イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ラブライブ! スーパースター!! 三期:第11話『スーパースター!!』感想ツイートまとめ

 生まれてきて良かったと、大げさではなく思えるような未来へと。
 希望の超新星が必然の連覇へとたどり着き、勝利の先にまだ続く夢に向かって羽ばたいていく、スパスタ三期第11話である。
 三期の物語、Liella!の三年間だけでなく、”ラブライブ!”の10年間全部を総括し寿ぐようなタイトル回収回&楽曲で、大変良かったです。

 

 かのんのウィーン訪問、三年生がたどり着いた場所、Liella!を継ぐ者たちの決断。
 そして「これが最後の大盤振る舞いじゃああッ!」とばかりに乱打される、公式からの女女関係の釣瓶打ちと、色んなことが起きるエピソードである。

 やはり眼目は決勝それ自体にはなく、競い合うべき”外部”がそもそもなかった三期のトーンを継承する形で、Liella!は連覇するべくして連覇する。
 ではエピソードの焦点はどこに在るかというと、これまたここまで描いていたとおりに、学校という聖域を離れてなお続いていく少女たちの夢、そこにたどり着くまでの歩み全てへの祝福を、改めて描き直すことだったと思う。
 クドかったりノイズが多かったり、「これが”ラブライブ!”だから」という言い訳を問いただし、投げ捨て、良いところは最大限に描き直して進んできたスーパースター。
 二年の準備期間を最大限に活かし、三期は特にそういう筆が強かったように感じる。

 スクールアイドルの”てっぺん”にたどり着いてしまった少女たちが、そこまでの歩みで確かに成し遂げた成長を裏切ることなく、どっしり構えて次代を育てる三年生の頼もしさ。
 あるいは自分たちが見つけた本当の愛を、言葉にし態度に表すことを一切ためらわなくなった、素直な幼さへの帰還。
 そういう三年の成熟を鏡として、未だ至らぬ自分たちを認めた上で、伝説を継ぎ新たな地平を開こうと頑張る、二年生達のクリエイティビティ。
 かたやツンデレかたや超クール、色々頑なな一年坊主達が、スクールアイドルを心から好きになるまでの歩み。
 そういうモノを丁寧に再整理し、描ききっていないものを洗い出し直し、三期はここまで来た。

 

 誰かと競い合うことで生まれる成長を、新たにLiella!の”外部”を設定するのではなく、二期においてその役をになっていたウィーン・マルガレーテを”内部”に取り入れていく歩みに重ねながら、11人となりたどり着いた高み。
 それは作中、何もない新設校に実績と誇りを生み出していく戦いの中、眩い友情と青春を確かに掴み取れた少女たちの実感を輝かせると同時に、その外側にあるラブライブ! 14年史においてコンテンツ自体が…あるいはその只中にいた僕らが、出会い始まり続いたからこそ手に入れたものを、総括し祝福するステージだったと感じた。
 観客として画面の向こう側、駆け抜けた日々は悪いもんじゃなかった。

 そう思わせてくれるパフォーマンスが、三度目のラブライブ!正伝が幕を閉じようとするこのタイミングに形になってくれたことには、とにかく感謝しかない。
 声優たちの現実でのライブも含め、二次元と三次元が呼応しながら独自のグルーヴを生み出し、物語を奏でていった、ラブライブ! の14年間。
 その一つの結実が、Aqours フィナーレライブとして結実しようとしている”今”だからこそ、舞い落ちる羽根を継いで自分たちの物語を羽ばたかせ、新たな未来へと手渡そうというLiella!最後のステージには、とても豊かな意味が宿ったと思えた。
 そう感じられる舞台を描ききれたのは、やはり三期自己批評の冴えがあると思う。

 

