、『まぁこんくらいだろ…』と勝手に予測していた流れを裏切って、ギュンギュン過酷な運命が加速していっている。
このスピード感に微かな戸惑いと、大きな興奮を覚えて一体どうなることか、辛いだろうが見届けたい気持ちになった。
いやもー、沢山死んだり死ぬよりヒドい目にあったりってのはこのお話の宿命と受け入れたので、『何もかもが崩壊していく終局の中、微かに機械たちが自分たちだけの存在証明を瞬かせてくれたらいいな』位の気持ちになっている。
スーパースタイリッシュなデザインに、メチャクチャ泥臭い人間の戦いを刻み込んでいく物語なんだと、改めて認識したわな…。
というわけでポンコツレジスタンスにレールガンだの大型爆弾だの、未来兵器を貸与して余裕の大勝利モード! …てのは一瞬、クラッキングにEMP、これまでは味方の切り札だったものが全部逆手に握られて、機械生命体に何もかもズタズタにされる大敗勢である。
戦いの行方は顔の見えない月面の声が勝手に握っていて、司令官ですらそこにタッチできない遠さに阻まれてきた、機械達の戦場。
一個体がどう生きて死ぬかとか、そもそもあんまり関係ない無常が、巨大すぎる装置が回転する大きなうねりを強調する。
紅い蝶に可視化される狂気は地上だけでなくバンカーにも及んでいると示唆されているが、繰り返す死と生の受け皿になっていた中枢ユニットがウィルスに侵されると、ヨルハの不死性を支えていた構造も破壊されていくだろう。
死んでも次があり、死んでも終わってくれない無間地獄から開放されるためには、赤い狂気に何もかもメチャクチャにされる破局以外ない…というのは、主なき人形の宿命とはいえ相当に辛いものがある。
理不尽な惨劇すら『よくあること』と飲み込み続けた、再生を許されていない地上のレジスタンス達とは、また違って…どこかが通じ合っている悲惨。
そういうモノで、滅んだ世界は満ちている。
パスカルの子どもたちが大戦争を見上げる絵が、全てを終わりにする大きな破滅が動き出したのだと告げていて、怖さと寂しさ、不思議な爽快感が湧き上がって良かった。
エイリアンは既に無く、月面に存在するとされてる人間もまーいないだろう、中心も真実もそもそもどこにもなかった世界。
初期設定のまま放置され、延々と続く戦争をプログラム通りにこなしていた人形たちが、ようやく完全に壊れて終われる瞬間が近づいているのだと、ヨルハ達の狂った同士討ちが教えてくれもする。
赤い瞳の狂気は、敵であり異物であり人間以下の劣等種である、機械生命体の特権だったはずなのに、滅びはそれにこそ乗っかって感染していく。
僕はこの作品におけるハッキングを、物語装置としてとても優れたものと評価しているのだけども。
それは敵の足を止める攻撃手段であり、狂った機械の内心を探るマインドダイブであり、秘められた真実の片鱗に近づく調査でもある。
心がデジタルなプログラムに書き換えられ、命がリセット可能な物質へと還元されてしまった遠い未来の、不可知にして不可侵な領域への侵入手段。
9Sは機械化された”こころ”に潜るスペシャリストであり、物質的戦闘を担当する2Bが踏み込めない場所を担当することで、比翼の鳥として機能してきた。
そんな頼もしい武器が、逆流して何もかもを壊していく。
ヨルハの不滅、繰り返す惨劇を支えていたのは、バンカーに記憶をアップロードし、肉体の破壊を全ての終わりにしないシステムだ。
それは本来触れ得ざる魂と命を、リソースとして活用可能な物質へと変化…あるいは退化させて成り立っている。
不定形で不確かで個別なはずの”こころ”は統一されたプログラムとなり、規格に則って様々な個体にダウンロードされ、あるいは個別の体験がアップロードされていく。
確かな輪郭を持って保持し、書き換えることが可能な”こころ”は、紅い蝶に触れられれば一斉に狂う。
自分たちの意思や愛や思い出に関係なく、狂わされてしまう。
今回それぞれ個別のイチャイチャを見せたヨルハが、あっという間に同士討ちの地獄絵図になだれ込んでいくのは、彼らを支えていた精神物質化システムの逆打ちだ。
遥か古代、人間が脳殻の中の宝箱にしまい込んだ、誰にも触れ得ない特別で唯一なはずの、魂と心。
戦う装置として設計され、人に似せてそれを書き換え可能なプログラムとして埋め込まれたアンドロイドたちには、確かにそれぞれの愛と戦いがあり、思いがあった。
しかしそれは触れ得ざる神聖としてではなく、不死の兵器に流用可能な物質として存在し続け、だからこそ自分以外の誰かによって、決定的に書き換えられてしまう。
それは機械生命体相手に、ハッキングを武器に戦いを切り抜けてきた9Sの業を、そのまま跳ね返された形でもある。
さんざん機械の魂を、そこに宿る個別の思い出を弄んできた報いを受けて、バンカーとそこに繋がるヨルハたちは狂わされ、壊され、弄ばれていく。
戦士たちのカルマの清算ともいえるし、そもそもそういう風に設計されて延々繰り返すだけだった人形たちに、罪を問えるのかという話でもある。
