イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/01/19

・ ミルキィホームズTD:第3話『カレーの国では遠すぎる』
三話にしてアイドル要素をぶん投げ、カレーの国でフェザーズが投獄される話。
脈絡を無視して挿入されるパロディや、「どうせ来週のアバンで回収すんだろ」と言わんばかりの投げたオチなどなど、いい意味でミルホらしい雑さが楽しめる回でした。
匂わせる程度ではなく、ガチにモザイクかけてぶん投げる力技パロディ、嫌いじゃないぜ。
ガンダムネタ多かったなぁ今回……そこら辺のセレクトはスタッフの好みか。

ミルホを動揺させるのではなく、ツッコミ役一般人であるマリネちゃんをイライラさせて話の起伏を付けるのは、既にアイコン化しているミルホの面々を考えると巧い手筋だなぁ。
『吸いましょう!』の回収とか、かなり自覚的にリブートかけてる感じがイイ。
過去作から受け継いだ着たいというのは鎖にもなりますが、上手く振り回せば武器にもなるわけですね。

三期で重たい女っぷりを見せつけていたカズミちゃんも、すっかり怪盗→投獄ネタを自分のものにした、見事なワンポイントリリーフっぷり。
『カズミちゃんが怪盗っぽいことしてると、なんとなく面白い』という領域に来てるので、今後も雑に扱っていただきたい。
失言一発で退場どころか食用にされる過激な処理方法といい、良い塩梅にエンジンかかってきたことを感じる第三話でした。
……ネロとフェザーズが帰還すること前提で話してるけど、今の油の乗り方だと来週まるまる出てこないまであるネ。

 

デュラララ!!×2:第2話『和を以て尊しと為す』
早速デュララお得意時系列シャッフルー! という訳で、森羅を狂言回しに前回のお話の裏側と新キャラ紹介をざっくり流す回。
キチガイ高校生トリオの話と、シズちゃんにぶっ飛ばされた殺人鬼×2がメインなんだけど、現状クロスしていないという分かりにくさが如何にもデュラララっぽくて好き。
お話の種が連結してラインが出来るまで、ちょっと時間がかかる形態なのだね。

そんなわけで個別のパーツを楽しむのがグッドな頃合いでして、金田動きでメガヴァイオレンスしてくるエロいキタエリと、ブルマでクールな金本さんと、腹に一物ありそうな下野が出会い系フェイズを運営する様を楽しむのが吉。
「下野声がまたモテテおられるぞー!!」と警報を出したい気分だけど、良く良く考えると体と行動はエロいけど中身は危険物だからあんま羨ましくないね。
まぁこのアニメ、メイン登場人物九割がた人格ぶっ壊れだから、どの立場でも羨ましくないねウン。

ハリウッドとロシア組の話は次回やるっぽいのであくまで伏線として処理するとして、案外杏里
関係のネタを仕込んでいたのが気になった。
自分は原作を読んでしまっているのでシャッフルされた内容を再構築して、大体の筋道を脳内で確認しながら見ておるわけですが、同時に内容かなり忘れてもいるので、杏里が目立つタイミングってこの段階であったっけ? と首を捻る。
いや、単純にデカくなったパイオツをスタッフが見せびらかしたかっただけかもしれんけどさ。
ヤスダ先生の挿絵でもそうだったけど、話が進むにつれて奇乳の領域に突入してくよな、あの刀剣制御用バランサー。

ザワザワとザクザクと、デュラララらしいリズムと音量で物語の要素がばらまかれ、賑やかな第二話でした。
折原妹Sのキチっぷりが想像以上にグッドに再現されており、いい塩梅だなぁと感心しております。
次回は僕の好きなハリウッドの話をやってくれるようなので、とてもワクワクであります。

 

・アルドノア・ゼロ:第14話『異星の隣人たち-The Beautiful and Damned-』
足らない所をサクサクと解説し、三度目の邂逅を手早く演出する、非常に作劇コストの良い二期第二話。
鬼に金棒イナホに義眼という訳で、知略系チートを更に増大させるマシンアイの説明をインコちゃんを弄って手早く、解りやすく進めたのは流石でした。
他にも偽姫さまのキャラクター紹介や宇宙基地防衛戦なんかをさらりと流しつつ、因縁の邂逅まで済ませるスムーズな流れがグッド。
義眼のチート力でスレインくんの偽装工作がソッコー破綻している辺り、的確な圧縮が行われていると感じる。

偽姫さまは結構解りやすいコンプレックスの塊な寂しがり屋であり、ちょっと優しくすればチョロっと落ちそうな所が可愛い……と同時に危うい人でした。
「お姉さまの代理じゃなくて、私を愛してよ!」と言われて、本音でも都合のいい嘘でもなく、ぎりぎり自分に有利な結果を取れる事実だけ開示するスレインくんの不器用さに、オッサン苦笑い。
そこでノータイムの「いえ、好きですよ」が出てこないから、君には陰謀の海で溺れる未来しか待っていないのだ。
……イナホくんなら、本心をつなぎあわせてそのセリフを言ってるんだろうなぁ。
つくづく、持って生まれた業の差異というのは残忍だ。

とは言うものの、こと殺し合いにおいてはチートノイマンイナホくんに並べるのが、蝙蝠改め海猫スレインくんの良いところ。
義眼+持ち前の解析能力でデブリ満載の難海域を制圧するイナホくんと、タルシスの未来予知(?)で相手エースを釘付けにするスレインくんのヘッドオンは、なかなか緊張感に満ちていてグッドでした。
回戦は痛み分けで終わったけど、全滅覚悟で寄せ集め部隊結成した地球の方が得してんのかな?

