イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

光が死んだ夏:第1話『代替品』感想ツイートまとめ

 光が死んだ夏 第1話を見る。
 因習村ホラーとスワンプマンと真夏のボーイズ・ラブを混ぜ合わせて、”嫌”を山盛り振りかけたような、大変いい感じの第1話であった。

 ”夜のクラゲは泳げない”で鮮烈なカムバックを果たした、竹下監督のセンスが辺鄙な村の閉塞感、唐突に大事な人を奪われた少年の苦しさ、それが異質な存在となって戻ってきてしまった救いと違和感に滲んで、独自の空気を作り出している。
 大変いい感じの地獄絵図で、続きがとても楽しみになった。

 

 ヨシキとヒカルの間で完結しているなら、傷も歪さも小さな檻の中受け入れられる幸せな関係で収まるだろうけど、彼らの外に世界は広がってしまっていて、あるいは中を侵食していく。
 死によって未達のまま終わってしまった関係の代用品として、人間を模造するバケモノとの奇妙な絆に甘えるヨシキと、その残酷さに気づかないまま極めて無垢に、手に入れた生の実感を静かに謳歌し…村の粘ついた平穏を壊す異物になるしかないヒカル。
 彼らの青春を静かに見守ってくれない、残酷で性急な世界が少年たちの背中に追いついてしまうところで、赤く物語は終わった。

 その破綻は光が死んだ時にもう果たされていて、しかし不可思議で不気味な宿命が模造品による延長を可能にして、壊れ物なモラトリアムは犠牲を増やしつつ、どうやら続いていってしまうようだ。
 村の外に出たい/光との関係に名前をつけたい/傷つきながら差期に進みたい自分と、粘性の膜に包まれどこにも出ていきたくない/模造品によるモラトリアムを続けたい/バケモノを友だちとして受け入れたい自分の境目で、ヨシキは揺れ動き、傷ついているように見える。

 そんな彼の隣で、ヒカルは世界の全てを新鮮に感じる無邪気さと、どこまでいってもバケモノでしか無い危うさ両方を抱えて、光が一度も口にしなかった甘えた執着を、ヨシキに寄せてくる。
 それはヨシキがずっと待ち望んでいたものであり、所詮偽物でしかない粘ついた触感と、偽物でも良いと思える甘さを両方兼ね備えている。
 全てが中途半端で危うい、境界線上の物語。

 

 田舎を舞台にした因習ホラーだけで片付けられない、思春期の微細な感覚…青白く不定形なヨシキの性が、おぞましい風景に不思議な熱と爽やかさを混ぜていて、とても良かった。
 その優しい美しさはいつか破綻して、何もかもが残酷に精算を迫られる時が来る(というか、多分もう来ている)のだろうけど、それでもヨシキはあまりに子どもっぽい寝具に包まれて、甘い夢の中に微睡んでいたい。
 でも赤く瞬く世界がそんなことを許してくれないことは、とっくに知っているからこそ彼は涙を流し、ヒカルの側に居続ける。
 どっちに行けばいいのか、選ばなければいけない時はいつか来るだろう。
 だが、今ではない。
 今であってはいけない。

 ホラーに必要な、不安定で不快な足場の上にグラグラ揺れているサスペンスな感覚が、ヨシキの皮膚感覚にピッタリ寄り添うように、ジュブナイルと接続されている手触りが面白かった。
 ノウヌキ様なる異形存在とヒカルがどう繋がるのかはさっぱり解らないが、ヨシキ一人の懊悩で収まらないスケールに事件はもう拡大していて、村の外から怪しい霊能者もやってくるようだ。
 秘密は暴かれ、真相が顔を出し、暖かく湿った”内側”から強制的に引きずり出されるタイミングは、否応なく近づいてきている。
 ヨシキがそれを恐れつつ待ち望み、ヒカルを受け入れてしまった己の罰に裁きが下るのを待っている震えを、丁寧に切り取る第1話だった。

 

 村に漂う旧弊で息苦しい雰囲気が、同性を恋愛対象にする(とおぼわしき)ヨシキを縛り付ける、規範意識の鎖と重なっているのが良かった。
 もう少し大人になれば、完全に押し殺すなり思い切って思いを告げるなり、光との関係にも名前がつき、何かが殺され何かが始まっていただろう。
 だがそういう決断の前で立ち止まって、”彼女”の話を持ち出して無自覚に自分を傷つける想い人との間合いに、思いな辞める時間は光の死/ヒカルの誕生で勝手に終わってしまう。
 そういう残酷を正しく乗り越えて、「光はもう死んだのだ」と諦められるほど、ヨシキを縛る鎖は解けていない。

