小市民シリーズ 第6話を見る。
季節は巡って二年の夏、小鳩くんと小佐内さんの小市民同盟は、スイーツセレクション巡りの冒険へと漕ぎ出す。
その前奏となる、3つ目のシャルロット殺人事件の顛末と、度し難い狐の性分を描くエピソード。
探偵役が殺人犯となり、一人称視点でもって事件の隠蔽を図る”名探偵の殺人”構図を、絶品シャルロットをつまみ食いしてテヘペロな微笑ましさで青春ミステリらしく覆った…ように見せて、食わせもの達の知恵働きが裏側に揺らぐエピソード。
小鳩くんの探偵衝動を理解した上で乗っかり、キッチリ謎を解体しきって真夏の共犯者に引きずり込む、小佐内さんの手際が冴える。
甘いもの苦手で食べ切れないと、春の事件で幾度も示されてきた小鳩くんを、甘味三昧に引きずり込むための罪のない儀式。
先走ったつまみ食いという罪に、思わず小鳩くんを逸脱させる絶品の味わいを、表情と仕草だけで描いた表現力は見事だったが、その堪能も奥を抉ればどこか離人的で、小鳩くんが本当に酔っぱらえるのは、謎そのものだ。
小佐内さんが復讐の美味に酔うように、名探偵はいつでも謎と事件を探していて、どこにもないなら捏造してでも知的興奮を堪能しようとする。
今回小鳩くんが見せた業を思うと、前回のあげぱん謎解きは渡りに船というか、そらー長々ドヤ顔してしゃべり倒すよなぁ…という納得がある。
そういう業を収めて”小市民”であり続けるために、互恵関係を続ける二人の繋がり方は、やはりパット見の青春味に比べてどこか遠く、掴みどころがなく不穏に描かれている。
夏祭りに漂う青春テイストに乗っかり、お着替えもたくさんしてすっかりヒロインヅラであるけども、小佐内さんは相変わらず最後の一線を小鳩くんに踏み込ませず、冷たい境目を引き続ける。
あるいは心の境界線に踏み込む資格を、彼に与える豊かな感受性や優しさが欠けているからこそ、知恵働きを試し試されるスリルに満ちた関係性で、お互いを繋げている…ともいえるか。
堂島くんや新聞部の面々とも付き合う中で、現実の文脈をぶっ飛ばしてどこか遠い場所へと、小鳩くんを動かしてくれる小佐内さんの特別さも際立ってくる。
現実空間から遊離して、不可思議で面白いイマジナリーな楽園へと引っ張り上げてくれる特別な相手には、同等以上の知恵がいる。
周りの人間全員うっすらナメてる小鳩くんにとって、そういう刺激を与えてくれる特別は限られた人間にしか感じ取れず、その中でも小佐内さんは別格だ。
彼女と話す時のみ、小鳩くんは対等な横の繋がりを保ったまま、思考を自由に羽ばたかせあらゆるモノを読み解ける場所へと、自分を解き放つ。
それが抗いがたい快楽だから、自分に禁じたとしてもやってしまう。
汗の拭き方一つで事情を読み解き、消えた3つ目のシャルロットの存在証明を成し遂げる、卓越した知性。
それは相手の弱みを見逃さず、一気に追い詰め共犯者に仕立てる狼の視線と繋がっていて、小佐内さんもまた、己の知性を歪んだ悦楽の中でしか発露し得ない獣だ。
逸脱の罪はお互い様。
鼻につく気晴らしを許してくれる特別な相手に甘えて、やっちゃいけないつまみ食いを謎解きの材料に、二人だけの秘密を重ねていく。
それはお互いがルールを熟知した、割り切った互恵関係であって、我慢しきれず狐の欲に流された代償として、小鳩くんは苦手な甘味ツアーにみっしり付き合うことになる。
無邪気で罪もない、青春の遊戯。
お互いを知悉し合って、奪ったり与えたりするフリのゲーム。
「しょうがないなぁ小鳩くんは……これで貸し一つだよ、付き合ってね?」と、ツケを数値化してやり取りできる、納得ずくの関係性。
そういう味わいが、最後に漂うかすかな苦味に印象を際立たせるけども…さて、そうも観たまんまか。
