イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

BanG Dream! Ave Mujica:第8話『Belua multorum es capitums.』感想ツイートまとめ

 人形たちのお芝居は、人間になりたかった少女たちの物語が美しく幕を閉じてからが本番。
 まだ終わってないッ!
 衝撃の睦真実が顕になり、秘めたる面白ポテンシャルを開放した海鈴が策謀する、Ave Mujicaアニメ第8話である。

 

 いやー…あの”春日影”の後にこの流れとは、ヤラれたね…つうのが正直な感想であるが、あのとき睦だけモノローグやってなかった時点で、ある意味正直に今回の犯行は予告されてた訳だ。
 初代CRYCHIC怪人・長崎そよが他でもないモーティスを背負う形で前に進みだした後に、二代目CRYCHIC怪人・若葉睦が起こり得ない復活に縛られ、後ろ向きに進み出す。 「何でもする」とそよが縋り付いた時、冷たく人間一個の重たさを叩きつけた祥子自身が、親友一人既にぶっ壊れていた事実をどう背負えばいいのか、思い悩む輪廻。

 そこに滑り込む、美しき嫉心の獣…八幡海鈴。
 オモシロすぎるヤケ買いと、キツいジンジャーエール飲み干さなきゃやってらんない己の原点なども吐露しつつ、なりふり構わず再結成に向けて突っ走る姿は、ヤバいんだが面白く、ヤバいからこそ面白い。
 スカしたビジネス顔を投げ捨てたハチャメチャ女が、遂にAve Mujica第二章のエンジンを入れたこの後、話がどこに転がっていくのか。
 マジサッパリ読めなくて、狂ったように面白ぇ。

 

 …と気軽に構えてられるのも、”笑い”ってのが気分を軽くしてくれてる部分は大きくて。
 ワーワー騒いで空回りするモーティスの必死さも、本気になったらとたんに愉快になった海鈴も、病み方ヤバさはこれまでと実はあんま変わんないのに、笑えるようにトーンが変わっている。
 睦以外のCRYCHICが、青春の葬式をしっかりやって前に…あるいは少し大人になる方に自分を動かし得たから、きっと何かが上手くいくのだと信じれるのも、笑ってる場合な雰囲気を助けている。
 そういう仲間に置き去りにされるというか、こっちが勝手に光属性だと思い込んでいた睦の闇が、ニュルッと出てきてる状況でもあるけど。

 心に素直に、仲間を頼る。
 極めて”バンドリ”的な解決策がなんだかんだ、激ヤバ青春迷走ユニットにおいても有効であると、前回示してくれたおかげで、なーんも始まってないし終わってもいないAve Mujicaの懲りない面々が、どっかに行けそうな展望は開けてる…と、個人的には感じている。

 

 そういう解決法を掴み取るための成熟や信頼や率直が、軒並み欠けて繋がってない状況で、海鈴はモーティスよりも人形的に、人間のマネをして信頼を…自分の居場所を取り戻そうとしている。
 祥子に捧げられた 「人間になりたい歌」を隣で聴いて、勝手に歯噛みしたのはやっぱ、人間モドキな自分がそこに反射したからなのだろう。

 あのクール女の仮面を引っ剥がし、ホントはAve Mujica続けたかった本音を引っ張り出すのだから、やっぱ高松燈の詩才はスゲーな…って話なんだが。
 海鈴が欲しいのはCRYCHICでもMy Go!!!!!でもなく、ましてやディスラプションでもなくAve Mujicaなので、砕け散った…というかそもそも在ったか怪しい絆を不器用に寄せ集めて、問題山積の激ヤバ人間未満が、もう一度集まれる場所を貪欲に求めていく。
 その飾りのない邁進は、アホでバカでヤバいからこそ、不思議と応援したくなる。
 でもモーティスはホント赤ちゃんだから、便利に使ったり勝手なこと吹き込むのはヤメてね!