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 というわけでクリスマス決戦を見事に勝ち切り、Liella! の短い冬休み。
 上海ではクーカーに席を譲った形になったが、クゥすみだって永遠ですよ! とばかり、ドバドバ”原液”が溢れ出してくる。
 子供じみて素直になれないまま、衝突ばかりを繰り返してきた二人が、温かいカイロに思いやりを物質化して手渡し、それを素直に受け取って礼をいう関係にたどり着けている事実から、年が明けていくのは大変効く。
 ウケの良いネタだったんだろうけど、否定しがたい濁りもあったのを綺麗に蒸留し、関係性の精髄が静かにたゆたっている様子は、やはり良い。

 クゥすみがお互いの気持に素直でいる強さへたどり着いたのに対し、一年坊主は自分がうっかり口に出した愛を嵐部長に手玉に取られ、ツンデレ赤面で口ごもるという、可愛らしい未熟を見せる。
 思えばマルガレーテちゃんの素直になれなさを、結構長く引っ張って話の軸に使っていたのは、自分ひとりではどうにも動かない自分らしさの檻から、仲間とスクールアイドルやって解き放たれた連中の変化を、頼もしく際立たせるためだったのかなぁ、とも思う。
 姉妹仲良く連覇を祈る牛久の天使たちも、クロミツと戯れるきな子の笑顔も、冬空を跳ね返す暖かさとここまでの歩みへの感慨に満ちて、なかなか染みる。

 多幸感に満ちた年の瀬の情景は、今のLiella!がどれだけ充実しているか…約束された勝利を掴み取る資格がどれだけあるかを可視化する。
 まぁエモ一本で現実を揺るがしうるロマンティシズムこそが、ラブライブ! の本質だとは思うので、自分たちを縛っていた頑なさから解き放たれ、笑顔と愛に素直に向き合えるようになった少女たちのかんばせが、勝利へのパスポートになるのは納得できる。
 勝つか負けるかの構造が二期で既に決着ついてる中、それにしがみつくマルガレーテちゃんを解体・再構築することで進んできた三期が、最後に示せる勝利の意味。
 それは常に、スクールアイドルの人格的成長、関係性の充足に結びついてきた。

 

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 その中核にあるのが、多くの人を導くカリスマ一番星たる澁谷かのん…なんだけども、三期ずっとそうであったように今回の彼女も、けして神様ではない。
 マルガレーテちゃんに”姉”としての揺るがなさを見せる必要がなくなったからか、新天地に身を置く不安や寂しさを全開にして、ハワハワ情けなく背伸びし、故郷恋しさを遠ざけるように布団で結界を張る様子が、チャーミングに切り取られていく。
 二期で何でもかんでも解決できてしまう、万能で独善的な神様になりかけていたかのんちゃんを、人間的だからこそ魅力的な場所へ引き戻す三期でもあったなぁ、と思う。

 キャワイイ寝間着を晒しておいて、腕組みベジータ立ちでツンツンキャラを維持しようとするウィーン・マルガレーテがオモシロすぎるわけだが、かのんちゃんはこの期に及んで、ウィーンで迷う。
 ホームシックに引きずられ、異国の違和感に揺さぶられる姿は、これまで見せた先輩としての頼もしさを裏切るものではなく、むしろこの未熟を乗り越えてさらに成長できる可能性を、改めて照らしていると感じた。
 出会って始めて、続けて終わって、なお受け継いで進んでいく。
 そういう不断の音楽を奏で続けていくためには、完璧に完成された神様になってしまってはいけない。
 そういう描写だったかなと思う。

 

 ここら辺、一代でμ’sを終わりにし劇場版で衣だけを残したスクールアイドル概念へと己を昇華させた高坂穂乃果と、違う手触りの結論を打ち出してきてる感じもあって、オールドファンとしては結構感慨深い。
 無印劇場版が、ラストステージへ向かうあの美しいステップにしか刻み込めなかった、青春の終わり。
 それを三期全体に丁寧に分散し、掘り下げながら描いてきた物語は、進路に迷い未だ震える生身の澁谷かのんを、最終話一個前に描く。
 その等身大の弱さを、乗り越えられるだけの絆と思いでは既に彼女の中にあり、それこそが未来への扉を開けてくれる。

