イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

義妹生活:第11話『兄 と 妹』感想ツイートまとめ

 正しさの檻の中にお互いを閉じ込めて、外側へと拓けていく。
 その先にある心地よい遠さだけが、心を裏切ってなお二人の答えだと思い込むための、秋の悪あがき。
 最終話一個前でもまったく焦らず、ジワジワ作品を煮込む義妹生活アニメである。
 マジたまんねぇな、この足取り…。

 

 秋の新生活が始まり、お互いの心に蓋をして”兄妹”になろうとしてる悠太くんと沙季ちゃん。
 水槽に沈めた心が果たして正しいのか、外部からの観察者が丁寧に扉を叩いて、何らかの答えが出るだろう最終回への滑走路を丁寧に作っていくエピソードである。
 この話数であえて”開く”の、ホント凄いなと思うよ。

 作中の現実を生きてる子どもたちが、沢山悩んで沢山触れ合って、沢山間違えて一番いい場所で生きていけるように、無茶苦茶優しい物語を用意している感じがある。

 

 

 

 

 

画像は”義妹生活”第11話より引用

 

 両親が大好きな二人は、家族になってしまった自分たちの気持ちを押し殺し、周りに迷惑がかからない結論を選ぼうとする。
 その閉じた関係性は、二人きりの食事を切り取るこの画角で幾度も示されてきた。
 ここまでの11話、幾度も目にしてきたこのアングル、この構図、この色合い。
 窓にはカーテンがかかり、窮屈で満ち足りた距離感に”生活”がみっしり詰まっているこの距離感が、二人のデフォルトだ。

 世界に二人きりであれば、二人はこの距離で安定し、カーテンは家の外、兄妹以外の関係に開かれることなく、心の中で決めたことが全部の正解になっていく。
 たしかに湧き上がってしまった気持ちを押し殺して、”兄妹”の健全な関係性に自分たちを閉じ込めること。
 半年の助走期間を経て、堂々と親子になれた誇らしさこそが正しいのだと自分に言い聞かせて、大好きな人を困らせない”いい子”でいることが、人生の答えになっていく。
 それが全部間違っているわけではないと、親であることに自信がない亜希子さんに堂々、母だと告げた悠太くんの姿は教えてくれる。
 ここ、結構嬉しかったな…”いい子”のあの子達も俺はすげー好きなんだ。

 

 

 

画像は”義妹生活”第11話より引用

 しかし親子だけ、”兄妹”だけで生きていける、閉ざされて満たされて幸せな時間はもう終わってしまっていて、高校二年生は今後の進路を考え、家族以外の人たちの言葉を聞き、新しいつながりに自分たちを開いていく季節だ。
 そこから注ぎ込まれる光が時に暴力的で、しかし新たな可能性と、自分たちに閉じていては訪れない可能性に溢れていることを、最終話一個前であえて”開く”物語はしっかり可視化する。
 今回、家族以外と語らう多くの場面は、全て窓から光が差し込み、閉ざされていない場所で展開していく。
 慣れ親しんだ食事風景との差異が、一層際立つ画作りだ。

 真綾ちゃんがド直球に、しかし興味本位ではなく真摯に沙季ちゃんへの恋心を問いただす時、悠太くんは正しさの影に自分の心を隠して、二人は”兄妹”なのだという姿勢を崩さない。
 世間一般に流通する正しさを間尺にするのならば、悠太くんの嘘こそが光として支配的であってもおかしくないのに、カーテンが(心のように)風に揺れる窓辺には恋を問う真綾ちゃんが立っていて、正しく嘘をつき続ける悠太くんは影の中に立ち尽くしている。
 それは彼と彼女があの夏の日心に決めた、家族の檻に自分たちの心を鎮める決断が必ずしも、”正解”ではないと語っている。
 二人の距離管の外側にこそ、新しい風と光は確かに吹いている。

 

 この頑なな正しさが悠太くんの全てかと言えば、夏帆との奇妙で影のない対話が、そうではないと告げてくる。
 義妹の心に深く触れ、人の噂も見た目も他人を判断する基準足り得ないのだと学んだ少年は、色々派手な噂のある少女にも公平に接する。
 そこに嘘の影はなく、学び取った大事なことを別の人でも活かせる、真の意味での賢さ…そこから生まれる正しさと優しさがある。
 こういう人間だからいろんな子が悠太くん好きになるのだと思うけど、このチャームポイントが一番有効に、真摯に生きてる相手が誰かって考えると…沙季ちゃん以外の子は可哀想でもあるね。

 他人を…まして家族になった人を外見や噂で判断し、自分の見たものを裏切っていく在り方が、どれだけ間違っているのかを悠太くんは春に学んだ。
 周りに流されず自分で判断できる強さを、背骨の真ん中に入れて真っ直ぐ立てる少年はしかし、義妹への恋心だけには嘘の影を貼り付け続けている。
 その窮屈な決断も、半年一緒に”生活”して感じた静かな愛しさを壊したくない、極めてピュアな願いから生まれているので、なんもかんも間違いの暗黒だと否定できないわけだが。
 それでも、”兄妹”の棺に想いを閉じ込める決断は、悠太くん本来の眩しさを閉じ込めてしまっている。
 その公平な光にこそ、沙季ちゃんも惹かれたのにねぇ…。

 

 

 

画像は”義妹生活”第11話より引用

 悠太くんが生来の光を影の中に隠すのに対し、工藤准教授は倫理学の徒として、沙季ちゃんの本性が湿った影の中にこそあり、だからこそ眩しい光を強く求めるのだと見抜く。
 ここで沙季ちゃん本人より鋭く、家族より遠慮なく彼女の真実をえぐり、より善き道を示す存在に”倫理学”やらせてるの、メチャクチャこのアニメらしい真摯さだなと思ったりしたけども。
 進路を見定め、大学に通う意味を高校二年生に考えさせる話運びもそうだが、真実より善く生きるために子ども達に何を手渡せば良いのか、マジで考えて話が進んでいるのは凄い。
 好きだ…義妹生活ッ!

