イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/06/10

血界戦線:第10話『ラン!ランチ!!ラン!!!/to the end.』
NY退魔行も、そろそろ終盤戦。
ライブラ若者班が食神の導きによりろくでもない目に遭う話しと、ライブラ大人班が世界の危機に対処する話が並列して回りつつ、レオとホワイトの話が佳境に入る展開でした。
トチ狂った街のトチ狂った日常を見せるために、レオ青年がこれまでの話で手に入れたものを見せるために、『食』という要素を使ったのは地面に足がついていて非常にグッドでした。

若者班のお話はまー手ひどいコメディでございまして、『デリカテッセン』か『最後の晩餐』かというゴアゴアな食事風景に三人が振り回される展開。
ザップ・ザ・ゴミクズマンが嫌がらせのために悪い所を選んでいるとはいえ、ろくでもなさを煮込んで固めたような各種飲食業者のバリエーションに、終始いい笑顔にさせてもらいました。
戦闘や犯罪から離れたテーマで、トンでもなくロクでもないヘルサレムズロットを見ることが出来るのは、なかなか嬉しい所です。
……まぁ中身の方は血まみれグルメマップでして、犯罪が日常化している街と言い直すことも出来るけどさ。

アッパーテンションなコメディが目立ったお話ですが、新入りツェットが仲間として馴染んでいる様子だとか、半ば巻き込まれる形でライブラに飛び込んだレオの現在の様子だとか、合間合間のいい話精度が高くてグッド。
作中最強のゴミクズ人間としてキャラをバリ立てしつつ、今回のような叙情的なシーンも無理なく担当できる辺り、ザップ先輩はほんとうに良いキャラ。
アクの強さを吸収する形で、ともすればおもしろみのない石部金吉になってしまいそうなツェットもコメディに参加できているところとか、噛み合わせの妙味だなぁ。


一方真面目に世界の危機を救う大人班ですが、どっちかっつーと黒白兄妹の設定を開示する意味合いのほうが強かった感じ。
結界師の末裔』という兄妹のオリジンと、絶望王が狙うフォールダウンがどう結びつくかは気になる。
レオとホワイトの関係も、絶望王が本性見せた状態で横入りしたことでクライマックスに進んだ感じがあるしなぁ。
次回総集編っぽいですが、原作にあるエピソードをで一旦断ち切って、ホワイトの話にケリをつける形でアニメを終わらせる前準備でしょうかね。

 

・ハロー! きんいろモザイク:第10話『海べのやくそく』
狂気と日常がダンスを踊るゆるふわアニメーション、今回は勝負の水着回。
押さえつけられていた肌色への欲求が炸裂する回であると同時に、この作品が持っている様々な危うさと、それをギリギリの所でエンタテインメントの形に保っているバランス感覚、両方が見える回でした。
いや、女体に掛ける情熱も凄かったんだけどさ……10代と20代後半のハリの違い、あんなに拘った作画久々に見たわ。

今回のお話はまず、24分まるまる使ってのレジャー回であり、五人の少女たちの青春が弾ける様子を活き活きと見せてくれるエピソードでした。
台詞をオフにして風景と少女を情感たっぷりに流す、一種アイドルフィルム的な絵の作り方というのはこのジャンルにおいては基本的かつ重要なシーケンスでして(『Aチャンネル』とか毎週あったからな)、此処の仕上がりで美少女青春記としての出来が見える。
電車・砂浜・水中公園と三回も挿入された『女の子が可愛いだけのシーン』は、見事なロケハンと
フェティッシュなアングルが合わさり、彼女たちの『今』を最高のタイミングで切り取る素晴らしい仕上がりでした。
勝負回の勝負シーンで、こういう仕上がりの映像をズバッと入れれるのは流石の一言。

エモーショナルなPV的シーンだけではなく、台詞を伴う交流も今回は丁寧に描写されており、高校二年生の夏という金色の瞬間を彩っていました。
『ヨーコとカレンがアホなふりをしてモチベーションを高め、それを止める形であややとアリスが盛り上がりに飛び込み、シノがマイペースに楽しむ』という、あの五人の基本形がしっかりと見えて、安心感と喜びがみっしり詰まっていた。
今回はシノも金髪基地外ではなく、アリスのことが大事でしょうがない一少女としての側面を全面に押し出していて、見ていてホッコリする交流がいっぱいでしたね。