 

 祥子がカラオケ屋で眼にしたAve Mujicaの痕跡にしても、モーティスを殺そうとする睦にしても、Ave Mujica第二章の軸足は『生み出してしまったモノへの責任』な感じがある。
 自分が生んでおいて、惨めになるから遠ざけたみなみちゃんの敗残を見ると「逃げるな卑怯者! 紗夜さんは逃げなかった、天才の妹にプライドを食いちぎられても戦った!」と、バンドリ炭治郎に思わずなってしまうわけだが。
 親がケアしねーならガキが自力で生き延びていくしか無いわけで、睦の才能に脳を焼かれているにゃむがどう引きずられていくかも含めて、終わってなかったバンドをどう再生し、あるいは壊していくのかは気になる。

 さきむつラブラブデートの空気をサイコホラーでぶっ壊され、親友が残酷な停滞に捕らわれている事実を密室で突きつけられた祥子も、自分が生み出してしまった傷をどう塞ぐか…あるいは切り開いてえぐるか、選ばなければいけない立場にある。
 誰かが操ってくれる人形ではなく、自分たちで動き出してしまった人間モドキとして、「人間になりたい」という不格好な切望に突き動かされ、行く所まで行くしか無いのだ。
 …ここら辺、そよがその重さを解らぬまま突きつけた「何でもする!」を、My Go!!!!!という居場所の発見、CRYCHICの再生と卒業、モーティスという幼子への愛でもって、実際体張って取り戻した歩みとも重なるな。

 

 Ave Mujica中盤はMy Go!!!!! の介入が目立ち、特に初華の存在感が消えているわけだが、(睦と違って)キレイに心残りを払って過去を見つめ直せた彼女たちは、自分たちの青春すごろく一回目をアガった感じがある。
 今後はそんな戦友に助けられつつ、青春迷子であることすら自覚してないボケカス人形どもが、自分たちなり歩み寄り、殴り合い、自分たちになっていく旅が始まるのだろう。

 そのスタートとして、まだ消えたくないモーティスの絶叫と、唸りを上げ燃え盛る海鈴の欲望が元気だったのは、良い号砲だったなと感じた。
 マトモでもキレイでもねーんだから、こういうリスタートが相応しいだろ!

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第8話より引用

 というわけで長く患ったCRYCHICが完治し、それぞれが涙ながら新たな道へと進みだした充足感を、一瞬だけ拾い上げてぶっ壊すAve Mujica第二章、開幕のエピソードである。
 祥子が生来の面倒見の良さ、暖かな優しさを取り戻して睦とラブラブなのめっちゃ良かったのに…全部前フリかよ!
 前回の感動を裏切られた感じがないでもないが、しかしモーティスの「死にたくない!」という絶叫は全く最もであるし、睦のケアだけに人生捧げる後ろ向きが、祥子に相応しいとも思えない。

 なんもかんも爆破して、焼け野原に己を立てる。
 そんなハチャメチャこそが、Ave Mujicaという生き方を世に解き放ってしまったオブリビオニスには相応しい。

 …っていうには、睦への愛に向き合うと決めた祥子は幸せそう過ぎて、「どーにかこのラブラブで行けなかったんですかッ!」と聞きたくはなる。
 祥子がたどり着いた幸福なる決別が、睦に響いてないからこそCRYCHIC再生を望んでいるわけで、ここは睦がさんざん嘆いた「ギターが歌ってない」って状況を、刃を逆向きに突きつけられた感じもある。
 愛していればこそ偽りの救済にまどろむのではなく、地獄の底まで一緒に降りて、仮面全部引っ剥がして痛みに満ちた答えを、掴み取るしかないのも解るのだ。

 

 CRYCHICを忘却するために始めたAve Mujicaは、見るも無惨な破綻を迎えた。
 涙ながらの”春日影”に終わらせることでCRYCHICをより善く忘れ、手放せばこそ永遠の思い出へと変じられた今、オブリビオニスでもある祥子はAve Mujicaを忘れたふりで遠ざけるのではなく、痛みを込めて思い出す…始め直す必要があるのだろう。

 そもそも一番大事なはずの親友がどんだけぶっ壊れているかも、解っていなかった祥子の前にモーティスが晒した真実は、彼女の戦いがまだまだ続くことを意味している。
 それでも、なお安らかな眠りから目覚め、人形を死から呼び覚ますべきなのか。
 ロックンロールを主題に選んだ物語は、当然”Yes”と答えている。

 高松燈の詩を、己の魂を代弁してくれる叫びだと涙したところから物語を始めた祥子は、戦い続ける定めにあるのだろう。
 それは他人を利用し小器用に生き抜く道ではなく、生来の気高さと優しさを手放さぬまま、襲い来る理不尽と痛みに叫び返す、厳しい道だ。
 それでもそういう気概が、忘却の人形バンドに刻まれていたからこそ、Ave Mujicaは一大センセーションを巻き起こしたのだと僕は思っている。
 気づけ祥子…お前が考えているより、お前の作り出す音は世間にも他人にも刺さってるって!!