 工藤准教授は、通り一遍の綺麗事を”正しさ”として、悩める子どもに押し付けることを好まない。
 それが一つの答えとなり、光り輝いて未来を指し示す可能性にちゃんと目を配りつつ、狭い世界で全てを決めてしまう視野の狭さをまず問題にする。
 その上で暗がりの中手に入れた湿った気持ちが、他の何にも代えがたい自分だけの真実だとしたら、それを大切に貫くのだと、沙季ちゃんが身を置く影の中にしっかり寄り添って、”正しくない”答えを手渡す。
 悠太くんが影から光の中へ出ていくことで、より彼らしい公平さを体現するのに対し、沙季ちゃんは自分を包む影の中に寄り添ってもらうことで、本当の自分の欠片を手渡してもらう。

 複数のキャラクター、複数の場面で陰陽が織りなす意味、それに宿る”正しさ”は異なっているし、それは独立し孤立しているのではなく、他者との触れ合いを通じて混ざり合い、追い出され、流動し変化していく。
 自分の心の中に閉じこもっていては…あるいは”兄妹”二人で完結してしまっていては見えないものへ、大きく話が開かれていく今回、しかし問われているのはあくまで主役二人の内面と関係性であり、どんな”正しさ”を自分らしさとして選び取っていく、決断と責任だ。

 

 世間が正しいとするものをそのまま飲み干すことが、倫理の在り方ではない。
 沙季ちゃんの本質を射抜きつつその影に寄り添う、工藤准教授の振る舞いは語る。
 自分の中に生まれた思いが、生真面目な自分を守るための鎧を解き放って、より広い場所へ、より光と風の溢れる場所へと進み出してなお、愛しい影だと思えるのなら、それは間違いなく”正しい”のだと、工藤は語る。

 それは派手な格好すら母の生き方が間違っていないと証明するための、世界に対する挑戦である、親思いの真面目な”いい子”の水槽の奥へ、手を濡らす視線だ。
 沙季ちゃんが隠しておきたかったもの、自分でも気づいていないものを、哲学者の慧眼は鋭く見抜き、しかし弄ばず傷つけることもしない。
 それはとても大事な、あなただけの武器であり宝物なのだと、優しく抱きとめてくれる。

 

 この哲学者の歩み寄りは、軽率にその身体を悠太くんの前にさらして、突き放さず向き合ってくれた時沙季ちゃんが感じただろう、温かな手触りに似ている。
 工藤が見抜いたような甘えと弱さを、沙季ちゃんは確かに抱え込んでいて、抱きしめてもらう瞬間をずっと待ち望んでいる。
 間違いなく本質的に”いい子”なのに、世間一般が”いい子”とは認めない自分の本質を、あるがまま公平に認め、受け入れてもらうことを望み続けている。
 本当はお母さんにそれやってもらいたいんだけど、愛が濃すぎて距離が近すぎて、解けないほど関係拗れちゃってるのが可愛そうであり、人間らしくて好きでもあり。

 そして沙季ちゃんは愛した人に前のめりになりすぎてしまう自分の気性を、思い知っているからこそ他人行儀でぎこちない”妹”に自分を沈めて、悠太くんとの距離を保とうともしている。
 ならそうやってこんがらがった距離感は、光と風が入り込む場所で家族じゃない誰かと…それこそ初対面ながら遠慮がない賢者に、切開し整理してもらわなきゃ動き出さない。
 悠太くんが最後に語る、押し付けられた正しさとしての外部への開放より、もっと切実で有効で必然的な、自発的な他者との触れ合い。
 それを、沙季ちゃんはオープンキャンパスでちゃんと果たしたし、悠太くん自身もこのエピソード以前、幾度か体験している。

 本屋でバイトし、世間を少し知っていること。
 降って湧いた新しい家族を、他人の偏見ではなく自分の真実に照らして見つめること。
 色々メチャクチャな暴走ぶっこむ義妹との生活に、喜ばしい息吹を感じて関係を変えていったこと。
 それが正しいとされるから”しなければいけない”のではなく、してみたらより善い実りがあったので正しい”と思った”経験こそが、子ども達に生きるための真実を教えていく。
 そういう発見と決断の物語に、ダイレクトに”倫理”が接続されたの、個人的に大変面白く、嬉しかった。

 

 

 兄と妹という、名前のつく関係を外部に開いて照らしたエピソードの後、名前のつかない私達を描く最終回が来る。
 青少年が自分を、私達としてしかあり得ない私を探っていく歩みとして完璧で、素晴らしいと思います。
 一体何を見届けられるのか、何が描かれるとしても、12話続いた物語として嘘のないものを見届けられるでしょう。
 次回最終回、とても楽しみです。