常識を超えた高速機動戦故、宿命の出会いはお互いの顔を確認した所で別れた。
静かに憎悪を込めてスレインくんを睨むイナホくんがコエーのなんのだが、ヤツの仕打ちを思えばCOOLもHOTになるよね。(許斐先生リスペクト)
と言うか、分かり難いだけでイナホくんは情念の人だと思う。
スレインくんも自分の不手際を再確認し、どろりと黒い運命の手綱が確認されたわけですが、不器用で器用な男と器用で不器用な男、今後の荒波を道渡っていくのか。
次の展開が楽しみになる第二話でした。

 

・四月は君の嘘:第13話『愛の悲しみ』
ガラコン本番というわけで、ピアニスト有馬公生の完成を見せる回でした。
前回のコンクールでは感受性の強い一部の人物に届くだけだった公生くんの音楽が、瀬戸先生が言うように「何かを表し、誰かを動かす」音楽として観客に届く所まで上がったこと。
それは長く伸びた母の長い腕が、自分を苦しめるだけではなく、愛おしく抱きしめてくれるかけがえのない思い出であると気づけたことが原因でした。
ピアノを弾くことで死別した母にすら出会い、かつて言えなかった言葉を死者にすら届ける事が出来るのであれば、有馬公生のピアノは最早音の塊以上の何かになってしまっている。
これが母子の物語であるのなら、これ以上ないほどの最終回だったと思います。


しかしこの物語を牽引しているのは有馬公生の過去だけではなく、彼の現在や未来は無論、不安定な揺れに満ちている。
失った母を取り戻すには自分を苦しめるピアノを弾くしかない状況で、苦痛に焼かれながら演奏を続けた理由はかをりちゃんであって、椿ちゃんではない。
いくども繰り返されたこのリフレインは、当然のように今回も顔を出して、人間的成長を遂げたピアニスト・有馬公生を見知らぬ青年のように見つめ、言葉を失った椿ちゃんをしっかりカメラに写していました。
『芸術によってしか到達できない場所がある』『才能に愛されなければ見えない景色がある』と断言するこの作品において、椿ちゃんはただ恋愛の敗者であるだけではなく、好きな男の子と同じ世界に立てない無様な凡人という、これ以上ないほど残酷なポジションを与えられています。
今回挿入された椿ちゃんの見ている世界の無様さ、不格好さと彼女の戸惑いは、世の中ほぼすべてがそうであるような、死者と語らい世界を塗り替える能力を保たない凡人の所有物なわけです。

今までそうだったように、今回も、これからも、椿ちゃんは有馬公生との、宮園かをりとの根本的な違いを認識させられ、戸惑い、絶望し、苦悩しなければいけない。
その根本的な際は、彼女が頭の弱い自己中女ならば、そこに在る裂け目など気にもせず飛び込み、自意識を引き裂かれていただろう断絶なのでしょう。
椿ちゃんが優しく、賢く、優れているからこそ、彼女は裂け目の巨大さに竦み上がり、無言のまま有馬公生の背中を睨み続けるしかない構図は、しかし有馬公生という才能の大きさをこれ以上ないほど鋭く伝えてくれる、優良な鏡でもある。
残忍な作品だと思います。

一方、有馬公生と共通の言葉を持つ演奏家達は、彼の演奏を受け止め、前に進んでいく。
自分の放った無遠慮な言葉に刺される形になった三池くんは、震える膝を前に出し、母のために弾いた。
恐れを飲み込んで前に進み、表現に真っ向勝負を挑んだ彼はやっぱり、このアニメらしい好感を抱ける青年でした。
彼の決意の表情は、凄く綺麗だった。


今回母親との和解を果たし、音楽を意思疎通のメディアにまで昇華させた有馬公生の音楽家としての成長は、非常に綺麗な形で完成を見ました。
しかしそこで歩みを止めないのがこの作品の妥協のないところで、大人世代が口に出したように、別れることが有馬公生を完成させていくのならば、それは彼にとって過酷すぎる道行です。
そして、彼を再び母親に出会わせた張本人は、いよいよ退っ引きならない状況に追い込まれている。
ベッドの上で微笑む、色素が薄くなったようにみえるかをりちゃんを、有馬公生はどう受け止めるのか。

無論、音楽で死者との再話を達成してしまったこの作品においてはその再演をするしかないのだけれども、二年の距離を経た母親との再会があれだけ苦しいのに、いま自分を活かしている運命と切断されることがどれだけの痛みを伴うのか。
それが予見できるからこそ、病室の彼女の姿を視聴者は(と言うか僕は)苦しく思うわけです。
悲しみに慣れるために弾き続けた『愛の悲しみ』は有馬公生を母親と再開させ、幸せに離別させました。
同じことをもう一度しなければいけないだろう彼は、さて、無事見事にそれを成し得るのか。
それが、今後この作品で重要になるところかなぁなどと、僕は思いました。