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第8話より引用

 という激闘を未来に見据え、今は守るべきヒロインであり倒すべき魔王でもある睦の、影なる真実を暴くターンである。
 いやー…複数人格を主/副でわけて、「本当の睦」なるものが存在していると考えてた時点で、キレイに掌の上だったな…。
 生みの親すらビビる、天性の役者。
 何にでもなれ、だからこそ何者でもない空虚な怪物は、祥子への愛故にギターと出会い、壊れていってしまった…と、モーティスは語る。

 しかしギターに心震わされ、それで世界と繋がってみたいと、響かせてみたいと願った始原の欲求は、間違いなく”睦”のものだ。
 葬り去った人格モジュール達の残骸の上、唯一の”私”と選ばれたギターが弾ける睦は、自分の願いを叶えてくれなかったモーティスを否定し、消しにかかる。
 第4話ラストで衝撃的な覚醒を果たした怪物が、自分以上の怪物だったもう一人の自分に食われるというリフレインは、なかなか凶悪で良かった。

 しかしそれがただのホラーではないことを、人形の無表情から流れる涙が語ってもいる。
 現実世界を描かないからこそ、祥子が親友が演じる乖離劇にどんだけ衝撃を受け、傷を受けているのかが見えてくるのは、上手いなぁと思った。
 …いや許せねぇけどな、俺はこれ以上豊川祥子に哀しいこと起こってほしくないマンだから…。

 

 にゃむがみなみちゃんに生臭い親子真実を聞く場面と、祥子がモーティスと睦にぶっ壊れてた事実を突きつけられるのが、分割されながらも共鳴し同時進行していく構成。
 それはモーティスでもあり睦でもある存在の歪さと、確かにそこに生まれてしまった命の懸命さを、形式自体が支えている感じがして大変良かった。
 みなみちゃんが役者だからこその惨めさに、自分の胎から出てきた怪物を背負いきれないの、芸事の家に生まれたからこそ自分のギターが鳴ってないと切り捨てる睦によく似てて、怒ると同時に哀しかったな。
 これはにゃむが演技に本気だからこそ、睦が脳みそに刺さりっぱなしなのと重なる描写でもあろう。

 睦を苦境に追い込むAve Mujica最初の旅で、モーティスは睦を助けると同時に殺し、奪うと同時に守った。
 そこには自分だけの存在意義があり、生まれたからには死にたくない当然の願いがある。
 それはモーティスだけの炎ではなくて、嘘っぱちの仮面バンドにたしかに何かを求めていた、匿名無名仮名の少女たちにも燃えている。
 そういうモンがまだ燻ってるから、カラオケ屋の端末には歌が刻まれ、それを見てないから睦は「もういちど」を歌う。
 果たして来るべき復活は、夢の残骸をそのまま墓場から引っ張り出すことで成されるのか、それとも終わって間違えきってた自分たちから、新たに始めることなのか。
 答えは既に、三度の”春日影”で示されてもいるだろう。

 

 つーか見てる側の感情、あんなに引っ掻き回しておいて、「これは作品世界絶対唯一の真実! 過去は終わらせてこそ永遠となり、思い出は未来の中にしか無いんです!」って言わなきゃ”嘘”だろマジ…。

 幾度もリフレインしては裏切られる、”春日影”への強い感情をキャラクターと視聴者が共有しているの、祥子が投げ捨てては囚われる”忘却”の意味を、観客席の僕らもしっかり考えるよう、作品に請われてる感じがあって好きだ。
 俺達だって、Ave Mujicaを忘れられないのだ。
 …色んな意味で。

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第8話より引用

 というわけで、祥子が一旦立ち止まって睦のケアに奔走する中、復活の狼煙はこの女がブチ上げる!
 八幡海鈴…その片鱗は既に見せていたが、やっぱり面白い女過ぎた…。
 人間関係の視力が良いくせに、臆病だから「は?」で威圧して自分だけ殴れるポジションを探していた立希ちゃんが、他人の涙を見逃せない自分を思い知らされたステージを経て、ちったぁ自己開示と歩み寄りを見せる隣で、海鈴は家庭環境から過去のトラウマ、優しいお姉さんたちじゃ満足できない燃え盛る欲望まで、アケスケに見せてきた。
 良いぞ…取り澄ましたクールより、今は”そっち”だッ!