 神様にならなくっても、スクールアイドルでなくなっても、ラブライブは続いていく。
 そこには人間なら当たり前の迷いや弱さがまだまだあって、でもそれを乗り越えたんだと頑張って強がることで、自分の足で進んだからこその確かさを込めて、同じ道に迷う仲間に手渡せるモノがあった。

 三年一人一年二人、数を絞ってじっくりとトマカノーテの日々を積み重ねていくことで、かのんちゃんがどんだけ頑張って愛しい妹達が本当の自分を見つけ出し、解き放つ手助けをしようとしていたかにも、説得力が分厚く宿った。
 そんな頼もしい先輩も、自分自身の未来には思い悩み、しかし誇り高くこれまでの足取りに支えられながら、輝く未来へ進んでいく。
 そんな過去と現在、未成熟な可能性と眩しき達成が、錯綜する決戦前夜といえる。

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 三年の進路をかなりどっしり、具体的に削り出しているのもスパスタの特徴だと思うが、今回極めて物理的な具象を通じて、それを描いてきたのも印象的だった。
 ちぃちゃんの合格通知、クゥクゥの学校案内、すみれの名刺、恋の写真。
 少女たちの未来を指し示すマテリアルは、しかしただの物質では終わらず極めて象徴的な感慨を、見ている僕らに手渡してくる。
 それはあの子達が散々悩み、乗り越え、自分を掴み取ったからこそ手に入れた、それぞれのゴールだ。
 カラフルで多彩な卒業証書を掴み取った、最初の五人の姿は誇らしい。

 これらのモノを受け取る前の、少女たちの肖像がみなブッチギリで可愛かったのも、大変良かった。
 やっぱ女の子がめちゃんこ可愛いってのが、何より大事な”ラブライブ!”だからな…。
 寒さに震える生身の身体を、未来への扉が開いていくワクワクで温めながら、待ちきれず合格通知を待ってる嵐千砂都とか、青春最後のスケッチとしてあんまりにも完璧でしたからね…。
 一人写真に閉じ込められた過去を見ているようでいて、”結ぶ”という生き様を桜小路きな子に背負って貰い、自分自身を新たな未来へと前向きに飛び立たせていく、恋ちゃんも良かった。
 やっぱ盤上この一手だったなぁ、三期第10話…。

 

 

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 これら三年生の歩みと並走する形で、新たなLiella!を背負っていく二年生のクリエイティブとか、遂に愛を隠さなくなった冬毬のグイグイアプローチとか、色んなものが突き進んでいく。
 成熟し完成した(姿を、後輩に見せられるように頑張ってた)三年に追いすがる形で、未熟だからこそ必死に頑張る人間味を、二年の新たなテーマに据えたのは、三期偉かったと思います。
 これが楽曲作成の苦労とシンクロすることで、創作者集団としてのLiella! の顔を新たに照らすことも出来て、結構好きな味だったんだよな…。

 つーかトマーテっすよ!
 学校もないのに牛久からドンブラ電車に揺られて、昔の冬毬だっただら忌避してただろう”無駄”を告げるためだけに原宿に来て、マルガレーテにここにいて欲しい気持ちだけをぶつける真っ直ぐさは、第8話で最終的に体一つ、鼻水垂れ流しながら愛の弾頭と化した姉者に似ていて、つくづく染みるぜ…。
 この自分の真ん中に嘘をつかないスタイルにほだされて、マルガレーテちゃんも牛久に”無駄”の返礼していくのも含め、一年坊主共に人間通知表が手渡される回だったなぁ、て感じ。
 もちろん評価はオール5です。
 言うべきをスパッと告げるクールな愛、極めて冬毬らしくてラブリーね…。

 