そして、安定感のある五角形が強調されればされるほど、その内側にあるあらゆる意味での危うさ、不安定感がひっそりと顔を出す。
それはあくまで異国の客であるアリスの立場であったり、17歳という年齢が持つ心身の不安定さであったり、5人の関係の中で自然と生成された立場であったりします。
ただキチガイなだけでもなく、ただ可愛いだけでもなく、そういう繊細な人間関係の震えをしっかり捉え、声高にではなくひっそりと画面に写す目線があればこそ、このアニメはただ摂食され使い捨てられる萌え食料以上の感慨を、僕に伝えてくるとすら思える回でした。

例えばヨーコとあやの関係。
ヨーコのことがどうしようもなく好きだけど、それ故に真っ直ぐ好意を伝えることがどうしても出来ないあやの幼さを、楽しい夢の時間の終わりを唯一把握している冷静なヨーコが受け止め許容することで、彼女らの関係はギリギリ成り立っています。
常に好意を暴走させ、ともすれば気持ちがすれ違ってしまいそうなほど捻くれているあやの気持ちを、圧倒的な地頭の良さがあるヨーコが全て受け止め対応することこそ、あやのツンデレ芸が成立する前提なわけです。

しかしそれは、ヨーコの精神的許容量が限界を迎え、あやの捻じ曲がった好意を一度でも拒絶してしまえば破綻してしまう、危うい関係です。
あまりにも幼く脆いあやは、素直ではない自分を全部受け止めてくれる優しくて大人なヨーコにより掛かることで、なんとか二人の距離を維持している。
そのことをお互い自覚しているからこそ、ヨーコが無言であやの体に接触して、『私は貴方のことを受け入れているよ』『貴方はわがままを言っても大丈夫だよ』という、まるで母親が娘にするようなサインを幾度も出しているわけです。
今回で言えば、行きと帰りの電車のシーンでしょうか。

あやの幼さはヨーコにだけ向いているわけではなく、他の3人との相互の関係の中でも、彼女のみ成熟な精神は顔を出します。
まるで幼稚園児のようにヨーコだけを見つめているあやにとって、他の3人はいまいち声をかけ、喜びを共有しづらい相手。
ともすれば黙りこんでしまいそうな空気を、アホのふりを全力でし続けることも引っ括めて、5人の関係を引っ張っているヨーコの高いコミュニケーション能力が壊し、あやに発話の機会を与えていればこそ、あやはあの場所に立ち続けることが出来ている。

通常OPでヨーコに手を引いてもらっているあやの姿は、何もガチレズ芸を強調するためだけに織り込まれているとは、僕には思えません。
母のように姉のように恋人のように、幼いあやの手を引いて、楽しい場所に連れて行ってくれるヨーコへの信頼感が、あのシーンと今回のOP、電車から出る所で手を引くシーンで二回繰り返されているのは、偶然じゃあないと思うわけです。
一歩間違えれば崖下に落ちてしまいそうな幼く危うい関係と、その一歩を間違えない安心感が同居している二人の間柄は、やっぱり魅力的だなと、僕は感じます。

おまけにあやが抱いているヨーコへの憧れが、異性ではなく同性を恋愛対象として選択するという性成熟の結果としてあるのか、はたまた恋に恋する幼い夢をヨーコに投影しているだけなのか、判別がつかない危うさまで、二人の関係は孕んでいる。
ここを宙ぶらりんにすることで過剰なシリアスさに踏み込まず、あやのツンデレ芸・ヨーコのイケメン芸を『笑い』として維持することが可能になっているわけで、コメディとしてきんいろモザイクが続く限りは、踏み込ま(め)ない領域ではあるのでしょうが。
ここをガチったら別の話になってしまう、ということですね。
そういうジャンル越境的な危うさも引っ括めて、『アヤガチすぎ』『ヨーコ弄びすぎ』と揶揄して笑えるあやとヨーコの関係は、その実一歩間違えば崩壊してしまいそうな危うさと、幼いあやをしっかり受け止めるヨーコへの信頼に満ちているわけです。