 あるいはこの夏の檻を自分と世界に傷を刻みながら彷徨う中で、それが緩んでいくお話なのかもしれないが、第1話に示されたどこにも行けない/行きたくない閉塞感と、否応なく何処かへ押し出されていく残酷さのカクテルは、美しくていい味がした。
 ここにノウヌキ様の正体を探る霊能ミステリ、村の因習にまつわるイヤ政治の力学が絡んでくると、なかなか面白い多角形が作られていきそうだが…さて、どうなるか。
 ヨシキもヒカルも光も、既に散々ひどい目にあっているので、せめてこの辛い旅路がなにかの答えを彼らに手渡してくれたら良いな、と思う。
 一緒に終わるにせよ、離れて進むにせよ、ヨシキ達が選べれば良いな。

 

 

 

 

 

画像は”光が死んだ夏”第1話より引用

 というわけで映像は、三重の片隅でありふれた…だからこそかけがえない青春を一緒に歩いている、二匹の少年を追いかけるところから始まる。
 ヒカルの正体を探るミステリはスパッと終わり、ヨシキは代用品でしかないバケモノを受け入れる決断を既に果たしている。

 しかしそれが誘蛾灯に誘われる虫のように、夏に殺される危うい旅路であることも既に示されていて、美しい画面構成は美麗の奥に窮屈な息苦しさと、何もかもがズレてる違和感を強調してくる。
 作品の舞台自体が、”田舎”の形骸だけを借りて中身に不気味な何かが入り込んでいる、スワンプマン的な手触りを持っているのだ。

 

 ガラス越しの歪な現実、胎児の姿勢で己を抱きしめる少年。
 ヨシキとヒカルの日々は穏やかなようでいて不穏で、皮一枚ギリギリで苦しみと悲しみを包み込み、今にも溢れそうに危うい。
 俺はヨシキが使ってる布団が、マジでガキっぽいのが本当に悲しくて、第1話から結構泣いてしまった(泣くところじゃないのに…)
 こんな赤ちゃんがよぉ…自分の気持ちをどう扱ったものか、顔も見えねぇような感情を向けていた相手が急に死んじまって、心の整理もつかねぇのに日常を逸脱したぶっ壊れ事態に飲み込まれちまってよぉ…。
 一番すがりたい相手が、自分の日常をぶっ壊した相手でもあるのは、本当にキツい状況よね…。

 山の秘神としてノウヌキ様の存在を、秘めつつ前提に営まれていた(だろう)村の生活は、別にヒカルが戻ってこなくても歪な偽物だったろう。
 それに気づかぬまま…気づかぬふりが出来たまま、当たり前の青春を送っていれた世界もどっかにあったんだろうが、ここでは光は死んでしまったし、ヨシキは代用品として現れたヒカルを、バケモノと見捨てることもホンモノと抱きしめることも出来ず、ただひとり虚しくガキンチョ毛布を抱いて泣く。
 周りが偽物だらけだと解っていても、どこかにあるだろう本当への突破口(あるいは帰還口)は見えず、生ぬるくて気持ち悪い場所にいるしかない。
 それは包まれている安らぎを、不気味に与えもする。

 

 このどっちつかずの半端な感覚は、光への慕情を禁忌と遠ざけつつ、どうしても否定しきれない自分の中の真実としていた、かつてのヨシキを縛る/包む胞衣でもあったのだろう。
 息苦しい田舎ではなかなか飛び出せない、息苦しく重苦しく愛おしい懊悩は、解決される前に想い人の死によって切断されてしまった。

 代わりにやってきた怪物は、自分が抱きしめてあげなければどこにも居場所がない孤独な存在で、ヨシキは自分すら誰も抱きしめてくれない困窮の中で、苦しそうに顔を歪めながらヒカルを受け止める。
 その実感が、かつて求めた夢の偽物でしかないことを知りながら、光に似たなにかとの繋がりにすがる。
 …悲しいね。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”光が死んだ夏”第1話より引用

