イマワノキワ

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天穂のサクナヒメ:第9話『鬼、統べる者』感想ツイートまとめ

 天穂のサクナヒメ 第9話を見る。

 情けは人の為ならず、ならば非情は誰のために在るのか。
 思わぬ因縁が顔を出して村が燃える、終章開幕のサクナアニメ第9話である。
 前回みっちり重たいエピソードを経て村の仲間になったココロワが、対等の親友、高みに立つカミだからこその絆を随所で見せつけつつ、バトル方面で凄い暴れ方してくる回だった。
 ぶっちゃけもう少しマッタリ出来るかとも思っていたが、残り話数を考えるとそらー激戦の火蓋が切って落とされるタイミングではあり、最悪な所から苦楽を共にし何かを成し遂げた仲間との、絆が試される展開にもなってくる。
 いやー燃えたねぇサクナ村…終章の幕開けを告げるに相応しい、いいヒキだな!

 

 島を揺さぶる邪気が強まる中、峠に打ち捨てられた傷だらけの鬼をどう扱うか、村の意見は割れる。
 村のため極めて現実的な対応を選ぼうとするサクナ&きんたと、仁愛を重んじて傷を直そうとする田右衛門&ミルテの対比でもって、未来に繋がる二つの道を改めて見せる展開は良かった。
 お話始まったばかりのきんただったら、俺には無関係とばかり積極的に手を汚そうとはしなかっただろうけど、ここで後顧の憂いを断つ方向へ進もうとするのは、村の一員としての意識、守るべきモノの存在を感じさせて、なかなか感慨深い。
 この変化を間近に受け取り、サクナが後を託すやり取りも良かった。

 飢饉や暴力が耐えない末世、世の中のスタンダードは鬼畜生と成り果てた石丸の生き方なんだろうが、田右衛門はきんたの冷たい現実主義を、仇と同じになるなとせき止める。
 この仁愛は甘さと=なのか、それともただ殺し合い生き延びるだけではない何かを生み出すものなのか、終盤に入ってなかなか難しい問いかけが、手負いの鬼という形で投げかけられた感じもある。

 

 ボンクラに見えて武神に相応しい覚悟を持つサクナも、鬼というケガレから遠ざけられている天人の立場もあって、「殺すのか、活かすのか」という問いには最初、前者を選ぼうとする。
 しかし村の連中の思いを汲んで、シビアな正しさを含んだ決断を曲げてもいく。
 その様子を間近に見て「変わりましたね」と言えるのはやはりココロワの特権であり、育苗小屋に漂うしっとり特別な空気感は、バトルに明け暮れたエピソードの中でかなり特異だったと思う。
 島に流される前のサクナのことしか知らない(逆にいうと、その時代のサクナを誰より良く知っている)ココロワにとって、ヒトの意を汲む寛大さは意外でもあり、友の新たな魅力として輝いてもいたのだろう。

 額に汗して米を作り、迫る鬼から村を守る日々の積み重ねは、父母なき寂しさに道を見失いかけていた少女を、大きく変えた。
 ここでココロワが気付いたものが、後のバトルで勝利の決定打となっていくのも、なかなかに面白い。

 

 サクナの村はこれまで、父の貼った結界に守られ平和を保ってきたわけだが、今回鬼の本拠へと踏み出し、思わぬ因縁により悪霊の首魁となっていた石丸と、彼に悪しき力を分け与えたオオミズチが力を増すことで、その庇護はかき消えていく。
 村が燃えたのはある意味、サクナが死んでもなお消えない父母の庇護から離れ、真実武神と豊穣神の想いを継ぐ末裔として一本立ちするための、イニシエーションのように思える。
 父母を奪われて以来真っ直ぐ子どもでいられなかったサクナの幼年期が終わるのだと、父の遺した結界が機能を失うことで示すエピソードだったなぁ……。

 サクナは父母を奪った巨大な存在と、ついに自分だけの力で対峙し、島に流れ着いて以来培ってきた絆と心でもって、自分だけの答えを示さねばならない状況に、今回の衝突を経て追い込まれていく。
  それは今までで一番過酷な戦いであると同時に、この島でサクナが何を得たのか、今までの物語がどんな意味をもっているのか、改めて示す試金石ともなる。
 その幕開けとなる今回の砦攻略戦&悪鬼石丸討伐、気合の入ったアクションでたっぷりと魅せてもらって、大変良かった。

 こっちの想定の三倍くらい、ココロワが暴力方面に秀でた頼れるソルジャーだったのは意外だが、しかし”武”においてもライバルに負けたくない強い思いの結晶だと思うと、あのやり過ぎ感満載のからくり爆撃も健気に思えてくる。
 …やっぱ火薬仕込み過ぎだってアレッ!!

 

 今回のエピソードは、手負いの鬼を鏡にして”武”とは何かを、最終決戦前に改めて問うてくる。
 後顧の憂いを断つだけなら、殺し殺されの摂理に逆らわず、その場で殺しておけば良い。
 しかし島で過ごした時間はサクナに、それだけが正しい答えではないのだと、血の繋がらぬ家族たちの口を借りて問いかけてくる。
 「ワガママを聞いてやっているだけ」とうそぶいた情のある…甘さと危うさを残す決断を、死闘の果てにサクナは自分自身の未来として、石丸相手に選び取る。
 その正しさがすぐさま、悪漢の歪んだ魂を清めて、恨みつらみを捨てさせるわけでは、もちろんない。

 ボーボー燃えた村がその甘さの代償なのかは、次回被害がどの程度なのかで見えてくるとは思うが。
 鬼という存在が人間のもつ薄暗い情念によって生まれ、強化されると掘り下げられた今回、それをただ叩き潰して終わらせることが、新たなる武神としてサクナが選ぶべき道ではないことは良く分かる。

 

 飢饉と戦乱に満ち、己を苛む理不尽を悪しき感情で跳ね除ける以外道がないように思える現世に、殺し殺され以上の理想を説くことは、足元の危うい生き方だ。
 しかし鬼が生まれる摂理を断ち切り、出口のない繰り返しを清めるカミの本分をはたすには、その危うさもひっくるめ理想を貫ける強さを、サクナは示す必要がある。

 そうすることで、かつて親の世代が命がけで封じたオオミズチと対峙し、激戦の中で父の強さを、母の優しさを引き継ぎ示すことが、真実可能になる。
 おそらくサクナの両親を殺しただろう大邪霊に、生者を呪うことしか出来ない石丸≒鬼とは違うやり方で、繰り返す因縁を祓う資格を示す。
 それこそが、サクナが真実カミとなった証を立て、死によって遠く離れていた父母を取り戻し、その後継者としての自分を堂々世界に誇れるようになるための、最後の試練になるのだと思う。
 カミとして鎮護するべき産土も、グラグラ揺れてボーボー燃えてるしなぁ…危機の作り方が正統派で、とてもこのアニメらしくて良いね。

 

 今回描かれた描写だけだと、鬼に情をかけた決断は間違っていて、石丸の非情、オオミズチの呪詛こそが正しいのだとも思える話運びなのだが、ヒトに交わりカミの何たるかを真っ直ぐ学んでいったこのお話、その主役たるサクナが進むべき道が、出口のない修羅道であってはあまりに悲しい。
 悪霊たちの堂々巡りを切り裂き、天道に恥じることない眩い生き方こそが、サクナがここまで歩んだ道のりに明かしを立てるのだと、苦境からの復活劇を強く期待したい。

 やっぱそういう、ちょっと気恥ずかしいくらいの真っ向勝負こそが、このアニメらしくて良いと思うから。
 次回も楽しみです!