今回示されたように、小鳩くんは己が自惚れるほど完璧に世界全てを把握しているわけでも、人間に当然の感情的リアクションを殺せるわけでもない。
秘密を抱えていれば動揺し、上手の手から水が溢れ、意識して作り出した以上の隙が、その知恵働きには宿る。
原作を継承し、小鳩くんの一人称で動くこのアニメにおいて、彼が認識できないものは描写されず、死角にあるものは存在しないまま、状況は転がる。
青春という物語は、探偵が考えるほどフェアな知的遊戯ではない。
境界線の向こう側、内実が見えないブラックボックスとなってる小佐内さんの気持ちが、一体どこにあるのか。
小鳩くんにも僕らにも心地良い、知的で小悪魔的な翻弄のどこに本心があって、何が強がりで嘘なのか。
小鳩くんというフィルターを介して世界を見るこのお話、それは見た目ほど明瞭ではなく、そうなるよう慎重に精妙に、作者はアニメを編んでいる。
既に原作を読み先を知る自分は、そういう印象を受ける。
傷ついたり怯えたり、”人間らしい”姿を見せない…見せたとしても欺瞞であり偽装でしかない、ちびっこ少女の強靭。
それが小鳩くんが見て取るほどに完璧ではないかも知れない可能性を、人間の機微に疎い名探偵は思い至らない。
つまりは、描写されない。
認識のすれ違いによって犯行現場が生まれてしまうのは、なにもデスソース入りあげぱんつまみ食い事件だけではないのだ。
驕ったドヤ顔で自分だけは例外だと、遥か高みから事件を見下ろし解体する探偵なのだと思いこんでいる小鳩くんの前にこそ、彼が犯人や被害者になりうる陰湿で厄介な”日常の謎”がある。
それを解くために必要な力は狐の賢しらや狼のしつこさではなく、例えば堂島くんが自然に溢れさせている人間力だったりするのだが……それを備えているならそもそも、”小市民”なんて目指しやしない。
小佐内さんの内側に踏み込みきれない難しさは、少女という魅力的なミステリが生み出す遠さだけではなく、かなり致命的に人間への感受性が欠けている、いかにも名探偵的な少年の人格との、共犯で生み出されているのではないか。
”犯人”としての小鳩常悟郎の顔が切り取られてみると、そういう疑問もふと、脳裏に浮かんでくる。
見た目どおりの甘く爽やかな青春テイストを煙幕にして、人間性の相当嫌な部分に踏み込んでいく、いかにも米澤穂信的味わいをどうアニメ化していくか、相当意地悪く考えてアニメになってる作品だと思うんだよなぁ…。
夏になってもその筆致が健在なのは、大変いいことだと思う。
やっぱ根本的に相当キモい話で、だからこそ米澤穂信のアニメなのだ。
汗だくに街を巡って甘味を味わう、夏の罪のない冒険。
そんな”日常”にどんな謎と罪と思惑が眠っているのか、個別の事件から全体を掘り返していく物語の始まりは、パッと見の甘さと喉に引っかかる苦みが同居した、見事な味付けだった。
いかにも青春のスケッチめいた夏祭りの景色、小佐内さんが何かを覆い隠す狐面をかけていた理由も、甘ったるい青春スケッチのなかに次第、形を得ていくだろう。
既に罠は貼られ、認識を誘導する記述で作品は満ち始めている。
構えず罪もない平凡を描いているようでいて、苦い毒が潜む夏景色を、アニメがどう描いていくのか。
冴えたスタートに、しっかり期待を煽られた。
次回も楽しみだ。
……しかしあんだけ、甘いものを食べきれない男として描写されてきた小鳩くんがようやく、心から美味しいと燃えるシャルロットを食べきったことが事件の契機であり、業に満ちた知的戯れという本命を用意するための準備運動でしかないの、つくづくネジレて素敵な書き方だと思う。
甘くて美味しいものを素直に……バカみたいに素直に食べておしまいな、”小市民”的幸福は結局、名探偵志願の青年からは永遠に遠いのだ。