 いつもの自販機前、今まで海鈴が飲んでいた大人びたブラックが立希に渡り、「食べても太らない」と嘯いてたくせにバキバキカロリー管理してる素顔を、海鈴も見せてくる。
 ぽっちゃりママンの遺伝子を継ぎ、油断したらいつスラッとしたスタイルが破綻するか分かんねーから、平然を装っても気にかけている体型維持。
 かつてにゃむがホテルでフニャフニャになりつつ、家族と語らう中自分のハラ見せてくれたのと同じ流れが、自分の欲望とどう向き合ったものか、サッパリ分かんねぇ人間未満に燃え盛る。
 やっぱ”面白い”って、暴力的に正義だな…このBパートで、どんどん海鈴が好きになっちゃうもんな…。

 

 ディスラプションのお姉さん達が冗談まじり、海鈴に寄せてるラブコールってマジ本物だと思うんだけど、かつてティモリスだった女の欲望はそこには…哀しいけどない。
 そこじゃないといけないものが、確かに”そこ”にあったのだと、カケラもプロらしくない高松燈のド内輪シャウトに教えられて以来、海鈴はようやく自分に素直になった。
 そこでいい塩梅にブレーキを使いこなし、他人の願いと衝突することない平和な道を進めやしない所が、彼女もまた「人間になりたい」未熟で歪で、愛しい存在だと語っている。
 お前もバンドやるしか道がないアホだと解って、俺はすっごく安心したよ!
 やっぱバカしかいない話のほうが面白いからな!

 そういう青春スカラムーシュに奔走しつつ、海鈴がアイデンティティを凝集した楽器を預けるのは、やっぱ立希である。
 痛い目見た原始の記憶が疼き、リスクヘッジを兼ねて誰にも心を預けずクールでいようとした過去から、決別する時ベースが自分を縛る。
 ならば一番信頼したい相手に預けたい…つうのは納得の心の動きだが、ここで立希にそれを預ける意味も、必要な自己開示もやれてないのが、人間一年生過ぎてウケる。
 ようやっと睦への愛に素直に向き合えたと思ったら、当人のひずみに巻き込まれて迷い道くねくねなバンドリーダーと同じく、海鈴の青春も順風満帆真っ直ぐゴー! とはいかない。
 だからこそ、集うべくして集うのだ。

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第8話より引用

 「にしたって、オモシロにもほどがあるだろこの合流!」という感じの、街にそびえる欲望の城、ティモリスことマジンガーY鬼の爆買い&ジンジャーエールヤケ飲みの儀である。
 ポテンシャルは感じていたが、燈によって火を入れられたらこんだけフルスロットルになるとは…恐るべし八幡海鈴。

 みなみちゃんから真実告げられ、結構しょんぼりしてたにゃむもこのトンチキには思わず反応、なんだかんだ弟妹ポジションの娘を見放しておけない気性が「けぷってなるよ!」に見え隠れ。
 こんだけ笑えると、なんか明るい再結成を信じていい気分になってきたぞ!

 

 とまぁユーモアの胞衣に包んではいるものの、ホテルでバカデカタピオカヤケ飲みしてたにゃむちと同じく、海鈴のジンジャーエールはアルコールの代用品、ストレスを流し込むための薬理であり。
 今回のヤケ買いが財布にきっちりダメージ与えてる描写もそうだが、高一でバリバリルッキズム産業の真ん中に飛び込んでるにゃむと合わせて、今っぽく生っぽい、だからこそ笑えないネタを敏感に盛り込みつつ、ギリギリ洒落になる可愛げでお出しする毒気の操作が、Ave Mujicaからは匂う。

 外面取り繕って上手く世の中渡って、顔造って金使って、溜まったストレスは酩酊で喉の奥への押し流す。
 若いからこそ直面する過剰なストレスと、踊りきらなきゃ死ぬだけな時代の空気を、結構意欲的に取り込んでいる作品だなと感じている。
 愛音のAnonymousな満たされなさ、そよの取り繕った外面の良さと、Ave Mujicaの外でも仮面被った子たちが既にいて、祥子の生み出した嘘が時代を捉えたのも、そういう空気を掴み取った結果…なのかもしれない。

 まぁ「仮面付けたお人形」でくくるには、Ave Mujicaのメンバーは自由過ぎアク強すぎロックやるしか道なさすぎだけども…。
 そういうトガリと鬱屈の両立、かなり精妙なバランス感覚を要求されるネタだと思うけど、上手いことやってるよね現状。

 

