イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

エイト 1

楠みちはる講談社。田舎町でくすぶってるロックボーイと、音楽家の血を受け継ぎながら人前で演奏したことのなかった少年。ボーイがボーイにミーツする時、音楽が始まる、という感じのロックジュブナイル。自分、恥ずかしながら楠先生の漫画はきっちり読んだことがなくて、単行本を買うのはこれが初、という状態。しかし作中の言葉を借りて言えば「シャコタン☆ブギを32巻出していても、湾岸ミッドナイトを54巻連載していても、これが俺にとっては出会い」という感じです。
そういう無知なスタンスから感じたことを書くと、とにかく台詞の間のとり方が上手い。要所要所にカタカナやー、時には(笑)なんていう飛び道具も織り交ぜつつ、読んでいて気持ちのいいリズムでダイアログが積み上がっていく。その軽妙さが、青春という季節を取り上げたこの漫画と妙にシックリ来てる。台詞の一個一個にどこか、ポエムっぽさというか詩の匂いがある。ちょっと気恥ずかしいけど、それが登場人物たちの心情にシンクロさせてく効果を持ってる。
そして、個々のキャラクターとその対比がクッキリしてて、凄くいい。焦燥感にあぶられ続け、「本物ではない」と暗に仄めかされている主人公ニーナ。ジャズミュージシャンの祖父と伝説的ギタリストの父を持ち、自身のプレイにも圧倒的な「華」を既に手に入れているエイト。たまに顔を見せる嫉妬と、それをはるかに超える尊敬と愛情。高校二年生を駆け抜けている二人の「速度」みたいのが、コマの中に上手く埋め込まれている。
キャラの対比は同世代だけじゃなくて、世代間の断絶でも非常に上手く行っている。エイトの祖父トミーさんは、実力を持ちながら息子の和人を「音楽の森」に囚われ殺され、音楽から離れガードマンをしている。ニーナの部活の担任の杉田先生は、エイトの父とバンドを組んでいた。これから「音楽の森」に飛び込んでいくであろう少年たちと、すでに森から出てしまったオッサンたちの比較は、オーソドックスで単純ながらも、すごく素直にいい。
この杉田先生が超萌えキャラで、親友の忘れ形見が自分の部活にはいる時、子供の前では対面守ってツンツンしてるのに、即座に自費でタクシーを呼んでトミーさんの警備するショッピングセンターに、仁義を切りに来るわけですよ。ツインギターの間合いが上手くつかめない少年二人に対し、ギターをヒョイと借りて渾身のプレイを合わせ「相手を信頼しておもいっきり被せろ。ロックに妥協はいらない」とか言うわけですよ。そしてその後号泣。「和人、エイトのギターお前と同じ音するよ」と。萌えるわー。
脇が光ってるのは他のキャラも同じで、特にニーナのバンドの先輩の書き方がいい。最初はニーナが抜け出したい、田舎町の野暮ったさの証明みたいなかかれ方だったのが、実はかなりボーカルの実力があったり、自分なりの考えでオールド・スクールなUKロックを愛していたり、アマチュアであることに留まろうとしていたりと、作中の描写を活かして印象が変わっていく。エイトのバンド加入に反発していた彼が、音を合わせていくにつれ「エイトはバンドに必要」と言うようになる。そういう積み重ねがとにかく上手い。
僕は車を描いている楠先生のことは全然知りませんが、この一冊だけであえて乱暴に言うと、音楽を描いている楠先生はとてもいい。テクニックと情熱、音楽への愛情がコマの中に上手く収まっている感じがする。そこにはもちろん、楠先生が感じているUKロックへのノスタルジアがあるんだけど、それだけではない。(というか、ノスタルジアの描き方がとても巧いので、心地よく受け入れられる)
これから二人の少年たちが、「音楽の森」に分け入っていく。そこは死人が出るほど危険で、とても魅力的な場所だ。一体どうなるのかはわからない。上手くいくかもしれないし、先人のごとく挫折するのかもしれない。ああ、ワクワクしてくる。そういう、ジュブナイルが持ってる基本的なパワーに四ツで組むぞ、という楠先生の気概を、僕は感じた。
それを支えているのは例えば、エイトが初めて人前で演奏した時の衝撃だとか、作曲という行為に出会った時の高揚だとか、どうしようもなく惹きつけられるエイトの「華」だとかが、しっかりとコマと台詞と表情と背景を用いて漫画になってという、すごく単純で大事な事実だ。テクニックが情熱を支え、愛情が目に見える形に変化していく。それを、漫画として読めるのはとても喜ばしくて、稀有な体験だ。凄く面白い漫画ですよ、これマジで。