 この何かを諦めたような現状維持が、赤い危うさにビシビシどつき回されて、因習村名物・狂い老婆の死によって切断されていく後半戦。
 それは二人きり幸せなはずの帰り道に、「俺はこの停滞を選んだんだ」と思い込もうとしても、蝉の音とともに赤く赤く溢れ出す。

 死人が戻ってくる異常事態、どう取り繕っても溢れ出す違和感。
 ヨシキが抱え込んだ狂気は、彼の中の愛…の代用品ではとても日常の色に塗りつぶせず、外側へと溢れていく。
 それを追いかけるように、狂っているはずの老婆が見ている世界こそが真実…いや”事実”で、死という冷厳な現実が動かし難く、物語に刺ささりなおす。

 

 ヒカルがいると、人が死ぬ。
 バケモノの嘘を優しく抱きしめてあげる、痛くて切ない個人的な物語でまとめるには、このルールはあんまりにも重い。
 彼自身否定しているように、光の死は彼の立場を盗み取ったスワンプマンの犯行ってわけではないのだろうけど、ヒカルがいてしまうことで村に封じられていたモノは溢れ出し、赤い惨劇が広がっていく。
 この因果関係をどう解き、ヨシキがどう受け止め直すかが、今後の焦点になりそうではある。

 …あのいかにも怪しいグラサン霊能者が、どういう踏み込み方してくるかが大事かなーって感じ。
 所属してんのが”会社”なの、ザリッとした感触で好きな設定だ。

 ヨシキが内面に抱え込んだクローゼットにしても、親友/想い人が怪物になってしまった秘密にしても、この作品を駆動させる危うい燃料は全て、彼ひとりの内側にとどまらず、否応なく外に溢れてしまう。
 それが彼らを息苦しく閉じ込めているように思える、ムラという檻の更に外側に侵犯/帰還していくのか…多重的な越境の物語としてみても、結構面白そうな匂いはしている。
 自分がタブーと感じているものへ踏み込み、あるいは社会がタブー通しつけてくるものを跳ね除ける、個人的な倫理闘争がオカルト・ミステリと絡み合って、真実と嘘を混ぜ合わせるもう一つの越境とシンクロしていきそうなのは、個人的にはとても興味深い。

 

 しかしまぁなにより、光の死とヒカルの生…その狭間にある自分自身の性をごたまぜのカオスとして、たった一人背負わされてしまったヨシキがとにかく可哀想で、彼の苦境をハラハラしながら見守ることになりそうだ。
 光が持ってたどっかドライで独立した頼もしさが、ヒカルからは消え失せて甘えた依存になってるの、 ホント梅田修一朗うめーなと思うんだけども。
 ヨシキもメッチャ辛いのに、一緒にそういう苦しさを乗り越えておとなになっていけたはずの光の代用品/偽物が、あらゆる体験に感動できる子どもに帰ってしまったから、支える側に立ち続けなきゃいけないの大変だよな…。

 このお話し、古き善き因習村構図をトレースしつつも、ヒカルの正体はサクッと判明するし、(表向き)それをヨシキが手早く受け止めるし、ジャンルが時間使いそうな定番をスパスパ進めてもいる。
 その狂気が真実を見据えているのか、フツーならしばらく宙ぶらりんにしてそうな松浦さんも、第一の犠牲としてホラーにおっ死ぬことで「はい、彼女が見ていたイヤ世界が本当で、世界はとっくに狂ってます」と、スパンと正気/狂気の境目が裏返った。
 それでも村は穏やかに、美しくてイヤな日常を積み重ねていくのだろうか?
 溢れ出してしまった真実が、現実を侵食していく速度の描き方も、今後注目していきたい。

 

 というわけで、グッと惹きつけられる良い第1話でした。
 ヨシキと光、あるいはヒカルとの間にあったものが何なのか、見るものが定義するフワッとした描線こそが、あらゆる境目がアヤフヤになる危うくて不安定な瞬間に、視聴者を誘っていて面白い。
 僕はこの話、かなり生真面目なクィアだと読んだけど、見る人の思考と志向と嗜好によって、生まれてくる結像は相当違うんじゃないかな、とも感じた。

 眼差しが存在を規定するこのあり方は、とてもホラー的だ。
 必死に目を背け、己と世界のあり方から逃げているヨシキは、否応なく眼差す側になっていくのだろう。
 その苦難の道に、巧く寄り添えれば良いなと思う。
 次回も楽しみ