あやとヨーコの関係がお互いの顔をしっかりと見た1-1の関係だとすると、残りの三人の関係は一方通行の矢印が奇妙に伸びる、別角度から危うい関係だと思います。
第7話で示されたように、カレンからアリスに伸びる気持ちの強さは、道化めいたカレンの仕草からは意外に思えるほど、圧倒的に強い。
しかしその気持はアリスには突き刺さらず、彼女の気持ちはあくまでシノに向かっています。
そのシノはアリスが好きなんだか金髪が好きなんだか、いまいち掴み所のないふわっとしたキャラクターです。

1→1→1の一方通行合戦は今回、シノの取り合いをする金髪二人という形で発露している。
カレンがシノを好いていることは間違いないわけですが、同時に彼女の一番は(アリスの一番がシノであるように)アリス以外にいない。
アリスが欲しがるシノを欲しがることで、一方通行のはずだった二人の視線が、シノを中心に交わる瞬間と、それを生み出すカレンのズルさを、あの金髪サンドから僕は感じ取ってしまったわけです。

こう描きだしてみると、5人の関係が独占欲とエゴにまみれたもののように見えてきますが、今回描かれたあまりに多幸的な時間を鑑みると、普段の仲良し五人組が欺瞞の果てだとは、絶対に言えません。
この作品はゆるふわ系と言われるジャンルの平均を大きくはみ出して、狂気や負の感情が顔を出すお話だと思います。
しかしそれは、おとぎ話のように柔らかい五人の関係を、必ずしも否定するわけではない。
独占欲や嫉妬やいら立ちも引っ括めて、彼女たちは17歳の時間を共有し、金色の季節を一緒に生きているわけです。
それは、ただポジティブな感情だけが空間を満たしているよりも、青春を豊かに切り取ることが可能な見せ方じゃないかなと、僕は思います。

彼女たちの内側には色んな気持ちが渦を巻いて、それでも一緒にいることが楽しくて幸せで綺麗であるということを、今回24分間のバカンスは見せてくれました。
彼女たちが時々見せる繊細な危うさが本物であるように、一見欺瞞のようにも思える彼女たちの繋がり方、余りにも幸せな時間もまた本物であるということを、言外に感じさせること。
それが、ただ海に行ってみんなと遊んで楽しかった今回のエピソードから、僕が感じ取れたことです。
そして、その二つの真実が同居しているということは、作品にとってかなり幸せなんじゃないかな、などとも思うわけです。


その合間にねじ込まれるように、30間際の女二人が海でキャイキャイしてました。
ティーンのぬっるい友情を蹴っ飛ばすように、『今夜は……帰りたくないな……』『じゃあ、温泉で一泊してく? あとペアアクセ記念に買ってく?』というやりとりをする教師陣は、余りに爛れすぎていて素晴らしかった。
クッシー先生の『自分に優しくしてくれる可愛い女の子なら、わりとだれでもOK』というレズビッチっぷりが、生々しくて素敵。
プリパラのみかんといい、レズビッチ流行ってんのかな。
教師二人を挟むことで、上手くトーンの切り替えをしてメインを目立たせていた部分もあって、面白い見せ方だったと思います。

思わず長い文章になってしまいました。
自分はかなり過剰な読みを創作物に対ししてしまうタイプなので、これも製作者サイドの思惑からは外れているところかもしれません。
『きんモザはもっと気楽に楽しむもの』なのかもしれません。

しかし、今回の24分のアニメーションに込められた多幸感と繊細さは、色々なものを幻視してしまうくらいに、可能性に満ちた映像だったように、僕は思いました。
黒さと金色が同居する、どうにもトンチキなガーリッシュ青春コメディという、ずーっと続けてきたきんいろモザイクの強さ。
その全てが出た、とても良いエピソードだったと、僕は感じたのです。
いいお話でした。