 最初は事務所のゲートに引っかかっていたにゃむも、海鈴が自分のハラ見せて原点を語る中、同じテーブルに腰掛けて結構腹割った話が出来るようになる。
 にゃむが抱えた野心も怯懦も、芸能界を生き延びたムジナにはバレバレだったように、海鈴が安全圏で責任から逃げていた姿も、一応仲間だった女には透けていた。
 というか始まりの時、ホテルのロビーで祥子のペラい服を見抜いたように、にゃむはそういうセンサーがかなり鋭いのだろう。
 そんな天性は、相手を殺せる急所を探るのにも、お互いの心臓を掴み合って一緒に進んでいくのにも使える。
 どっちに転がるか決めかねて、にゃむは再結成の条件に睦との再会を願った。

 ここもヘラヘラ軽い感じなのに、『逢いたい』という不定形の気持ちがメラり燃えてるのを隠せてなくて、「まだまだ”ある”な…むつにゃむ…」という気持ちだった。
 睦がCRYCHICしか見ていない今だからこそ、”Ave Mujicaの若葉睦”に猛烈に脳髄焼かれてるにゃむの存在はかなり刺さると思ってて、望まず生み出してしまった奇跡が未だ誰かにぶっ刺さってるのは、みんな同じだねって感じ。
 自分以外はどうでもよし、誰かの幸せは私の無関心。
 そう思い込んで巧く生きようとしてんのに、そうさせてくれない烈しい光が色んなところに瞬いている場所を、少女たちは突き進んでいく。

 

 これは立希が迷ってアガったところなんだが、誰か特別な一人さえいてくれえれば己が満たされると、純愛と狭量が癒着したせせこましい愛を救いと思い込んでたら、横合いから訳わかんねぇのにぶん殴られて揺さぶられちまう描写が、このお話はかなり多い。
 その対象が他人か自分かは横において、自分が想定してるよりクールになりきれず、他人を利用して/すがって/依存して安楽を求める道は、他でもない自分自身の感受性に揺さぶられ、影響され乱されていく。
 海鈴がAve Mujicaに必死になってる自分を見つけたのも、全く持って自分のスタイルと噛み合わない燈の叫びを胸に受けたからだし、にゃむも睦が刺さり続けている。

 それが美しい利他の純白ではなく、手前勝手な欲と祈りのアマルガムである所が、このお話の正直なところである。
 My Go!!!!! でいうなら、愛音が都合よく充実した生活を求めて燈に伸ばした手が、巡り巡ってそよに利用されそよの手を掴み返し、「もういちどMy Go!!!!!」した後「もういちどCRYCHIC」することにもなった。
 あんだけツンツン、自分を救ってくれた燈だけに気持ちを向けてた立希ちゃんも、そよが万感の涙を流せば己も泣き、睦が謝れば前のめり食い気味に自分も「悪かった!」しちゃう自分を、迷い道の先に見出した。
 それで今回冒頭、あのスッキリした自己開示と謝罪に至るわけだ。

 この意地悪に身勝手に閉じきれない、良くも悪くも感受性豊かな少女群像の中で、海鈴やにゃむがどういう自分を掴み取っていくかは、波乱万丈な物語今後のお楽しみである。
 しかしまー、こんだけオモシロイと描かれちまった女たちが、面白くもねー我欲に突っ走って他人に震えない冷感症だったら、これまた”嘘”ってもんだろう。
 いい塩梅に自己開示もしてきてるので、海鈴の下手っぴ欲望街道の行き着く先が彼女なり優しくて、狙わずとも誰かの幸せに繋がってくれていたほうが、僕は面白いなと感じる。
 まぁそういう結果にたどり着いても、”いい子”なんかにならないでいい話だってのが、長崎そよの顛末から感じられるから言えんだけど。

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第8話より引用

 そんなそよママ、三日三晩の献身を完全に忘れたかのように、構ってくれる新しい女にコロッとイカれちまうモーティス・ザ・ベイビー!
 可愛いやつだよ本当に…身勝手でアホだけど、素直で必死だもんな。

 初めて自分を構ってくれたそよお姉ちゃんは、抱っこもおんぶもしてくれたから甘えてみたが、海鈴は他人に優しくするのがヘタクソなので、チョロく転がってはくれない。
 そういう相手と付き合う中で、また新しい自分と出会うこともあるだろう。

 