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 11人それぞれの到達点を並走で描きながら、楽曲が完成しかのんちゃんが帰国するタイミングで、焦点は主役に絞られていく。
 寂しさに耐えかね手を伸ばそうとして、布団にくるまって遠ざけた携帯電話から、後輩が最高の曲を完成させてくれた便りが届くシーンは、三期の澁谷かのんを象徴してて良かった。
 心乱れたとしても、あえて遠ざけ我慢する。
 信じて待つ強さを、最高学年になったかつてのヤサグレが成し遂げたからこそ、マルグレーテちゃんもコンプレックスを尖らせるのを止め、愛に素直になっていったのだ。

 一期序盤では鳴らせないギターの孤独が切なく印象的だったわけだが、今の澁谷かのんはじっと鳴るべき時を待ち、”今”が扉を開けたら迷わず自分の思いを歌に出来る。
 その率直さは、親友が未来を掴み取った時にお手々掴んでぴょんぴょん跳ねる(宇宙一可愛い)仕草にも現れているが、同時に彼女の心にはヤサグレ時代のレンズがまだ歪んでいて、雨が降り続いている。
 晴れやかな虹の中で、未来と歌を信じて微笑む少女を、まだ澁谷かのんは遠巻きに見ている。
 その冷たく寂しい心象もまた、彼女の中に確かにあって、この物語を構成する大事な音符であったのだと、Liella!最後のラブライブを描く今回は刻み込む。

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 そういう主役の そういう主役の臨界点へ踏み出す前に、描くぜぇ…女たちがたどり着いた美しい景色をなッ!
 ホントラストスージ前怒涛の女女ラッシュは、脳髄の八割をぶっ飛ばされるほどの衝撃力があり、「オフィシャルが本腰入れたパンチはマジスゲーな!」という気分になった。
 覆うものの何も無い開けた構図で、過去に執着し一人で己を証明することより、どんどん好きになっていった人とLiella! の未来を選び取ったマルグレーテの成長を見せてくれるの、マジ良い。
 冬毬の原宿訪問と共鳴することで、濃厚な返応関係が一話で成立してるのが強いわ。

 四季メイ始まりの場所である科学準備室で、とびきり湿った空気で同じ思いを確かめ合うシーンの迫力もすごかったし、生徒会室で大事なものを手渡しあえる生徒会長コンビの絆を、清廉に描いてくれたのもありがたい。
 つーか良く間に合わせたよ…取りこぼしなく全てを描ききるために必要な、最後のピースをさ…。
 ぶっちゃけ先々週まで、こんなに残念なく葉月恋と桜小路きな子のフィナーレを見送れるとは欠片も思っていなかったので、欲しかったことやってくれてマジありがとうって気持ちだ。
 たった一話、たった1シーンあれば、全部がひっくり返っちゃうのはアニメの怖いところであり、面白いところでもあるなぁ…。

 そしてクゥすみ冬の青春全力疾走ですよ…。
 喧嘩するほど仲が良い、反発が生み出す大きなパワーを”味”にしてきたこの二人が、三期ではあんまガキっぽい当てこすりを止め、「クゥクゥを救うわよ! どこにでも行ってやるわ!」だの「私は好きですよ、グソクムシ」だの…。
  『思いを素直に伝えられる、幼くもみえる成熟』つうのは、三期の結構でかいテーマだったと思うけども、チャーミングな秘密を最後に残しつつ、これまでの自分たちに支えられ、これからの自分たちへと息切らせて疾走る二人は、それを力強く背負ってくれた。
 捻くれ者たちがたどり着いたゴールとして、めちゃくちゃ良かったと思います。

 

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 かくしてたどり着いた二度目の決戦場、風が渦を巻き光が溢れる決戦を前に、かのん母とサニパさんが既に青春を終えた立場から、寂寥と羨望の入り混じった視線を眩いステージに投げる。
 ここで大人の視線を入れてきたのは、この瞬間を駆け抜けてしまえば(既に示唆され描写されているように)三年生は定めた進路へと進み出し、彼女たちと同じ不帰点へとたどり着いてしまうからなのだと思う。
 悠奈さんが少し寂しいフォームで突き出す「ぱ!」は、もはやスクールアイドルだけに宿る魔法を持っていない、観客席の戯れだ。