設計者に責任を問おうにも、この作品において”人間”は徹底して不在の形でしか存在せず、疾うの昔に終わり果てた物語が、ようやくふさわしい形でおわるだけ…って事かもしれない。
それにしたって、なぁ…。
機械生命体の心も、ヨルハたちの愛も、見ず知らずの誰かに勝手に書き換えられ、都合よく赤く染められていくプログラムでしかない。
しかしハッキングと戦いを通じてその奥に潜ると、我々は積み重なった営みと思いに”人間”を感じずにはいられない。
不可侵な聖性に欠けたただの物質でしかないはずのものに、唯一世界を輝かせうる特別な価値を、勝手に幻視する。
だからこそ、それが当たり前の帰結として弄ばれ、ぶっ壊れていく有り様に心を痛める。
つくづく、勝手なことだ。
勝手に作って勝手に消えて、機械は定められたとおりに悲劇を積み重ねて、否応なく生まれてしまう個体としての意思に従って 永遠に続く戦いに飽き果てたり、空疎なエコーに耐え難い疑念を覚えたり、愛ゆえに全てを滅ぼそうとしたり、それぞれの個別の狂気と醜悪を暴れさせる。
何もかもが錆びつき滅んでいく、”人間”なき物質だけの世界の中に、それでもなお何か特別で侵されざる永遠が、絶対の真実があって欲しいと、”救い”なるものを求めて手を伸ばす。
理不尽な現実に耐えかねて物語の慰みを求める、人間存在の根本的脆弱性を、人間に似て人間ではないもの、人間ではないからこそ人間に思えてしまうものを通じて、徹底的にクラックされている感じがある。
それは古式ゆかしい人形譚で、正統派の力強さを徹底的にやり切る気概を感じている。
死すら剥奪された殺しの人形は、特別な誰かを愛し、その愛を裏切るよう仕向けられて、悲惨な終わりに投げ込まれていく。
それに抗う特別な強さを、モノでしかないアンドロイドはもっていない。
彼らが戦い、叩き潰し弄んできた、彼らの”敵”と同じように。
第1クールで描かれた、2Bと9Sのスーパー頑張り物語がここに来て反転して、『お前らが殺してきたのは、お前らの鏡だよ。だからお前らも、お前らが殺してきたモノたちと同じように死ぬのだ』と告げられるの、エグくて正しくて好きだ。
まーそらそうだ。
そうなるようにずっと描写は積み上げられてきたし、人形たちは確かに、もうそうなるしかない。
それでもやっぱこー…『何とかならないんですかッ!』と聞きたくなる愛着が、愉快で健気でおろかで必死な人形たちの”人生”を見てきた視聴者としては、確かにある。
必然の滅びに飛び込んでいく愚かな道具が、それでも確かに”人間”だったと思うから、報われ救われて欲しいと願って欲しい”こころ”がある。
画面の向こう側で炸裂する滅びと悲劇に、何にも出来ない無力感も合わせて、物語を通してヒューマニズムを問うSFの王道を、凄い加速度で叩きつけられている感じだ。
人間ではないものを描くのは常に、”人間”の形を問いただすため。
このアニメはずっと、そういう物語だったのだ。
アンドロイドの亡滅に感じる悲痛が、”敵”をぶっ倒した爽快と背中合わせで、かつて障害を心地ちよく取り除いた武器が味方の喉を掻っ切る凶器になる、極めて皮肉で適切な描写。
滅び方すら同じならば、確かに同じように震え傷つく”こころ”があるのだとハッキングを通じて描かれた”敵”にこそ、心を交わして何かを変えなければいけなかったのに、定められたプログラムを延々繰り返して、分かり合えないまま終わっていく。
虚しくもあり、積み上がった時間の長さを考えると奇妙な納得もあり、SF的スケール感がここに来て、いい感じで仕事してきたなと思う。
こんだけ長く無為に過ごしたら、最悪の終わりでも救いだ。
思わずそう思ってしまう悲惨を、悲惨だと思わないプログラムを機械たちは施されていて、でもそれは生まれ出る”こころ”を完全に消してしまえるほど、完璧じゃなかった。
万能の造物主ではないからこそ滅んだ、エイリアンと人間を恨むことすらせず、繰り返す地獄に取り残された人形たちは愛を育み、時の流れに耐えかねて狂い、あるいは見知らぬ誰かに狂わされていく。
哀れだと、上から見下ろす立場は一体、誰によって保証されているのか。
愛も狂気も戦いも死も、あんたら”人間”様の専売特許だったんじゃないのか。
そういう所まで見ている側の思索が伸びる、残酷な冷徹と甘美な愛着がお話に同居し、眩く赤く輝いているのは凄く良い。
そして、凄く辛い。
バンカーにも狂気の蝶が手を伸ばしていることは、既に示されている。
地上の惨劇が序章でしかない、全アンドロイドを巻き込んだ破局が否応なく、この後押し寄せてくるのだろう。
それは定められていた終わりであり、終わることを許されなかった機械達に与えられる、唯一の慈悲…というには、あまりに酷い。
諦観と達観で見ている側が楽にならぬよう、同士討ちの地獄をしっかり描いてぶっ刺して、さぁこっからどうなるか。
一期ラストでラスボスぶっ倒してなお足を止めない…というかむしろガンガンに加速している物語が、どこまで駆け抜けてくれるのか。
もう見届けるしかないよ…ここまで見ちゃったもん。
まだまだ地獄の第2クールは始まったばかり、次回も楽しみだッ!(ヤケクソ)