 口、眼、唇。
 海鈴が問われる”信頼”が、分割され統一性を持たない現状を、パーツだけを切り取るカメラワークが語る。

 相手の一部分しか求めない身勝手、そこに反射するエゴと欲望ばかり見ている視野の狭さを、モーティスはカラオケボックスの中で指弾していた。
 死にたくないし、愛に答えてほしいし、自分を見て欲しい。
 モーティスの幼い素直さは、何かと自分を隠し見誤ってる連中ばかりのこの物語で、もはや一つの救いである。

 同時にその無垢さもまた極めて身勝手で、モーティスだって他人のこと全然見れてない…つうか一番ガキなんだからそういう成熟と縁遠いことも、また描かれている。
 みんな勝手に突っ走って、好き勝手に吠えて、どっかで引っかかってぶつかり合うこの塩梅が、僕はかなり好きだ。
 嘘ついてない感じがあるし、”子ども”ってのを幻想ではなく現実として、ちゃんと見ようとしてる気配を感じる。

 

 思いを汲み取られず、結果だけで判断されて拒まれる。
 睦がモーティスに突きつけた拒絶は、かつて睦が消えてしまいほどに辛く感じた祥子とのすれ違いを、そのまま再演している感じがある。
 ここで「やられて辛かったことやっちゃったな…やって欲しかったことやろう」と思える魂は、散々好き勝手暴れまくった後、痛い目見た後にしかやってこないことは、長崎そよの歴編を見ていればよく分かる。

 ”ママのママ”を演じつつ、一番抱きしめてもらいたかった女だからこそ、目の前でイカれ狂うガキに向き合い、扉の外へ連れ出そうと試みれた。
 あんだけCRYCHICに縛られていたからこそ、忘れなくて良いのだと思えた。
 そういう青春すごろくとりあえずの”アガリ”は、モーティスにも睦にも海鈴にもまだまだ遠い。

 だから必要な途中経過として…あるいはそれ自体アホみたいに魅力的な一つの物語として、身勝手でイカれてやりたい放題な、彼女たちの迷い道はしっかり見届けたい。
 みーんな他人の顔なんか見れず、唯一見れる所まで自分を引っ張り上げてきた祥子の優しさも、睦には響ききらず涙に変わる。
 でもその先に、やっぱあるはずなんだよキラキラとドキドキがさぁ!!
 そこら辺の期待感を、とびっきりのユーモアに混じえてしっかり高めてくれる、Ave Mujica第二章の始まりでした。
 みんな、頑張っていこうッ!!

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第8話より引用

 …っていう欲動の渦から、初華だけが遠ざけられて、ずーっと狭い場所でたった一人を見続けている。
 「あなただけいれば良い」と嘯きつつ、浮気性な欲張りさんばっかが在るこの物語において、初華はずーっと祥子を見続けている。

 海鈴の召集令状が”Ave Mujica”を告げているのに、初華だけはCRYCHIC…の中にある祥子の名残を追いかけ続けて、ずーっとその残響を見つめ続けているのが、健気で怖くて可愛らしい。
 My Go!!!!! の手を離れて、Ave Mujicaの物語が回り始めたここから、彼女は何を刻むか。
 楽しみだ、

 

 でもなぁ…俺は燈が一番辛くて一番独りだった時、一緒にプラネタリウムで星を見て言葉をくれた初華のこと、ずっと覚えていて。
 祥子に一途な愛の狂気もあの子の否定し難き顔なんだろうけど、別にペルソナが一枚だけなんて限定された話でもないし、むしろ数多の仮面を人間必ず抱えているもんだという複層性で、話は回っている気がする。

 マナちゃんとの関係も、「一度生み出されてしまったものには、責任を果たさなければいけない」つう基本ルールが見えてきた今、Ave Mujica…つうか祥子に帰還してハッピエンドたぁいかないだろうし。
 恐らく意図して、初華はどういう人間か見えきらない伏せ札として描かれているように感じるので、その奥に何を燃やしてるか暴く過程で、超いい子なマナちゃんのことどう思ってるのか、ちゃんと示して欲しい。
 たった一つを選ぶ残酷な一途と、それでも勝手に自分に焦がれてくる思いに応える誠実は、同居する(させる)作風に思えるしなぁ…。

 

 海鈴が燃やす欲望が引力を強め、かつてAve Mujicaだった少女たちがお互い惹かれ合う中で、三角初華はどういう顔を見せてくれるのか。
 その眩さが、女たちのどんな顔を照らすのか。
 ギラついた愛と欲望の乱反射、ドンドン加速して行き着く先は。
 次回もとっても楽しみです!!