 眩く”今”に挑むものだけが宿す瞳の輝き、眩しい光は今の二人…キッチンで自分の仕事を頑張る母には遠くて、だからこそ眩しくて、多分Liella!の五人もこの瞬間を超えれば、同じ温度で見つめることになる。

 

 しかしそれは、今ではない。
 流れていく時間の連続性と、それ故宿る変化の兆しを3年分積み上げてきた物語は、学校という聖域を越え学生時代という枠を飛び越え、形を変えて新たに始まる音楽を生み出していく。
 そのためには決意と野心に燃えた瞳で、吹く風に高く頂きを見上げ挑む瞬間が必要で、そこに幾度も挑んだからこそ、11人それぞれの色で輝く光が、少女たちを照らしてもいる。

 俺は二期でのサニパさんの扱いにマジギレ勢なので、ここでの再登場に色々複雑な思いはありつつ、敗残に終わった己の夢の名残を、Liella!に託し見届けようとするサニパさんを描いてくれて、とても嬉しく思っている。
 彼女たちの”今”がどんな色であるかは、脇役でしかない以上想像するしかないわけだが、Liella! がこれから描く最後の歌を受け取って、自分たちの忘れ物を掴み取って羽ばたいて欲しいなと、見ながら感じた。
 かのん母からの優しくも少し寂しさを孕んだ視線と合わせて、スクールアイドルの終焉に何かを見出す側の描写が普段より深いの、三期が「終わったその先」を描き続けたからこそだと思います。

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 すべてが結実するこの瞬間、もはや地区予選の時のように何かを言葉にする必要もないと、満ち足りた沈黙が舞台裏を満たそうとする、その時。
 澁谷かのんは己の心象に潜り、幼い自分と対峙する。
 そこに、世界を歪ませるレンズはもはや無く、降りしきる雨を虹色の光が覆い、ひたすらに私の、貴方の、みんなの歌を生み出そうとする真っ直ぐな思いだけが降り注いでいる。

 全てが終わりに到達し、完璧な答えが出て時間が静止するような、特別な瞬間。
 しかしその只中にいても、ゆっくりと雨粒は降りて水面に波紋は描かれている。
 時は止まらない。

 それはたった一度の伝説で全てをお終いにすることを選び、それゆえに伝説となったかつての物語を越えて、終わった先にもなお続いていく物語を”今”描こうとする、”ラブライブ!”自体の心象でもあったのだと思う。
 μ’sが終わっても、Aqoursがその物語を駆け抜けても、様々な媒体で様々なラブライブ!が描かれ、続いていった。
 一回性の奇跡で終わらず、”ラブライブ!”とは一体何なのか、メディアや演者や舞台が異なる数多の物語を通じて問い直し、描き直し、形作ってきた試みが、止まらず流れてきたからこそ、この”今”と、そこから続いていく新たな”ラブライブ!”がある。

 

 スクールアイドルでなくなっても、11人の(あるいは5人の、もしくは9人の)Liella!という形が変わっていっても、変わらず続いていくものが確かにあるのだと、それを自分が間違いなく虹色の奇跡の中で掴み取ったのだと思えたから、かのんの心の中に降る雨は止まず、しかしそれに濡れてる曇り空より、眩しい光が自分の真実を告げているのだと、思えるようになった。
 神話になるほどの美しい終わりを越えて、等身大の自分のまま、奇跡を抱きしめて進み続ける。
 そういう場所へと、一度はやさぐれきって歩みを止めようとした、カリスマに溢れつつ情けなくて人間臭い女の子は、ようやくたどり着いた。

 そこにはかのんちゃん自身がいて、心を繋いだ仲間がいて、進み出す先に自分を待つ数多の人がいる。
 自分の輪郭を掴むためには、誰かが放つ光を反射させる必要があって、私だけの閉じた歌ではなく、それをあなたの歌と混ぜ合わせて、みんなの歌にしていく一歩一歩が、11人を照らす光を”今”連れてきた。
 Song for me, Song for you, Song for all.
 幾度も聴いてきて、これが最後になる澁谷かのんの声が、どんな意味を持っているのか。
 改めて教えてくれる最後の舞台裏で、大変良かった。
 かのんちゃん自身、その意味を噛み締めながら吠えてるのだと伝わるのが、いっとう素晴らしい。

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 というわけで三年越しのタイトル回収、全ての総決算たる”スーパースター!!”である。
 11色の個性をシルエットで照らすスタートから、美しい泡に閉じ込められたソロが折り重なって歌になっていく構成…そこから解き放たれ、風の中に羽ばたいていくサビ入りまでまさに万感であるが、過去形と現在形を織り交ぜ、そしていまだ定まらぬ不定形の可能性へと言葉を投げかける歌詞が、とにかく深く刺さる。
 可能性を信じて駆け出し、自分を未来に押し出す風へと身を委ねてたどり着いた、この終局。
 それが全ての始まりでもあると、心から信じる物語。

 アイドルとして可憐にして強烈なファンサービスを、自分の中から溢れる嘘のない”今”を歌と踊りに込めて届けていく、スクールアイドルの全部がこのステージにはあって、猛烈に心を揺さぶられる。
 かつて感じた風に身を任せ、かすかな輝きを皆で高め合いながら、たどり着いてしまった”今”がどれだけ幸せなのかを、少女たちは笑顔で綴っていく。
 それは終わっていく季節へのポップな挽歌であり、迷いや衝突も含めて、ここに至るまでの全ての歩みが光り輝いているが故の、やり遂げた喜びに満ちてる。
 ここで、11人のLiella!は終わる。
 終わらせるべく、全力で駆けてきたのだ。

 

 そのために、三期第9話で「出来ない側」だと示されたきな子と夏美を含む、二年生が最後のアンサーとして紡ぎ上げた歌は、自分も含めた皆がスーパースターなのだと、堂々叫ぶ。
 自分たちがそんな完璧なもんじゃないということは、曲を作る過程でも解っていたと思うけど、Liella!と結ヶ丘の未来を託し巣立っていく先輩への決意表明として、あるいは間違いなく、未熟で情けない自分の”今”をこそ人生の輝きだと思える気持ちを刻んで、あの子達は自分こそがこの物語の主人公であり、燦然と輝くスーパースターだと告げた。
 それは強がりで、嘘で、でもそれを掲げて必死に走ればこそ、本当になっていく夢でもあろうだろう。

 笑顔で跳ね回る11人はみな楽しそうで、楽しいだけじゃなく試されるものであっても…あるいはだからこそ、これが自分たちの青春なんだと胸を張って告げれる面白さが、スクールアイドル活動にあったことを全身全霊で証明している。
 それはLiella!の三年間を総括すると同時に、三期が極めて計画的かつ情熱的に再整備し、削り出し直して示した”ラブライブ!”の良さを、楽曲に込めて描いてくれていると感じた。
 このアニメは、やっぱり楽しいアニメだった。
 限られた時間の中、自分たちの全部をステージに託して何かを描こうとする物語は、僕らに何かを手渡してくれた。

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 ならば”スーパースター!!”が語りかける、主人公たるべき”僕”はこのうたを作り上げ演じきるLiella!だけでなく、そんな彼女たちに命を吹き込んだ作者たちであり、それを受け取って面白くもない人生をなんとか生き延びてこれた、画面の向こうの僕らでもあるのだと、俺は夢見る。
 そうやって綴られる物語は、過去への感謝と寂寥、”今”弾ける喜びへの笑顔と、それらがあればこそ生まれていく未来への眼差しに満ちている。
 楽曲が終わるそのタイミングで、切り取られる”Love Live!”と”Liella!”の輝きが、捉えるものは大きく広い。

 その真中で高く手を掲げ、この物語を始め走りきった主人公は、太陽の色に輝いてとても眩しい。
 色んな人を引き寄せ巻き込み、豊かに綴ってきたお話だったけど。
 やっぱ澁谷かのんという超新星が、雨に濡れた弱々しさと必死に戦いながら、お節介にすぎる優しさの使い道を探しながら、歌という己の夢を必死に追い求め、一番高い場所まで走りきってくれたからこそ、このお話は面白かった。
 そう感じ取れる、かのんちゃんセンター曲で大変良かったです。
 マルの面倒をめっちゃ見続けた三期の頼もしさが、そこに宿る人間の体温が、澁谷かのんが好きな自分を思い出せてくれたのは、本当に感謝しかない。

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 かくして、Liella!は約束された勝利へと全力でひた走り、最後の栄光を掴み取る。
 三期どっしり、白紙の新設校が”てっぺん”二回掴むまでを追いかけてきたスパスタの語り口は、学校とスクールアイドルがどういう結びつきを得るのか、新しい描き方できていたなぁと改めて思う。
 そらー全校生徒が誇りに思うわなぁという勝ちっぷり、何にもないところに奇跡を積み上げっぷりであり、ここら辺は三年どっしりやればこその手応え。
 廃校というマイナスをプラスに変えていく物語を打ち捨て、ゼロから自分たちがプラスを生み出す造りを選んだのが効いてる感じ。

 連覇の奇跡を誇らしく喜ぶ生徒たちの上に、残酷に冷徹に優しく輝く”卒業”の二文字を、嫌ってほど強調して物語は最終話へと続く。
 この長いクローズアップに込められた「Liella!とラブライブ! を好きでいてくれたみんな! 次回は俺達と一緒に死のうッッ!!!!」という、猛烈な殺意が、未練を振りちぎって終わりへと飛び込むハラ固めさせてくれて、結構嬉しかった。
 始まったからこそ終わる歌があり、終わればこそ続いていく物語があることは、今回”スーパースター!!”がしっかり教えてくれたので、かのんちゃんたちがたどり着いたゴールを、微笑みながら見守りたいと思います。
 めでたい席じゃ、泣くな笑えッ!

 

 そんな感傷を引きちぎりって、かのんちゃんが三年間スクールアイドルやってどこにたどり着いたか、最後に示すのがやっぱ染みる。
 それは始まりの景色と同じ色、同じ言葉で、しかし実際”てっぺん”掴み取り、仲間に支えられ後輩の背中を支えた日々に彩られてみると、全く違う響きを宿す。

 ここまでの全てがあったから、戻ってこれた原点。
 幼い自分が心から信じた夢を、成し遂げこれからも続いていくのだと、心の底から思える喜びが、確かに少女たちの青春にはあった。
 そんな確証を分厚く与えてくれる、最高の最終話一個前でした。
 やっぱこんだけ、取りこぼしなく描ききってくれると、ありがたさしかねぇな…。

 

 

 

 

 

画像は”ラブライブ! スーパースター!! 三期”第11話より引用

 そして万感の画竜に寂寥の点睛を追加する、三年生五人による”リエラのうた”。
 雪景色に秘めたる寂しさを綴りつつ、”リエラのうた”らしい妖精さん感満載で穏やかに進んでいく景色が、フッと彼女たちが去った世界を切り取って、否応なく迫る終わりを意識させる。
 笑顔の五人が飛び出しての”またね!”に救われた気にもなったが、それは優しい嘘である。

 Liella!は終わる。
 ちゃんと終わらせるために、この三期は色んな工夫と愛を撚り合わせて、素晴らしい物語を編んでくれた。
 それを見届ける。
 次回最終回、とても楽しみだ。